「雪原まりも」プロジェクト - 2日目

こんにちは。雪原まりもです。

われながらださいタイトル*1で、これだけで読むのをやめるひとがたくさんいそうです。でもはじめに思いついたのはもっとださいタイトル(残酷な男子のテーゼ)で、そのあと思いついたのはさらにださいタイトル(雪原まりも育成計画)でした。

 

ぼくの本名をローマ表記してそれを並べ替えた「yukiharamarimo」を見いだしたのはたしか大学3年生の頃でした。これはぼくにとってとても思い入れの深い名前です。当時のぼくは心身ともにゾンビのようでした。授業に行かず、風呂に入らず、髪はぼさぼさ、部屋はぐちゃぐちゃでした。

いまだから多少整理して物事を話せるのですが、ぼくは大学にあまりに期待することが大きく、そして大学生活をある程度謳歌するために必要な心のバランス感覚を欠いていたのです。教育に力を入れる家庭だったので、ぼくは「難しいことを理解する」ことに異常に執着するようになり、大学は「ますます難しいことをもっともっと理解する」場所であると心の底から決めていました。しかも、ぼくは中高時代からあまりにバランス感覚を欠いた勉強(鯨が魚なら馬刺しも刺身だと思い込むくらい欠いていました)をしていたせいで浪人しており、心中に「一年出遅れた」焦りを滾らせていました。大学の授業では知的刺激をまったく満たすことができなかったので、ぼくはいつしか図書館と下宿を往復運動しながらヘロインのように難しい書物を摂取する廃人と成り果ててしまったのでした。

さらに病的なことに、ぼくは誰よりも勉強している大学生中の大学生であるとあまりにもナチュラルに思い込んでいたので、両親はもちろん、大学のほぼすべての友人に対して「授業に真面目に出ている」顔をしていました。当人にまったく隠すところがないので、周りも「ほんとうに授業に出ているのか?」と探りをいれることはしなかったのでしょう。

そのときなのです。難しい本を摂取しすぎてタールのようにどろどろになったぼくの脳味噌から見出されたひとつの人格こそ「雪原まりも」でした。雪原まりもはその美しい瞳で打ちひしがれたぼくを勇気づけ、くじけそうなぼくを甘い声で癒し、本まみれの下宿でひとりぼっちのぼくをあたたかな両手で抱きしめてくれました。こうしてぼくは雪原まりもに恋をしました。雪原まりもはけっしてぼくのことを裏切らない。いつもそばにいて、いつもぼくの見方で、そしてだれよりもぼくを知っている永遠のパートナー。

 

えらい哲学者も言っています。汝自身を知れ。他者とは汝自身なり。

 

真剣な話、自分自身を一人の異性として愛することはできるのでしょうか。あるいは、自分自身を性的対象にすることは。自分自身と思いをとげることは?

「雪原まりも」は、このプロジェクトにつけられた名前なのです。

 

…まあ、おちついて考えてみようか。常識的な質問をするよ。概念としての「雪原まりも」はわかった。でもそれを実現するのはおまえの身体だ。そうだね?

「雪原まりも」は足をくんでぼくと差向いに座りながら、いかにも不思議な生物だといった風情でぼくの心身を一瞥した。

そのとおりです。ぼくは答える。

例えば、自分の描く理想の女性像であれば、それはあんたとちがっていて当たり前だ。それはユニコーンのようなフィクションだからね。でもそうじゃない。わたしには現実の、名指し、触れ、鏡に映る肉体がある。

そのとおりです。その身体には血が流れ、温もりがあり、歩き、話し、笑い、涙を流します。

「雪原まりも」はそこで一筋の涙を流した。

この涙は「雪原まりも」の涙なのか?

そうです。キーボードを打ちながらぼくも涙を流す。

「雪原まりも」は結局、度外れたナルシストということになる?

ある意味では。「雪原まりも」は意図的に、巧妙に自分を騙しながら自己愛を煽っていると思う。その仕掛けを煎じ詰めれば、ぼくは見る自分、あなたは見られる自分ということになります。

ふうん。能動態の自分と、受動態の自分を分けるということだね。

そうです。主語の自分から、目的語の自分を分けるのです。形而上学的な主体は決して視野の中には入りません。「雪原まりも」を見て、愉しんでいるのです。

愉しむというのは、性的な意味で?

そうです。それでなければほんとうにただのナルシストで、「雪原まりも」の意味がない。ナルシストは自分で自分を消費したりしないでしょう。

「雪原まりも」は苦笑した。その話はどのくらい真に受ければいいのかな?

そこそこ真に受けてもらって構いません。ぼくは鏡に映るあなたの容姿が好きです。顔も体格も好みです。なんなら、あなたがオナニーする姿を動画にとってオナニーしますよ。

それはすごい。「雪原まりも」はちょっと絶句した。

でも、それだけではありません。「雪原まりも」にはもう一つの役割があります。それは、非モテのぼくをちょっと冷めた目で描き出すことです。物書きとしての「雪原まりも」の処女作は、勉強しかとりえのない非モテが不器用な恋愛に振り回される悲哀を描くものでした(「すばらしさとうつくしさの感情について」サークルクラッシュ同好会会誌2号掲載)。

あれは『こころ』を下敷きにした…

下敷きにしたけど、描いたものはぼくでしょ?

ま、まあね。

ぼくは女性と話すと緊張するし、自信をもって性的にアプローチすることができない。でも性的なことに興味がある。その板挟みを「雪原まりも」は異性の視点でもってくみ取って作品の形に表現できます。

結果的に、非モテであることに開き直ってない?

どう小手先を取り繕っても、ぼくは本質的に異性が苦手ながり勉で、それを克服することはできないだろうと思っています。

へえ。でも、それだけじゃないでしょ?

口もとに笑みをのこしたまま「雪原まりも」はまぶたを閉じた。

 

そう、まさに、それだけではないのです。ぼくは意図的に、「雪原まりも」を、男らしさからおりる道具として使ってきました。男として成長する過程でぼくはたくさんの下駄(男性特権)をはいており、公正で平等な社会を実現するためには男性ひとりひとりがその下駄に気づいてそれを自発的に解体し、権力を放棄し、強者の地位を降りなくてはならない。それが男性の行うことのできる正しい社会運動の形であるということは、その手の勉強をした人なら(同意や実践をするかはおいて)常識でしょう。男性特権には以下のようなものがあります。

・学歴。男の方が高い学歴を期待され、多くの教育投資を受ける傾向にあります。

・職業。男の方が高い給料を得、大きな責任を負う傾向にあります。

・自己主張。男は自分の意見を主張し、相手の意見を否定する、非共感的なコミュニケーションを取る傾向にあります。不満を物理的な暴力で表現し、相手を支配する傾向にあります。

・特権意識。男はコミュニティで注目され、配慮され、気づかわれるのが当然だと思う傾向にあります。

・空間。男は大きな声で、より広い空間を占有する言動をする傾向にあります。

・性。男はセックスにおける身体的な負担が少なく、育児負担も少ない傾向にあります。自分の性的欲求を満たすために女性の身体を直接的に、あるいは性的表現を通して間接的に利用する傾向にあります。

これらの傾向は、生理的なものもありますが、多くはみんながそうしていて、それを当たり前と思っているからです。したがって、一人一人が以下のような実践をすることで解消することが可能です。

・学歴競争から降りる(男性以外の属性の者に譲る)。必要以上に高い学歴や資格を求めない。

・高い給料や地位、大きな責任を求める競争から降りる。必要以上に給料や地位を求めない。

・意見の主張や相手の意見の否定を控え、共感的なコミュニケーションを心がけ、不満を自分で解決する能力を高め、相手を操作するのを避ける。

・コミュニティで相手を評価し、配慮を求めず、発言や言動で自分の影響が大きくならないようにする。相手が話しているときに割って入らない。

・声を小さくし、穏やかに話し、荒っぽい大きな身振りの言動を控える。座るときに足を広げたり伸ばしたりしない。

・セックスで女性に負担をかけすぎない。避妊に協力し、挿入を求めない。オナニーを活用し、女性を直接的に消費する性風俗よりは間接的に消費するものに変え、可能なら性的対象を男性にも分散する。育児や家事を当然行うこととしてとらえる。

もちろん以上のような努力は、今まで男性が行ってきたことを、女性をはじめとする男性以外の属性の者が積極的に担っていくだろうという期待や予測をある程度前提することになります。その上で、ぼくとしては上記のことを(育児以外は)そこそこ実践してみました。それらの全てに同意や納得をしているかというと、そういうわけではないのですが。「雪原まりも」という男らしさを消した名前は、こうした実践に都合がよかったのです。

 

ではこうした実践によって「男らしさ」の呪縛から逃れ、生きやすくなったかといえば全然そういうことはないです。そんなうまい話はどこにもありません。ぼくがこれを実践できたのは、それによって得るものがあったからです。一つは女装、一つは瞑想です。

実は「女装」というのは語弊があって、ぼくはいつも「男装」しているつもりでした。ぼくがやりたかったのは、男でも着られる婦人服はたくさんあるし、それを着ている自分を見るのが楽しかったし、ようするに似合う服があるから着たい、紳士服が小柄なぼくでは格好がつかない分、婦人服に似合うものがあることがわかったという、そういうことなのです。とはいえ一年以上試行錯誤すると、本業で女性をやっている方からいろいろご教示を受けたこともあり、そこそこ磨きがかかってしまったのは事実です。公共施設で男性トイレに入るのがきつい…もちろん男にこういう格好をする人が一定数いることが常識になるかもしれないのでぼくは男性トイレに入りますが。

そしてもう一つの瞑想ですが、実は、上記の実践は「出家」と相性がいいのです。ぼくがやったことは、男性性の解体というよりは、社会から距離を置くことでした。だいたい、自分には特権があるのではないか、それはやましいことではないか、という感性は宗教と相性がよい。ただ、ぼくは宗教の提示する(救済や解脱のような)世界観は、もちろんそれなりに学び理解はしますけれども、その枠組みのなかに入ることはありませんでした。ぼくに必要だったのは「じっとしていること」、瞑想というかたちで心身の「定点」をつくることで、心身の動きを観察し相対化する技術を確保することでした。じっとしていればたいていの競争から降りることになるし、主張もしないし、場所もとらないし、暴飲暴食を避け禁欲的な生活を送るようになるでしょう。でもそれは方法論であって、それに反してはならないわけではないし、罰があるわけでもないんですよね。

 

「雪原まりも」プロジェクトとは何だったのか?

それは女装や瞑想によるストレスコーピングで性欲を自己完結させ、社会や他者と一定の距離を取る「自己のテクノロジー」、狡猾な自閉のプロジェクトだったのでしょうか。その指摘はある程度当たっていると思います。ぼくには、他者を個人として尊重し対等な人間関係を第一とする社会において、各人が広大な自己の中に閉じこもることは一つの回答であり帰結のように思われるのです。

 

ようやく結論らしきものが出ました。「雪原まりも」はゆっくりとまぶたを開ける。ぼくもまぶたを開けます。まぶしい。

*1:ちょうどさっき聞いてきたアボガドロ国際プロジェクトから着想したものです

-サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー2018が始まります- 1日目:「二重整形したけど今こういう気持ちです」

こんばんは、サークルクラッシュ同好会で会誌編集やアプリ開発などをしている桐生あんずです。

まずは、サークラ同好会会員たち*1が「自分語り」をテーマにして毎日交代でブログを更新する企画として始まった「サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー2017」の記事を去年読んでいただいた皆様方、ありがとうございました。

一部の層の方々から好評だった模様で、しばらくの間はサークラ同好会の話を外部の人にすると高確率で「ああ、あのブログが面白いやつですね」と反応をいただくことが度々ありました。本当に嬉しかったです。

筆者側として参加した方々からも「書いてよかったです」と私に話してくださる人もいて、やって良かったな〜という気持ちになりました。

といったような、素敵な余韻を残すことができたので今年もサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーをやることになりました。今年も錚々たるメンツが毎日ブログを投稿してくださるようです。 

adventar.org

 

0,前置き

今年はどんな自分語りをしようかな〜という感じなんですが、実は前置きというか、もうこれがメインでよくない?というような記事を先月に既に書いてしまっているのです。

kiryuanzu.hatenablog.com

上記の記事では、簡単に要約すると「化粧にめちゃくちゃハマったので色々やってみた」という記事なのですが、なぜハマったかというと先日二重整形したんですよね。

自分の中では一大事件だったので、サークラアドベントカレンダー1日目で大発表〜!!!という目論見がありました。

しかし、リンク先の記事にも書かれているように「周りの人からしたらどうでもいいことやんけ、もったいぶらなくてええわ」という気持ちになってきて、化粧への熱意を込めて5時間くらいで書いたら1日で3万PVを得るという大承認が発生しました。良い話ですね。アフィリエイトはやってないので収入は0です。

 

「人からしたらどうでもええやろ」と思ってたのですが、整形の話を公表し始めたら「二重整形に興味があるからどこでやったか聞かせてほしい」という質問がリアルでもネットでもそこそこの数が来てちょっとびっくりしました。

世の中の人ってめっちゃ整形に興味あるんですね。整形の話がきっかけで、インターネットで知り合った女子大生からDMがきて代々木駅前のPRONTで突発オフ会をするみたいなこともありました。楽しかったです。

 

あと、これは軽率に言うべきことか難しいのですが、整形の話を相談してくださる方々は男女問わず、整形前のすっぴんの自分よりもかなり素敵な顔立ちの方ばかりで、「整形しなくても本当にお綺麗ですよ」とつい言ってしまいそうになります。

でも、自分が納得いかないとやっぱり辛いんですよね。私も内心そう思っていたから整形したのだろうし。

もし、好きな人や仲のいい友達に整形の話をしたとして、「今のままがいいよ」と言ってくる人より「君がそうしたいならそうした方がいい」と言ってくれる人の方が付き合いやすいなあ、って私は思います。

 

という感じで、今回は、「二重整形したけど今こういう気持ちです」という題でお送ります。例年通りここからは常体文です。

 

 

「二重整形したけど今こういう気持ちです」

1,思い立った日

「あー、なんか、気分が良くなることしたいな。よし、二重整形するか〜。」と2018年10月頃急に思い立った。

色々ストレス解消の手段はあったと思うのだが、なぜこのタイミングになって二重整形したい気持ちにさせられたのかは実は今でもうまく言語化できないでいる。その時期に誰かに「ブス」とストレートに言われたわけでもなかったと思うし。

ただ、自分の一重まぶたに対するモヤモヤはずっと抱えていたと思う。

毎日アイプチとアイテープをやるのが怠いのと、親以外の人にすっぴんを人に見せるのが嫌なこと、どんなに化粧を頑張っても薄化粧に見えて化粧していることに気づいてもらえないこと。

その時期は、大学に通いながらバイトに行き、個人でもイベント企画をすることになったことでそこそこ忙しくなり、なんとなくフラストレーションも溜まり始めてのだと思う。

そんな気持ちだったからこそ、思い切れたのかもしれない。意欲が冷めないうちに早速行動に移すことにし、気になる病院にカウンセリング予約をし始めた。

2,一重まぶたと中高生活

病院に行く話をする前に、ちょっと過去の話をさせてくれ。すぐに終わるので。なぜ私がここまで二重であることにこだわり続けている原点はそもそもどこにあるのか。

ベタベタな話なんだけど、暗黒のすっぴん時代の中学・高校生活におけるものである。あるあるすぎてしょうもないと思う。

 

具体的なエピソードを一つ上げておくと、中学3年ぐらいの時にそこそこ好きな男の子がいた。

私の当時の見た目は、一重まぶた、おまけにネトゲのやりすぎで中学生女子の平均体重+3kg増えていたため、顔もふっくらしていたしまぶたの脂肪も現在よりも厚めだったと思う。(文章化すると当時の記憶が思い出されてきてとても辛い)

そんな見た目だったせいで、その好きな男の子に「平安美人*2」というあだ名でからかわれて、多分100回ぐらい言われていたと思う。

平安美人って目が細くて太り気味の中学生女子がつけられるあだ名ナンバーワンだと思うんですけど、安易に「平安美人って現代だとブスなんですよ〜笑」とか授業で面白おかしく説明されるとこういった地獄が多発するので、国語の先生と社会の先生は覚えておいてください。当時の国語教師許さん。

とは言いつつも、ひどいあだ名でからかわれても構ってもらえることが嬉しくて卒業時までずっと好きだった覚えがある。悲しすぎる。げんしけん2代目の矢島の過去エピソードでこういう話ありましたね。

これは、サークラ同好会の文脈で言うと、クラッシュされる側の「くらっしゃられ」な側だと思うんですが、残念ながら高校時代でも似たような話がある。

 

高3の時にも、ちょっとだけ気になる男の子がいた。倫理の時に毎回ちょっかいを出してくる運動部の男の子で、相変わらず私はいじられる側だったのだが、嫌な構われ方ではなく不思議と嬉しかった。

卒業前に気持ちがそこそこ抑え切れなくなってきた辺りで、ついに友達に「気になっている人がいる」と打ち明けると、「○○くん、2年の時から付き合ってる子いるよ」という情報を提供してもらい私の淡い恋愛模様は即終了した。

その彼女は、外国人のような顔立ちでぱっちり二重の美人な女の子だった。あと吹奏楽部で、当時、様々な理由で高校の吹奏楽部の人間たちに対して憎しみを持っていたので更に吹奏楽部が憎くなってしまった。今では響け!ユーフォニアムのおかげで吹奏楽部というコンテンツ自体は大好きです。

そのちょっと好きだった男の子に、好みの女の子のタイプの話をされたことがあったのだが「北欧系の外国人の美女と付き合いたいから絶対留学する!!」と嬉しそうに言っていて、面白かったけれど「ああ、そういう顔が好きなんだな〜」と完全に恋愛感情は喪ってしまった。

 

ちなみに、最初に紹介した中学時代の男の子はそこそこモテていて、彼を好きな女子の1人にも、二重まぶたの綺麗な可愛い女の子がいた。

その男の子は誰に告白されても断る人間だったので、その可愛い女の子も彼に告白した際は玉砕してしまったのだが、「あんなに可愛いのになんで断るんだろう」と当時はすごく思っていた記憶がある。

結局私も彼女も振られてしまったので一応同じ土台に立っているのだが、彼女の方が本当に綺麗だし、羨ましいなあという気持ちで心の中で見ていた部分はあったと思う。

ちなみにその彼女とは今でも親交があるのだが、もちろん中学時代より更に綺麗になっている。住む場所も違うし、会えることは少ないのだけれど素敵な友達だなあとずっと感じている。

 

なんとなくだけれどこのような中高時代の経験が積み重なっていったことで、「二重の綺麗な可愛い女の子」に対して羨望の眼差しを募らせていき、自分の一重まぶたへのコンプレックスがどんどん深まっていったのだと思う。

つまり、「自分には手に入らないもの」の象徴の一つとなっていたのだ。

 

3,そんなわけで、二重整形手術しました

時は今に戻る。正直中高生時代のことはもうどうでもいいけど、私は今とにかく二重整形がしたいのだ。

そのような固い意思を持ったまま、まずは共○美容外科にカウンセリングに行った。施術代は他の病院よりも比較的安く、そうであっても安すぎない料金設定といった絶妙なバランスだったため、興味を惹かれたのだ。

ただ、カウンセリングをする中で、話の中に適当さが見られるのと「湘○の手術はダメだけど、ここのやり方は正しいから」といったような、営業のセールストークとしては割と微妙な印象を抱くタイプの話をしてきたため不信感が出てきてしまった。

その後もその病院のネットの評判を細かく見たけどやっぱりう〜んとなってしまい、別の病院に行った。

最終的に、○塚美容外科が一番好印象だったので、そこのブリリアントフォーエバー二重整形術(約15万)にした。どうでもいいけど、なぜ美容外科は二重整形の施術名に「フォーエバー」をつけまくるのだろう。

ちなみに、整形する話は母親に最初したのだが、私の親世代のテンプレ反応で「そんなのダメよ!!!」の一点張りだった。

結局父親にも相談して決めるとのことだったのだが、父親の方は意外とドライで「本人がコンプレックスにしてるんならやったらいいんじゃない」という意見で、母親もそれをすんなり受け入れて、最終的には母親が私が二重整形することになぜかワクワクしまくっていた。

術後には、「目の写真見せて!!!!」と1週間ぐらい言い続けてきて、そのたびLINEで写真を送るようになっていた。いかにも自分の母親っぽい行動だなあと思った。

ちなみに父親は私のインターネットウォッチをしているのでもちろんこの記事も見ていると思う。めちゃくちゃ恥ずかしいのでこの記事の感想はよこさなくてマジで大丈夫です。

 

二重整形をした人ならわかるかもしれないのだが、病院の人たちは整形に対して本当にあっさりしているし、パリピや性格のキツそうな女性の従業員が多いので会話が微妙に噛み合わなくてちょっと怖い。

こっちは割と一大事件なのでかなり緊張しているのだが、医師や従業員たちはさっさと手術を終わらせて他の客の相手をする必要があるので、麻酔をされて10分ほどでサッサとまぶたを縫われてすぐに帰らされる。これだけで15万なので、美容外科はめちゃくちゃ儲かっていると思う。

そんなこんなで二重になった。でも、術後はめっちゃ腫れていて「なんだこのガチャピンは」と言いそうになった。二重整形後はみんなそうなるようだ。

初日、2日目はそこそこ腫れて割としんどかったのだが、麻酔に極小針を使ってもらったおかげか、腫れは日が経つうちにすぐにおさまり、メイクがどんどん楽しくなっていった。鏡で二重になった自分の顔を見るのがすごく嬉しかった。

これは15万の価値あるぞ〜〜!と一人でめちゃくちゃ盛り上がりながら家でずっとメイクをしまくっていた。

 

4,今とまとめ

二重整形をして3週間ぐらい経った。

最初の1~2週間はいろんな人から「綺麗な二重になったね〜」と言われて、大承認〜!!!という感じだったんですが、3週目に突入すると慣れてきてただの自分の顔の一部というだけになってくる。当たり前の話だけど、二重になったからといって超絶美少女に生まれ変わるわけでもないので、自分の顔の中の気になるパーツが新しく可視化されてくる。

だけど、しばらく整形はいいかなあという感じになっている。

あまりたくさんお金を使うのは本来好きではないし、顔を変えまくったところで私にとって大きな幸福が得られるわけでもないことに気付いたからだ。化粧の手間が大幅に省けたので、バイトに出勤する前に以前より30分ほど長く睡眠が取れる程度の幸福は得られているけれど。

 

大学2~3回生のうちだったらまた違ったのかもしれない。

5回生になってエンジニアのアルバイトを始めたり、Web業界の人たちと何かするようになってからは、「どうしたらもっと人とうまく対話できるだろうか」とか、「仕事上のコミュニケーションをうまくやるためにはこういうところに気を付けなきゃだなあ」といった、自分の行動面の問題改善についてばかり目を向けるようになっていて、見た目へのコンプレックスをいちいち気にする暇が割と無くなっていることに最近気づいた。

見た目のことを考えるよりも、頑張りたいこと、楽しいことが増えたのだと思う。

 

今回二重整形したのは、過去の自分の残滓が何かを訴えてきているのを感じつつ、「アイプチ毎日するのだるくてコスパ悪いし、今はお金も貯まってるしサクッとやっちゃおうか」と軽く考えられる今の自分がいたからこそ、行えたことなのかもしれない。

見た目のこと気にしなくなってたらしなくても良いんじゃ、と感じる人もいると思うのだが、化粧にめんどくさい工程を挟む必要がなくなって朝にたくさんの睡眠を取れるのは最高の気分だし、色々なことに疲れたな〜と思った時に、ふと普段と違った化粧をして雰囲気の変わった顔の自分を見るのはストレス解消になる。

だから、してよかったと思う。人生を楽しくする方法が今より少しだけ増えたのだ。

 

そういうわけなので、二重整形はオススメです。読んでいただきありがとうございました。

 

 

*1:会員ではない人も寄稿している

*2:一重まぶたでしもぶくれという容姿が平安時代では美しいとされていたが、現代では不美人と扱われがちとよくネタにされている

いる場所のなかったわたしが居場所を獲得するまで

はじめまして、サークルクラッシュ同好会の副会長をしているカプリスです。去年の12月ごろに「セックスするけどヤリチンと言われたくない」を書いたものです

今回は、わたしがサークルクラッシュ同好会に入ったわけ

circlecrash.hatenablog.com

というテーマで自分語りをしていこうかと思います。

①大学入学

高2くらいからわたしはいわゆる「メンヘラ*1」でした。何とか大学受験は終わったもののそこから糸が切れた様に精神がより不安定になっていきました。何とか最初に友達は作れて私を含めた四人グループで行動していたのですが、その友達の前で「ブロン*2」をザラザラと瓶に口を付けて一瓶飲んでみたり、血を溜めたペットボトルを見せて無邪気に「見て~、綺麗~」とか言っていました。当然友達はメンヘラでもない普通の人です。どんどんこいつ頭がおかしいと思われ距離を取られていきました。そういった行為がどんどん悪化していき最終的には学校の授業中、教室のど真ん中でリストカットをしました。流れる血、慌てふためく周りの人、飛んでくる保健室の人。それらが重なり結局精神科病棟へ入院することになりました。入院することになりもちろん大学は休学、そしてその友達だった人とは完全に縁を切られました。そんな私の心のよりどころはツイッターだけでした。

サークルクラッシュ同好会を知る

休学して毎日ツイッターをしていた時、あるアルファメンヘラツイッタラ*3の名言(?)をまとめたbotと出会いました。その人(botの元となった人)がサークルクラッシュ同好会のことに言及していて、初めてサークルクラッシュ同好会の存在を知り、また、その人が「サークラはコミュニティーになじめなかった人の最後のよりどころとして活用してほしい」ということを言っていて、これは入るしかない!! と思っていました。

③NFにて

しかし生きることに精一杯だったわたしはそんなことを一瞬で失念してしまいました。毎日死にたいと思いながらフラフラ生きていると高校の友達にNFに行かないか、と誘われたので、行ってみると自分の学校では見ないような人がたくさんいて感動していました。友達と少し見て回っていたのですが、友達が家が遠かったので途中で帰ってしまいました。そこでペラペラとガイドをめくっているとサークルクラッシュ同好会のブースのある場所を偶然発見し、運命的なものを感じブースに行ったことを今でも覚えています。そこで今の会長であるかしぱんさんとしゃべり、最終的にサークルクラッシュ同好会に入りました。

④そのあと

学校では全く友達ができなかったものの、サークルクラッシュ同好会の活動や、会員とのかかわりによって、どんどん友達が増え、学校以外に居場所を作ることができました。その後、また問題を起こして精神科病棟に入院し、また休学もしましたが、居場所があるという安心感があるおかげかこころなしか安定している気がします。

⑤まとめ

サークルクラッシュ同好会は活動頻度こそ少なく、義務や責任もない分所属意識なども薄いですが、わたしのように問題だらけの人間でも受け入れられています。ちょっとした居場所が欲しい、でもなかなかクラスやサークルには馴染めない、と言う人でも気軽に参加できるのでもしよければ入ってみてください。

 

 

*1:精神疾患を患っている人」の俗語。メンタルヘルス(精神衛生)が略され「メンヘル」になり、さらに「~する人」を表す英語の接頭辞「er」がついたもの 主にネットスラングとして用いられる weblio辞書より引用

*2:咳止め薬。麻薬成分であるジヒドロコデイン覚せい剤原料のメチルエフェドリンなどが入っている。乱用目的で使用する者が後を絶たない

*3:メンヘラ神

サークル観は変遷する

みなさんこんにちは。サークルクラッシュ同好会一般会員の藍鼠(@indigo_mou5e)です。サークラ会誌6号に「少女崇拝否定論」という文章を載せてたり、12月のアドベントカレンダーのときに「不登校を選んだ僕と学校に所属し続けた君たち」とかを書いたりしてる人です。みんな覚えて帰ってくださいね。

さて、この記事はリレーブログ企画「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」の8日目の記事っぽいです。4月の初め頃に桐生あんずが「また自分語り企画やるよー」と言っていて、アドベントカレンダーで自分語りの快感を覚えていた僕はテーマもろくに見ずに即座に参加を表明してしまいました。まあやるといったものはしょうがないのでやっていきましょう。

 

 

時は2016年3月、僕はついに京都大学の入試に合格しました。浪人時代に予備校に同年代の友人が居なかったのもあり、常識とは独立した考えを持つ面白い人間(雑な言い方をすると変人)がたくさん居る京都という土地で暮らすのをとても楽しみにして僕は京都に向かいました。人間と関係を作るならやはりサークルだと思い、ワクワクしながらサークル大百科*1を開いたのですが、すぐに僕のテンションは下がってしまいました。数百ものサークルが並んでいるにもかかわらず、興味を惹く集団が全く存在しなかったのです。

漫画、イラスト、音楽など、僕の趣味範囲内の物事を扱うサークルはもちろんありましたが、その集団に参加して何を話すかを考えると途端に何も分からなくなりました。漫画という共通項で結成されたコミュニティでは漫画についての話題かどの集団でも許される他愛もない話題しかできないような気がしたのです。漫画、イラストについて本格的に他人と語り合う意欲はそこまで強くないですし、誰とでも出来る会話をするのであればわざわざ京都まで出向いた意味がありません。演劇や合奏などは人数が集まらないと不可能なのでそういったことを行いたいならサークルに所属するしかないのですが、漫画読みやお絵かきは別に一人でも可能です。こうして僕はサークルに所属する意味を入学前に既に失ってしまっていました。*2

結局僕はサークルに入る意味とは、単に他人と仲良くなるための近道でしかないのではないかと考えつきました。「初対面の相手と共通項を見つけて会話を弾ませていくというのはコミュニケーションの定石だが、サークルはある共通の趣味や思想の下に人間が集まるので共通項を探る手間が省け、打ち解けるまでの時間的、精神的コストが比較的少なくなる。大学生がこぞってサークルに入るのは新しい環境の中で集団の中に自分を位置づけるためにコストの低い方法を探した結果なのだ。ということは趣味系のサークルに集まる人間は馴れ合いが目的の大半なのではないか」

考えれば考えるほどサークルの人間関係に嫌気がさしてきましたが、流石にどこにも所属しないのは最悪手だと分かっていたのでとりあえずどこかに所属しておこうと思い選んだのがサークルクラッシュ同好会でした。一番大きな理由としては浪人中からホリィ・センに惹かれていて*3、そのコンタクトのためという感じでした。サークルに所属する人間についてもまあホリィ・センの近くに居る人間なんだから面白いのではないかとは思っていましたし、他のサークルと比べたら興味深い話ができそうな気がしていました。

 

さて、こうしてサー同に入会*4した僕でしたが、ここで話を終えるのはちょっと早計です。僕は1回生の間は入会だけして例会などには参加せず、ほとんど幽霊会員として過ごしていたからです。というのもそもそも僕は吉田寮に入寮して普段から寮生とコミュニケーションを取っていましたし、サクラ荘*5のパーティにもちょくちょく参加していたので、人間と出会うためにサークルに出向く必要性を感じなかったわけですね。サー同の人間はだいたいサクラ荘パーティに参加するので例会に行くまでもないと考えたのも大きいです。

 

そんな感じで幽霊していたのですが、2回生からは積極的にサークルの活動に参加するようになりました。入学から一年経つ間にサークルに参加する他の意義が見えてきたためです。

そもそも僕はサボり癖があるというか、何かきっかけがないと自主的に勉強するのが難しいんですよね。夏休みの宿題とか8月27日くらいから始めるタイプです。そこでサークルに参加するという意志を表明することによってサークルの例会や勉強会に参加せざるを得なくして、新しい知見を得やすくしようとしたんですね。あとは何かしら動くことで自分を取り巻く環境は容易に変化して今までにない面白い経験がしやすくなるかもしれない、といった狙いもあった気がします。そんな感じで2回生からはサークルクラッシュ同好会の活動にも参加しましたし、他に人工知能研究会という勉強会系のサークルにも入会してみたりしました。

そうやって何かしら活動に参加するよう追い込んだ結果として生まれたのが会誌の記事だったりアドベントカレンダーの自分語りであったりしますし、その結果として他の人間との繋がりが増えたり関係性が深まったりしたので幽霊会員やめて良かったな、と今は思っています。いぇーい。

 

そして現在に至ります。3回生になった今新しく思いはじめたのは、興味深い人間から話を聞くためにサークル活動により積極的に参加したいということですね。入学当初思ったとおり、サークルに参加しなくとも人間と知り合えはするのですが、多くの人間は関係を深めて親愛度を上げると聞き出せる話題が増えていくので、親愛度を上げるために積極的に例会やイベントに参加したいと思い始めるようになりました。人間と触れ合うだけならサークルに入る必要はないと考えていた1回生のときとは人間と話すという欲求は変わってないのに方針が大きく変わっていて面白いですね。あ、あと単純に人間と関わるのが楽しいという気持ちもあります。というかこっちの欲求の方がだいぶ大きいです。ある程度好感を持っている人間たちと何かやるのは楽しいし、そういう人たちが自分抜きで楽しんでるのを見ると寂しくなります*6。何かすごく人間っぽいこと言っててウケますね。

 

まあこんなところで締めることにしますか。皆さんもサークルに参加する意義について悩んでサークルとは何か分からなくて不安になってくださいね。一人で不安になりたくないなら僕を巻き込んでもいいので。サークルクラッシュ同好会はサークルについて懐疑的になるあなたを応援しています[要出典]。

それと、一応宣伝しておきますが、僕と同様サークルクラッシュ同好会の人間に興味があるのであれば気軽に例会などに来てくださいね。非会員の飛び入り参加なんていつものことなのでハードルは低いです。僕含め会員の人間に事前に話して連れていってもらえばもっと来やすくなるかと思います。ぜひ価値観を晒しあってぐちゃぐちゃになりましょう。待ってるよー。

*1:京都大学のサークルのほとんどが載ってる冊子。新入生にはタダで配られる。

*2:ホリィ・センが新歓などで「サークルクラッシュ同好会はどちらかというと2回生以降のサークル所属に疲れた人間に向いているサークルだ」的なことを言っていますが、僕は1回生時点でそのような人間になっていたのかもしれません。

*3:有名ツイッタラーとして知ってフォローしましたが、タイムラインで監視している内に人間や人間関係が好きという点で自分と似ているし思いつくことや気がつくことが僕よりも洗練されていると感じて尊敬に近い感情を抱いていました。

*4:LINEグループに登録するだけ。ゆるい。

*5:ホリィ・センが始めたオープンシェアハウス。色んな人間が出入りする。

*6:僕も白浜合宿したかったし、くら寿司でガチャ回したかったし、ニーチェ君の退院祝いしたかったです。

僕の学生生活は、常にサークラとともにありました

この記事は、新歓リレーブログ企画「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」のために執筆されました。

circlecrash.hatenablog.com

 

自分の話と入会理由の話と入会後の話を書きました。


予定より投稿がかなり遅れてしまいました。すみません。
自分が遅れるので投稿順を調節していただきました。桐生あんずさん、かしぱんさん、ありがとうございます。

 

1. 自分とサークル

僕の学生生活は、常にサークルとともにありました。高校で5つの部活に入っていた自分は、兼部・兼サークルの気楽さに味を占め、大学でも複数のサークルに入ろうと思っていました。入会するだけでほとんど自動的に人と触れ合う回数が増えるというのは、出不精の自分にとってメリットが大きく、1回生ですでに4つのサークルに入ることを決めていました。いずれも活動内容自体に最初から興味があったサークルです。新歓も良いけど早く例会に行きたいという、新歓する側からすれば話が早くて助かるタイプです。サークルクラッシュ同好会(以下、サークラ)も存在は知っていましたが、活動内容は想像すらつかないので新歓説明会にも行きませんでした。4つのサークルの入会手続きや新歓でそれどころではないのです。どうやってこなしていたのか自分でも不思議です。週に5日ある平日をどうにか4サークルに振り分け、どこのサークルに行っても「ここのサークルと兼サークルしてるんですよ」という話題で話し、期末ごろの飲み会の時期では同じ店に複数回行くこともありました。忙しいほど楽しいのだと思い込もうとしていた覚えがあります。


その4つの中のあるサークルで、1回生の夏ごろに、サークラと兼サークルしている友人とサークラの話になりました。活動内容は分からないが興味はあり、来年の新歓期にでも行こうかなと思っていたところでしたが、新歓期で無くても入れるという話でした。それでNF(11月祭)の前くらいに初めて例会に行きました。ちょっとした興味が入会の理由ですが、入りたいと思ってからすぐに例会に行けたというのも、入会しようという思いにつながったと思います。

 

サークルクラッシュという現象を知り、例会で話を聞く中で、思い至ったのはやはりサークルクラッシュはかなり珍しい現象だということです。部内恋愛やら破局やらで揉めることはあるだろうが、それがサークル全体を覆うまでに楽しくなってくる、もとい深刻な事態になってしまうのは例え条件が揃っていても起こらなさそうだ。僕の個人的な興味は、狭い意味でのサークルクラッシュから拡がって、サークルで浮いている人や、サークルにいつの間にか来なくなってしまう人、あるいはサークル内の力関係などに向くようになりました。そういう目で自分のサークルたちを見ると、この人はサークルでこんな立ち位置にいるな、この出来事はサークルのこの集団からはこう思われているけどあの集団にとっては全く違う印象なんだな、などなど、様々な物の見え方が分かってきてとても面白く思いました。自分がサークルの中でどう動くかのヒントにもなるし、サークルごとの特徴も見えてくるので、かなりメリットは大きかったと思います。

 

その後もサークル加入活動を繰り返しました。この2015年くらいの年代でしょうか、ホリィ・センが言うところの「Twitterサークル」が乱立する時期でもありました。SNSTwitterを通して人を集める、ネット映えするだけの中身の薄い活動内容の、主催者が飽きたらそのまま消えそうな、オフ会の延長のようなサークルです。いくつか加入し、いくつか第1回例会だけ冷やかしに行きました。この辺りのサークルは、ゆるさという点では群を抜いていて、集まる時間に然るべき場所に行くだけでほとんどやることは終わっていると言って良いし、中心人物っぽい人にこの会員はどういう人なんですかと聞く(こういう集まりは会員同士の親密度がそうすぐには上がらないし、名前やハンドルネームすら互いに覚えていないということも珍しくありません)だけで会話になるし、それをとっかかりにその良く知らない人と適当に喋っていれば良いというのも気楽です。他にも新入生以外でも入れそうな文科系サークル、まれに運動系サークルを探しては入り、累計では所属サークル数は9にまで上りました。

 

累計であって、同時に入っていたわけではありません。いくつかは引退を待たずに退会していまいました。サークル自体が立ち消えになってしまった例もあります。サークルと方向性の違いを感じて退会するときもあまり後ろめたさはありません。何より、自分がついていけなくなってしまったという原因が大きくて辞める場合が苦しいです。退会を通して色んな反省をして、反省ならば後々のことに生かせないこともないですが、やはり自分にもっと能力や努力があったならという思いはどうしても付きまといます。活動を続ける他の会員と自分を比較すると悲しくなります。思い返せばサークルごとに所属年数はバラバラで、長くついていけたサークルほど退会が遅いです。辞めたサークルと同じ数だけ、そのサークルと自分が合わなかった点、自分が挫折した点、自分が至らなかった点があり、夜中に思い出して辛くなることもあります。

 

そして自分以外の、退会してしまう人、退会しそうな人、フェードアウトしているさなかの人、などについて考えるときも、同様の辛さは伴います。その人が抜けた後、あるいは抜けそうになっている時に、サークルでのその人の評判は上がることも下がることもあり、あるいは印象が強くなることも弱くなることもあります。ここもサークルごとの特徴、あるいは会員ごとの特徴が出るところです。先輩としてちゃんと心配する人、気にせずサークル活動に打ち込む人、色々います。退会者が出そうな事態ということはサークルクラッシュに近いことが起こっている場合もあり、その事態に深く関わっている人と蚊帳の外の人が入り乱れることもあります。自分は退会しそうな人に色々気を遣いたくなってしまうのですが、自分自身の退会回数が多いのが関係しているのかもしれません。

 

2. 自分とサークラ

僕は今でもサークラに所属しています。入っている期間はサークルの中でも最長だし、僕が大学に入ってからの期間とかなり重なります。それだけ自分がサークラにかなり合うんだろうなと思います。そして他の人にも、様々な理由で入会を勧めたいので、サークラのここが良いなと思うところを挙げていきます。

 

先ほどまで退会回数の話を書きました。サークラはその特質上、どこかで退会を経験した人が多くいます。サークルクラッシュ現象の経験者ならそのサークルを抜けてここサークラに来たわけだし、クラッシュというほどでなくても何となく所属サークルと合わなくてサークラに来る人もいるし、サークル以外でも学部、友人グループ、学校などにあんまり溶け込めなくて以下同文という人が多いです。そのため大学に入学してすぐ4月に入会というパターンはむしろかなり珍しく、入学して色々経験してよく分からん時期になってからサークラに入会するのがむしろありふれた例です。僕は先述の通り夏に入会しましたし、NFの時期にサークラの展示会場で話をして入会という人もいますし、初参加のサークライベントが3月の追い出しコンパ(の、追い出す側)になったという人もいます。随時入会歓迎ですという宣伝文句をサークラではよく使うんですが、むしろ随時入会可能なシステムになっているべきだからそうなっているということであり、合理的だと思います。

 

ただ別に新一年生が入らなくていいというわけでもありません。高校以前の体験や、浪人期、他大学に通っていた時などなどの経験の中にサークラと響き合うものがあれば是非話を伺いたいと思います。また、出来るだけ早く入会して欲しいということは共通していますし、そうしてこのサークラのちょっと穿ったような話をこれからの大学生活に生かしてくれたら嬉しいという思いもあります。この辺り、新入生と上回生のどちらを勧誘するかいつも迷うんですが、間違いないのはどちらであっても不詳であってもサークラ側としては歓迎しやすい方に受け取って歓迎するということです。

 

随時入会可能なので、サークラの例会では常に初参加者がいて(初参加2~3人とそれ以外7~8人くらいの配分)常に自己紹介から始まります。僕は人の顔と名前が覚えられないので助かっています。覚えられないというか、4月から2ヶ月ほど経過して「さすがに覚えただろう」という雰囲気が漂う頃にど忘れしてしまうタイプなので、毎回自己紹介が繰り返されるというのはありがたいです。また自己紹介の後に会話するときも、自己紹介で話したことを掘り下げて聞かれるのだろうと予測がつくので、そこも気楽なポイントです。

 

例会を含めて、サークラではよく「話したくなかったら話さなくて良いです」という言い回しがされます。そりゃあ話したくないことを話さないのは当たり前ですが、そういうことではなく、プライバシーに関わるとか、普通の人ならさらっと話せるだろうけど言いにくい事情があるとか、その言いにくい事情も話したくないとか、仲の良い人には話しても良いがお前は仲良く無いだろなんて言えないとか、そういったことをまとめて「話したくないので話さないです」で話題を移せるということです。

 

その分、あまり大っぴらに出来ないような話題、表ではなく鍵付きアカウントでしかしないような話題でも、サークラではむしろ話しやすいことがあります。初対面・知人・親友相手ではそれぞれ話しやすい話題と話しにくい話題が切り替わるものですが、良い所取りをして、話したいだけ話し、黙りたいだけ黙れるようにサークラという場所は形成されています。大っぴらに出来ない話題というのはそもそもサークルクラッシュ現象に関することがそうで、自分のサークルでの不穏な状況はそのサークルでは出来ないが、サークラに来れば関係者がいないし話せるというわけです。また恋愛やコミュニケーションに関する悩みなども、サークラではむしろメインの話題になることが多いです。

 

例会以外の活動内容もいくつか紹介します。

・会誌作成…毎年1冊作成して、NFやコミックマーケットなどで頒布しています。内容については詳しくはこのホームページを参照してください。

サークルクラッシュ同好会ホームページへようこそ - サークルクラッシュ同好会

記事は会員の有志が投稿するという形で集めています。
・読書会…有志が人文学、社会学、あるいは恋愛などに関する本を一緒に読みながら、分かりにくいところを互いに解説しあったり議論しあったりするという会です。月に1回から2回ほどのペースで、附属図書館などで行います。僕はほとんど参加したことが無いので、詳しいことや書名などは分からないのですが…。
・服を買う会…親に買ってもらった服を適当に着て暮らしていて自分で服を買ったことが無い人と、そういう大学生の服を選んでやりたいと常々思っていた人が、サークラでマッチングを果たした結果生じた会です。僕のような前者の人間は、服を買いに行くための服が手に入るだけでかなり違うということが分かりました。
・飲み会…飲み会は普通はサークルの活動内容とは呼ばないですが、普通のサークルがしそうなことをやろうという名目で企画を立てないとサークラではなかなか人が集まりません。他、カラオケとか合宿とかも頑張って企画して開催し、普通を体験しています。

 

伝えたいのは、色々やっているけれど全部参加している人はほとんどいないということです。会誌の著者欄でしか名前を見ない人もいるし、例会にはあまり来ないけど読書会には良く参加する人もいます(僕は分からないけど、多分)。サークラが多くの会を企画しているのは、会員それぞれがどこか自分が合う場所に落ち着けることを狙っているからだとも思います。合いそうな居場所ができてこそ、合わない場所を気楽に避けられるようになるのだと思うし、新しい場所に行ってみる余裕も生まれてくるのだと思います。また最近の出来事で言うと、去年会長が引き継がれたのに伴い、副会長や会誌編集担当、会計やSNS管理など様々な役職が出来ました。居場所の中でも組織らしさの強い種類のものですね。僕はサークラに数年居て初めて会誌の編集に携わって、かなり貢献できて楽しかった覚えがあります。


場所と言えば、サークラは「頻繁に参加する人」と「それほど行かないけどたまに参加する人」とで場所が二つに分かれていると、サークラ会員を続けていて思うようになりました。そういう意味ではサークルクラッシュ同好会はあらかじめサークルクラッシュしていると言えるかもしれません。普通のサークルだったら前者が大多数で、帰属意識も強く、しばしばサークルそのものと同一視されるグループだったでしょう。そして後者はサークルから浮いている少数派であって、退会してしまう人、退会しそうな人、フェードアウトしているさなかの人だったでしょう。サークラでは後者の方が圧倒的に多いし、また前者と後者は流動的で、年単位で参加していなかった人が久々に来てくれることもあるし(というか、年1回ペースはサークラでは「頻繁」に含まれる)、この辺りもサークラの曖昧さゆえの気楽さだと思います。また逆もあって、頻繁に参加する人が突然退会することもあり、もう本当に最近めちゃくちゃなんですよ。さっきの「あらかじめサークルクラッシュしていると言えるかも」ってのは実際ノリで書いたし「言うなれば」程度のものなんだけどこれは本当にあの珍しいと思っていた狭い意味でのサークルクラッシュなんだ。サークルクラッシュはここにあります。皆さん、是非サークラのいずれかの場所に来て、そこで話をしましょう。

 

3. 連絡

サークラに参加するには色々方法があります。
サークラにはTwitter公式アカウントがあります。例会や企画情報をつぶやいているので、ここを見て参加していただくのが一番早いと思います。

サークルクラッシュ同好会 (@circlecrush) | Twitter

また、このアカウントに、DMもしくはリプライで聞いていただければ、次の例会やイベントについて、場所や時間や内容など詳しくお伝えします。是非お気軽にご連絡ください。サークラ関東支部に関する質問でも大丈夫です。


またメールアドレスもあります。会誌販売、サークルコンサルティング(サークルについての相談)なども受け付けております。

circlecrush*gmail.com(*を@に変えて送信して下さい)

 

 

西へサークラへそして東へ

こんばんは。永井冬星です。
リレーブログ企画「なぜあなたはサークルクラッシュ同好会に入ったのか」に便乗し、記事を書かせていただきます。

1.大学時代
2.サークラ関西に根付く
3.サークラ関東へ
の3部構成で話を進めていきます。


1.大学時代
私がサークラ同好会を知ったきっかけは、大学時代の「恩人」とも言えるサークルの先輩です。

なぜ「恩人」なのかと言うと、この方がいてこそ私は大学を卒業することができたからです。


私は大学に入学して間もないころは、頑張って友達を作ろうと積極的に周囲の人に絡んだり、リア充っぽいサークルの新歓に行ったりしました。
しかしうまくいかず、入学して間もなく心が折れてしまいました。
さらに学部の専攻内容も興味を持てるものではなく(そもそも好きで行った学部ではなかった)、学習への意欲を失ってしまいました。
そして、所属していたサークルに引きこもるようになりました。

当然ながら、1年次の成績は悲惨なものでした。
もっと真面目に生きればよかったと後悔しました。後悔することしかできませんでした。

先述の先輩のそのことを相談すると、先輩は親切に単位をとるためのコツ、勉強法、おすすめの科目などなど、を教えてくれました。
「単位取れるか不安だ」と私が頻繁に愚痴をこぼしても励ましてくれました。

その後は心を入れ替え、真面目に授業に出席するようになりました。
その結果、単位を順調に取得し無事卒業することができました。


2.サークラ関西に根付く
時は流れ卒業し就職。

就職し配属された先は、客先常駐に加え長時間労働が常態化している厳しいプロジェクトでした。
思い返せば、その厳しさから私は度々心を壊していました。
そして、自分がこういう経験をしたからか「メンタルヘルス系の分野」に興味を抱くようになっていたようです。

ほぼ同時期に先述の先輩のツイートのリプライから、ホリィセンを初めサークラ同好会の関係者と思われる人たち見つけました。
(「サークルクラッシュ同好会・・・」胡散臭い団体だな~)とか、(なんか怪しい活動してるんじゃないかな~)とか、(ホリィセン・・・ハリーセンみてえな名前してんなあ~)とか最初見たときは思ったものでした。

とはいえ、先述の通り私はサークラ同好会の得意分野である「メンタルヘルス系の分野」に興味を持っていました。
それに加え、友達・居場所を強く求めていました。
地元や大学時代はろくに友達ができずこじらせていたし、就職してからは辛い客先常駐で精神的に消耗していて心のよりどころを求めていたからでしょう。
次第にサークラ同好会に心惹かれていき、思い切って遊びに行ってみることにしました。

自分のような一癖ある外見をした人物を見ても驚くことなく接してくる人たちがいる!
話してみると似たような悩みを抱えた人たちがいる!
なんか、楽しい!
友達がたくさんできました。サークラ同好会にもサクラ荘にも頻繁に足を運びました。

 

サークラ関西に根付こうとしていたころ、私は関東地方への異動を言い渡されました。
業務の都合のためやむを得ないとはいえ、仲のいい人たちができ始めたところで関東地方に飛ばされるのは正直相当辛いものでした。


3.サークラ関東へ
こうして私が関東地方へ移動してからまもなく1年が経ちます。
機会を見つけては京都に帰りサークラ同好会やサクラ荘に足を運んでいるし、さらに幸いにもサークラ関東のおかげで精神的にはなんとか持っています。
サークラ同好会は関東地方にも支部があります(通称の「サークラ関東」と表記します)。「居場所のない人に居場所を」を主題にリア充っぽい活動や、当事者研究会などを行っています。

しかし、サークラ関東はサークラ関西と比べると規模が小さい!
人が少ないし、活動もそれほど多くはないというのが実態。
もし本記事を読んでいる人の中に「サークラ同好会に興味があるけど、関東住みで関西は遠いから・・・」と思っている方がいたら、ぜひともサークラ関東まで。

毎週第4土曜日の活動をはじめ定期的に集まってますので、興味ある方はぜひ参加して下さい!
みなさまのご参加を心よりお待ちしています。

静かなタンゴのように

おはようこんにちはこんばんは。

サークルクラッシュ同好会に所属しているかしぱんです。ホリィ・センがサークラの会長を辞めますと宣言した後で、私が会長を引き継ぎました。

(ちなむと、このツイートの時点では会長に指名されたわけではなく、他に立候補していた人もいたため正式に会長になっていませんでした。つまりこのツイートは嘘です。) 
その後、様々なことがありましたが、様々について語るのは様々な場に任せることにして、今回はリレーブログ企画(会員たちがブログを毎日のように更新していくやつ)として「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」というテーマで自分について語ってみようと思います。(早速遅刻すみません。)

というわけで私もつらつらと入会のきっかけ(のようなもの)を書いてみようと思います。


1,安直

私がサークルクラッシュ同好会に入ったのは1回生の10月か11月くらいです。


1回生の4月に1回だけ、中央食堂でやってる新歓説明会に行ったんですけど、

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あまり説明に自分自身がピンとこなかったので入りませんでした。

そのあと私は他のサークルに入っていましたが、そこでもしっくり来ないというか、漠然とした物足りなさというか、燻っていたというか、煮え切らないというか、そういった微妙な感覚をずっと胸の底に曖昧に抱えていました。これは大学という場所に慣れていなくて思った通りに行動できなかったこととかも関連していたと今にして思います。
さらに自分がどういう人間なのかということもよくわかっていなかったから、何をしても充実感を得られていなかったのだと思います。つまり何かが何かはわからないけど何かを変えたい、そういう大学生にありがちな気持ちを抱えた人間でした、私は。

ここからはちょっと滑稽で笑っちゃう話です。(でももう数年前の話なので記憶違いから来る脚色が多分あると思います。話半分に聞いてください。)
私はサークルクラッシュ同好会に入ったつもりはなかったのですがある日、同じ学部の友人でサークルクラッシュ同好会にも入っていた(先月目出度く追い出しコンパで追い出され4月からは働いている)Mさんから突然「かしぱん、なんかサークラ入ってるっぽいぞ」みたいなこと言われました。(まずこの時点でかなり面白い。)
僕は「えーっ」と思いつつも、上のような燻った気持ちでいたのもあって「じゃあ例会行くわww」みたいな返しをしました。(今のTwitterを知っている人は意外に思うかもしれませんが、当時の私はネット上で草を生やすタイプの人でした。)
そしてサークルクラッシュ同好会の例会に初めて行ってみました。

 

結構怖かったんですけど、意外とみんな気さくで居心地がよかったです。
そこでホリィ・センに私がサークラに入ってるみたいだという話をしたら「あ、なんかTwitterでよく見るし入ってると思ったわ」みたいなこと言われました。
僕は「えーっ」と思いつつも、「じゃあ入ります!」みたいなこと言いました。
そうして私はサークルクラッシュ同好会に正式に入会しました。滑稽ですね。
(ちなみにその日の例会では、もともとインターネットで知っていたO君と初めて会って「やっと会えたね」という会話をしたこと、もうサークラをやめたNさんとセレッソ大阪の話をしたのを覚えています。)

これが私がサークルクラッシュ同好会に入ったきっかけです。なんか、気づいたら入ってました。
そのあと、サークルクラッシュ同好会でやっていることが私に合っていったこともあり、今では自分の居場所の1つにまでなりました。
入会を踏みとどまっている皆さん、こんな適当な感じで入っちゃった人がいてがっかりしたかもしれませんが、こんな入り方でもなんとかなるサークルだと発想を転換し、ぜひ気軽に遊びに来てください。待ってます。
読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 



2,物語化

はい。ここからは蛇足です。読まなくていい部分です。むしろ読まないほうがいいかもしれません。特に、私のことを知っている人は。


上の話の中で疑問に思った方もいるかもしれません。

4月に新歓に行ったきっかけはなんだったのか、と。

サークルクラッシュ同好会の新歓に来る理由は人それぞれなんですが、自分が新歓をした中で多く聞くのは「サークルクラッシュ同好会っていう怪しいサークルが何をやっているのか気になった」というもの。つまり冷やかしです。
私が4月に行ったときも多分これがあったと思います。
しかし人間の行動理由がたった1つだけであることは少ないです。
私の場合、サークルクラッシュ同好会になぜか惹かれた理由として別に思い当たるものが1つあります。

それは過去の恋愛経験です。
具体的に言えば高校2年生のときに交際していた相手との破局です。

今からこれについて書いていこうと思います。
過去と結びつけることで、サークルクラッシュ同好会を私の人生のコンテクストに埋め込んでみようと思います。

あ、恋愛経験を書くにあたって2つだけはじめに断っておきます。
1つは、恋愛経験ということは相手がいるわけで、その相手に今回ブログに書く許可を取ったわけじゃありません。(連絡手段をもうとっくに失っています。)そのため、以下では意図的に嘘を織り交ぜて語ることをお許しください。また、私の側から見た失恋経験なので、どうしても自分を擁護しつつ語ってしまうでしょう。ただの正当化にならないように気を付けますが、私の話を鵜呑みにはしないでほしいです。ここで語られていない後ろめたいことがきっとあるはずです。

もう1つは、先に言っておいたほうが余計な混乱が少ないと思うので宣言しておくだけなんですが、私はいわゆるシスヘテロ男性です。既にここまでで一人称がブレていますが、Twitterでも「私」と「僕」などをその時の気分に従って変えています。よくネット上の知り合いと会ったときに「女性だと思っていました」と言われるので、先に断っておきます。以上です。

それでは、過去の失敗談をしばしお楽しみください。これは私の告白でもあり宣言でもあり懺悔でもあり他の様々な行動でもあります。読者の皆さんは私があなたに何をしているのか考えながら読んでいただいても、また面白いかもしれません。以下で書く内容について、この文章を書いている時点での私は特別に構想もしていません。話したいエピソードが何個か頭に浮かんではいますが、基本的に行き当たりばったりで書いてみようと思います。過去に潜るようにして書いていくので、僕自身楽しみです。さあ、前書きは終わりにして、一緒に潜りましょう。

 


3,失恋

高校2年生の僕には交際をしている相手がいた。同じ高校、違うクラスのSさんです。
付き合って数か月は、僕にとって初めて正式に交際をした相手でもあり、すごく楽しかった。
1つだけ惚気話をすると、2人とも生徒会に入っていて(Sさんが元々入っていて、僕が後から入った)、生徒会の素敵な先輩に僕らが付き合ってることを打ち明けたときに「生徒会室でイチャイチャしてもいいけど、キスより先はダメだよ」って言われました。はい。以上惚気話でした。


でもこの恋愛は一年も経たずに終わりを迎えます。その原因は、というより恋愛における僕の問題なんですが、多分僕のモラハラです。デートDVと言われるものでしょうか。当時の私は知らなかったです。自分の行動にそういう名前がついてるなんて。

僕は一緒にいて心地よい気持ちになれる相手といると、それに付け上がって相手にどんどん甘えていきます。

相手には常に僕を好きでいてほしい。どんな僕も好きでいてほしい。ダメな自分を見せて、それでも好きだと許されたい。
付き合えば付き合うほど相手にとっては面倒くさい人になります。今はそんなことしないんですけど、当時は相手に性的なことを要求したりもしました。
自分を優先されたい、大切にされたい、そういう気持ちが先行してしまいます。

というより、自分のことが好きなら優先されるべきでしょうという思い上がりがあったと思います。でさらに悪いのは、相手に対して自分の不満とかを説明して、相手にこうしてほしいということを直接言うことができないことです。そうするより相手が自分から私のしてほしいことに気づいてほしい。自然とわかってほしい。自分が何を求めているのかなんて話さなくてもわかっていてほしい。でもそんなの無理ですよね。直接言ってないのだからわかってくれるはずがない。わかってくれないことにイライラしたりします。最悪です。
今思えば、高校生の自分はとても幼稚で、恋愛をする資格なんてなかったと思います。具体的にどういうことをしていたのか、言っていたのか、これ以上書くのはさらに最悪なので控えます。
とにかく僕が交際相手に対して全力で面倒くさくなっていきました。

どんどん悪化していったのには実はある1つの出来事が関わっています。
それはSさんが途中である部活に入部したことです。
その部活は天文部*1で、でも実体として活動はほとんどなく、部室で部員たちが毎日だらだらおしゃべりするだけのオタク系の部活でした。
いわゆるツイッタラーと呼ばれるような、Twitter上でたくさんツイートをする人たちが集まった部活でした。僕もSさんもツイ廃(Twitterが大好きな人間)だったので、Sさんはその部活の人たちとネットでもオフラインでもすぐに仲良くなっていきました。そしてSさんはその部活にどんどん居場所を作っていった。その部活に女性はSさんだけだった。部活の中でもSさんと3人くらいの先輩男性が仲良くなっていった。4人で遅くまで部室でワイワイしたり、一緒に帰ったり、帰ってもTwitterでずっと会話をしていたり、していたようだ。

僕はSさんに対する彼らの接し方が気持ち悪かった。
僕はSさんがネット上でチヤホヤされているのを見てすごく嫌な気持ちになった。
その中では性的な話題も含まれていて、本当に見てて気持ち悪かったが、Sさんはそういうセクハラ紛いの発言すらもコミュニケーションの1つとして楽しんでいるようだった。(もしかしたらセクハラではなかったのかもしれない。)

 

つまり、Sさんは囲われていた。

オタサーの姫と呼ばれるような状況と、Sさんとその先輩男性たちは変わりなかった。


文化祭の後夜祭のとき、生徒会室で恋人と待ち合わせていたんですけど、生徒会室に来るやいなや恋人は「部室行きたいんだけど、行っていい?」と聞いてきました。一緒に帰るもんだと思っていたので僕はショックでした。僕といる時間より部活でチヤホヤされる時間が選ばれたんだ、と当時は感じました。

こういうこともあり、僕は、Sさんが自分のそばから離れていくような気がして日に日に不安になっていった。そしてその3人の男性を憎むようになり、ツイートの言葉尻を捕まえてエアリプで上げ足取りをしたり、マウンティングをしたりしていた、気がする。(最悪だ。)
マウンティングで覚えているのはその先輩男性たちが受験で苦しんでいる時期に、自分が受けたセンター模試とかの結果をTwitterで呟いてマウンティングしていた。僕のほうが成績よかったので。(後輩にセンターの点でマウンティングされるの、最悪っぽい。)(これをしたときはSさんに「やめなよ」って怒られた。)
いやもう、本当に、年上だから一応頭下げてやってるのに、いい気になってSさんにセクハラしてるやつらを僕は本当に憎んでいった。ただのつまらない嫉妬心なんですけど、そうやってオタサーの姫化するSさんはどんどん僕の隣から離れていきました。
離れていくのを繋ぎ止めたい不安から、上に書いたようなモラハラっぽいことをしちゃったんですよね。悪循環だ。
それで何回目かの恋人からの「もう私達別れよう」という提案の後に、僕らは別れました。別れるとき恋人は「もう誰かと付き合うことはないと思う」みたいなこと言ってたんですけど、数か月後か数年後か知らないんですけど、普通に付き合っていたと思います。誰か他人と。悲しいね。
高校2年の終わりに破局をしたんですけど、高校3年のときはだからせめて勉強を頑張ろうと思って没頭して京都に来ることができました。
あの頃の自分はとても悪いことをした。もしSさんがこの文章を読んでいたら、あの頃のこと、たくさん謝りたいと思う。
卒業式のときにさよならだけしたけど、それっきりです。

 


4,それで

こういうことがあって、僕は恋人をオタサーに奪われました。(奪われたって表現が適切じゃないことはわかっているけど。)
典型的なサークルクラッシュなら、クラッシャーが外に彼氏を作ってオタサーがクラッシュするはずなのに、恋人の僕がクラッシュされてしまいました。こういう苦い経験があったからサークルクラッシュ同好会に引き寄せられてしまったのかもしれません。

どうしてあのとき僕は失敗したのか。それを知りたかったのかもしれません。
(ちなみに今にして思えば、僕が自分に余裕を持てていなかったこと、自己肯定ができていたと言っていたがそれは恋人に依存した肯定だったこと、自分しか見えていなかったこと、とか色々自分のダメだったところが見えてきます。)(そしてこれらの中のいくつかは未だに僕の宿題であり続けます。)
今の僕がこれができるようになったとは到底思えないけど(同好会に入ってからも相変わらず僕は異性との関係で失敗を重ねています)、それでも生きています。少しは自分を好きにもなれました。
はあ、自分語りって疲れますね。もう言いたいことは言えたし、これ以上は語りたくないのでここでやめます。
読んでくれてありがとうございました。後半はほとんど自分のために書いた文章で、支離滅裂だったと思います。すみませんでした。もしこの話に関連した話を僕としたいという人がいたらぜひ会いに来てください。待ってます。Twitterでもいいです。それでは、最後に好きな詩人の詩を引用して終わります。おやすみなさい。

 

"だれかに嫌われるのが怖いのは、だれにも愛されない人ばかり。溶けそうな太陽がいつまでもしずくを落としてくれない夏に、恋の時代じゃないって、言ったきみはだれよりもかわいくて勝手にみんなが恋してる。死ぬことを知らない肌がいちばん綺麗。いつかきみに、愛されても何とも思わないよう、世界中に嫌われたい。
   
「太陽の詩」最果タヒ"



 

*1:そんな部活、母校にはないです。これは嘘です。