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6/21ネット経験をかたる当事者研究の記録

こんにちは~

京都は梅雨も真っ盛りですね。洗濯物を雨でもう一度洗濯しているまりもです。

先日はサークルクラッシュ同好会の例会で放課後当事者研究がおこなわれました。わたし、当事者研究に参加するの初めてでした!そしてこの報告を書いています。べんきょぅになります。ごりごり。

ということで、きのう話したことのまとめです。

わたしを入れて7人で、テーブルを囲んで話しました(わたしはメモばかりしていましたが。)最初に、当事者研究について簡単な説明がありました。それから自己紹介をしました。時計回りに、ハンドルネーム(ツイッターのアカウント名など)と、自分の生きづらさに名前をつける、というのと、あとは任意で自分について簡単に(学年など)紹介しました。そのあと時計回りで、「インターネット、SNSについて、初めて使ったときのことや、どういう使い方をしているのか」について一人ずつ話しました。これで半分くらいの時間を使って(1時間くらい)、残りの半分でそれぞれが気になったことを雑談しました。最後に、「自分についての発見」と「印象に残ったひと言」を、またもや時計回りに一人ずつ言っておわりました。時計仕掛けの当事者研究でした。

いちおう前提として、ネットやSNSが生きづらさを生み出しているという問題意識がありました。「ツイッターやめよう」という結論に至ったひともいました。「ツイッターやめろ」とつぶやく、という結論に至ったひともいました。わたしも定期でつぶやいていこうと思います。しかし、一方でSNSという、リアル(face to face)以外の人間関係がより所になっているというひともいました。「ツイッターが人生を変えた」という至言もありました。わたしもツイッターに人生を変えてもらおうと思います。

それぞれのネット・SNS経験について、簡単に紹介がありました。これ、なかなか興味深かったです。小学校低学年からチャットや掲示板に出入りしていた方が二人もいました。まりもさんの本格的なネット経験は中2くらいからで、中3が黒歴史のピークです。おもしろフラッシュ倉庫への言及多数。20代前半の世代の共通経験になっていることがうかがえました。

SNSの話題については、やはりツイッターが盛り上がりました。アカウント使い分けや鍵垢の技術が披露されました。アカウントが十進法で二けたに達している方までいらっしゃいました。ツイッターは個人が複数のアカウントを持つことができ、また、そのツイートを通知したり閲覧したりできる相手を、オープンにしたり限定したりすることもできます。こうして、フォロワーを増やしていろいろな界隈とつながったり、逆に仲間内で閉じたツイッターコミュニティを形成したり、リアルとネットとで別の人格をつくったり、いろいろできるわけです。

ツイートにfavをつける機能の役割については意見が分かれました。おもしろいツイートだったことを知らせるのが意図された機能だと思いますが、既読や後で読むためのメモとしての役割、相手に好意を伝える(媚を売る)、自分の存在を誇示する、ツイートが見られていることを示して威嚇する、といったさまざまな役割があるのでした。むやみやたらにfavをすることへの嫌悪感を持っている方もいました。

「ff外からリプ」することについても、肯定的な意見と否定的な意見がありました。こうした言語化されていないツイッターマナーがいろいろあります。こうして積極的に他のアカウントと関わる方もいれば、ロム専(他人のツイートを読むだけ)に徹するひともいました。

で、わたしがおもしろかったのはネトストについて。鍵垢を「こじあけ」たり、裏垢を探し出したりする(してしまう)こと、そして得られる「表立っては絶対にわからなかった思考」を覗き見れてしまうことが、ネットのゲーム性であり、中毒性であり、しかし、どうみても、こうした負の感情(嫉妬、嫌悪、被害者意識、下心の曝露、支配欲など)に支えられた好奇心を満足させてしまうことこそ、ネットが産み出す「生きづらさ」の原因になっています。話しはここに尽きる。うむ。コミュニケーションを秘密にする機能は、親密さにはっきりと差をつけることで、承認欲求を挑発すると思います。会長もサークルクラッシュの要因がこのあたりにあると考えていたはず。

最後に、話がツイッターばかりになってしまったけれど、もっと他のサービスもあるよね、という意見がありました。そのとおりだ。ツイッターはすべてことば(記号)で伝えられますが、たとえば音声や映像によるコミュニケーションもSNSで可能になっています。それから、SNSで知り合った後のオフ会など、ネットとリアルの関係についても踏み込む余地がありそうでした。いろいろ比較してみると、ツイッターはあくまでつぶやきを発信するのであって、「会話」するサービスではないところに特徴があると思います。

当事者研究というよりSNSの使い方研究のようになってしまいました。今までの話題では、生きづらさをあまり浮き彫りにはできなかったかもしれません。

情報を広く発信したり、グループを作って共有したり、意見を戦わせたり界隈とつながったりするとき、こうしたときは、SNSのとてもポジティブな側面が光ると思います。しかし、親密さのコントロールをSNSでしようとするとき、そこには魔界が広がっています。「つきあいはじめたらブロックする」という過激な意見もありましたが、一理あります。恋愛中はSNSを断つというのは良い方法だと思います。しかしこうした泥沼にこそ、SNSの生きづらさに分け入るヒントもあるはずなのです。