これからRNAの話をしよう

 

ナンパのリアルを教えよう

RNAはリアルナンパアカデミーの略で、ちょうど一年前、女性を泥酔させ乱暴したとして準強制性交容疑で塾生大滝容疑者及び塾長渡部容疑者が逮捕されました。

ナンパをする人はどんな人だと思いますか。「女性にモテたい、女性とヤりたい男性」が路上で初対面の女性に声を掛けることを想像するかもしれません。もちろん見ず知らずの間柄からいきなり関係を始めようとするわけですから、はじめは失敗の連続ですし、要求されるのは並大抵の精神力ではない。でも、そこまでしてでもたくさんの女性からちやほやされたい、セックスしたい、それによって自分の性的魅力を確認し、優れた男性であることを証明し、あるいは奥手で消極的な自分を変えたい、そういう強い動機付けがあるのだろう。多くの人はナンパに挑む人のことをそうイメージしているのではないでしょうか?

こうした自己実現自己啓発的動機でナンパを始める人も、もちろんいるでしょう。そうした動機に支えられている人は、女性から好感をもたれるように、ファッションに気を使い、アクセサリーを身にまとい、髪型を工夫し、トーク力を磨き、テーブルマナーを学び、その他もろもろの自分磨きを敢行する。それはモテない自分との闘いです。その先には、性的魅力でどんな女性も引き付ける人格的に陶冶された男性がイメージされているのではないでしょうか。

しかし、そのような生粋のナンパ師は少数派であると私は考えます。ナンパを個人的な行動力の多寡に帰するなら、それは一般的なナンパのイメージとして間違っていると思います。私が考える「リアル」なナンパは、男性同士の絆(ホモソーシャル)に裏打ちされた組織的な行動というものです。ただただモテたいという内発的な動機からナンパの実行に至るわけではない。むしろ、モテたいという個人的な願望を越えた集団的な動機の中にナンパへ至る道があるのだ――本稿の眼目はここに存します。

 

ナンパは男を見てするもの

RNAは、セックスの回数を塾生同士で競わせていたことが注目を集めました。数を稼ぐためなら手段を問わず、いかに女性を泥酔させ、判断能力を失わせ、セックスに持っていくかのマニュアルを塾長が提示していました。セックスは個人的な満足を得るためではなく、RNAという組織の中で評価され、認められ、賞賛され、一目置かれるための方法でした。

RNAが提示していたマニュアルは相手の意思を無視した暴力的なもので、セックスのためには犯罪も辞さない極端なものでした。それを「和姦」だと言い聞かせる塾長を前に塾生たちはバランス感覚を失い、スポーツにのめり込むかのようにセックスにのめり込んでいったようです。

しかし、この転倒した方法論を取り除くなら、男性集団の中で評価を高めるために女性との関係を増やしていくという構造は決してRNAに固有のものではありません。初対面の人間にいきなり声をかけるのは誰だってそれなりに苦労します。それでも声をかけられるのは、それで女性を引き込むことができれば「下っ端」から抜け出せる、一人前としてまともに扱ってもらえる、発言権が増し、裁量が増え、周囲の信頼をかちとるという強烈な成功体験を伴うからです。そこで声をかけるのをためらい、いつまでたっても女っ気がないままでは、周囲から軽んじられ、居心地は悪くなり、そして自信が失われていきます。それは男性組織のなかで成功者と失敗者とを分ける分かりやすい基準です。

客引きやスカウトマンは「仕事」という要素がはっきりわかりますが、そもそもナンパには多かれ少なかれ「仕事」的側面があり、ナンパに成功することは商談をまとめることと相通じるものがある。ナンパとはある種の飛び込み営業なのです。自分を売り込む飛び込み営業であり、それが成功すればお前という商品には価値があるなと認めてもらえる。

ナンパ師の眼中にあるのは本当に目の前の女性でしょうか。目の前の瞳を見つめるそのまなざしは、背後にいる男性たちをこそ射抜こうとしているのではないでしょうか。

 

ホモソーシャルの真価

このようなホモソーシャルを背負ったナンパは女性をモノ扱いし、女性の意思を踏みにじるものでしょうか。イエスともノーとも言えません。というのは、女性をモノ扱いせず対等な人間として接するという言説に従う人よりも、ナンパする人の方が往々にして女性への接し方が洗練されていると思うからです。その特徴を列挙してみましょう。

・まず共感する、同調する、話しを合わせる

対等な人間として接するなら、意見や価値観が合わないこともあるし、それで不快になることもあるでしょう。ナンパのコミュニケーションはまず共感から入り、同調してテンションを上げるのが基本です。自分の意見や価値観は、あくまで話しのネタとして披瀝し、相手に同意をもとめたり説得しようとしたりはしません。

・相手のペースに合わせながら相手をリードする

対等な人間として接するなら、自分がリードすることもあれば相手がリードすることもあるし、リードしたい、リードしてほしいと要求しあうこともあるでしょう。ナンパはナンパする側が誘うのですから、誘った側がゴールをはっきり決めていなければいけません。しかし、それをいきなり押し付けられても不快です。相手の予算や体調や都合を確認しつつ、ペースは相手に合わせていくことが必要です。

・こまめに連絡を入れる

対等な人間として接するなら、双方都合がつかなければ連絡が遅れることもあるでしょうし、必要に応じてお互い連絡を入れ合うでしょう。ナンパではナンパする側が積極的に連絡し、相手の様子を確認します。落ち込んでいれば励まします。相手には、連絡を頻繁にもらえることで、自分を気にかけてくれている、興味を持ってくれている、大事にしてくれているというメタメッセージが生まれます。それが、次もその男性についていこうという動機になるはずです。

要するに、一緒にいるのが楽で楽しいと相手が思うからこそナンパが成功するのです。アクセサリーや香水や髪型で垢ぬけた感じを出すのも、そういう人が隣にいてほしいと思ってもらえるからこそです。

これらは悪名高い「フレンドシップ戦略」と違うのでしょうか。違います。フレンドシップ戦略はあくまで友人であり、モチベーションは対等な関係なのです。だから振られれば傷つきます。それに対して、ナンパの心がけはホストであり、ゲストを迎えるサービス精神に基礎づけられます。だからトライアンドエラーが可能なのです。では、なぜそのようなサービス精神が生まれるのか?もちろんゴールにはセックスという対価もあるかもしれない。しかし、それではフレンドシップ戦略から抜け出すことは難しいです。男性集団の中で認められるという、単に女性から受ける以上の対価があるからこそ、女性に徹底的に寄り添うサービスを磨く動機が生まれるのだと私は考えます。これは確実にミソジニーを含んでいます。女性そのものが目的ではないからです。カントなら、人間を手段として扱うなと言うでしょう(カントはミソジニーにまみれた人でしたが)。

もちろんホモソーシャルミソジニーは、シンプルな男性中心主義と女性蔑視を帰結することもある。RNAインセルのような女性への暴力を引き起こすことも確かです。しかし、ホモソーシャルミソジニーをそこに矮小化するとしたら、なぜこのシステムが簡単には崩壊しないのか、その根深さを見失うのではないでしょうか。ホモソーシャルミソジニーはジェントルマンやナイトの基礎でもあると私は考えます。

 

夜這いのRNAワールド

セックスは太古からコミュニケーションの手段でした。そして同時に、集団的で組織的な営為でもあったと考えられます。

夜這いは村の青年宿で管理され、信頼できる年長者がセックスの手ほどきをするところから始まり、村の祭りの祝祭的な雰囲気の中で行われ、また他の村へ夜這いに行くことは禁じられるか、許可が必要だったと言われています。村のしきたりや習俗といった前近代的な法に基づいた、村ぐるみの統治の中にセックスも組み込まれていたようです。

しかし近代化とともに、セックスは夫婦の間の一対一の関係とされ、それに反する習俗は取り締まられます。そして現代では、セックスはプライバシーであり、一人一人の問題だと考えられています。

ここからRNAにひっかけて強引にまとめていくのですが、太古の生物はRNAが遺伝情報の記録も酵素反応も担っていました。これを「RNAワールド」と言います。しかし、しだいに遺伝情報の記録はDNAが、酵素反応はタンパク質が、RNAはその仲介を担うように分業されていきました。

リアルナンパアカデミーは、セックスが個人対個人の合意という契約モデルに基づかない、集団的な行動として現れることを物語っているように思います。RNAではセックスの画像や動画が共有され、塾生たちはその異質でカルト的な空間にはまりこんでいきました。まさに、セックスが集団的・組織的に、個人の意思や合意を踏み越えて行われていたのです。それは渡部のゆがんだ性規範の強要と塾生同士の競争から、女性への深刻な暴力を帰結しました。

私は、RNAは個人化を突き進むポストモダンのなかに出現した夜這いの焼き直しのようにも思われます。そこにはホモソーシャルミソジニーという、集団の中で醸成された価値観に基づく行動原理が存在します。そして、このような「RNAワールド」は様々な形を取りながら、これからも幾度となく回帰してくるのではないか。

現代に生きる私たちは、「RNAワールド」を早急に分解し個人の責任を問う作業を、これからも根気よく続けていく必要があるように思います。それが悪いものである場合はもちろん、一見して良いものと思われる場合についても、吟味が必要なのかもしれません。

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夜這いと近代買春

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雪原まりも