人に愛され、旅を愛する

 この記事は、サークルクラッシュ同好会・アドベントカレンダー10日目の記事です。

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こんにちは。finaです。4日目に世紀に残る駄文を投稿し各方面から大顰蹙を買いました。しかし懲りずにもう一本記事を書いています。先日はこじらせたことを書いてはみましたが、私にも純粋な一面はあります。

それは旅行が好きであり、また熱心な鉄道ファンであるということです。かつてサークラに熱心な鉄道ファンがいたかはわかりませんが、過去数年の新歓ブログリレーやアドベントカレンダーを見る限りコテコテの鉄道ファンが書いたと思わしき記事はあまり目にしませんでした。なら私が書いてやろうじゃないかということで、旅をサークラっぽいテーマに絡めて書いてみたいと思います。

 

これは私が中学3年の春に体験した、出会いと別れの記録です。

 

三江線を目指す

広島県の三次という街と島根県の江津という街を結ぶ、三江線という路線がかつてありました。残念ながら利用者減少などを理由に2018年3月をもって廃止になってしまいましたが、車窓からは雄大江の川という綺麗な河川を望め、多くの鉄道ファンから愛された路線でした。

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三江線口羽駅。上下線の列車がすれ違います。

三江線が廃止される1年前に、私は乗車することが叶ったのです。中学3年の春でした。卒業式を終え、高校進学を直前に控えた私は中学最後の思い出を作ろうと三江線乗車を計画します。既にこのときに三江線の廃止は決定しており、廃線へのカウントダウンは開始されていました。

 廃止の寸前となると多くの鉄道ファンが大挙します。ときにそれは地獄の様相を呈し、「葬式鉄」などといって物議を醸すのです。なのでできるだけ早いうちに乗っておきたい。そう考えた私は中学生ながら、2泊3日一人旅という小さな冒険を企画、敢行したのでした。

 

早朝の出発 

3月27日。三江線の始発は5時38分に三次駅を出ます。早い。早すぎる。十万石まんじゅうもびっくりです。4時半くらいに目覚ましをセットしていたので乗り遅れることはありませんでしたが、眠いったらありゃしない。

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ブレブレ…三次駅の発車時刻標です。

発車10分前程にホームに到着すると、列車は既に入線していました。列車は1両編成で、客室の半分はロングシート、もう半分がボックスシートです。せっかくの車窓を楽しみたいところですが、ロングシートでは窓に背中を向けてしまうため眺望が期待できません。なので狙うはボックスです。空いているかなあ…期待と不安で車内に足を踏み入れると…

なんと、4つあるボックスには全て先客がいました。ガーン!だけどロングシートにもそれなりに人は座っています。混雑率で言うと50%ほどでしょうか。もっと早く駅に着いておけばよかった…

後悔しても仕方ない。車内を見渡すと、4人掛けのボックスに1人しか座っていないところもあります。勇気を出して、相席を申し出ることにしました。

 

「すいません、ご一緒してもいいですか?」

 

これが私の鉄道趣味を決定づける、運命の出会いとなるのです。

 

旅情を噛み締めながら

私が声をかけた相手は、ニコニコとした笑顔が印象的な初老の男性でした。「もちろん」と相席を快諾して頂き、私はボックスにありつくことに成功するのです。

私にとって、ローカル線の乗車は三江線が初めてでした。もちろんボックスで相席の経験などもあまりなく、正直とても緊張していました。「迷惑をかけられないな…」とか、「変な人だったらどうしよう…」とか。心配事を考え始めたらキリがありません。それになんといっても初対面の相手とこれから何時間もずっとお見合い。大丈夫でしょうか。確か江津まで4時間半ほどかけて運転します。

 

そんな不安を抱えたままぎこちなく座っていた私に、初老の男性は優しい声で尋ねてきました。
「どこからいらっしゃったんですか?」
思わずびっくり。しかし無視するわけにもいきませんし、正直に答えます。
「東京です。そちらはどちらからいらしたんですか?」
「名古屋です。この始発に乗るには名古屋からだと当然間に合いませんので、昨晩は三次に前入りしました。」
なるほど、私と同じだ。相手の素性が少しでもわかると安心するものです。
「僕もなんですよ。僕は途中まで香川を家族と旅行していて、途中で抜けてこっちに来ました。」

 

打ち解けるのもあっという間

不思議と私も自分のことを話し始めていました。最初はあんなに緊張していたのに、スラスラと言葉が出てきます。どうやら相手の方は今年定年の60歳の方で、名前は田中さん(ありふれた名前なので公開)というらしい。こちらも素性を次々と明かし、話に花が咲きます。

色々と私のことについて最初は尋ねてくれました。学生なの?と聞かれたので「はい、中3でこの春で高校生です」と答えると大層驚かれました。とても15歳には見えない、落ち着きがあると言って頂き嬉しかったです。何故私が鉄道ファンになったのかや、これまでどんな旅行をしてきたのか等々。色々と根掘り葉掘り聞いていただいたので、こちらとしてもとても話しやすかったです。

 

聞かれっぱなしでは申し訳有りません。私の方から話を振ると、田中さんはなんでも教えてくれました。

なんといっても相手は60歳、国鉄時代を知っています。Wikipediaと個人サイトを巡回し知識だけは齧っていた私でも、実際に見聞きしてきた方の知識には敵いません。まさに百聞は一見にしかずです。

田中さんの話はどれも興味深いものばかりでした。寝台特急全盛期のときの思い出や、雪の中フィルムカメラでSLを撮影したときの話。既に引退してしまったり、廃線になってしまった車や路線の話も色々と教えてくれました。

話を聞いているだけで楽しい。こんな体験は初めてでした。中学の授業は退屈だったし、そもそも不登校なので行っていなかった。ずっとインターネットで知識を漁ることしかできなかった私にとって、田中さんの話はそれほどに大きな衝撃を与えたのです。

 

出雲大社と縁結びの神

「このあとfinaくんはどうするの?」
「決めていません。夜に浜田の宿に着けばいいだけなので。田中さんはどうされるんですか?」
「私も決めていないが、出雲大社に行こうかなと。finaくんもご一緒にどうですか?」
まさか誘っていただけるとは…となれば私も行くしかありません。出雲大社までご一緒することにしました。

道中の田中さんの言葉が思い起こされます。

「私もまさかこんな出会いがあるとは思っていなかった。出雲には縁結びの神様がいるというが、本当にそうなのかもしれない。これも出雲のご縁だ。finaくんと三江線をご一緒できたのは、本当に楽しかった。」

ここまで言ってもらえるととても嬉しいですし、こちらこそです。私もありったけの感謝と出会いへの感動を田中さんに伝え、出雲大社の参拝を済ませました。帰り際は出雲そばも食べました。美味しかったです。

 

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出雲大社でパシャリ

 

出会いが未知への扉を開く

私はこの体験で、旅には無数の出会いがあるということを思い知らされるのです。この世界には自分の知らないことを知った人がいる。様々な人々と出会えるプラットフォームとして旅というのは非常に有用であること。そして思ったよりも旅先で知り合った人相手には好きなことが喋れること。その場限りの人間関係なのですから、余計な気を使う必要はありません。

それに相手も旅行という共通の趣味があるからこそ出会っているのですから、話に花が咲くのは当然です。それに加えて私は鉄道オタク。旅先での出会いは常に私に新鮮な情報を届け、そして新たな世界を教えてくれました。お互い好きなことが言えて、思いっきり笑える。そうした人間関係は決して長い時間をかけないと得られるものとは限らないということに気付かされたのです。

これが一人旅のメリットでしょう。私の学校の周りの友人は殆どが「旅行といえば友達か恋人と」と答えるはず。実際に一人旅をしている友人は数えるほどしかいません。確かに気兼ねない友人と一緒に行く旅行も楽しいですし、そこでしかできない会話もあります。恋人との旅行も同じです。お互いの仲を深めるいいイベント。私は決してそれらを否定しません。

実はそれと同じくらい、一人旅も人と触れ合い話をすることができるのです。「一人旅は寂しくないの?」という疑問に私は胸を張ってNOと言えます。私にとっての旅行の区別は一人か複数人かではない。知人か匿名か、この違いでしかありません。

 

その後高校に進学し鉄道一人旅は更に本格化しますが、様々な人と出会ってきました。極寒の宗谷岬で出会ったライターさんや、草津温泉でバスが通行止めで大幅に遅延し極寒の中一緒にバスを待った大学生グループ…寒い思い出ばかりですね(笑)なかには列車内で知り合った相手で、今でも連絡を取り定期的に旅行に行っている相手もいます。

皆が本当に十人十色、出会ったぶんだけ自分の世界が広がります。私は東京生まれ東京育ちなので東京以外の街を知りません。だからこそ自分の価値観に疑いを持っています。確かに東京は日本一の都市であり人口も多い。だからといって東京の価値観が全て正しいとは限りません。

異郷の地を自らの足で歩き、自らの目で見て確かめる。同時に、その土地の人の話を聞くこと。これを行うことで、私は少しだけですが多角的な視野を手にすることができたと思っています。

私は田中さんとの出会いを経て一人旅をかけがえのない趣味へと昇華させ、高校在学中に日本中を旅する流浪の学生へとなっていきました。

 

一人旅が意味すること

田中さんとの出会いは本当に大きなものをもたらしましたが、もう一つだけ田中さんは私に大切なことを教えてくれました。しかし、それをすぐに理解することはできませんでした。

「私は学生の頃から鉄道趣味に目覚め、気付いたらもう60です。結婚もして子供もいる、幸せなことです。しかし結婚したら家内と子どもたちを養わないといけない。そんな中でも、家内は私がこうして一人旅をすることを許してくれるんです。旦那が一人ででかけて、旅先で何をしているかわからないのは不安だろうに…有り難いことにわがまま趣味を理解してくれる、素晴らしい妻です。」

出雲大社への道中での一言です。田中さんは続けます。

「本当は家内も子どもたちも連れてきたいんだけど、ローカル線に何時間も乗せるのは酷です。だけど本当に、一人で行くことは申し訳ないと感じている。だから必ず毎年家内は旅行に連れて行こうと決めています。本当に私はこの歳になってまで一人旅をさせてくれる家族に感謝しています。」

 

私は恵まれているのか?

この言葉を聞いた直後、私は素敵な夫婦だなという感想しか抱けませんでした。

しかし高校に進学してから気付かされます。同級生の皆は、旅行に行きたくてもそう簡単に行けないのです。普通の家庭はまず高校生が行先も告げず家を10日も留守にすることを許さないでしょう。両親が寛容であるからこそ私の一人旅は実現しているのです。

資金だってそうです。初期はお年玉貯蓄を切り崩し、尽きた頃にはバイト代で賄っていましたが、決しては安いとは言えない金額をお小遣いとして渡してくれるのも両親です。

そもそも私が初めて一人旅をしたのは中3の夏でしたが、この頃はお世辞にも家庭環境が麗しいとは言えませんでした。空中を椅子が乱舞していて、常に喧嘩が耐えず暴力も常でした。荒みきった家庭だったため私は外の世界に救いを見出そうとして、日帰りで関東地方の鉄道をひたすら乗り潰し始めたのです。このプチ家出が私の鉄道趣味のきっかけでした。

その趣味が今では高じて日本中を歩き回っていますが、きっかけは決して明るい理由ではないのです。なので最初の頃は自分の一人旅を「反抗の一環だし、両親は認めて当たり前だ、むしろ他の家庭が厳しすぎる」と思っていました。

しかし高校で彼女が出来て、また多くの友達を話して自分の家庭の寛容さを再認識します。それは即ち、両親あってこその一人旅ということです。

 

少しだけ暗い話

親にされた仕打ちで許せないことは数多くあります。一刻も家の抑圧から逃れようと外出志向になるロジックも正当であると言えます。何度も死ねと言われ包丁を向けられ、お世辞にも親による無謬の愛情を受け取って育ったとは言えない私ですが、旅行に限れば私はよい両親を持ったと言えます。

親の行いが間違っていたからと言って、全てが間違いではない。それに親を全て間違いだと定義してしまえば、その親元で育ってきた私の18年間は全て誤りとなってしまう。今を楽しく過ごせているし、旅先でかけがえのない思いをさせてもらっているのだから、それは紛れもない親の功績です。

決して親を手放しに評価するのではない。寧ろ恨み節のほうが多いです。しかし全て間違っていたわけではないことも事実。これら二つの事象を切り離して考え折り合いをつけた途端、心の底から私が恵まれていることを実感できました。

 

そんな今だからこそ、田中さんの言葉の意味を理解出来た気がするのです。田中さんがどういった意図で言ったのかはわからないので勝手な思い込みに過ぎませんが、親に対してずっと抱いていたわだかまりが徐々に氷解するきっかけにまでなりました。

田中さんがポツリと呟いたこの一言が、今でも忘れられないのです。

 

過去は取り返せないからこそ

思えば私も親には迷惑をかけてきました。思いっきり殴ったし、母親に関してはうつ病になるまで追い込んだ戦犯であることは間違い有りません。反出生主義的立場を取れば子である私に責任はないのでしょうが、もう私も大人ですし若干の罪悪感は感じています。

前回の私の記事中「finaは自虐をしないの?」に記述しましたが、私が初めて指を切ったのは旅行先でした。その旅行は今でも苦い思い出です。ずっと家族で喧嘩をしたまま過ごしたので、以来家族旅行はあまり好きではない、辛い時間でしかありませんでした。

しかし、人は誰しも旅に出たいもの。両親にとっては、家族旅行というのは僅かな時間を捻出して作り出した異郷の地を歩く機会でもあるのです。それに、たとえ結果が最悪に終わってしまおうと企画の段階では両親は私を楽しませようと企画してくれていたはず。

好き勝手旅行ができる身分の私だからこそ、年に数回しかできない家族旅行は自分で企画してみてもいいんじゃないか。どうせ行くんだったら、楽しい思い出にしたほうがいいに決まってる。そう思い始めたのは高3の頃でしょうか。昨年夏はスーパービュー踊り子(2020年3月引退)のグリーン個室を手配し、家族で伊豆旅行を楽しみました。今年はコロナの影響で旅行できませんでしたが…

今では、家族でのイベントはなるべく私から積極的に提案し実施するように心がけています。旅慣れた私だからこそできることでもあります。これが贖罪となり、そして普段一人旅をさせてくれていることへの感謝の代替になるのであれば容易いものです。

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スーパービュー踊り子のグリーン個室、定員は4人で快適に過ごせる

 

別れのとき

蕎麦を食べ終え、私と田中さんはバスで出雲大社から駅前へと戻りました。バス車中で、このあとの予定を立てます。

「このあとはfinaくんはどうするの?」
「もう一回三江線に乗りに行こうかと思います。今から向かっても夕方の列車には間に合う。」
「そうか、私は鳥取方面へ向かう。じゃあ別方面になるね。」
どうやら、ここでお別れのようです。親切な田中さんは、時刻表で江津方面の列車を調べてくれました。するとバスの駅到着から発車まで数分しか時間がないことがわかったのです。

出雲市駅に着いたら走ったほうが良い。乗り換えに1分もないかもしれない。」
かなりカツカツな乗り換え、成功するでしょうか。しかしチンタラ歩いて乗り遅れてはせっかく調べていただいた好意を無下にしてしまう。頑張ってチャレンジしてみることにしました。

 

───終着の出雲市駅前に到着です………

 

バスの運転手が到着を告げます。運賃を精算するや否や、私は改札に向かって駆け出しました。

「ありがとうございました!田中さんもご無事で!」

finaくんもありがとう!頑張ってね!」

一言二言を交わすのが精一杯でした。時間は残酷です。私達に別れの余韻を楽しむ猶予さえ与えてくれませんでした。

 

結果、列車に間に合いました。キハ47系は、ゆっくりと重厚なエンジン音を轟かせながら動き出します。あっという間に私は一人の時間に逆戻りです。どこか寂しさもあり、開放感もあり、そして物悲しさを感じさせながら、ゆっくりとゆっくりと車窓は加速していきました。

田中さんとはそれっきりです。連絡先も交換していないのですから。本当に一期一会の出会いでした。今頃何をされているのでしょうか。見当もつきませんが、確実に言えるのは今も日本中を旅されているはずです。そんな田中さんと私の思い出の痕跡は唯一、出雲大社で並んで撮った写真一枚だけ。しかしその一枚の写真がかけがえのない時間を過ごしたときの記憶を思い起こさせます。

 

私は旅する幸せを噛み締めながら、今日もまた旅路に歩みを進めます。一歩、また一歩。明日はどんな出会いが待っているのでしょうか。

 

 

『さら、頭をよくしてあげよう』

これは、サークルクラッシュ同好会のアドベントカレンダー企画9日目の記事です。


ごきげんよう。さらです。
今回は、過激かつ面白くないテーマかもしれません。
「わたしときまぐれな白痴願望とそこに漬け込んで啓蒙してくる男がキモい」という話です。
この一文で書きたいことがほぼ終わってしまいした。いや、さすがにそれでは短すぎるので、この一文に至った過程をうろうろと辿ってみようと思います。どうか、しばしお付き合いください。


また歌か、と思われるかもしれませんが、今回は筋肉少女帯の『香奈、頭をよくしてあげよう』という歌を主軸にして、わたしの混沌とした考えをなんとかまとめていこうと思います。
こっそり歌詞を貼ります。JA/SRA//Cにばれたらお金をたくさん取られるのかな。


‪モフモフと ジャムパン‬
‪食べている君の横で僕は‬
‪ウムム!と考える‬
‪抱きしめてあげる以外には何か‬
‪君を愛す術はないものか?

‪“あたしってバカでしょ?
‪犬以下なの"と微笑む‬
‪無邪気な君は‬
‪本当にバカだ‬
‪だから‬
‪アレだ‬
‪僕は…‬

‪香菜、君の頭僕がよくしてあげよう‬
‪香菜、生きることに君がおびえぬように‬
‪香菜、明日 君を名画座に連れていこう‬
‪香菜、カルトな映画君に教えてあげよう‬

‪“御免ね途中で寝ちゃった‬
‪ラストどうなったの?"‬
‪たずねた君は‬
‪本当にバカだ‬
‪だから‬
‪アレだ‬
‪僕は…‬

‪香菜、君の頭僕がよくしてあげよう‬
‪香菜、生きることに君がおびえぬように‬
‪香菜、明日 君を図書館へ連れていこう‬
‪香菜、泣ける本を 君に選んであげよう‬
‪香菜、いつか恋も終わりが来るのだから‬
‪香菜、一人ででも生きていけるように‬


この歌の主人公は香奈ちゃんです。
彼女は自ら「あたしってバカなの、犬以外なの」と言って、にこにこするような女の子です。
そんな香奈ちゃんをみた‪"僕"は「頭をよくしてあげよう」と思いたち、彼女を映画館や図書館に連れて行き、さまざまなものをあてがおうとします。
けれどもせっかくの映画も、香奈ちゃんは途中で寝てしまう。そんな香奈ちゃんのことを「本当にバカだ」と"僕"は嘆きます。


ところで、わたしが大学に入ってから今までの間に、変だなあと思うことが幾度もありました。
サークルで、職場で、気になって足を運んだバーで、遊びに行った人の家で、参加した読書会で、とにかくいろいろな場所で、知り合った男性から、「あなたは本当にものを知らないね」と軽口を叩かれたり、逆に「あなたはなかなかスジがいい」と褒められたりするのです。


それがどうした、自意識過剰、と思われる方もいらっしゃるでしょう。でも、無理なんです。男の人に「馬鹿」とか「賢い」とか認定されると、とたんに足がムズムズしてきて居心地が悪くなります。その場の空気はどうにも言語化できません。
もしかして、わたしが男であるならばこんなこと言われはしないのではないでしょうか。わざわざ大勢の前で「馬鹿」とか「賢い」とか口に出して見せ物のように評価されることはなく、考えや好みが合えば仲良くなり、合わなければ自然と離れていくものだと思うのです。
前々回の記事で書いたように「かわいい」と「ブス」の地獄からようやく抜け出ることができたと思ったら、今度はまた違うところで、わたしは品定めされていることに気がつきました。


「馬鹿」/「賢い」。後者は別にいいじゃないと思われるかもしれません。経験則ですが多くの場合、この二つはほぼイコールです。
わたしが、若い、比較的美しい、女である割には、ものが解っている(この解るとは、発言した男性の認識下においての"解る")という意味で発言されているのです。前者も後者も、さらちゃんをけっして同じ土俵に立たせてくれないことにおいて、違いはありません。
極端な言い方をすると、どちらを言われても、わたしは馬鹿にされているような感覚がするのです。


よせばいいのに、わたしはその場で要求された女であろうとします。適切なタイミングの相槌、大げさじゃないくらいの褒め言葉、そして、小さな反抗(これは特に権威のある人に効きます)。
そうしている内に、わたしの元には、たくさんの「知るべき」本や漫画やCDやDVDがなだれ込んでくるのです。現物ではなくリストを渡されたこともあります。手をつけずに返すわけにもいかず、なんとなくぱらぱら眺めたり、流したりして、一番印象的だったところだけ考えて、お返ししていました。


わたしを「馬鹿」/「賢い」と言った男性たちの多くは、わたしよりも勉強ができたり、年上だったり、ステイタスが高いとされる職業についていたりしました。でも。
本当にわたしは馬鹿なのか? おまえの知っている物事を知らないから、わたしはものを知らないのか、馬鹿なのか、おまえの解釈にわたしの意見や感覚が近いから、わたしはスジがいいのか、頭がいいのか。
それは、ぜったい間違ってる。


しかし、一方で、「あたしってバカなの、犬以下なの」と言って、にこにこすることの快楽も、わたしは知っているのです。
若いだけの、美しいだけの、女であるだけの快楽。白痴美。自分でなんにも決めない快楽。相手のおもちゃになる快楽。相手の言うがままの姿に変わる快楽*1。わたしはさながらお人形になった気分で、男の人の願望を叶える従順かつエキセントリックな存在になります。
でも、それは唐突に飽きちゃう。だってわたしは生身の人間なので。本格的に好き勝手やりはじめたわたしに対して、男の人は掌を返したように冷たくなります。おかしいな。


わたしは自分の好きな本を読んだり、映画を観たり、演劇を観たり、音楽を聴いたり、美術館に行ったりしています。
そしてわたしは、賢い女も馬鹿な女も、どちらも魅力的だと思っています。どちらが好ましく、どのように振る舞うかは、わたしのそのときの気分によって決めるもので、誰かによって定められるものではない。わたしが賢いか馬鹿かは、第三者にあれこれ言われていいものではないのです。

そう、これです。わたしにおまえの理想の女をやらせるな。そしておまえの好きな物を勝手に押し付けるな


そして、現実問題、わたしはとりたてて馬鹿でも賢くもないのです。まあ普通。
さらに言うならば、おまえはたいして若くも美しくもないし、ましてや物語の中の人間でもお人形でもないのだぞ、と自分で自分を戒め、享楽的な暮らしをやめ、ふたたび労働と生活と美容に励みます(でもこれを他人に言われるとムカつきます、あくまで自分から自分への戒めです)。
多くの物語の中で、女の子は自らを寵愛する男の庇護を失うと悲劇の死を遂げますが、お話ではないのでわたしは死にません。というか、もう女の子ってしっくりこないなあ。「女の子」や「少女」という概念に年齢を持ち込みたくないという気持ちは大いにあるのですけれど。
メタ視をしないことと、自分のお世話をしないことはとっても気持ちがいいけれど、やめっぱなしだとわたしはみるみる醜くなってしまうので、鏡をジッと眺めます。


ずっと疑問だったのですが、男性に誘拐されて監禁された女の子は、いつまでかわいい状態でいられるのでしょうか。
鼻の下に産毛が生えたり、眉毛が繋がったり、脚の毛が生えたり、身体や口が匂ったりしないのでしょうか。そのような女の子を見て、誘拐犯は愕然としたりはしないのでしょうか。
それとも、女の子は誘拐犯の手によって夜な夜なシャボンの泡に包まれ、安全剃刀で全身を剃り上げられ、お口をアーンさせられ一本一本丁寧に歯を磨かれたりしているのでしょうか。
ああ、これでは、主従が逆転している!
(現実として、彼女たちの多くはあっさり殺されているのですけれど)


結局、男性(もしくは男性たち)に「馬鹿」/「賢い」と評され、それにふさわしいキャラクター(どっちを言われてもほぼ同一)なったところで、相手はやさしい誘拐犯のように逐一わたしの身辺や精神のお世話をしてくれるはずはない。自分で自分の容姿や情緒をお世話をする余裕や判断能力は、きちんと残していないといけない。
さらちゃんは本当に馬鹿だなあ/賢いなあとかわいがられて、にこにこ笑うわたしは、毛玉のついたセーターを着ていてはならないし、ちょうどいい濃さのお化粧をしていなくてはならないし、指に毛が生えていてもならない。適度に笑い、適度に怒り、ちょっと泣いても、ぜったいに発狂なんてしてはならない。わたしはわたしを監視し続けたまま「馬鹿」/「賢い」状態でなくてはならない! 

いけないいけない、話が横道に逸れすぎました。お歌の話に戻ります。


最後に、わたしはこう思うのです。
「香奈、生きることに君がおびえぬように」と願う"僕"こそが、生きることにおびえているのではないか?
たぶん、香奈ちゃんは生きることに恐怖を覚えていないのです。あるのだとしてもそれは"僕"のものとは違う恐怖です。だから"僕"の勧めてくる映画や本には興味がない。
そして香奈ちゃんは馬鹿ではなく、"僕"の価値観とは異なった、香奈ちゃんにとっての世界があるのです。そこにはジャムパンだけでなく、さまざまな素晴らしいものがひしめき合っているのです。
歌われることはありませんが、わたしはこの"僕"は、香奈ちゃんにあっさりと振られてしまうと思っています。*2
「だって、あなたつまんないんだもん」と。


あー、超名曲に自らを重ね合わせるなんて、あまりにも傲慢です。
『さら、頭をよくしてあげよう』なんてタイトル、恥ずかしくないのかな、恥ずかしいに決まってる。
ネタばらしをすると、実はこの曲、かつて、筋肉少女帯のCDをごっそりと貸された際に「一番印象的」だった曲なのですよね。*3

たくさんの男の人からの贈り物を不意にしてしまうような文章を書きました。教えてくださったものの中にはとっても素晴らしいものがあったことも、また事実です。
そして、この記事を最後まで読んでいただいたことにより、わたしはあなたに一つの曲を押しつけてしまったことになるのだから、ああ本当に因果なものだ、と感じております。ごめんなさい。どうか許してね。

*1:だってわたしはダメでバカでどうしたらいいかよくわかんなくて、あなたがこうなれと命じてくれるから、ようやくわたしは安心して生きていけるの

*2:大槻ケンヂは、簡単に想定されるラストも折り込み済みで、この歌を作ったのだと思っています。ほんとかな。

*3:だから、そんなにたくさんの曲を知らないし、彼のこと全然知らないし、著作も3冊くらいしか読んでおりません。あと、この曲より『ノゾミのなくならない世界』の方が好きです。

ピアニストは素直になれず、今日も自虐を繰り返していた

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 サークラアドベントカレンダーへようこそ。藍鼠さん @indigo_mou5e からのバトンを受け取り、本日はわたくしfina @fina0539 が担当させて頂きます。このたびサークラへはじめて寄稿させて頂きました。初めて私を知る方も多いと思うので、軽い自己紹介をします。今年度大学生になれなかった(受験さえしなかった)浪人生&留年生です。肩書きはまだ高校生です。つまり中卒です。中卒の書く文章ですので、大層読みにくいと思いますが、どうぞお付き合いください。ちなみにタイトルではピアニストなんて言っていますが、大したことないです。ただの下手なアマチュアです。

 と、こんな調子で私はよく自虐をします。今回は、「自虐」をテーマにしました。こんなクソみたいな前置きはとっとと終わりにして、本題に入りましょう。

 

執筆のきっかけとなった当事者研究

 2020年10月30日、サークラの例会が開催された。テーマは「心を開くこと」について。各々の思う「心を開くこととは何か」であったり、最近心を開けた体験などが活発に語られたが、その中で「自虐」の話題が挙げられた。多くの参加者が「ネガティヴな自己開示」ができる相手こそ心を開ける相手だ、という意見を述べていたものに対し、「ポジティブな自己開示」があってもいいのではないかという意見が挙がる。続いて、「ポジティブな自己開示」はマウンティングに繋がりかねないが、そもそも何故マウンティングになってしまうのかという疑問に対し、私が「インターネットの文化がSNS等の台頭により自虐文化からマウント文化に変わったからでは?」という意見を述べ、そこから自虐について話が転がっていった。トークスキルとしての自虐、自己憐憫に近い自虐、謙遜のための自虐…どうやら自虐にも様々な種類があり、いろいろな人がいろいろな場面で用いているようだ。

 読者の皆さんも、何気ない場面で自分を低く言ったり、「自分なんかダメだよ」とネガティヴモードで話すときは少なくないだろう。そして、自虐についての話は私にとっては非常にタイムリーな話題ネタであった。私が自虐をとても気にするようになったのは、去年の秋頃に遡る。

 

私と中学の同級生の話

 私はピアノを嗜んでいる。幼少期は音大を目指していたほどのガチ勢だった。しかし中学の頃に挫折を経験し、それがきっかけで中学は不登校だった。高校は定時制に通わざるを得ず、今ではさっぱり弾けないアマチュア風情のド素人である。ああまた自虐してしまった。実際は今でも音楽自体は継続しているし、人並みに程度には弾ける。

 そんな私には中学時代の同級生で、いまは美大生の友人がいる。私もアマチュアとはいえ音大志望生の端くれであり、彼女は「芸術系学科に学籍を置く、他ジャンルだからこそのクリエイターとしてのライバル」といった存在といえるだろう。彼女が学校の課題に追われ修羅場だったときは力を貸してきたし、私も昨年は大きな音楽の制作に取り組んでいて、色々と助けてもらったものである。少なくとも私は彼女を心から尊敬しているし、お互い気兼ねなく音楽・美術の込み入った話ができる仲といったところだろうか。

 昨年秋、そんな彼女に「なぜfinaは自虐ばかりするのか」とツッコまれたことがあった。正直無意識だったが、確かに彼女と話す際はよく自虐している。「次から自虐するたびに1ポイントずつ加算するから」という意味不明な提案をされ、それからはよく気をつけようとした。ちなみに、どうやらこのポイントは溜まったから何らかのペナルティを課されるものではなかったらしい。1年ほど経過した今では、制定されたルールさえあやふやとなってしまっているが、この自虐ポイント制度制定は我々の会話において国鉄分割民営化ほどのインパクトを与えたことは間違いない。

 何故私は彼女の前では自虐するのか?そんなことを考えるうちに、私の中に存在する様々な思惑が見えてきた。

 

自己分析をしてみた

謙遜型自虐

 まず、私は素直に人を褒められない。私の大きな課題である。自然に人を褒めることに何故か恥ずかしさを感じてしまうのだ。人に音楽を教えるとき、褒めて伸ばすべきだと思っていても「上手になったね」という一言をかけられず、淡々と教え続けてしまうという癖を自覚したのは最近だろうか。その割に叱るのも苦手なので、なんとも中途半端な指導者になってしまう。このあたりは職場で新人に仕事を教える際に修正をかけていったので、最近は少しマシになったものの、依然として要改善点だろう。

 恐らく、私は彼女に対して素直に尊敬の念を伝えることができていない。いや、褒め下手な私が不自然に言葉を取り繕った結果不自然なお世辞に聞こえてしまうことを気にして、どうしたら受け取ってもらえるかを考えた結果なのかもしれない。だから自虐に走り、過渡に謙遜し自分を下げるところまで下げないと、「褒める」言葉に信憑性が生まれないのかもしれないとも解釈できる。謙遜として、「いやいや私なんて」とへりくだることは至って当たり前な会話術だが、どうやら私はそれが行き過ぎていたようだ。

自己憐憫型自虐

 次に、最も重要かつ深刻な部分である、「自分のなかのコンプレックス」について触れよう。大きな挫折を味わった私にとって、不登校レベルのどでかい失敗を経験せず美大に通えているのは嫉妬の対象にもなり得た。そんな彼女が私に向ける尊敬の意は素直に受け取れば受け取るほど、「じゃあどうして僕は音大に行けなかったんだ?」と自己肯定感がガリガリと削られてしまう。ならば最初から「自分はたいしたことない」と納得しないことには、彼女に対する尊敬と、自分に対する情けなさの折り合いがつかない。そうして私は自虐をする選択肢を取り続けたのかもしれない。まさに自己憐憫である。

 別に哀れんで欲しいわけじゃない。慰めてほしいわけじゃない。でも、心の奥底は不安だらけだ。未来に恐怖し、何もできない無力感に苛まれ、失敗経験を引きずりながら常に生きている私にとって、そういった本音を少しでも言語化できる時間は、ほんの少しだけ心地良い。いや、かなり心地良いのかも。なんだ、自分は人を褒められないだけじゃなくて、弱音さえ正直に言えていないじゃないか。

オチ自虐

 最後に考えられる理由として、「話のオチ」としての自虐だ。私は常に人と会話をする際には頭をフル稼働させており、そのため話のオチというものを極端に気にしている。オチのない話をだらだらと続けるのは相手に申し訳ないという自分のなかでの理屈のもと、マシンガントークを展開しては呆れられることがよくある。その是非はともかく、私は内容が伴い、そしてオチのつく話に拘る癖があり、単に自虐ネタは使いやすい。「今日学校行く時財布忘れたんだ」という何気ない話にも、「だから俺って発達障害なんだな、アッハッハ!」という自虐を伴ったオチを用意すれば何故かまとまったようになると感じられるため、こうしたテクニックに甘えてしまっている感は否めない。

 どうやら、本当に自虐にはいろいろな種類があるらしい。更にタチが悪いのは、私の彼女に対する自虐は複数要素を兼ね備えていた点である。

補足:fina自傷しないの?

 思えば私の自傷行為の入門は、小5のとき旅行先の松江城で号泣しながら、道に落ちていたデカめの石で左手の薬指を叩き潰すという割と入門にしては早期かつ超上級な手法だった。母親に大層悲しそうな顔をされたのもそうだが、なによりピアニストなんだから自分の手は絶対に傷つけてはいけないという自覚が芽生え、「何があっても自分の手だけは傷つけてはいけないんだ」という意識を持つようになった。とはいえ根本的な自傷願望とそれに伴う快感も理解しており、その逃避先としての自虐という意味合いは自分からすれば納得がいくものだ。皮肉なことに、その直後の小6夏に自転車でズッコケて全治半年の骨折を経験し、物理的に手を破壊している。やっぱり私に自傷は向いていない。

 

素直になれない自分

 改めて振り返ってみると、私は口下手だ。どうして素直に相手に尊敬を伝えられないのか。一つだけ心当たりがあるとすれば、そもそも褒められ慣れていないことだろう。常に自分の理想が高い完璧主義者なため、自分のなかで完璧でなければ自分に向けられた称賛の言葉も全て素直に受け止めることができない。自分が素直にポジティブな意見を受け止められないのなら、当然相手にも言えるはずがない。

 確かに人は謙虚であるべきだ。過信ばかりしていては嫌味なヤツになってしまうが、だからといって素直に人の好意を受け止められないことも問題だとようやく気付くことができた。人が自分のことを認めてくれるって、なんとも素敵だし嬉しいことじゃないか。だったら素直に受け止めて、それを自信に繋げていくことも大切だ。低い低い自己肯定感を高くする手がかりになるこの小さな気付きを、私は大切にしたい。 

 

自己肯定感が低いからといって他人が凄いわけじゃない

 アイドルの原義が偶像であるなら、私の親友たちはみなアイドルだ。彼らは実像を持ち実態として存在しているが、「私にとって親友は○○な存在だ」という私の認知のみで作り上げられた偶像としての親友もまた存在している。私の友人たちは皆が素晴らしく、尊敬に値する人物ばかりだ。もちろん、同級生の彼女もそのうちの一人であることは間違いない。そんな彼らの頑張りを見るたびに、私も頑張らなくてはと鼓舞される。そう、尊敬は憧れでもあるのだ。アイドルのように私に元気を与えてくれる憧れの的、こんな一面が私の親友に内包されているのかもしれない。

 もちろんこれが全てではなく、私にとっての親友はバカ騒ぎしてバカ笑いしたり、何気ない相談ができたり。気兼ねなく話せて、好き勝手言える相手でもある。でも、当然リスペクトもしてるよ、ということなのかな…。よくわからなくなってしまった。何にせよ突然アイドル呼ばわりされ、尊敬だの憧れだの言われた親友たちの気持ちを考えてみたらいたたまれなくなったので弁解させていただきたい。

 では、私の尊敬する対象は常に完璧なのだろうか。そんな筈がない。彼らだって人間だ。失敗だってするし、弱音を吐くときだってあるだろう。しかし、私はその事実を失念しがちである。自らを呪縛する完璧主義が他人にも及び、「彼らは完全無欠であり、常に私の先をリードしている」という先入観に支配されていることに気付いた。相手が完璧でなければ褒められないという突拍子もない理屈に則り、相手を完全無欠人間扱いしないと納得がいかない。

 勝手に相手を完璧だと思い込み、自分を不完全だと思い込む。完璧主義が生む弊害である。この二項対立を抱えた状態で自己憐憫をしていては、不毛なだけでなく相手を傷つけかねない。いくら自分が理想と程遠いダメなヤツだからといって、相手が凄いわけじゃない。人間みんなダメなヤツだし、ひとりひとりの人生にひとつひとつの悩みがある。“自己憐憫”の心地よさに浸るために、自虐してまで相手を持ち上げるって、よく考えたらとっても自己中心的だ。猛省である。

 

何故私はコンプレックスを感じるのか

 同級生の彼女が私にとってのコンプレックスだと先述した。これについて少し掘り下げたい。 

 あるとき、「中学からの繋がりで、絵の話をわかってくれる、悩みを気軽に言えるのはfinaくらいだ」と言われたことがある。複雑な気持ちだった。まず当然、嬉しかった。けど、何故か悲しかった。だって、彼女は美大生なのに、私は音大生ではない。美大生の悩みを聞く人間は、彼女が成し遂げてきたようなことは殆ど積み重ねられなかった凡人だ。「僕なんかでいいの?」というベタな感情が真っ先に浮かぶ。けどそれは本心かと言われたら微妙だった。確かに、「一度自分も音楽で勝負して、全力を注いだ作品を彼女に評価してもらいたいな」ということは常に思うが、彼女と比べて私は根本的に劣っているのかと言われたらそんなことはない。そもそも、もとは中学の同級生。いつまで経っても対等なはず。

 ではなぜ?心当たりは大いにあった。私は、彼女に自分ができなかった目標の達成を期待している。だから過渡に完璧を期待するし、「自分はもう諦めたんだから、そのぶん頑張ってくれ」と勝手に心のなかで思っている節がある。だからこそ、彼女の一言は捨てたはずの音楽への未練を焚きつけた。自分の身勝手さを自覚したのもそうだが、そもそも自己投影をせず素直に応援すればいい話である。

 確かに私は音楽に対する未練がある。美大に通えることを羨ましいとも思う。だからこそ彼女は人一倍頑張ってほしい。だけど、彼女だって私を羨んでいる部分はあるはずだ。実は彼女もピアノは弾ける。そして私のほうが上手い。ならそれでいい。彼女を応援することと、自分がずっと“ピアノが弾けるfina”であることの両立は可能だ。わざわざ自己卑下せず、素直に応援を伝えること。そして、確かに私にはできなかったことを彼女はやっているが、彼女にはできないことが私にはできる。なら、自分の人生を堂々と生きようと思えた。コンプレックスに思っていたことが恥ずかしい程である。

 

オチはないけど、まとめてみる

 ここまで約5000文字。書きたいことだけ書きまくっていたら、本当に不器用な生き方をしているなあと改めて思った。ただ素直に言いたいことを言えばいいじゃないか。伝える言葉なんか一言一句精査しなくたって、相手に気持ちは伝わるはずだ。会話って難しい。自分語りは得意なのに、自分の気持ち語りは全然ダメ。ああまた自虐している!!!

 もっと、素直にありがとうと伝えられる人間でありたい。素直に「凄いね」って言える人間でありたい。それと同時に、素直に人の好意を受け止めることのできる人間になろう。褒められたらもっと無邪気になってみよう。ちょっとくらい調子に乗ったって、きっとみんな許してくれる。

 

おわりに

「同じ絵を描く学校のライバルたちはいくら腹を割って話せる友達とはいえ、彼らがとても優秀で努力屋で、そして自分ができないことを知っている。逆に中学校の同級生らは、私のことを“絵がうまい人”という認知でしか捉えていない。私は確かに人並み以上に絵は描けるし、上手いのも自負している。だからこそ、美術を専攻するコミュニティの中における自分の立ち位置も客観的に理解している。この二つの極端の中間にいる立場だからこそ抱える悩みは、なかなか親友とて同業者の友人らには言いづらい。」

 

 彼女の言葉だ。この彼女の一言は、決して自画自賛でも自虐でもない、客観的事実である。そして全くもって同じことが自分にもいえる。私は自分以上に音楽ができる人がこの世に存在することを知っており、自分のなりたい理想に近ければ近いほど自分のヘタクソさに泣けてくる。だけれども、少なくとも私がこれまで通ってきた学校では、みんなから「うまいね」と言ってもらえた。同じくピアノをやっている人からも言ってもらえていたことを振り返ると、それなりに認めてはもらえていたのだろう。一つ自己PRをするならば、自分の持っている絶対音感とそれに伴う聴覚認知(耳コピ)だけは誰にも負けたことがない。ピアノの技量とは直接関係はないが、これだけは自信がある。

 私も彼女も、言い方は悪いが素人の「上手だね」は死ぬほど耳にしてきた。だから自分が上手な部類なのも自覚はしている。一方で自分の理想とは程遠く、未熟で怠惰な一面も自覚している。どうしても周りと比べてしまうし、周りの優秀さを感じてしまう。こんな話で盛り上がったことがあった。冒頭の彼女の言葉もそのときに出たものである。

 

 私は彼女の描く絵が大好きだ。何気ないラフスケッチも、完成された作品も。本当に上手だし、絵心なんてものがない私からしたら同じ人間が創り出したということが信じられないものばかり。なにより、彼女の高校時代の頑張りだってよく知っている。誰がなんと言おうと、私にとっては「誰よりも絵が好きな人」であることは胸を張って主張できる。そして、彼女がいう「自分はできない」という気持ちも十分に理解できる。彼女が悩みに苦悩するたび、私は話を聞いてきたのだから。

 

「この悩みを話せる人は中学の同級生だと本当にfinaくらいしかいないよ。大きな芸術という枠組みの中だと同業者でも、絵と音楽は180度違う。だけど思うことは似ているはず。finaだってそうだよね。」

 

 この一言は彼女からの最大限の賛辞だった。お互いが共感し、私が彼女を認めるのなら、その逆も然りである。しかしこれに気付くのは遅かった。彼女はきっと、「持つべき自信は持つべき。だからこそ頑張らないとね。」という意図を含ませて言っていたはず。にも関わらず私は、美大生と高校生という肩書きを比較し勝手に「結局、自分は理想と程遠い、周りと比べてもダメなやつ。彼女と比べてもダメだ。」とこじらせた自虐オチで納得してしまった。

 素人と上位層の二項対立に挟まれながらも、自分の力量を自負し努力を続ける彼女から、私は認めてもらっている。今だからこそ言えるが、とても嬉しいことだ。これくらい素直に受け止めておけばよかったと痛感する。ここまで彼女に言わせておいて、私はなお自虐癖から抜けられず自己憐憫の快感に浸っていた。

 

 彼女になんて言おう。「あそこまで言ってくれたのに、ひねくれたことばっかり言ってごめんね」かな。いや、まずは素直に褒めてくれたことを受け止めるところから始めたいな。「ありがとう、頑張るね」これを彼女に伝えるかは、もうちょっと考えよう。

 

 そしてこれは、いよいよ私は自虐から卒業するときがやってきたことを意味するのかもしれない。ちょっとだけ自信がついたし、なんだか音楽がやりたくなってきた。そう、私は決して下手ではないんだ。ならそれを維持する程度でもいい。別に音大生じゃないんだし。肩の荷が下りた感じがした。心から楽しんで音楽をやってみたい。そう思えるんだから、また少しだけ頑張ってみよう。彼女が覚えているかもわからない、僕の出したCDのジャケットを彼女にデザインしてもらうという口約束を叶えられる程度には。

 

 

次回はホリィ・セン @holysen の記事です。ぜひお読みください!

holysen.hatenablog.com

新歓リレーブログ企画 リンク集

みなさんこんばんは〜

サークルクラッシュ同好会新歓リレーブログ企画を開催していたろくじ(@rokuzi_am6)です。

(一応)全ての記事が出揃ったので、リンクまとめを作成しました。

まだ投稿されていない方も投稿し次第追記するのでいつでもご連絡ください〜。

 

1日目
ろくじ(@rokuzi_am6)
新歓リレーブログ企画「あなたにとってサークルクラッシュ(同好会)とは?」

am6.hatenablog.com

 

2日目
藍鼠(@indigo_mou5e)
誕生日に生き方の転換ができた話

indigomou5e.hatenablog.com

 

3日目
桐生あんず(@anzu_mmm)
6年間ほど在籍していたサークルクラッシュ同好会を卒業しました

kiryuanzu.hatenablog.com

 

4日目
なんたい
サークラ同に入った理由とか性癖とか反省とか

mollusca113.hatenadiary.jp

 

5日目
永井冬星(@tosei0128_)
摂食障害はつらいよ 社会不適合者はたまにはサークラ同好会に帰りたい

everwell.hatenablog.com

 

6日目
雪原まりも(@uhn58)
半導体製造工程で学ぶメイクの基本

circlecrash.hatenablog.com

 

7日目
やまのまひろ(@KALAMASAHIRO)
楽しい学生生活と、初めてのクラッシャーの思い出

yamanomahiro.hatenablog.com

 

8日目
さら
マンションの11階で生きていること

circlecrash.hatenablog.com

 

9日目
Silloi(@silloi93)
(記事削除済)

 

10日目
まるちゃん (@marusingfire)
「ひと休み」のススメ ~サー同はいつもあなたのそばに~

marusingfire.hatenablog.com

 

13日目
ちろきしん(@taikai_sha)
ホリィ・センに勝ちたかった

nakanoazusa.hatenablog.com

 

15日目
ホリィ・セン(@holysen)
サークルクラッシュ同好会とは何か? その戦略の全貌

holysen.hatenablog.com

 

16日目
こじらせ神(@Help_MyKojirase)
私が「こじらせ神」になった訳

koji-rase-god.hatenablog.com

 

17日目
せーや(@seiyann1224)
ルッキズムに堕ちる

circlecrash.hatenablog.com


全部で14人の方にブログを書いていただくことができました。ご参加いただきほんとうにありがとうございました。
投稿に至らなかった方もいらっしゃいましたが、「書くよ〜」と言っていただけたことがとてもうれしかったです。
この企画が、書かれた方と読まれた方の何かしらの役に立てていることを祈っています。

サークラは随時会員募集中です。現在活動はdiscordを使ってオンラインで行っています。ぜひお気軽にご参加ください。

 

ルッキズムに堕ちる

この記事はサークルクラッシュ同好会(以下、サークラ)リレーブログ2020の17日目の記事になる。

 

※私は2018年梅雨頃から2020年2月まで諸事情のためサークラに参加しておらず、乖離している箇所もあると思われる。また書き殴りである。

 

①私にとってのサークルクラッシュ

 まず、サークラに入った経緯を説明する。

 元々、私はゲストハウスに住み込みでフロントとしてアルバイトしていた。英語・中国語を活かせ、家賃も浮くこの生活に満足していた。しかし、老害のオーナーとぶつかることが増え、ゲストハウスから出ていった。ホームレスになるところだったが、さくら荘のリビングにしばらく泊まることができた。泊まり始めて数日後に男女二人組がやってきて、リビングで雑談することになった。結果、入会費も無料ということもあってサークラに入ることにした。単に入会費が無料というだけで入ったわけではない。なぜ私はサークラに入ったのだろうか?

 私は一年生の時に10個以上のサークルに入っていた。しかし、色んなサークルで人間関係に悩まされることになった。以下、あるサークル内における実体験である。Aちゃんは私のことが好きだった。Aちゃんが気になっているBくんは私に敵対心を向け裏で私の悪口を言いふらした。人間の醜さを感じた。結局、Bくんをサークルから追い出し、Aちゃんとも付き合った私であったが、付き合ってからAちゃんは自殺未遂を図ったり、包丁を振り回すなどメンヘラ的一面を見せ始め、壮絶な別れを遂げた。私はそのサークルとメンヘラ彼女が連想されるため、そのサークルを辞めてしまった。他にもサークルの幹部の先輩に告白されて振った都合から、サークルに行きにくくなり辞めたこともあるし、サークルの後輩と付き合い、別れた後も役職の都合上しばらくはサークルに残り、表面上は仲良くして凌ぐといった「サークルクラッシュ」を既に何度か味わっていた。

 そういった経験をしていた私にとって、サークラは非常に面白そうな団体に見えた。また、当時家なき子であった私は社会の主流から外れ、異端派になった人が多く所属しているように見えたサークラに同感を持てた。これがサークラに入った主要因である。

 私にとって、サークラは社会の主流に馴染めない或いは馴染む気のない方々と交流して、様々な思想を知ることで、自身の知見を広げる場であり、ジェンダー、メンヘラ、性愛、こじらせといった日常では話しにくいテーマを取り上げられる貴重な場になっている。それ故、やみを自己開示できるところがサークラの魅力と思われる。

 しかし、サークラは「サークルクラッシュ」が起こりやすい場所でもあり、承認に飢えたサークルの姫を生み出す温床と化している。男女比が偏っており、捻くれ姫に幾らかの男達が「囲っていない」と謳いながら囲っているように感じた。

 

②自分語り

 あなたは「ルッキズム」という単語を知っているだろうか。ルッキズムとは外見主義や外見差別といった意味合いを含んでいる。私は「ルッキズム」を数年前から言っていた。私は自身のルックスを気にしており、周りからも色々言われることが多く、昔から「ルッキズム」の事象に注目していた。勘違いされることが非常に多いが、私自身はルッキスト(外見差別主義者)ではない

 私は小学校高学年の頃から自分の顔が嫌いで、親にも文句を言っていた。しかし、小6の時に急に私のルックスが評価され、初めてのモテ期を味わった。中学生になってから現在まで自分のルックスに対する自分の評価と他者の評価に差があるように感じる。女の子が容姿が醜いだけでいじめられたり、ルックスを基準にグループが分かれる現実を中学の頃から認識していた。また、高校(特に大学)以降はチャラそうなどと言われ、外見のせいで勉強ができなさそうと扱われる現実と向き合ってきた。

 それから、私は日常生活の中で「ルッキズム」を見出し、批判的に考えた。元々捻くれている性格もあり、そこには偏見も多く含まれてしまう。可愛いルックスと若さを振りかざして調子に乗る女などが代表例である。

 しかし、私自身もルッキズムに堕ちていることを自覚してしまう。美女を見た時に私はルックスに頼り、苦労することもなく、チヤホヤされてきた人間と捉え、第一印象にヘイトが入る。しかし、話してみると、色々苦労している子もいる。そういう子には共感できる部分が多く、予想を裏切られて好感度がすごく上がってしまうことがある。結果的にルックスが交際に大きく影響を与えてきた事実に気づく。

 また、大学入ってからも深夜にファミレスに行き、勉強に投資してきたが、それも知的好奇心だけでなく、周りからの「勉強できなさそう、チャラそう」という偏見に対するギャップを作り出したいのかも知れない。

 また、私は「美人系」より「可愛い系」が好きである。男性に関しても、中性的で可愛い顔のイケメンが好きである(目の保養であるが、恋愛対象ではない)。昔、道場で怖い大人に怒られて殴られることが何回かあり、それが本当に辛かった。この経験が原因だと思うが、見た目に対する好みもある。

 以上から私自身もルッキズムの呪縛から解放されていないんだなと感じる。故に私は自己批判を続けており、容姿に関わらず皆に優しくありたいと思う。現在はルッキズムにうまく向き合いながら生きていく所存である。言いたいことは沢山あるが、長くなってしまうのでここで終わる。

 

 私はサークラにあまり参加しておらず、影も薄くトリを飾るような人間ではないが、現在のところ、私の記事をもって最後のようである。

 ご高覧いただきありがとうございました。

マンションの11階で生きていること

これはサークルクラッシュ同好会の新歓リレーブログ企画8日目の記事です。


おひさしぶりです、さらです。
なにも書けるものがありません。

しかし、それではカレンダーに空白ができてしまいます。なにか適当な文章はないかと、iPhoneのメモ帳を漁ってみると、ちょうど一年前の昨日の日記*1が出てきました。noteに掲載したけれど、露悪的だなあと思ってやっぱり消したものです。


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‪2019/04/19 01:01‬

がらがらとおしまいになる話
‪2019/04/19 01:01‬

‪東京に来てから、月経がきません。‬
‪私はこちらに引っ越してから、ベッドからほとんど動けませんでした。‬
‪それでも体は清潔にしなくてはならない。鉛のような体を引きずってお風呂場に向かい、洋服を脱ぐと肋骨が3本浮いていました。はっきり突き出た腰骨は叩くとよい音がします。肉でなく粘土でこねたお人形のような体。私はガラスと金属でできた体重計に足をのせます。足裏が冷たい。158センチの私はなにもかもが削げ落ち39キロになっていました。‬

‪端的に、痩せすぎたのだろうと思いました。‬
‪それでもなんだか不気味なので、最寄りの婦人科に行くと、わっとするほどの人集り。ここにいる女の人全員が女性特有の悩みを持たれているのですね。怖気がします。‬
‪婦人科は受付で一人一人に番号の書いたレシートみたいな紙が渡されます。そこに印刷してある番号で呼ばれるのです。一時間半ほど待って、お医者さんから「様子を見ましょう」と言われます。最後は紙についているバーコードを自分でスキャンしてお金を払いました。5000円。‬

‪家に帰って、私はメルカリで喪服を探します。なぜならば5月の始めに恋人の7回忌があるのです。‬
‪私は痩せすぎているから、5号のお洋服が必要。小さいサイズはなかなか種類がなくて、婦人科で支払ったせいでお金もなくて、私はようやく見つけた2500円の喪服を購入しました。‬

‪私はまだ越したばかりのここの住所を覚えていない。‬
‪以前、京都から東京のこの家まで宅配便を送ったので、その送り状を財布から抜き出すと、先ほどの病院の診察券が一緒に落ちてきました。
‪ねえ、これ、私の名前が間違っている、私はそらじゃない、私はさらです、私はそらじゃない、そらじゃない、そらじゃない、さら、さら、さら、さら。お父さんとお母さんが考えてくれた、世界で一番かわいい名前。‬

‪一つの些細なことで、足元からガラガラと私が崩れていく、それは誰かに言うと笑われてしまう、ほんの些細なことで、それなのに私はわあわあと泣いてしまう。‬
‪いけすかない病院で5000円も払ったのに、大好きな恋人の7回忌のためには2500円しか払えないのか、ちゃんとしたお店でちゃんとしたものを買うべきではなかったのか、次は13回忌なのに、あと6年も待つのに。生と死が、安くて陳腐な生と死が一日の中でひしめき合って、私はもう駄目になってしまう。それでも、ここから、11階のこの部屋から飛び降りない限り、朝はやってくるのです。‬
・・・・・・・・

おしまいです。
一週間くらい前、ひさびさに体重を測ったら47キロになっていました。43キロがちょうどよくで45キロまでは許せる、でも47キロは気持ち悪くて許せなくて、糖質制限ダイエットしていたんだけど、ちょうどさっき、中華料理さんでレバニラ炒めとチャーハンと餃子を食べました。人間って、炭水化物を抜くと性格がキッとなりませんか。わたしだけかな。このダイエットは、炭水化物はだめなのに、タンパク質をたくさん摂らないといけなくて、そのために食べたくないものをたくさん食べなくてはならないのが不快でした。全体的に食事を控えて運動をたくさんする方がいいなと思いました。

あとはなんだろう、もっと過去の話、クリスマスのアドベントカレンダーを投稿したあたりは完全なる躁状態だったのですが、その直後にコインランドリーで下着を盗まれて気持ちが陰り、それからしばらくして駅から家までの道のりで性被害に遭い、病院行けとか警察行けとか言われたけど、もうこればっかりは無理、限界ですと、土地を変えて人を巻き込んでいろいろやったのですが、結局死ねませんでした。
でも、それ以降は順調だった仕事にもまったく行けなくなってしまって、自分自身の調子の良さも失われてしまって。ああ、悲しい。ここは春が欲しくて春を奪う人でいっぱいです。でも、もう、こんな気持ちのまま、本当に春がやってきてしまったらどうしようと思っていたら、街が病気でわやわやして、外出自粛のお達しが出ました。桜は無事に散りました。東京はこのところずっと雨で、寒くて、まだ冬物のコートを着ています。4月もおしまいなのに、外で息を吐くと白くなります。わたしの願いで今年の春は死んだのだと思います。でも、そんなのただの偶然で、

あ、七回忌はちゃんと届いた喪服で参加しました。2500円で叩き売られていましたが、きちんとした生地でポケットにはしつけ糸がついたままで、見たかぎりは新品のようで、以前、急に手に入れたものよりも上等なくらいでした。なぜかわかりませんが、わたしは喪服がよく似合います、フレンチスリーブでハイウエストの黒いワンピースに揃いの黒いジャケットを羽織って、黒いストッキングに、黒い靴と鞄。玄関で鏡を見て、これはとてもかわいいなあと思ったのを覚えています。でも、そのあと入院したみたいで、

そう、一つだけ書くに値することがあります。去年のわたしの肉体はお人形みたいだったようですが、今年のわたしは、石の粉からできた粘土をこねて、お人形を作っています。去年の昨日、自分の体の写真を撮っていればよかった。肋骨の浮き出た女の子の人形を作ろうとしているのですが、今のわたしはあまりにも健康的な体つきで、少しも参考になりません。
とっくの昔に、東京の住所はそらで言えるようになりましたし、名前を間違えれることなんてあれっきりです。

ねえ、わたしまだ飛び降りていませんよ。

*1:わたしの投稿が遅すぎたせいで、正確には一年前の一昨日の日記

半導体製造工程で学ぶメイクの基本

※「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」6日目の記事です※

5日目の記事は永井冬星(id:tosei0128)くんの「摂食障害はつらいよ 社会不適合者はたまにはサークラ同好会に帰りたい」でした。ほっかいどう~

everwell.hatenablog.com

 

新年度です。

入学や入社で環境が変わった方も多いと思います。

大学生になる方、社会人を始める方、おそらくメイクを始める方も多いのではないでしょうか。

なにを隠そう、私自身が大学を脱出して会社人間になってからメイクを始めました。週末女装して過ごすことが多くなったからです。同じように、この春から週末女子を始めてみようと思っている方も多いと思います。

私はメイクを教えてもらうにあたって、サークルクラッシュ同好会のたくさんの方に教示をいただきました。興味深いことに、メイクのやり方や方法論は各人少しずつ違いがあり、メイクについて一人一人インタビューしてみるなんて企画を私は胸の内に温めていたりします。

この春は、私がメイクを習い始めて4年目に入らんとする春です。まったくメイクを知らないけど興味はあるという方に、今度は私が教える番なのではないでしょうか。もちろんメイクのやり方を教えてくれるサイトはたくさんあります。しかし、先ほども書いたようにメイクとの付き合い方は十人十色。メイクは学校の「教科」として編成されていない(けどみんなやっている)のでそれも当然です。だから、周知のテクニックでも私なりに「メイクとはこういうもの」という考え方とセットで提示するのには意味があるでしょう。この記事がthe happy fewに届くことを願っています。

そして女装男子を目指す皆さん、ぜひ先輩の後に続いてください。

 

メイクの目的

どんな技術にも目的があります。

生物のような行き当りばったりの「盲目の時計職人」とは違って、技術は人間の人間的な目的のために精緻に編成されています。メイクの技術。その目的は顔の印象を変えることです。もちろん若々しく、整った、魅力的で美しい顔面は相手の好印象を引きだすだけでなく、自分が相手に対して堂々とアピールする自信につながるでしょう。メイクが「武装」に比喩されるゆえんです。しかし、私はこれはメイクの目的をあまりに短絡していると考えます。老けメイクがあるように、メイクは当たり前からの逆行や逸脱を成し遂げる技術でもあるのです。

変化。変化です。

メイクは相手の印象を変え、自分の中の自分を変える技術です。

 

メイクの方法

では、以上の目的はどのような方法を通して達成されるでしょうか。それは、顔面の皮膚に様々な物質を塗ることによってです。塗られる物質が塗料(特に水に不溶な染色塗料を顔料といいます)、塗料が形成する膜が塗膜です。車の外装は塗膜に覆われてあのなめらかなフォルムを際立たせています。

メイクとは塗る技術です。

もちろん、メイクとは描く技術でもあります。多くのメイクの本はこの描き方に焦点を当てています。しかし私は工学的視点から、「いかに塗るか」に焦点を当ててメイクの技術を体系づけてみたいのです。これはすなわち、自分の顔の表面で膜がどのように形成されるかをイメージするということです。

 

メイクの道具

方法は明確になりました。次は、用いる道具について考えていきます。

道具は大きく分けて二種類あります。塗られる塗料と、塗るための工具です。顔には様々な部位があります。最も重要な部位は目、そして眉とまつ毛。それから口、鼻という開口部、額や頬や顎といった平坦部があります。それぞれに適した塗料があり、その塗料を塗る工具があります。しかし最も重要な工具は自分の指です。様々な工具はこの指の働きを補助するものです。そして、指の操作は目を通して入力される光信号を処理してフィードバックをかけながら行われますから、そのための光学機器(鏡)が必要です。あと、工具箱としてポーチがいりますね。

しかし、しかしです。これはメイクの半分しか見えていない!

人間の顔面はもともと塗料を塗られるようにできているわけではありません。ですから、塗料が顔面にうまくのるような下処理が必要です。私が言いたいのは、洗浄(クレンジングオイル)、研磨(髭剃り、毛抜き)、改質(化粧液、乳液)のことです。そうしてはじめて塗料がうまいこと皮膚になじみ、意図したメイクアップがもたらされるのです。

 

メイクをばなににたとへん

こうしたことは、もちろん日頃メイクをされている方は当たり前に、ほとんど無意識のうちに理解していることです。しかし、まったくメイクの習慣がなく、ゼロからメイクを始めようとするとき、この「コーティング」がうまくイメージできず、どういう道具をそろえて何を始めればいいのか途方に暮れてしまうのではないでしょうか。

いったいどういう技術と比較すればメイクをうまく説明できるだろうか。それはメイクをしない人にとっても身近でありふれた題材でなければなりません。そのとき私はひらめいたのです。この記事を読んでいるあなたが覗いているスマホ。その画面の裏で微熱を発しながら働いている半導体

これ以上に身近な題材があるでしょうか?

なんとなれば、その半導体はシリコン結晶を薄く切り出したウエハーという「顔面」に様々な塗料を塗りつけ微細な構造を形成することで作成されています。半導体製造工程は複雑多岐にわたり、全ての見通しをつけることはとても大変です。私が着目したのは、フォトリソグラフィという工程のコーティングです。ウエハーの顔面に意図した配線を描き出すのをイメージしながら、メイクの基本を納得していただければ幸いです。

 

ウエハーとはなにか

ウエハーは古風な喫茶店のアイスクリームについてくるお菓子のウエハーと同じ言葉で、薄い板を意味します。半導体は導体(金属、周期表の左側)と絶縁体(有機物など、周期表の右側)の中間に位置し、電気を一方向に通したり増幅したりします。そのために、周期表の真ん中にあるシリコン(ケイ素Siの純粋な結晶)にプラスやマイナスの電荷を持たせます。ケイ素は地球上に最も大量にある元素。安価で工業価値が高いです。半導体で言うウエハーは、シリコンの薄い板のこと*1です。

 

化学的・物理的研磨(洗顔とムダ毛処理)

切り出したウエハーの表面はラフで、そのままでは細かい配線を描き出すことはできません。それをできるだけぴかぴかに、真っ平らに磨き上げること。これをCMP(Chemical Mechanical Polishing/Platening)といいます。

CMPではスラリーと呼ばれる研磨剤を使用し、ブラシを回転させてウエハー表面の凹凸を削り落とします。どのように凹凸をなくしているのかのメカニズムは、物理的に研磨剤がぶつかるのと、シリコン表面への化学反応によるのとの二説があり完全に明らかにはなっていません。

人間の顔面もウエハーの表面と同じようにラフで、放っておくと垢がこぼれ皮脂が滲み毛が生えてきます。垢や油脂は普段使っている洗顔料で落とせばいいですが、問題は毛、特に髭、もみあげ、眉毛の処理です。

メイク前には(覚悟の問題ですが)顔面全体に髭剃りを当てるくらいのつもりで、ムダ毛を落とすことが工学的理想です。

もみあげや目元の毛は髭剃りで剃ればいいでしょう。眉毛の形は眉毛用の剃刀で整えるか、あるいはすべて剃り落すかです。形を整えるだけなら毛抜きで抜いてもいいと思います(私は抜いています)。眉尻の広がりと眉と眉の間の毛は必ず処理が必要です。口もとの髭はできるだけ深剃りする必要があり、青髭を避けるために抜ける範囲で抜いたほうがいいです(私は抜いています)。青髭は、コンシーラーやチークで補正できますが、女装の敵です。でも私はまだ脱毛には手を出してないです。

CMPはリソグラフィの準備として非常に重要です。ウエハー表面の平坦化技術によって数十ナノメートルレベルの正確な配線の転写が可能になりました。髭の処理は特に面倒ですが、CMPの重要性に思いを馳せながら鏡に向かってください

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表面改質(化粧下地)

顔面の皮脂や垢は顔の保湿や撥水、菌叢(バイオーム)のコントロールといった物理的・化学的免疫効果を持っています。これを洗顔料で除去し、髭剃りで傷つけてしまったわけですから、むき出しの皮膚をカバーする必要があります。さらに、これからメイクで塗布するファンデーションののりを良くする必要もあります。

CMPをした後のウエハー表面も、シリコン結晶がむき出しになっています。これに空気中の水分が反応して、シラール基(Si-OH基)が形成されます。ところがこれからウエハーの上に塗布するのはレジストという感光性プラスチックを有機溶媒(シンナー)で溶かし込んだものです。これは水と相性が悪く、この後の現像工程で、ウエハーとレジスト膜の間に水が入り込んで剥がれる原因になります。レジストがウエハー表面としっくりなじむように、表面の化学的性質を親水性から疎水性に変化させなくてはいけません。つまり、水っぽい表面を油っぽくする必要があります。

これを実現するのがHMDS(hexamethyldisilazane)です。シラザン(Si-N結合)を2つ持ち、ケイ素の先に6つのメチル基(Si-CH3)がついた、アンモニアのお化けのような分子です。これがシラール基をメチル基に置換し、自身はアンモニアに分解されます。

HMDSはどこが優れているのでしょうか?

ウエハー表面につくる配線にとって金属イオンは大敵。さらに、メンテナーやオペレーターが行き来するクリーンルーム人体に有害な物質はできるだけ出したくありません。そして大量生産の効く安価でシンプルな材料が求められます。これは化粧品にもある程度当てはまることです。古来、鉛や水銀、ヒ素を用いた顔料で多くの中毒者が出ていました。現在は(動物実験などで)安全性を保障された顔料が使用されています。

閑話休題。化粧水は水にアルコールやグリセリンといった、ヒドロキシ基のついた保湿成分を配合したものです。HMDS処理とは逆のことをしているわけですね。この後乳液を塗りますが、そこには界面活性剤が含まれていて、油との相性を良くします。つまり、皮脂の代わりをしているわけです。そして、その後に塗るのが化粧下地です。HMDS処理がプラスチックのレジスト膜をウエハー表面になじませるように、化粧下地は皮膚とファンデーションをなじませ、汗でファンデーションが浮き上がらないようにする働きがあります! 

まとめると、

化学的・物理的研磨を行ったお肌は化粧水や乳液でケアし、化粧下地で表面改質をする

ということです☆ 

納得できましたでしょうか。ちなみに、HMDS処理ではオーブンで200℃以上に加熱してHMDSを完全に分解し排気・乾燥させますが、私は時短のためにスキンケアの後にドライヤーを使うことがあります。いいのか悪いのかはよくわかりません。

ナチュリエ スキンコンディショナー 500ml

サナ なめらか本舗 乳液NA

ビオレ UV さらさらパーフェクトミルク SPF50+/PA++++ 40ml

セザンヌ 皮脂テカリ防止下地

 

スピンコート(ベースメイク)

半導体のコーティングには大きく分けてCVD(Chemical Vaper Deposition)とスピンコートがありますが、前者はガス状の気体原料を熱や光で励起して表面に積もらせていく方法でメイクには全く参考になりません。ここではレジスト塗布の一般的な方法、スピンコートを説明します

レジストとは文字通り抵抗resistする物という意味です。フォトリソグラフィは、レントゲン写真の要領で、紫外線をマスク(体)に通してレジスト(フィルム)に露光することでマスクの配線(骨格)をウエハー表面に写し取る技術です。レジストは光の当たった部分だけ溶け、そこがウエハーが削られて配線されます。ウエハーを削ることをエッチング、削るプラズマをエッチャントといいます。

かわいいですね♪

このエッチャントに抵抗するからレジストなのです。

露光するとき、紫外線がウエハー表面で反射することでレジストに干渉縞の段ができてしまいます。これを防ぐために紫外線を吸収する反射防止剤ARC(Anti Reflection Coating)を塗ることがあります。レジストの前(bottom)に塗るのをBARC、レジストの後(top)に塗るのをTARCといい、BARCは現像中に水が入ってこないように疎水性、TARCは現像中に中和して水に溶けるように酸性となっています。

レジストやARCをウエハー表面に少量(1ccほど)たらし、ものすごい高速で回転させて1μmほどの膜をつくるのがスピンコートです(回転数はレジストの粘度で決まりますが、およそ4000~6000rpm)。レジストは結構値段が張るのですが、表面に残るのはたらしたうちの1%程度、のこりは振り切れて廃液されてしまうというたいへん贅沢な方法です。無駄をなくすために、インクジェットの要領でウエハー表面をスキャンするケチくさい方法も開発されています。

スピンコートは配線の間を絶縁する絶縁膜を塗布するときも使われています。これには大きく分けてポリシロキサン(polisiloxane)とポリイミドがあり、それぞれSOG(Spin on Glass)とSOD(Spin on Dielectric)と呼びます。シロキサンはシラン(ケイ素)オキシゲン(酸素)アルカン(有機物)が結びついた構造で、これを加熱するとガラスglassのようにゲル化します。ポリイミドには感光特性を持たせることもできますが、SOGはもっぱら配線ででこぼこした表面の平坦化に用いられます。

……さて、これはメイクの話でした。

もちろん顔をぐるんぐるん!と振り回してメイクするわけではありません

しかし、すでに重要なキーワードがたくさん出てきています。紫外線の吸収はメイクにとっても重要なので、乳液や化粧下地には日焼け止めの成分が含まれていることが多いです(BARCの要領です)。そしてその上に塗るのがファンデーションです。ファンデーションfoundationとは文字通りメイクの「基礎」となるもので、顔面全体に一番大量に塗る化粧品であり、顔のトーンを決めます。

トーンにはイエローベースとブルーベースがあると言われています。人間の色覚は三つの錐体細胞の組み合わせで構成され、それぞれ波長の長い方から順に赤(Long)緑(Middle)青(Short)の光を吸収します。ということは、を吸収する物は目がを受け取ってシアンに、を吸収する物は目がを受け取ってマゼンタに、を吸収する物はを受け取ってイエローに見えるということで、この関係を補色と言います。*2

イエローベースということはどちらかというとを、ブルーベースということはどちらかというとを吸収する肌で、

イエローベースの人はを吸収するベージュ系のファンデーションを、

ブルーベースの人はを吸収するオークル系のファンデーションを

使う方がいいということになります。理屈では。ちなみに、この3色色覚を獲得したのは樹上生活をしていた私たちが熟した果物を見つけるためと言われています。

青髭を隠すのも同じ原理で、肌の下の髭が比較的を吸収して青く見えるので、を吸収するピンクオークのコンシーラー(スティック状のファンデーションで油分が多く、クマやシミを隠すのに使います)やオレンジのチークを使って目立たなくします。

ファンデーションにはもう一つ重要な働きがあります。それは毛穴の凸凹(でこぼこ)を埋め、凹凸(おうとつ)のないなめらかな肌にすることです。まさにSOGの働きですね。

最後に、こうやって何度も重ね塗りをするのはたいへん面倒ですね? 時短メイクのために乳液とファンデーションが一体化したBBクリームオールインワンファンデーションがおすすめです。*3

どうでもいい付け足しをすると、スピンコートではウエハーの縁にレジストが回り込んで残ってしまうエッジビードができます。これを放っておくとウエハー搬送の際に乾いたレジストが飛び散ってパーティクルの原因になるので、シンナーで洗い流し、さらに縁だけしっかり露光して現像時にもう一度洗い流すという手間をかけます。メイクでは反対に、エッジビード(生え際)の塗り残しに気を付けて、顔周りはウィッグで隠して小顔効果を狙うなどしてください。

ちふれ化粧品 BB クリーム 1 自然な普通肌色 BBクリーム 1

ミシャ M クッション ファンデーション(マット)No.23(自然な肌色) 15g

KOSE コーセー ノア スティックコンシーラー 02 (2.6g)

 

OPCをかけよう!(アイメイク)

ついに製造工程の本番、フォトマスクによる露光がやってきました。

ここで問題になるのは、マスクに描かれた配線をどこまで正確にウエハーに写し取れるかということです。

正確さを期すためにはマスクをウエハー表面にくっつけるコンタクト露光が理想ですが、そうするとレジスト剥がれが起こるので、一定の距離をおく縮小投影露光が行われています。しかしプロジェクターを思い浮かべると分かりますが、投影する画面にきちんと焦点を合わせなければ映像はぼやけてしまいます。レジストの厚み分の焦点深度を確保するために、露光の波長を短くし、屈折率を減らすためにレンズとウエハーの間を水で充たす液浸露光が主流です。しかし、たとえ焦点を合わせたとしてもマスクを通した光は干渉しあい、意図した像を結びません。そこで、干渉を見越してその分マスクをゆがめておくOPC(Optic Proximity Correction)で補正をかけます。

メイクの考え方も、このOPCと同じだと思います。人間の視覚効果に働きかけて、目を大きくくっきり見せる補正を行うのです。最先端の製造工程ではマスクを見ても投影する配線が分からないくらいOPCをかけまくるらしいですが、

同じくらいの意気込み目の周りにOPC(Optic Proportion Correction)をかけまくる

これがアイメイクです。

まずはアイブロウ

眉頭をぼかし、眉尻をかきたして柔らかな雰囲気をかもし出します。女装にはブラウンがよいです。逆に、眉頭が内側で目に近いと目鼻立ちがくっきりした印象になるので、男前に見せるには眉頭近めに、色はグレーでかくのがいいでしょう。ペンシルタイプが書きやすいです。

続いてアイライン

上まぶたから目じりにかけて黒く線を引き、目を大きくくっきり見せます。これもペンシルタイプがいいと思います。さらにアイシャドーをまぶたにかけて影をつくり、立体感をつけます。あと、邪道かもしれませんが私はブラウンのアイブロウで涙袋もかいたりします。

そしてつけまつげ

目が大きくかわいく見えるようになるので絶対やったほうがいいです。が、うまくつけるのが結構大変です。のりが剥がれて取れることもあるので、加減をつかむまで試行錯誤しましたがいまだに苦手です。つけまつげを毛抜きにはさんでつけようとして、危うく目に突き刺しそうになったことがあります。もしくは、アイビューラーでまつ毛を上げて、マスカラでまつ毛を伸ばす方法もあります。しかしビューラーもこれまた使うのが難しく、私はつけまつげ派です。

なお、カラーコンタクトレンズ

でひとみを大きく見せることでもかわいさが増します。ドンキホーテなどで売っていますが、購入には原則眼科医の処方箋が必要です。カラコンはメイクの前につけておきます。これもうまくつけるには練習が必要で、最初は両目に30分くらいかかると思います(かかりました)。

露光は半導体製造工程の要であり、露光機は半導体製造工場の数ある装置の中で最も精密で最も高価で、出荷台数に比べて非常に大きな市場規模をもっています。アイメイクも同じくらい、

手間と試行錯誤と課金を惜しまない姿勢

が求められていると言えます。

ニューボーン ダブルブロウEX N B2 グレイッシュブラウン

ちふれ化粧品 アイライナー ペンシル くり出し式 23

RiPiれるまつげ ふんわりeyss/ブラウン/フルタイプ

ちふれアイカラー

 

リップメイク

リップに対応する半導体製造工程は思いつきませんでした

こじつける要素がないわけではありません。スピンにかけるウエハーはチャックというパーツで固定するのが一般的です。チャックは、掃除機の吸い込み口の要領で負圧をかけて固定するのですが、ウエハーとの間に隙間があると空気が漏れ入って負圧が下がってしまいます。

しかも、ウエハーに薄膜が塗られていると、ウエハーとプラスチックの膨張係数が違うために温度変化によってウエハーに反りが出ることがあります。するとますますチャックとの密着が難しくなります。そこでチャックにリップという、ウエハーに柔軟にタッチする構造をつけます。負圧がかかればかかるほどリップはウエハーに押し付けられ漏れをなくす(シールする)ことができます。

この原理はベアリングの軸受けオイルが漏れないようシールするときに効果的に利用されていますが、このとき軸とリップが潤滑に接するようリップにあらかじめオイルを塗っておく必要があります。おっ、まさにリップクリームではありませんか? ただ、ウエハーを固定するチャックのリップにオイルを塗ることはありません

巧い説明が思いつかなかった言い訳というわけではありませんが、リップメイクはけっこう難しく、しかも女装ではちょっとけばくなってしまうのでそこまで力を入れなくてもいいかなと思います。色つきリップクリームが圧倒的におすすめで、女装にかんけいなく普段使いしています。冬は唇が荒れることも多いですし。リップグロスをつけると発色が良くなり、リップが映えます。まあ、メイクと言うほどではありません。

口紅は、ルージュを一つ買っておくとチークに使えて便利です。

メンターム 口紅がいらない薬用リップうすづきUV 3.5g SPF12

KOSE コーセー ノア リップグロス 03 ピンク系 (8g)

ちふれ化粧品 口紅(詰替用) 578 レッド系

 

こまめな洗浄(化粧落とし)

半導体製造工程における最大の課題、それは歩止まり(一つのウエハーから製品として切り出せるチップの数)の向上です。この歩止まりを下げるのが、パーティクルとよばれる様々なゴミによって配線が乱れ、チップが正しく動かないという問題です。そこで、最先端の緻密な製造工程になればなるほどウエハーの洗浄技術の向上が求められます。マクベス夫人よろしく、パーティクルを洗って洗って洗い落とさなければなりません

先に書いたように、工場では人間に有害で環境への負担が大きい物質の使用を避けるのが原則ですが、洗浄工程ではそんなことを言っていられません。きわめて有毒で危険な物質、フッ酸が大量に使用されます。高校化学で、ガラスを溶かすのでプラスチック容器に保存すると習う、あのフッ酸です。ウエハーは放っておくと表面が酸化されてガラスと同じSiO2の酸化被膜を形成します。この膜をパーティクルもろとも溶かして洗い流すのがフッ酸に期待される役割です。

他にも、ウエハー表面に残留する有機物を分解除去するために硫酸やオゾンが使用されますが、これも危険性の高い物質です。また、水が乾燥したときにできる斑紋(ウォーターマーク)を残さないように洗った後はIPA(イソプロピルアルコールで水を置換しますが、これも吸入すると神経や腎臓が冒されてしまいます。それでも私たちは澄み渡った清浄なウエハー表面を希求しているのです。

洗浄の大切さがお分かりいただけたでしょうか。

ところでメイクでも、肌に過度な負担をかけないためにこまめな洗浄が大切です。クレンジングオイルを使ってメイクを落とすまでがお化粧です。個人的に、メイクをしない日でもクレンジングオイルを使って洗顔したら肌がきれいになる気がするんですが、どうなんやろ。半導体製造工程のように、フェイスパックをしたり蒸しタオルを使ったり、お肌のケアに気合を入れるのが理想なのかもしれませんがそこまでしたことは私はありません。

それから、旅行先でもすぐにメイクが落とせるよう、ポーチには携帯用のメイク落としを入れておくのが便利です。

KOSE コーセー ソフティモ ディープ クレンジングオイル 230ml

ビオレふくだけコットンうるおいリッチ 携帯用 10枚

 

シミュレーション(アプリ加工)

SNOWやSODAを使えば、今まで書いたようなメイクがスマホの画面をいじくるだけでできてしまいます。ええっ、それじゃあリアルでメイクなんかしなくてもいいんじゃない!? と思われるかもしれません。しかし、話は逆で

これはけっこうためになる

と思っています。今まで説明してきたベースメイク、アイメイク、リップ、チーク、カラコンまですべて画面上で思いのままに操作でき、どういうメイクをすると自分の顔がどんな印象に変わるのかがシミュレーションできるのです。メイクの練習にこれを活用しない手はありません。

半導体メーカーも、CMP、スピンコート、ベーク(シンナーを蒸発させたり露光後に反応を促進させたりするための加熱)、露光、現像、洗浄などの物理的・化学的な振る舞いが様々な数理モデルによりシュミレーションされ、それをもとに製造プロセスを改善しています。レジストや絶縁膜材料の開発にもシミュレーションは不可欠で、ますます困難になる分子設計の指針を与えています。

ぜひ、自撮りをつかってアプリでメイクのシミュレーションをしてみてください。

twitter.com

written by 雪原まりも

 

↓参考文献 

 

メイクの超基本テクニック ~キレイになるメイクのプロセス・道具がよくわかる~

メイクの超基本テクニック ~キレイになるメイクのプロセス・道具がよくわかる~

  • 発売日: 2014/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

*1:一般のシリコンウェハーの場合、外寸は SEMIなどの業界団体で標準化されており、直径150mm(6インチ)の場合は厚さ0.625mm、200mm(8インチ)では厚さ0.725mm、300mm(12インチ)では厚さ0.775mmとされている。

ウェハー - Wikipedia

*2:

L赤ーMSシアン

M緑ーLSマゼンタ

S青ーLMイエロー

*3:

ところでお前はファンデーションに何を使っているのかと言うと、しゃ・・・シャネルなのだ。試供品をもらったけど、安いちふれファンデとは違って浮き上がらず、つやも自然で透明感があったのだ。

CHANEL シャネル ル ブラン コンパクト ラディアンス パウダリー ファンデーション