ヲタク・マウンティングがやめられない

 

はじめまして、みにょーると申します。アドベントカレンダーにトンチキなアカウントで連携しているのは、匿名性が高くてマトモに動かしている公開アカウントがアレしかなかったというだけなので、あまり気にしないでください。

普段はほぼサークラには顔を出さない(というより諸事情で出せない)女ではありますが、「拗らせ自分語り」というテーマでブログを書いてみたい!という衝動だけで参加させていただきました。他の方のテーマやブログを拝見する限り、明らかに俗物的で短絡的なテーマ、そして小学生のような文章力で色々と語る事は恥ずかしさしかしないのですが、参加させていただいた手前、何とか語っていこうと思います。よろしくお願いします。

まず最初に、このような機会を設けて下さったサークラ関係の皆様、ありがとうございました。

 

 

 

この世に生を受けてから2X年、所謂ヲタクとして人生を歩んで15年以上経った。

 

小学校低学年の頃、不二先輩に憧れていつか自分も青学のマネージャーをするのだと信じて疑わなかったのが、ヲタクとしての最古の記憶であろうか。伊角慎一郎に憧れて囲碁を始めたり、アスランとキラの死闘で涙を流した結果お年玉でNewtypeを買ったり、小学校のクラブ活動で下手な絵を描いたり、エヴァにハマって考察サイトや2ちゃんねるに入り浸ったり、ファンロードの事典コーナーで爆笑したり、コードギアス厨二病を拗らせたり、ファンサイトのパスワードを解読したりして、私はいつの間にか中学生になっていた。

 

今思えば典型的な「イタい」田舎のヲタクであった。誰にも構わず大声でアニメの話をし、所構わずアニメグッズを持ち込み、ボサボサの髪とクシャクシャの制服のスカートを振り乱し、興奮のあまりジャンプをすれば、巨体で教室を揺らす。

自分でもこんなのはやめなければならない、ヲタクは忌避されるイメージなのだ、と気付いていた。当時のヲタクにおける勝ち組の代名詞である「電車男」はあの時代に確かに居たのかもしれないが、大半の「電車男もどき」は燻り続けたまま、教室の端でひたすらイラストを描くのを遠巻きに見られているだけの存在だったのだ。

極端な話、そのような「イタさ」に関して陰口を言われ、虐め紛いの事でもされていれば、私の人生は良くも悪くも変わったのかもしれない。しかし何の因果か、人並みに勉強ができて、人並みに快活だったかつての私は、生徒会長や委員長といった真面目カーストの頂点に立ち、教師からの評判も得たことで、中学生レベルではそれなりの存在になっていた。かつての私にスマホを持たせたら、確実にイキリヲタクとして伝説を残していた事だろう。

完全に厨二を拗らせた状態だったが、受験に向けてひたすら勉強している時、「ヲタクじゃなくなるかもしれない」と初めて思った。そもそも、勉強を頑張った理由は「頭の良い高校に行けば、顔も良くて頭も良い理想の眼鏡男子に会える」と思ったからで、受験直前、スタードライバーのスガタくんのキスシーンを見ただけで情緒不安定になり、一度不合格になった人間のコメントとは思えないが。

 

高校に入ってからもそんな生活をやめられるはずがなく、声優ヲタクを拗らせたり、ヴィジュアル系を嗜んだりしていた。進学校にありがちな、ヲタクに限らず拘りが多い人間が多いという状況も私のヲタク人生を加速させていった。周りは楽しく恋愛したり、部活で青春を謳歌していたりしたが、私にはそんな事は関係なかった。私の楽しい事はヲタクだったのだ。

そんな生活や生来のメンヘラ気質もあり、1年間浪人した。禁欲を迫られるクソみたいな生活だったが、朝比奈祈織さんへの愛で人間性を辛うじて保った。我ながら人並みには頑張って勉強した。祈織様は高学歴でイケメンで何でも持っていて、そして馬鹿な女の子が嫌いだったからだ。彼を好きでいるのに相応しい私でなければならない。外見に拘っている余裕はなかったので、勉強をするしかなかった。せめて頭くらいは祈織様に相応しい女になりたかった。

 

当時第一志望だった大学に入った。祈織様はいなかった。大学生になって、金と時間を手にした私は、狂ったヲタクとして生きていた。わざわざ歴史を専攻するような歴史好きなど、基本ヲタク気質の人間しかいないため、周りを見渡せばヲタクしかいない環境も幸いした。その中でも狂ったヲタクとしてそれなりに有名だったのだから、本当に人生の全てが好きなものに支配されていたのだろうと思う。

しかし、しばらく経った後、一度だけ本当にヲタクをやめよう、やめられる、と思った事があった。本命の某男性声優の言動に勝手に失望して、ファンやら本人やらに嫌気が差し、久々にメンタルも悪化したからだ。その時、偶然3次元アイドルの王道、ジャニーズと遭遇する。かつての私にとって、ジャニーズはスクールカーストの頂点にいる人々の嗜み、程度にしか思っていなかった。選ばれし者達の選ばれし遊び。しかし、いつの間にかジャニーズの彼らは、私が手を伸ばしても構わないモノになっていたのだ。

………いや、そうではない。「今頃ジャニーズなんて」などという言葉が全てである。世間の常識では、恐らくジャニーズは思春期女児の通過儀礼なのだろう。それに気付いていながらも、ライブで隣になったカーストが高そうな高校生と同じ位のテンションで大騒ぎするのだから、本当に救えない。寧ろ、10年以上ヲタクをしてきた今だからこそ、偏見なく素直に、かつて経験できなかったモラトリアムの延長感覚で楽しむ事ができているのかもしれない。

 

ここまで語っておきながら、これは経歴ではなく遍歴なのだ。某本命声優に関してはガチ恋擬きの存在になってしまったし、三次元アイドルに走った所で二次元アイドルの追っかけも辞めることなどできず、草鞋を履き続ける生活を送っている。そして、不思議なことに草鞋を履く足は足りている。

好きな事を「好きだ」と堂々と言って、素直に楽しむのは、想像以上に難しい。それを知っているからこそ、この言葉を盾にして人生の中で1番楽しくて忙しいヲタク生活を送っている。

 

 

ここまで長い自分語りをしてしまったが、結局1番自分の人生の中で特異だったのは、今までの人生の中でヲタクを隠して生きていく事をしなかった、という事だ。

私の中の面白い話はヲタクをしていく上での面白い話だし、嬉しい話はガチャで目当てのキャラを引いた話だし、悲しい話はガチャで爆死した話やチケットが御用意されなかった話だし、恋愛は乙女ゲームの中の話だし、涙を流すのはライブやゲームの「エモい」シーンだし、全てヲタクをしている中で生まれている感情なのだ。勿論、普段の生活で感情が生まれないわけではない。しかし、生活の大半の喜怒哀楽が、私の生活の大半を占めるヲタク活動に支配されている。

 

しばしば、ヲタクは隠すべきマイノリティとして語られ、それが美学だと言われるフシがある。しかし、私にはそんな事はできなかった。「休みに何してるの?」と言われて言葉を濁すくらいなら、「寝てるかソシャゲしてるかDVD見てるかライブ行ってる」と言うし、「趣味は?」と言われて「音楽鑑賞(ジャンルは不問)」と答える位なら、「趣味じゃないけど好きな事はいっぱいあるよ」と言うし、「好きなタイプは?」と言われたら堂々と自担の名前を言う。自分の事を隠した結果、つまらない人間だと勝手に判断されるなんて、たまったものではない。せめて自己アピール位させてほしい。ペラペラで在り来たりな人生を、「節操のないヤバいヲタク」というキャラ性のハリボテで何とか形にしてきた惨めな私を。

 

私からヲタクを取れば、恐らく何も残らない。残るのは、薄っぺらな人生経験と、申し訳程度の流行への関心と、共通項がなければロクに会話も続かない、ただのつまらない人間だ。

私はヲタクを自称する事で、「〇〇」というひとりの人間として認識されているのだと思う。「〜くん好きだったよね?」「〜ハマってたよね?」などと言われると、恥ずかしさもあるが、少なくともそのモノが覚えられているうちは私も覚えられているのだ、とどこか安心する。あるいは、人並み以下の外見や性格を、「ヲタク」という免罪符のようなキーワードで補っているだけかもしれない。

 

 

アイデンティティなどと大層な事を言うつもりはない。しかし、今までの私は「ヲタクであること」を個性に据えてきてしまった。そして何よりも、私自身がヲタクである事を楽しんでしまっている以上、これからもこの生き方を変えないだろうし、きっとヲタクも辞められないと思う。また、いわゆるヲタク趣味以外の人生の楽しみ方を知らないことも大きい。こんな女が万が一、今好きな物たちに関心を示さなくなっても、また新しい何かにハマって、何かの「ヲタク」になるだけだろう。

 

かつて、そして今も、社会の「ヲタク」に向けられる目はそれなりに厳しい。しかし、「パンピ」になったところで、キラキラした「普通の女」と認識される、とは私は全く思えない。それこそ本当に今以上に何も個性がなく、自己否定だけが募っていくようなつまらない人間で、大衆にも馴染めない、癌的存在になるだけだ。他人に溶け込む事も必要だと思うが、つまらない人間だからこそ、自分を殺してまで「普通の人」に見られたいと思わない。だったら私は動物園の見世物でいい。存在がエンタテイメントでいい。他人に笑われてバカにされようが、何を言われようが、私と関わってくれる一部の人たちに1人の人間として認識してもらえるうちは、「節操のないヤバいヲタク」として生きていきたい。それが20数年間で身に付けた、私の承認欲求を満たし、人並みに楽しく生きていくための処世術だ。世間の大抵のヲタクは、普通にそれを隠して当然の顔をしてアイデンティティや個性を確立しているのだから、月並みの言葉ではあるが、本当に凄いと思う。そんな生き方が出来たら良かったとのに、とも無い物ねだりで思ったりするが、そんな事ができていたら、とっくの昔にヲタクなんてやめているだろう。

 

 

「処世術」や「アイデンティティ」などと大層な理屈や言葉で当て嵌めてしまう程の拘りに満ちた、他人にとっては大抵大した事のないもの、これが私にとっての「拗らせ」である。

これが私にとっては「ヲタク活動」だっただけだが、ヲタクとして生きる事で、何とか社会性やらコミュニケーション能力やらその他諸々、人間らしい感情も教訓も得てきたのだから馬鹿にできたものではない。有り体に言えば人生と言っても差し支えないのだ。 

 

残念な人生、ヲタク事しか語ることがない。

だから、ヲタク・マウンティングがやめられない。

 

  

明日は高科さん(@zibun_gatari)です。よろしくお願いします。

そして拙い文ではありましたが、ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。