不登校を選んだ僕と学校に所属し続けた君たち

こんにちは。サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー11日目担当の藍鼠(@indigo_mou5e)といいます。投稿遅れてすいません。。。
中盤くらいならそれまでの流れを真似ることができる上に、なおかつトリのような重要度もないと思って11日目に登録したのですが、これまでの記事見てみると良い文章ばかりで恐縮してしまいますね。まあやっていきましょう。やっていく他ないので。

 

人に言うと自分の中でそういうキャラが固定化してしまいそうなのであまり積極的に語ることはしないのですが、僕は小学5年生~中学3年生までの結構長い間、不登校生活をしていました。ある意味で拗らせとも言えそうな(ホンマか?)期間とその影響について語ろうと思います。

 

小学4年生までの僕のクラスでの位置づけは面白くて優しく社交的な人間というものでした。当時からマイペースなところはあったのですが、”変”ではなく”面白い”行動としてとられていたようです。

小学5年の春、クラス替えがあり、いじめが少しずつ起こりはじめました。あまり内容は覚えてないのですが、上履きを僕に取らせずにパスしあって最終的にゴミ箱に捨てるみたいなことがあったような気がします。クラス替えから1ヶ月も経たないうちに不登校に突入したのであまりエスカレートはしてなかったと思います。それでも僕は4月のうちに根を上げ、風呂の中で過呼吸になり、心配した親は次の日僕に「そんなに辛いなら今日は休んでもいい」と言いました。

その言葉が衝撃的だった覚えがあります。子供は学校には必ず行かなければならないし、休んでもいいのは病気にかかったときだけだと思っていました。

結局僕はその日学校を休みました。次の日はまた学校に行ったのですが、それから1~2週間行ったり行かなかったりという日が続き、最終的には全く行かなくなりました。

学校を休んで半年~1年くらいの間は自分がいじめられる環境に赴くのが嫌で休んでいたと思うのですが、6年生になった頃にはどちらかというと不登校になった人間として奇異の目で見られるのが怖くて学校に行きたくなくなっていたように思います。

何より、不登校を続けても周りの大人は「学校には行ったほうがよいが無理に行く必要はない」程度のことしか言わず、怒ることすらしなかったので僕の中で「子供は学校に行かなければいけない」という宗教的教義が完全に崩壊したのが大きいです。行かなくても制裁がないなら無理に行く必要はない。(わざわざ生活を大きく変えるのは)ダルいし。僕の小6~中3夏(不登校全体の7割程度)の不登校はそのような考えが基盤にありました。

今考えると(少なくとも僕の場合は)不登校は何も特別なことではなく、授業をサボる大学生と同じようなありふれた思考によって生まれたのだなと思います。小学生は何の問題もないのに学校に行かないということはあってはならないし、もし不登校なんてしてしまえば何らかの制裁があると信じて学校に行くことを選択しているんですね。宗教と同じ構造で面白いと思います。

 

話を元に戻しましょう。不登校時代に学校から離れて自分なりの価値観を育てた、みたいな流れを期待されるかもしれませんがそんなことはなく、不登校時代はただただ自堕落に過ごしてました(独自の価値観の形成は浪人時代まで待たれることになります)。TVゲームは下校時間まで許可されなかったのでインターネット(なぜか許可された)でyoutube2chまとめサイトやゲーム攻略サイトなどを巡り、夕方からはゲーム、ときどき親に病院に連れて行かれるので仕方なくついていくという感じです。病院は仕方なくという感じでしたが、病院で紹介されたスポーツ療法は不登校だったり特別支援学級に通っていたりする子と交流できたのでとても楽しかったです。「自分は不登校だ、だから普通じゃない、だから普通の子とは馴染めない」と思っていた(と推定される)自分にとって、”普通じゃない”彼らは壁を感じず話せる相手でした。

 

スポーツ療法の子達と話すことで自信がつき、こういった人たちの輪になら加われると思い、中学3年の2学期から特別支援学級のある中学に通うようになりました。とても楽しい生活だったと思います。個性的な人間も多かった気がしますし。特別支援学級の中には通常学級の授業に顔を出している子もいましたが、その頃はまだ”普通”の人たちから奇異の目を向けられるのが怖かったので僕には無理でした。

同じ理由で高校も普通制ではなく通信制の高校に入学しました。通信制といってもキャンパスがありそこで授業を受けることも出来るタイプの高校で、やはりそこにも”普通じゃない”人たちが居てやっぱり楽しいキャンパスライフが待っている、はずだったのですが、高校の”普通じゃない”は質が違いました。髪を染めている人間ばかりで、ヤンキーっぽい人が多いというのが当時の印象です。おそらくそれほどヤンキー性が強かったわけではないでしょうが、コミュニケーションの自信がなく線引きまくりだった自分にはなかなか接しづらい人たちでした。

2年に入ってからは何だかんだで友人グループを作り、放課後にカラオケ、ゲーセン、ダーツ、マックなど、青春を謳歌していました。今思い返しても当時の自分は人生で一番楽しそうだと思います。今自分は楽しいし、このまま大学に入り同じような集団に入れば同じような楽しさを享受できる。僕は成績もいい(小学校時代の話)し大学にも入れる。そういった宗教を信じていました。幸せですね。実際浪人することなく適当な大学(熊本県立大学とか)に入っていれば適当なオタクサークルに入って青春謳歌してた世界もあったかもしれないですね(ない(僕は決定論者なので))。

何気に高校時代に「普通の人間もこちらから何かしなければ僕にも何もしないし、最低限のコミュニケーションは取れる」ということを学んで普通の人間へのアレルギーを少し克服してたりしてます。線は未だに引かれていましたが。

 

さて、小学生時代に社会という宗教の「子供は毎日学校に通い授業を受けなければならない」という教義への信心を失った僕ですが、「良い大学に通わないと安定した仕事に就けない」「仕事をしなければ生きていけない」といった教義への信心は依然として存在していたので、高校2年秋には予備校に通い始めました。大手の予備校ではなく、個人経営の小さな予備校でした。これは普通の人間が居ると馴染めないとかではなく、単にその前に通っていた美大予備校と提携割引を行っていたからです。理由はともかく僕はまた普通の学生から縁の薄い場所に所属することになりました(ただ親によると大手予備校では不登校で無学の子とかマジ無理なんて言われていたようなので結局小さな予備校に行くしかなかったのかもしれません)。

結局僕はそこで2年浪人することになります。小さな予備校で、難関大学を目指す浪人生はほとんど居なく、また僕は同年代の友人が身近に居なくなりました。小さな予備校ゆえの距離感により講師たちとはかなり仲良くなれましたが、同年代の友人との交流は過去作った友人とたまに会うだけで、孤独に苛まれるというほどではありませんが孤独感は感じていました。

また、浪人1年目6月にTwitterを始めました。主に普段の考え事を吐き出す場として使用し始めましたが、興味深い人間の呟きを見ることにも使われだしました。これまでのドロップアウトで自分は社会のはみ出し者だという自覚があったからか、興味は社会とそりが合わないインターネット人間へ向かい、そのためこのころの僕は逆張り人間の傾向がありました。今もそうかもしれないです。逆張り人間だろうと何だろうとこの時期に常識への信頼がさらに失われたのは確かです。当時の僕のアカウントを見ると初めのうちは量産型大学生だったのがゆっくりと人間嫌いのインターネット人間になっていって面白いです(面白いので今度自分のブログでまとめます)。

 

なんやかんやで大学に合格。不登校特別支援学級通信制高校、(友人の居ない)浪人生活と”普通”な同級生から10年近くも離れた状態で僕はようやく”普通”の人間のグループに所属することになりました。そこで僕が感じたのは社会及び大量の同級生に画一化された大多数の大学生と僕との間の強い差異でした。教壇で教授がおはようございますと言うと低い声で挨拶を返し、教授が黒板に何かを書くと一斉にそれをノートに書き写す。そんな風にみんな全く同じ行動を取るのが奇妙でならなかったです。

生権力に矯正された人間が気持ち悪いなと思いつつも、矯正の有用さを感じることも多かったです。ノートを取ろうとしても書き方が分からないから取れない、同じクラスに振り分けられた人間と打ち解けるまでの物語が分からないので仲良くなることができない、など。矯正とは違うのですけど、毎日学校に行ってサークルに出てバイトもしている大学生の体力もすごいと思います。僕は学校とサークラ同好会で手一杯なので。
また、大多数の大学生と話して感じたことですが、彼らの話題からは制限された自由を感じました。社会にあらかじめ出していい話題は決められていて、状況に応じて出す話題を変える、みたいな。それぞれの人間は趣味、学部、サークル、出身地は異なりますが、話の本質はみんな同じことばかり。自分や他の人間を変人と称する場合すらも「このような人間は変人としてよい」というルールが背景にあるように見えました。許される(捕まらない)範囲で法を犯してアウトロー気取りになる不良のように。そんな風に本質は違わないのに表面的には違うように見せている人間を見たことも線を引かなくなった一因かもしれません。

結局僕は大学生とは距離を置き、画一化されてないように見える人間と細々と交流しながら過ごしています。今の僕は大多数の大学生のTwitterを見るだけで吐き気がしますし、絶対に彼らの近くには行きたくないと思っているのですが、それはそれとして、僕は今のように宗教を捨て不安定な中で生きるか高校生の頃のように個性なんてハリボテ程度しかないけれど現在・未来の幸福を信じて生きるかどっちのほうが良かったのかと考えることがあります。無論後者でしょうが、高校生の時点でアウトサイダー気取りだった僕はどうあれいずれ懐疑論者になってしまっていたと思います。幸せになりたいですね。

 

 

不登校を含めたドロップアウトの影響をまとめます。社会常識という強力な集団幻覚/宗教は学校やそれを取り巻く環境(親や教師)に蔓延していて、普通に学校に通っている限りは社会常識を疑うことはありません。しかし、不登校などで学校から離れた状態が続いてしまい少しずつ常識の信頼性が揺らぎました。常識に囚われなくなるというのは良いことに聞こえますが、社会常識から得られる基本的な生き方を自力で会得する必要があるため、リスクは大きいです。実際僕は社会で生きる力が不十分なまま社会に放り出されています。単に生来的に社会不適合なだけかもしれませんが。ただ、常識から離れることで自分と他人の間に線を引かなくなったなどの進歩などももちろん存在します。

また、集団に自分を合わせるように調整することも出来ないため、一般的な人間から一挙手一投足がズレます。ある程度社会の一部として生きていくのならばそこの調整も必要そうです。

ついでにいうと教師から聞いたことをただ覚える奴ら(学校に通っている人たちは割とみんなこうだと考えていました)と違って自分なりの方法で考えることができると自負してきたのですが、それにかまけて人の考えをインプットする能力がなくなり、車輪の再発明ばかりしています。効率悪いですね。

こういうと悪いことばかりのようですが、ちゃんと独力でも生きていける人間だったり、僕みたいに高校卒業してからやっと自分の考えを発達させたりしなければ良い価値観を持った人間になれると思います。パトロンが居ればなお良いですね。将来お金を稼いだら才能ありそうな小中学生のパトロンになって学校から引き抜いて天才少女を作りたいです。才気ある小中高生のみんな、学校を辞めろ。

 

最後に。拗らせ自分語りということらしいですが、僕は正直拗らせの意味がよく分かってません。「風邪を拗らせる」のような本来の意味からすると自分の中の悪性のものがさらに強化されたりさらに悪いものを呼び込んだりするという感じでしょうか。

それを踏まえてこの自分語りを見直してみましたが、特にこれといった拗らせがないように見えるんですよね。自分は社会からドロップアウトした駄目人間だ、自分はコミュ障だ、というキャラ付けを昔はしていましたが、それから連鎖して別の分野で何かを失敗することは特になかったですし、今はそもそも自分は○○な人間だという線引きをしなくなりましたし、恋愛感情が頻発するということもなかったですし。僕に全く拗らせがないというと多分嘘になりますけど(精神科に通うことで自分が病気であることを自覚し症状がさらに悪化したエピソードとか)、サー同の各位の中では拗らせは少ないように思います。嘘乙、お前のこういうところ拗らせやで、という声があれば是非僕に教えてください。僕も拗らせを理解したいので。

 

以上で僕の記事は終了です。長らく読んでくれてありがとうございます。

明日は複素 数太郎さんの記事の予定だそうです。お楽しみに。