どうしてこんなになるまで放っておいたんですか

クリスマスまであと10日ほどとなった。

日付感覚に疎くなる私のような怠けた学生にとって、こういったイベントが続くのはありがたいとも言えるけど、どちらかというと、「まっとうな人たち」が過ごすスケジュールの忙しさに驚くことの方が多い。

私は本来、サークルクラッシュ同好会にとっては部外者であり、観察者である。ホリィセンをはじめとする関西のメンバーと個人的に仲は良いものの、籍を置くでもなく、少し遠いところから冷笑的に活動を眺める謎の美女……というイメージをもっていただきたい。

 

今回、こうして企画に参加するのは、なぜか今自分が京都大学で学生をやっていることに一種の導き的なサムシングを感じたことがひとつ、もうひとつは、かなり個人的な懺悔のためである。

 

こじらせについて軽く触れておくと、私にとって、「こじらせ」は、自分をもてあますこと、それは肉体であったり、感情であったり、欲求であったり、金銭であったりするかもしれないが、とにかく「足りない」とはまた別の、「行き場のない」過剰な何かが、その人にとっての「こじらせ」であると考えている。

 

では私は何をこじらせているのか……話は逸れるが、京都大学は期待していたより面白くはないが、予想よりたくさんの「森見登美彦になりたい男」がいて驚いてしまった。こんな暑くて寒すぎるところで、モテたいだの誰が好きだの、何になりたいだの何が嫌いだだの、そういった高度な人間活動ができるわけがない。吉田キャンパスのどこにも留年を重ねて猫ラーメンを食べる大学院生なんかいない。みんなちゃんとした服を着て授業に来ているし、喫煙所以外ではタバコも吸わない、構内のネコはきちんとした学内の団体に「管理」されており、無断でかつおぶしなど与えると怒られる始末だ。

 

さて、話は戻るけど、私は何もこじらせてはいない。

色々考え回った末の答えがこれなのだ。女子をこじらせてという雨宮まみさんの著作があるが、やはりその基礎には有り余るほどの女性性があり、それがゆえにこじらせているんだなと解釈した。このアドベントカレンダーに参加している同好会員のこじらせの多くも、まず消化しきれないほどの「何か」があり、それに振り回されているという記号的な構図に変換できるのではないだろうか。

何もない私からしてみると、こじらせだーなどと言ってのたうち回る彼らがうらやましく思える時がある。童貞だとかそうでないとか、どの女が誰を好きだとか、誰に好かれたいとかいいねしてほしいとか、そういった悩みを抱く彼らは、私に言わせると「高度に人間的」である。

これは決して京大生的アイロニカルな視点で言っているのではなく、私は揶揄なしでPepperくんとタメ張れるくらいのアイデンティティしかないので、素直に自分が持たないものを持つ彼らがうらやましいのである。(私はコンピュータほど正確な計算機でもないし、今のところPepperくんに勝っている点は多くない)

 

つまり、こじらせ人間がありあまるエネルギーをもてあます平成の産物だとすると、私は何もかも足りていない世界が生み出した悲しきモンスターなのだ。

もっと言うと、このアドベントカレンダー、ちょうど半分のここまで全員がこじらせ人間、私という名の虚無虚無プリンちゃんをはさんで明日からまた全員こじらせ人間なのである。

 

「宇田川さんはいいよね、悩みなさそうで」と言ってくる人は多いけど、トンカツ食べたことない人間に対してヒレとロースどっちがおいしいかみたいなことを相談するほうがおかしいのだ。私だってトンカツが食べたい。

今はこんなだけど、いつか私もこじらせるようなエネルギーにあふれる日が来たら、大声で叫ぼう。めっちゃツイートしよう。

そのときはみんな全力でいいねを押してほしい。

 

短いけれど、この文章は私と同じ名前を持つ友人に捧げるものとする。

今思うと、その友人はあらゆる点でこじらせを発生させていた。私とは対照的だったぶん、お互いに補いあうことのできる関係だったと思う。

そう、いろいろと書いたけれど、結局私は「こじらせ人間」が大好きなのだ。

これを読む人も、次に書く人も、決してつまらん着地点で妥協せず、行きたいところまで行って、泣きたいだけ泣けばいい。後戻りも先送りもやろうと思えばできるのだ。

メリークリスマス!

 

宇田川 那奈(@uda_nana)