寂しくていいね

この記事はサークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2017の25日目の記事です。

 

“1人にしてほしい 1人でいたくない”

 

 

・高校生のとき、いつも一緒にいる仲良しグループはなかったけど別によかった。

1人でスマホを見てたし、親友は各々でやっていっていた。

でも1人教室でぼんやりしている時間は寂しかった。

 ・放課後は1人にしてほしい。

寄り道をしたいし、街を冒険したい。教室でなんとなく雑談に混ざってしまい、抜けるタイミングを逃しちゃうのは避けたい。

でもまたねも言わないでその場から消え去るのはいつも少しだけ寂しい。

・好きなバンドのライブには1人で行きたい。

そもそもそのバンドを好きな人が周りには見当たらないし。ライブ会場では1人なら立つ場所とかで困らないし、途中、移動をしてもいいでしょ。

でも会場で誰とも喋らないで帰るのは寂しい。

・大学では1人で講義を受けたい。

どこに座るかは毎回気分で決めたいし、授業中に隣を気にしたくない。

言っちゃえば移動も1人でしたい。

ちょっと購買寄るとか、ちょっと図書館寄るとか。突然何らかの行動を入れたくなるから。

でも大学でずっと1人なのは寂しい。

・飲み会で1人でいる時間は嫌いじゃない。

他の人が他の人と喋るのを見て、表情の動きとか見るのが好き。誰かが注文しようとしてお店の奥を見やっているところとかを見るのが好き。どこかの会話が耳に入ってくるのも悪くない。

でもずっと1人はやっぱり寂しい。

・電車は1人で乗りたい。

私はトイレが近いから、電車に乗る直前にトイレに行きたい。それを言い出すのは勇気がいるし、やっぱり恥ずかしいし、電車に乗ってもトイレに行きたくなったらどうしようという不安でつらい。1人なら好きに途中で降りられるのに。

でも1人で移動する時間はちょっと寂しい。

・好きなアイドルのライブにも1人で行きたい。

上のバンドと同じ理由もあるし、アイドルを見ているときの自分の表情は多分だらしないから恥ずかしいし。

でも普段の人との会話で好きなアイドルの話ができないのは寂しい。

Twitterでリプライが来るのが苦手。

知らない人から来たら特に。返信を送るということがどうしても下手で、どうも相手と同じノリになれてない気がしている。

でも一切来ないのは寂しい。

・LINEの返事が苦手。

気を抜くとすぐに「うーん……」とだけ送っちゃう。何か具体的な内容のある返事を書くのがどうも苦手。

でも誰からもLINE来ないのは寂しい。

TwitterのリプライやLINEで適当な雑談をするのも苦手。

自分が面白いと思って送っても思いっきりスベってるかもしれないし、相手が僕のように返事が苦手な人だったらと思うと送れない。

でも誰とも会話しないのは寂しい。

・夜は早く1人になりたい。

誰かといると自分の振る舞いに気をつけなきゃいけないし、相手の挙動にも気をつけなきゃいけない。自分のしたいようにできないのが嫌。私だけの夜は好き。

でも夜に1人はちょっと寂しい。

 

 

これらは救いようのない寂しさだ。一緒にいてくれる人ができたら1人にしてほしくなるだろうことが自分でも目に見えている。

 

オタクが羨ましかった。なぜか友達ができない。オタクになれなかった。正確には誰かと趣味を共有できなかった。「わからない人はそれでよろしい!」のスタンス、当然誰も反応してくれなかった。いや、わかっても私と君は親しくもないのだから君が反応を返すことはなかっただろうし、もし君から何か反応が来てたら私はその返事を書くのを面倒くさがっていただろう。

 

今や大学1,2回生がやるようなTwitterのノリがすっかりできなくなった。いや、したいなんて思わないし、私は今の自分のTwitterのスタンスがそれなりに気に入っている。でも人と気軽にやり取りする様子を見ると、たまに羨ましくなる。それになりたいとは思わないけど、羨ましくなる。

 

気づけばいつも一緒にいる人、なんていない人生だった。

いつも気兼ねなく喋る友達、なんていなかった。

数少ない友達は私とは別の、大切な場所がいつもあった。それは私も同じだ。

それなりに親しい(とこちらが思っている)人は、自分とは生きる場所が違う。お互いの場所でそれぞれ頑張って、たまに会って話すぐらいで、私はそれでいいと思っているし、これぐらいの距離感が結構好きだ。親友と思っている人とも1か月に1回ぐらいしかLINEをしていない。もう何か月も連絡を取ってないけど親友だと思っている人もいる。これでいい。これでいいはずなのに、たまに寂しくなるのはなぜだろう。

 

深夜に漠然と浮かんでくる「誰かと何かを話したいけど、話したいことなんてない。話したい人もいない」という寂しさ。

 

これでいいと思っているはずなのに、それでもどこかでこれではつらくなってしまう。自分の生き方を大きく変えることはできない気がする。この生き方、距離感を好きだと思う自分がいるから。でもこのままだと私は一生寂しいままなのだろうか。いいと思っている自分がいることを私はわかっている。これが私だと思っているのだから。それでもどうか、いつかの私はこの寂しさに押し潰されませんように。寂しさすら愛せてしまえますように。寂しくていいね。

 

 

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お疲れさまでした。サークルクラッシュ同好会会長のかしぱんです。12月1日からたくさんの人間が書き続けていた「拗らせ自分語り」も僕のこの記事をもってひとまず終了です。(書き終わっていない人がまだ追加してくれる可能性はあるけど。)書いてくれた(書こうとしてくれた)人たち/読んでくれた人たちに感謝を伝えたいと思います。書く人も、読む人もいなければ成立しなかった出来事です。

 

今回のアドベントカレンダーは「拗らせ自分語り」というテーマで各人が自分なりの「拗らせ」を言ってきたわけですが、改めて「拗らせ」ってなんでしょう。最後に「拗らせ」に対する私の考えていることを書いてみようと思います。

 

私は「拗らせ」の核にあるのは「つらさ」だと思います。*1*2(私の上の文章で言えば寂しさになる。)たとえば「拗らせ女子」という言葉が発明されるきっかけとなった(と私は思っている)雨宮まみさんの『女子をこじらせて』では、自分が女性であることを上手く引き受けられない(女性性の発露にどうしても違和感を覚えてしまう)体験談が書かれているわけですが、元をたどれば「この状況がなんかつらい」というのがあったのではないかと思います。「つらい」からこそ「このつらさはどうして生まれたのだろう?」「どうすればつらさが解消されるのだろう?」「そもそも自分はどうしてこうなってしまったのだろう?」といったように考えを巡らせるようになります。この巡っていくさまが「拗らせ」として考えられるものではないかと思っています。

小津君の記事の比喩を借りれば、靴紐が絡まっていてなんとなく歩きづらくなっている状況、この「歩きづらさ」にこそ「拗らせ」の根源があるんじゃないかなって思います。「歩きづらさ」の原因を考えてしまったり、それでも歩こうと何とか解決策を考えたりしますが、やはり「歩きづらさ」は残り続ける。じゃあ次はどうすればいいんだろう?こうしてみよう。やっぱりだめだ。。。こういう「つらさ」が続いていくことが本人の「拗らせ」になるんじゃないかなあって思います。

はい、考えは以上です。以下はおまけです。

 

この「つらさ」は消えないものでしょうか。生きづらさと向き合う作業はそれ自体が「つらい」です。それでもその生きづらさに向き合って拗らせの原因にある「つらさ」をよく見ていくと「そもそも自分がそのように生きてきた/生きてこざるを得なかった」というような状況が見えてくるのではないでしょうか。それがわかったときに、ではそのように生きてきた私を簡単に捨て、新しい私として生きていけるのでしょうか。それは難しいと思います。難しいからこそ「拗らせ」るんだ!

 

翻って他人の「拗らせ」が時折ひどく愛しく、愛らしく見えるときがあります。それはひたむきに自己と向き合っていくからです。(これはバカにしているとか、そういうのではないです。言葉にするのが難しいんですけど、「ああ、いいなあ」となんとなく思ってしまうような感覚を言っています。このアドベントカレンダーを読んできた人には少しでもそれが伝わるんじゃないかと思っています。)その人らしさ、その人のどうしようもなさみたいなものが「拗らせ」という状況ではあからさまになる。「君の言い訳は最高の芸術」です。君の「拗らせ」は君だけのものだよ。でもなぜだかそれは私でもあるように思えるんだ。

 

おまけも終わりです。

サークルクラッシュ同好会のアドベントカレンダー「拗らせ自分語り」もこれでひとまず終わりです。(明日以降も書ききれていない人の追加や、番外編の投稿があるかもだけど。)25日間ありがとうございました。

 

*1:私のこの考えは実は11月24日に東京大学駒場祭で開催された「こじらせ東大生の恋愛相談会」に参加した際に、登壇されていた熊谷晋一郎さんの「「こじらせ」って苦しいっていう状態がまずありますよね。」という言葉が印象的で、そこから考え至った(正確には「ああ、たしかにそうだなあ」と実感した)ものです。(これは私の記憶なので熊谷さんの発言はこのようなものではなかったかもしれません。事実と異なっていたらごめんなさい。)

*2:駒場祭のこの企画のために作られたHPも結構面白そう(まだ全部は私も読んでないけど。)きみも「こじらせ」てる?;東大生が恋愛の「こじらせ」を定義してみた【前編】 – こじらせ東大生の恋愛相談会