サークルクラッシュ同好会はお前を救わない

1、まえがきと保身と本日のラインナップ


 初めまして。ピチピチフレッシュな学部一回生にして新歓でサークラに入ったやべーやつ(自称)の、「なんたい(@nnnantai)」と申している者です。この度はサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー2018の5日目にて文章を寄稿させていただけることになりました。このような機会を作っていただきありがとうございます。よろしくお願いします。

adventar.org


 最初に断っておきたいのですが、僕は昔から本を読まない気質であり、またこうやって文章を書くのも初めて*1なので、日々のTwitterで鍛えた文章力と語彙力をフル稼働させてかろうじて言葉を紡いでいる状態です*2。読みづらい点が多々あるかと思いますが、暖かい気持ちで見て頂けるとありがたいです。精進します。

 さて、今回のテーマが「自分語り」とのことだったので、漠然とした自分の現状の生き方みたいな話とサークルクラッシュ同好会とを絡めたことを書いていきたいと思っています。いつの間にか猫の話とかしてたらすみません。


 ところでもうすぐクリスマスですね。クリスマスといえば、去年投稿された動画でとても好きなものがありまして。昨年ブームになったGetting Over ItというゲームのVOICEROIDによる実況動画なのですが、実況内容がゲームと全く関係がない雑談なので、少々長いですがよければご視聴ください。

 

 前置きが長くなりました。それでは、自分語り劇場のはじまりはじまり。


2、僕は僕を救わない


 自分で言うのも違うような気もしますが、あえて言うなら、僕はかなり”強者”であると自覚しています。

 それは例えば、教育や教養に投資できるだけの余裕のある円満な家庭に生まれたことであったり、マイナス評価を受けないレベルの顔をしていることであったり、浪人こそしましたが京都大学に入れるだけの学力を身につけられたことであったり、友人をそれなりに持っていることであったり、彼女がいたことであったり、最低限のコミュニケーションに困らないことであったり*3、極度なマイナス思考でないことであったり、メンタルが比較的安定していることであったり、ストレスで眠れなかったり吐いたりなどの症状がないことであったり、死にたいと思わず生きていることであったり。そういうコンプレックスを抱えがちなことを、拗らせずにここまで生きてこられた。

 絶対的な尺度ではそうなのでしょう。それでも、どこか満ち足りないのです。もちろん、「自分は満ち足りた人間だ」とは誰も思わない、ということは理解していますが、それでも、誰と比べても劣っているという感覚を持たずにはいられないのです。

 イケてる人にも、大学に入っても一層勉学に熱を注いでいる人にも、たくさんの友人と遊んでいる人にも、うまく話で場を作れる人にも、嫉妬します。僕もそうなりたかった。僕はそれ程までになれなかった。

 あるいは、家庭が不安定な人や、メンタルが弱くてよく病んでいる人や、リスカをしている人や、死にたいと思っている人に対しても、劣等感を抱きます。僕はそれらを抱えたらきっと上手く生きていけない。彼らは強くて賢くて優しくて、だからこそ苦しむのだろう、それに比べて僕は。

 そして、それらの満ち足りなさの全ては「努力不足ですね!」という言葉に収束します。つまり、「そう出来たはずなのにそうしなかったお前が悪い、お前の責任だ!」という内なる声こそが、僕の最大最悪の劣等感なのです。内なる声は僕を責めます。彼ほどイケてないと言ってるけど、お前はファッションや髪型について調べたりしたのか?彼女は賢くて羨ましいなんて言うけど、彼女が読書していた時間にお前は何をしてたんだ?あの人が眠れなくなるほど病む案件を、お前は寝る前でさえ少しも考えなかったじゃないか。

 僕はその声をすべて聞き流して、今日も嫉妬に苛まれます。


3、世界は僕を救わない

 

 自分で自分を満足させられない僕は、いつからか漠然と世界とか環境とかそういうものに救いを求めるようになりました。ある日美少女が降ってこないかな、みたいな夢物語から、有名大学に入って授業を受けていればモチベーションになるものが見つかる、とか、インカレサークルに入っておけば女子と交流も出来るしワンチャンもあるかもしれない、などの打算的なものまで、自分で自分を変える代わりに世界に自分を変えさせたいと願ってきました。

 しかし、思ったようにはいきませんでした。ある意味で”無目的に”そこに存在しているだけの人間に成り下がってしまったのです。そんな場所で何かを得られるはずもなく、何に対してもだんだんとやる気がなくなっていきました。

 結局、このアンチ努力人間は、環境が変わろうが世界が変わろうが、何も為すことはありませんでした。何も為さず、何も成長せず、ただ劣等感をぶくぶくと太らせ続けるだけでした。

 もしも神様がいたとしても、これだけ持って生まれた上で何もせず、資産を享受して人生を浪費する僕を救うことは決してないでしょう。力を持っていないながら努力して何かを勝ち得た人や、あるいは才能を活用して日々を生きている人の方が、遥かに偉大で守られるべき存在だと思います。

 でも、やっぱり救われないという確信は苦しくて、「救われたい!誰か助けて!」と願うのです。願うだけならタダなので。


4、サークルクラッシュ同好会は君を救わない?

 

 「助けない。君が勝手に助かるだけさ。」とは、小説「化物語」に登場する忍野メメというキャラクターの台詞です。彼は主人公たちに幾度も協力しながらそう言います。別に、助けることが出来なかった時に責任逃れをするための免罪符ではありません。これは、助けを求める人が必死に助かろうとしてその結果助かるだけであって、彼のしていることは力添えに過ぎない、という話です。「僕は鉛筆に助けてもらってこの問題が解けた」なんてことを考えないのと一緒です。確かに鉛筆がなければ答えは提出できませんが、問題を考え解いたのはその人間ですから、それは「人間が問題を解いた」とだけ言って差し支えないでしょう。

 サークルクラッシュ同好会はどうでしょうか。運営側からはよく「居場所をつくりたい」とか「サークル不適合者の最後の砦」みたいなことを聞くような気がします。「自助団体」なんて言葉も耳にします。そして、その考えに賛同してかしないでか、この団体は多くの会員を抱えています。

 「しかし、それらの言葉とは裏腹に、サークラ同は誰も救いません。救われたさでここに来た人々が、勝手に救われるだけなのです。サークラ同はただそれに場所と文脈を与えるだけです。」

 

 …みたいな感じの話も悪くないですね。実際それは誰かにとって正しいかもしれない。しかし、少なくとも僕にとっては、正しくありませんでした。僕はサークルクラッシュ同好会で救われることはありませんでした。

 だって僕はそもそも「救われるための努力をしていない」のですから。

 救われようとしない人に差し伸べられる手はありません。助かろうとしない人を助ける方法はありません。きっと僕は僕を救う何かを探してここに来たと思うけれども、なんと無力なことでしょう、サークルクラッシュ同好会はこんなにも苦しんでいるこの僕を救うことは出来なかった!というのがこの自分語りのオチです。誰も幸せになれないバッドエンドのなかにこの話は終わっていきます。

 けれど不満がある訳ではないです。だってそれは単に僕が救われようとしなかっただけだから。苦しさに目を瞑ってでも頑張ることを避けて、「お前の努力不足ですね!」という心の声から耳を背ける、そういう生き方の方が僕には楽に思えているのでしょう。

 さて、タイトルを回収しましょう。貴方ならどうでしょうか。何かに救われる覚悟はありますか?それとも、自分の”努力不足”を正当化して、「救われたいな。にゃーん。」とうわ言のように繰り返しますか?

 僕は楽な方を選べばいいと思います。


5、あとがきと所感と次回予告

 ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。後味が悪くて性格の悪さを前面に出した文章になってしまってすみません。書いてて楽しかったです!!(クソ)

 自己肯定感が3ミリしかないので、正負問わず反応を頂けると泣いて喜びます。信者になるかもしれません。狂信者を味方につけたい人は僕のTwitterアカウントにDMなどでコメントと「いついつに食事行きませんか?」って感じのお誘いをくださると幸いです。

 

 明日はダブル手帳さんです。よろしくお願いします。

*1:大学のレポート以外で長文を書いたのは高校の読書感想文か委員会資料以来だと思います。

*2:ちなみに、アドベントカレンダーと紐づけられているアカウントは、一時期使おうと思ったけど面倒になって放置しているアカウントです。ログインはしているのでDMやリプの対応は可能です。

*3:ハードルをかなり低めに設定しています。今後僕と話す機会がある人は注意してください。