支えとしての正しさとセルフコントロール

はじめに

この記事は、サークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2021の16日目の記事です。

 

京都で永遠に学生をしています、くらげです。

新入生の時に少しだけ活動に参加していました。その後は、卒業 結婚 再入学 離婚という感じで生きています。人生が上手ではありません。

離婚は、自分のなかのウエットでやわらかな部分をもう少し大切にしたいと思い、決めました。情緒は大事。

現在は、対人援助職を目指して2回目の学部生をしています。

 

「自分語り」「わたしにとってのサークラ同好会」がテーマとしてあたえられているので、「自分語り」をメインに、サークルクラッシュ同好会が自分に及ぼした影響についても触れています。

この文章を書くのは大変でした。大学入学以降、140字以上の長文をインターネットに放出していません。なぜ文章を書いて公に発信できないのか、ということにまず向き合う必要がありました。そしてそれがそのまま内容になっています。

 

自分語りは難しい

自分語りはサークルクラッシュ同好会の活動の核にあるけれども、それは私にとって簡単なことではない。自分の話をするのが難しかったので例会にはすぐに参加しなくなってしまった。

適切な自己開示は難しい。社会性をある程度保ったまま、自分のことを深く掘り下げて公開することは非常に難しい。社会性をある程度保ったまま、というのが大変だ。普通の人は自分語りをしないということを理解していたから、普通であるために自分語りをしないという抑制が働いた。もっとも、衝動的に露悪的なツイートをしてしまうことはよくあって、それはコントロール不全とみなしていつも後悔していた。私は、自分の振る舞いをコントロールして、出来る限りの適応をはかりたかったのだ。

 

自分が人にどう思われるかをコントロールしたい。相手が増えれば増えるほど自由度が失われて身動きがとれなくなってしまう。そしてインターネットに何も放出できなくなる。

 

むかし

どうしてそのように感じるようになったのだろうか?大人になろうとする時の普遍的なふるまいではある。自分の振る舞いをコントロールしたいという感覚が生まれたところまで遡ってみたい。

 

まずは自分が自由だった頃を思い出してみたい。中高生の時、メモ帳にHTMLをベタ打ちして自分のホームページを作り、詩を書いて、文章を綴ってブログに載せ、アルフーでリアタイブログをやっていた。とてもなつかしい。ゼロ年代のインターネットにどっぷり浸かっている女子中高生のテンプレだ。この頃の私は本当に自由で、とにかく書くことが楽しくて仕方がなかった。稚拙なものではあったけれども、書いたものとそこで表現された世界を大切に思っていた。そこではある種の自己愛が育まれていた。公開していたとはいえ、限られたアクセスしかなかったのであまり人目を気にすることなく自分の城を築いていた。

 

高校2年の春にTwitterを始めて、情報を持続的に大量に浴びることによって、すこしずつ自分の形と言葉のムードが変わっていった。幻想の世界に生きていたやわらかな自分はあまり目立たなくなり、タイムラインの中で文体が目立たないように適応していった。

いまでこそ、叙情的な雰囲気のアカウントを見つけることができるようになったけれども、当時はインターネットとの親和性が高い人たちがTwitterを利用している時代で、私が主に交流をしていたのは科学をやっているような人たちだったので、タイムラインは比較的カラッとしていた。そこには、客観的な正しさのものさしをあてることができるような、大人の世界があるように感じられていた。

 

理性によって適応してきた

このあたりから、自分の言動を外側から客観的に評価する目がどんどん厳しくなっていった。実家との葛藤が最も深刻だった時期でもあって、足場の脆弱さを補うために、自分を守らなければならなかった。理性によって自分の言動をより社会的で適切なものに変えていこうとする傾向が強まった。それがうまくいかないと世界から完全に見放されてしまうという感覚があった。主観的にはうまくいっていないという感じが強く、しんどかった。

(とはいえ、ふりかえってみると、安定した対人関係を保つことができていて、中高の友人や浪人時代の友人との繋がりは現在までちゃんと続いている。これはある程度、理性による適応の成果であるように思う。良い友人たちに出会うことができたのも幸運だった。)

 

サークルクラッシュ同好会の存在を知って、NFで会誌第1号を手にとってみて、そこで知ることができたサークルクラッシュに関する情報は、自分の言動をより社会的で適応的にするのに役に立ちそうだった。それは当時の言葉で言うと承認欲求の強さに心当たりがあって、人に好意を持たれたら訳がわからなくなるのが目に見えていたからだ。

 

警戒心を強めた私はそれから、徹底的に自他境界にバリアをはり、彼氏がいるアピールをし、異性に隙を見せないようにしていた。恋愛に対して過度に抑制的になってしまっていた。それが良かったのかどうか、いまとなってはわからないけれども、当時はそれが正しい振る舞いだと思っていた。抑制しないで実際に色々と経験しておくべきだったかもしれない。

 

正しさ

この頃、自分が寄りかかっていた正しさ、規範には3種類のものが混ざっていた。

1つ目は、科学的真理のような、学問が追究しているような真理の正しさ。ほんとうのことを知りたい、ほんとうのことに意味があるはずだ、という気持ちがあった。真善美のうち、真を志向する気持ち。これは進路を理学部か哲学科かで迷っていたところにもあらわれている。

2つ目は、適応的であるべきであるという規範。生活のなかで、社会のなかで、うまくやっていくことが大事。精神疾患の知識と発達障害に対する対処を少しだけ知っていたため、その延長で、生活していく上でのさまざまな振る舞いについて、それが正しいもの(=適応的なもの)なのかどうかを常に判断する感覚があった。

3つ目は、道徳的な規範。他者を傷つけるべきではない。恋愛でいうと、思わせぶりな行動はとれないし、浮気や交際期間の被りなんてありえないと思っていた。潔癖だ。これは反出生主義への気持ちや職業選択にも繋がっている。

 

真理は心強くて適応は実用的、他者を傷つけるのは生理的に無理。これら3つが結びついて、私の振る舞いを規定していた。

 

正しさには強さと安心感があって、そこから外れるのは非常にこわい。潔癖さは弱さからきていた。葛藤を抱え込めるだけの余裕と弾力性が私の心にはなかったし、複雑な現実をそのままに受け止められるように心の襞を発達させられていなかった。セロトニンというオブラートで現実を包み込んでしまうことも、私の脳は苦手としていた。

この世界で生きることを支えるために手に入れる必要のある、虚無感に負けないくらい力強い何か。世界に受け入れてもらうために、自分に何か足りていないものを補ってくれる何か。それが、なんとか生きることを支えてきた。

 

これから

そろそろこれらをある程度の手放すべきなのかもしれない。もうこんなに支えがなくても生きていける気がしている。本当はこんな文章、公開したくないけれど、強迫的なセルフコントロールから逃れるための試みのひとつとして、公開してみたい。多少は間違ってもいい。

私はこれから、正しくありたいという欲望を背景とした抑制を少しゆるめて、もっと自然に自分が生き生きとしていられるように、正しさを支えにするのではなくてふわふわ浮力で漂って、いけるところまでいけたらいいと思う。

 

 

さいごに

アドベントカレンダーか〜〜と思って覗いてみたら1日だけ枠が空いていたので勢いで登録してしまいました。しかし1週間では書けなかった……。かなり遅れてしまって、申し訳ありません…。

とても苦労しましたが、書いてよかったです。文章をアウトプットしている人たち、こんな大変なことをずっとやってきているんですね。見習いたいな。

読みにくかったかと思いますが、ここまで読んでくださってありがとうございました!