『さら、頭をよくしてあげよう』
ピアニストは素直になれず、今日も自虐を繰り返していた
サークラ・アドベントカレンダーへようこそ。藍鼠さん @indigo_mou5e からのバトンを受け取り、本日はわたくしfina @fina0539 が担当させて頂きます。このたびサークラへはじめて寄稿させて頂きました。初めて私を知る方も多いと思うので、軽い自己紹介をします。今年度大学生になれなかった(受験さえしなかった)浪人生&留年生です。肩書きはまだ高校生です。つまり中卒です。中卒の書く文章ですので、大層読みにくいと思いますが、どうぞお付き合いください。ちなみにタイトルではピアニストなんて言っていますが、大したことないです。ただの下手なアマチュアです。
と、こんな調子で私はよく自虐をします。今回は、「自虐」をテーマにしました。こんなクソみたいな前置きはとっとと終わりにして、本題に入りましょう。
執筆のきっかけとなった当事者研究
2020年10月30日、サークラの例会が開催された。テーマは「心を開くこと」について。各々の思う「心を開くこととは何か」であったり、最近心を開けた体験などが活発に語られたが、その中で「自虐」の話題が挙げられた。多くの参加者が「ネガティヴな自己開示」ができる相手こそ心を開ける相手だ、という意見を述べていたものに対し、「ポジティブな自己開示」があってもいいのではないかという意見が挙がる。続いて、「ポジティブな自己開示」はマウンティングに繋がりかねないが、そもそも何故マウンティングになってしまうのかという疑問に対し、私が「インターネットの文化がSNS等の台頭により自虐文化からマウント文化に変わったからでは?」という意見を述べ、そこから自虐について話が転がっていった。トークスキルとしての自虐、自己憐憫に近い自虐、謙遜のための自虐…どうやら自虐にも様々な種類があり、いろいろな人がいろいろな場面で用いているようだ。
読者の皆さんも、何気ない場面で自分を低く言ったり、「自分なんかダメだよ」とネガティヴモードで話すときは少なくないだろう。そして、自虐についての話は私にとっては非常にタイムリーな話題ネタであった。私が自虐をとても気にするようになったのは、去年の秋頃に遡る。
私と中学の同級生の話
私はピアノを嗜んでいる。幼少期は音大を目指していたほどのガチ勢だった。しかし中学の頃に挫折を経験し、それがきっかけで中学は不登校だった。高校は定時制に通わざるを得ず、今ではさっぱり弾けないアマチュア風情のド素人である。ああまた自虐してしまった。実際は今でも音楽自体は継続しているし、人並みに程度には弾ける。
そんな私には中学時代の同級生で、いまは美大生の友人がいる。私もアマチュアとはいえ音大志望生の端くれであり、彼女は「芸術系学科に学籍を置く、他ジャンルだからこそのクリエイターとしてのライバル」といった存在といえるだろう。彼女が学校の課題に追われ修羅場だったときは力を貸してきたし、私も昨年は大きな音楽の制作に取り組んでいて、色々と助けてもらったものである。少なくとも私は彼女を心から尊敬しているし、お互い気兼ねなく音楽・美術の込み入った話ができる仲といったところだろうか。
昨年秋、そんな彼女に「なぜfinaは自虐ばかりするのか」とツッコまれたことがあった。正直無意識だったが、確かに彼女と話す際はよく自虐している。「次から自虐するたびに1ポイントずつ加算するから」という意味不明な提案をされ、それからはよく気をつけようとした。ちなみに、どうやらこのポイントは溜まったから何らかのペナルティを課されるものではなかったらしい。1年ほど経過した今では、制定されたルールさえあやふやとなってしまっているが、この自虐ポイント制度制定は我々の会話において国鉄分割民営化ほどのインパクトを与えたことは間違いない。
何故私は彼女の前では自虐するのか?そんなことを考えるうちに、私の中に存在する様々な思惑が見えてきた。
自己分析をしてみた
謙遜型自虐
まず、私は素直に人を褒められない。私の大きな課題である。自然に人を褒めることに何故か恥ずかしさを感じてしまうのだ。人に音楽を教えるとき、褒めて伸ばすべきだと思っていても「上手になったね」という一言をかけられず、淡々と教え続けてしまうという癖を自覚したのは最近だろうか。その割に叱るのも苦手なので、なんとも中途半端な指導者になってしまう。このあたりは職場で新人に仕事を教える際に修正をかけていったので、最近は少しマシになったものの、依然として要改善点だろう。
恐らく、私は彼女に対して素直に尊敬の念を伝えることができていない。いや、褒め下手な私が不自然に言葉を取り繕った結果不自然なお世辞に聞こえてしまうことを気にして、どうしたら受け取ってもらえるかを考えた結果なのかもしれない。だから自虐に走り、過渡に謙遜し自分を下げるところまで下げないと、「褒める」言葉に信憑性が生まれないのかもしれないとも解釈できる。謙遜として、「いやいや私なんて」とへりくだることは至って当たり前な会話術だが、どうやら私はそれが行き過ぎていたようだ。
自己憐憫型自虐
次に、最も重要かつ深刻な部分である、「自分のなかのコンプレックス」について触れよう。大きな挫折を味わった私にとって、不登校レベルのどでかい失敗を経験せず美大に通えているのは嫉妬の対象にもなり得た。そんな彼女が私に向ける尊敬の意は素直に受け取れば受け取るほど、「じゃあどうして僕は音大に行けなかったんだ?」と自己肯定感がガリガリと削られてしまう。ならば最初から「自分はたいしたことない」と納得しないことには、彼女に対する尊敬と、自分に対する情けなさの折り合いがつかない。そうして私は自虐をする選択肢を取り続けたのかもしれない。まさに自己憐憫である。
別に哀れんで欲しいわけじゃない。慰めてほしいわけじゃない。でも、心の奥底は不安だらけだ。未来に恐怖し、何もできない無力感に苛まれ、失敗経験を引きずりながら常に生きている私にとって、そういった本音を少しでも言語化できる時間は、ほんの少しだけ心地良い。いや、かなり心地良いのかも。なんだ、自分は人を褒められないだけじゃなくて、弱音さえ正直に言えていないじゃないか。
オチ自虐
最後に考えられる理由として、「話のオチ」としての自虐だ。私は常に人と会話をする際には頭をフル稼働させており、そのため話のオチというものを極端に気にしている。オチのない話をだらだらと続けるのは相手に申し訳ないという自分のなかでの理屈のもと、マシンガントークを展開しては呆れられることがよくある。その是非はともかく、私は内容が伴い、そしてオチのつく話に拘る癖があり、単に自虐ネタは使いやすい。「今日学校行く時財布忘れたんだ」という何気ない話にも、「だから俺って発達障害なんだな、アッハッハ!」という自虐を伴ったオチを用意すれば何故かまとまったようになると感じられるため、こうしたテクニックに甘えてしまっている感は否めない。
どうやら、本当に自虐にはいろいろな種類があるらしい。更にタチが悪いのは、私の彼女に対する自虐は複数要素を兼ね備えていた点である。
補足:finaは自傷しないの?
思えば私の自傷行為の入門は、小5のとき旅行先の松江城で号泣しながら、道に落ちていたデカめの石で左手の薬指を叩き潰すという割と入門にしては早期かつ超上級な手法だった。母親に大層悲しそうな顔をされたのもそうだが、なによりピアニストなんだから自分の手は絶対に傷つけてはいけないという自覚が芽生え、「何があっても自分の手だけは傷つけてはいけないんだ」という意識を持つようになった。とはいえ根本的な自傷願望とそれに伴う快感も理解しており、その逃避先としての自虐という意味合いは自分からすれば納得がいくものだ。皮肉なことに、その直後の小6夏に自転車でズッコケて全治半年の骨折を経験し、物理的に手を破壊している。やっぱり私に自傷は向いていない。
素直になれない自分
改めて振り返ってみると、私は口下手だ。どうして素直に相手に尊敬を伝えられないのか。一つだけ心当たりがあるとすれば、そもそも褒められ慣れていないことだろう。常に自分の理想が高い完璧主義者なため、自分のなかで完璧でなければ自分に向けられた称賛の言葉も全て素直に受け止めることができない。自分が素直にポジティブな意見を受け止められないのなら、当然相手にも言えるはずがない。
確かに人は謙虚であるべきだ。過信ばかりしていては嫌味なヤツになってしまうが、だからといって素直に人の好意を受け止められないことも問題だとようやく気付くことができた。人が自分のことを認めてくれるって、なんとも素敵だし嬉しいことじゃないか。だったら素直に受け止めて、それを自信に繋げていくことも大切だ。低い低い自己肯定感を高くする手がかりになるこの小さな気付きを、私は大切にしたい。
自己肯定感が低いからといって他人が凄いわけじゃない
アイドルの原義が偶像であるなら、私の親友たちはみなアイドルだ。彼らは実像を持ち実態として存在しているが、「私にとって親友は○○な存在だ」という私の認知のみで作り上げられた偶像としての親友もまた存在している。私の友人たちは皆が素晴らしく、尊敬に値する人物ばかりだ。もちろん、同級生の彼女もそのうちの一人であることは間違いない。そんな彼らの頑張りを見るたびに、私も頑張らなくてはと鼓舞される。そう、尊敬は憧れでもあるのだ。アイドルのように私に元気を与えてくれる憧れの的、こんな一面が私の親友に内包されているのかもしれない。
もちろんこれが全てではなく、私にとっての親友はバカ騒ぎしてバカ笑いしたり、何気ない相談ができたり。気兼ねなく話せて、好き勝手言える相手でもある。でも、当然リスペクトもしてるよ、ということなのかな…。よくわからなくなってしまった。何にせよ突然アイドル呼ばわりされ、尊敬だの憧れだの言われた親友たちの気持ちを考えてみたらいたたまれなくなったので弁解させていただきたい。
では、私の尊敬する対象は常に完璧なのだろうか。そんな筈がない。彼らだって人間だ。失敗だってするし、弱音を吐くときだってあるだろう。しかし、私はその事実を失念しがちである。自らを呪縛する完璧主義が他人にも及び、「彼らは完全無欠であり、常に私の先をリードしている」という先入観に支配されていることに気付いた。相手が完璧でなければ褒められないという突拍子もない理屈に則り、相手を完全無欠人間扱いしないと納得がいかない。
勝手に相手を完璧だと思い込み、自分を不完全だと思い込む。完璧主義が生む弊害である。この二項対立を抱えた状態で自己憐憫をしていては、不毛なだけでなく相手を傷つけかねない。いくら自分が理想と程遠いダメなヤツだからといって、相手が凄いわけじゃない。人間みんなダメなヤツだし、ひとりひとりの人生にひとつひとつの悩みがある。“自己憐憫”の心地よさに浸るために、自虐してまで相手を持ち上げるって、よく考えたらとっても自己中心的だ。猛省である。
何故私はコンプレックスを感じるのか
同級生の彼女が私にとってのコンプレックスだと先述した。これについて少し掘り下げたい。
あるとき、「中学からの繋がりで、絵の話をわかってくれる、悩みを気軽に言えるのはfinaくらいだ」と言われたことがある。複雑な気持ちだった。まず当然、嬉しかった。けど、何故か悲しかった。だって、彼女は美大生なのに、私は音大生ではない。美大生の悩みを聞く人間は、彼女が成し遂げてきたようなことは殆ど積み重ねられなかった凡人だ。「僕なんかでいいの?」というベタな感情が真っ先に浮かぶ。けどそれは本心かと言われたら微妙だった。確かに、「一度自分も音楽で勝負して、全力を注いだ作品を彼女に評価してもらいたいな」ということは常に思うが、彼女と比べて私は根本的に劣っているのかと言われたらそんなことはない。そもそも、もとは中学の同級生。いつまで経っても対等なはず。
ではなぜ?心当たりは大いにあった。私は、彼女に自分ができなかった目標の達成を期待している。だから過渡に完璧を期待するし、「自分はもう諦めたんだから、そのぶん頑張ってくれ」と勝手に心のなかで思っている節がある。だからこそ、彼女の一言は捨てたはずの音楽への未練を焚きつけた。自分の身勝手さを自覚したのもそうだが、そもそも自己投影をせず素直に応援すればいい話である。
確かに私は音楽に対する未練がある。美大に通えることを羨ましいとも思う。だからこそ彼女は人一倍頑張ってほしい。だけど、彼女だって私を羨んでいる部分はあるはずだ。実は彼女もピアノは弾ける。そして私のほうが上手い。ならそれでいい。彼女を応援することと、自分がずっと“ピアノが弾けるfina”であることの両立は可能だ。わざわざ自己卑下せず、素直に応援を伝えること。そして、確かに私にはできなかったことを彼女はやっているが、彼女にはできないことが私にはできる。なら、自分の人生を堂々と生きようと思えた。コンプレックスに思っていたことが恥ずかしい程である。
オチはないけど、まとめてみる
ここまで約5000文字。書きたいことだけ書きまくっていたら、本当に不器用な生き方をしているなあと改めて思った。ただ素直に言いたいことを言えばいいじゃないか。伝える言葉なんか一言一句精査しなくたって、相手に気持ちは伝わるはずだ。会話って難しい。自分語りは得意なのに、自分の気持ち語りは全然ダメ。ああまた自虐している!!!
もっと、素直にありがとうと伝えられる人間でありたい。素直に「凄いね」って言える人間でありたい。それと同時に、素直に人の好意を受け止めることのできる人間になろう。褒められたらもっと無邪気になってみよう。ちょっとくらい調子に乗ったって、きっとみんな許してくれる。
おわりに
「同じ絵を描く学校のライバルたちはいくら腹を割って話せる友達とはいえ、彼らがとても優秀で努力屋で、そして自分ができないことを知っている。逆に中学校の同級生らは、私のことを“絵がうまい人”という認知でしか捉えていない。私は確かに人並み以上に絵は描けるし、上手いのも自負している。だからこそ、美術を専攻するコミュニティの中における自分の立ち位置も客観的に理解している。この二つの極端の中間にいる立場だからこそ抱える悩みは、なかなか親友とて同業者の友人らには言いづらい。」
彼女の言葉だ。この彼女の一言は、決して自画自賛でも自虐でもない、客観的事実である。そして全くもって同じことが自分にもいえる。私は自分以上に音楽ができる人がこの世に存在することを知っており、自分のなりたい理想に近ければ近いほど自分のヘタクソさに泣けてくる。だけれども、少なくとも私がこれまで通ってきた学校では、みんなから「うまいね」と言ってもらえた。同じくピアノをやっている人からも言ってもらえていたことを振り返ると、それなりに認めてはもらえていたのだろう。一つ自己PRをするならば、自分の持っている絶対音感とそれに伴う聴覚認知(耳コピ)だけは誰にも負けたことがない。ピアノの技量とは直接関係はないが、これだけは自信がある。
私も彼女も、言い方は悪いが素人の「上手だね」は死ぬほど耳にしてきた。だから自分が上手な部類なのも自覚はしている。一方で自分の理想とは程遠く、未熟で怠惰な一面も自覚している。どうしても周りと比べてしまうし、周りの優秀さを感じてしまう。こんな話で盛り上がったことがあった。冒頭の彼女の言葉もそのときに出たものである。
私は彼女の描く絵が大好きだ。何気ないラフスケッチも、完成された作品も。本当に上手だし、絵心なんてものがない私からしたら同じ人間が創り出したということが信じられないものばかり。なにより、彼女の高校時代の頑張りだってよく知っている。誰がなんと言おうと、私にとっては「誰よりも絵が好きな人」であることは胸を張って主張できる。そして、彼女がいう「自分はできない」という気持ちも十分に理解できる。彼女が悩みに苦悩するたび、私は話を聞いてきたのだから。
「この悩みを話せる人は中学の同級生だと本当にfinaくらいしかいないよ。大きな芸術という枠組みの中だと同業者でも、絵と音楽は180度違う。だけど思うことは似ているはず。finaだってそうだよね。」
この一言は彼女からの最大限の賛辞だった。お互いが共感し、私が彼女を認めるのなら、その逆も然りである。しかしこれに気付くのは遅かった。彼女はきっと、「持つべき自信は持つべき。だからこそ頑張らないとね。」という意図を含ませて言っていたはず。にも関わらず私は、美大生と高校生という肩書きを比較し勝手に「結局、自分は理想と程遠い、周りと比べてもダメなやつ。彼女と比べてもダメだ。」とこじらせた自虐オチで納得してしまった。
素人と上位層の二項対立に挟まれながらも、自分の力量を自負し努力を続ける彼女から、私は認めてもらっている。今だからこそ言えるが、とても嬉しいことだ。これくらい素直に受け止めておけばよかったと痛感する。ここまで彼女に言わせておいて、私はなお自虐癖から抜けられず自己憐憫の快感に浸っていた。
彼女になんて言おう。「あそこまで言ってくれたのに、ひねくれたことばっかり言ってごめんね」かな。いや、まずは素直に褒めてくれたことを受け止めるところから始めたいな。「ありがとう、頑張るね」これを彼女に伝えるかは、もうちょっと考えよう。
そしてこれは、いよいよ私は自虐から卒業するときがやってきたことを意味するのかもしれない。ちょっとだけ自信がついたし、なんだか音楽がやりたくなってきた。そう、私は決して下手ではないんだ。ならそれを維持する程度でもいい。別に音大生じゃないんだし。肩の荷が下りた感じがした。心から楽しんで音楽をやってみたい。そう思えるんだから、また少しだけ頑張ってみよう。彼女が覚えているかもわからない、僕の出したCDのジャケットを彼女にデザインしてもらうという口約束を叶えられる程度には。
次回はホリィ・セン @holysen の記事です。ぜひお読みください!
新歓リレーブログ企画 リンク集
みなさんこんばんは〜
サークルクラッシュ同好会新歓リレーブログ企画を開催していたろくじ(@rokuzi_am6)です。
(一応)全ての記事が出揃ったので、リンクまとめを作成しました。
まだ投稿されていない方も投稿し次第追記するのでいつでもご連絡ください〜。
1日目
ろくじ(@rokuzi_am6)
新歓リレーブログ企画「あなたにとってサークルクラッシュ(同好会)とは?」
2日目
藍鼠(@indigo_mou5e)
誕生日に生き方の転換ができた話
3日目
桐生あんず(@anzu_mmm)
6年間ほど在籍していたサークルクラッシュ同好会を卒業しました
4日目
なんたい
サークラ同に入った理由とか性癖とか反省とか
5日目
永井冬星(@tosei0128_)
摂食障害はつらいよ 社会不適合者はたまにはサークラ同好会に帰りたい
6日目
雪原まりも(@uhn58)
半導体製造工程で学ぶメイクの基本
7日目
やまのまひろ(@KALAMASAHIRO)
楽しい学生生活と、初めてのクラッシャーの思い出
8日目
さら
マンションの11階で生きていること
9日目
Silloi(@silloi93)
(記事削除済)
10日目
まるちゃん (@marusingfire)
「ひと休み」のススメ ~サー同はいつもあなたのそばに~
13日目
ちろきしん(@taikai_sha)
ホリィ・センに勝ちたかった
15日目
ホリィ・セン(@holysen)
サークルクラッシュ同好会とは何か? その戦略の全貌
16日目
こじらせ神(@Help_MyKojirase)
私が「こじらせ神」になった訳
17日目
せーや(@seiyann1224)
ルッキズムに堕ちる
全部で14人の方にブログを書いていただくことができました。ご参加いただきほんとうにありがとうございました。
投稿に至らなかった方もいらっしゃいましたが、「書くよ〜」と言っていただけたことがとてもうれしかったです。
この企画が、書かれた方と読まれた方の何かしらの役に立てていることを祈っています。
サークラは随時会員募集中です。現在活動はdiscordを使ってオンラインで行っています。ぜひお気軽にご参加ください。
アカウントの凍結が解除されたのでこちらで告知します!
— サークルクラッシュ同好会@4月新歓はオンラインで毎週火・金曜 (@circlecrush) 2020年4月16日
4月の新歓説明会の日程は毎週火・金曜日、4/10、14、17、21、24、28、5/1です。
いずれも18時半からdiscordサーバー上で行います(要アプリ)。他大生も非大学生もどなたでも参加可能ですのでお気軽にご参加ください!https://t.co/u4NE44aGlm
ルッキズムに堕ちる
この記事はサークルクラッシュ同好会(以下、サークラ)リレーブログ2020の17日目の記事になる。
※私は2018年梅雨頃から2020年2月まで諸事情のためサークラに参加しておらず、乖離している箇所もあると思われる。また書き殴りである。
①私にとってのサークルクラッシュ
まず、サークラに入った経緯を説明する。
元々、私はゲストハウスに住み込みでフロントとしてアルバイトしていた。英語・中国語を活かせ、家賃も浮くこの生活に満足していた。しかし、老害のオーナーとぶつかることが増え、ゲストハウスから出ていった。ホームレスになるところだったが、さくら荘のリビングにしばらく泊まることができた。泊まり始めて数日後に男女二人組がやってきて、リビングで雑談することになった。結果、入会費も無料ということもあってサークラに入ることにした。単に入会費が無料というだけで入ったわけではない。なぜ私はサークラに入ったのだろうか?
私は一年生の時に10個以上のサークルに入っていた。しかし、色んなサークルで人間関係に悩まされることになった。以下、あるサークル内における実体験である。Aちゃんは私のことが好きだった。Aちゃんが気になっているBくんは私に敵対心を向け裏で私の悪口を言いふらした。人間の醜さを感じた。結局、Bくんをサークルから追い出し、Aちゃんとも付き合った私であったが、付き合ってからAちゃんは自殺未遂を図ったり、包丁を振り回すなどメンヘラ的一面を見せ始め、壮絶な別れを遂げた。私はそのサークルとメンヘラ彼女が連想されるため、そのサークルを辞めてしまった。他にもサークルの幹部の先輩に告白されて振った都合から、サークルに行きにくくなり辞めたこともあるし、サークルの後輩と付き合い、別れた後も役職の都合上しばらくはサークルに残り、表面上は仲良くして凌ぐといった「サークルクラッシュ」を既に何度か味わっていた。
そういった経験をしていた私にとって、サークラは非常に面白そうな団体に見えた。また、当時家なき子であった私は社会の主流から外れ、異端派になった人が多く所属しているように見えたサークラに同感を持てた。これがサークラに入った主要因である。
私にとって、サークラは社会の主流に馴染めない或いは馴染む気のない方々と交流して、様々な思想を知ることで、自身の知見を広げる場であり、ジェンダー、メンヘラ、性愛、こじらせといった日常では話しにくいテーマを取り上げられる貴重な場になっている。それ故、やみを自己開示できるところがサークラの魅力と思われる。
しかし、サークラは「サークルクラッシュ」が起こりやすい場所でもあり、承認に飢えたサークルの姫を生み出す温床と化している。男女比が偏っており、捻くれ姫に幾らかの男達が「囲っていない」と謳いながら囲っているように感じた。
②自分語り
あなたは「ルッキズム」という単語を知っているだろうか。ルッキズムとは外見主義や外見差別といった意味合いを含んでいる。私は「ルッキズム」を数年前から言っていた。私は自身のルックスを気にしており、周りからも色々言われることが多く、昔から「ルッキズム」の事象に注目していた。勘違いされることが非常に多いが、私自身はルッキスト(外見差別主義者)ではない。
私は小学校高学年の頃から自分の顔が嫌いで、親にも文句を言っていた。しかし、小6の時に急に私のルックスが評価され、初めてのモテ期を味わった。中学生になってから現在まで自分のルックスに対する自分の評価と他者の評価に差があるように感じる。女の子が容姿が醜いだけでいじめられたり、ルックスを基準にグループが分かれる現実を中学の頃から認識していた。また、高校(特に大学)以降はチャラそうなどと言われ、外見のせいで勉強ができなさそうと扱われる現実と向き合ってきた。
それから、私は日常生活の中で「ルッキズム」を見出し、批判的に考えた。元々捻くれている性格もあり、そこには偏見も多く含まれてしまう。可愛いルックスと若さを振りかざして調子に乗る女などが代表例である。
しかし、私自身もルッキズムに堕ちていることを自覚してしまう。美女を見た時に私はルックスに頼り、苦労することもなく、チヤホヤされてきた人間と捉え、第一印象にヘイトが入る。しかし、話してみると、色々苦労している子もいる。そういう子には共感できる部分が多く、予想を裏切られて好感度がすごく上がってしまうことがある。結果的にルックスが交際に大きく影響を与えてきた事実に気づく。
また、大学入ってからも深夜にファミレスに行き、勉強に投資してきたが、それも知的好奇心だけでなく、周りからの「勉強できなさそう、チャラそう」という偏見に対するギャップを作り出したいのかも知れない。
また、私は「美人系」より「可愛い系」が好きである。男性に関しても、中性的で可愛い顔のイケメンが好きである(目の保養であるが、恋愛対象ではない)。昔、道場で怖い大人に怒られて殴られることが何回かあり、それが本当に辛かった。この経験が原因だと思うが、見た目に対する好みもある。
以上から私自身もルッキズムの呪縛から解放されていないんだなと感じる。故に私は自己批判を続けており、容姿に関わらず皆に優しくありたいと思う。現在はルッキズムにうまく向き合いながら生きていく所存である。言いたいことは沢山あるが、長くなってしまうのでここで終わる。
私はサークラにあまり参加しておらず、影も薄くトリを飾るような人間ではないが、現在のところ、私の記事をもって最後のようである。
ご高覧いただきありがとうございました。
マンションの11階で生きていること
*1:わたしの投稿が遅すぎたせいで、正確には一年前の一昨日の日記
半導体製造工程で学ぶメイクの基本
※「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」6日目の記事です※
5日目の記事は永井冬星(id:tosei0128)くんの「摂食障害はつらいよ 社会不適合者はたまにはサークラ同好会に帰りたい」でした。ほっかいどう~
新年度です。
入学や入社で環境が変わった方も多いと思います。
大学生になる方、社会人を始める方、おそらくメイクを始める方も多いのではないでしょうか。
なにを隠そう、私自身が大学を脱出して会社人間になってからメイクを始めました。週末女装して過ごすことが多くなったからです。同じように、この春から週末女子を始めてみようと思っている方も多いと思います。
私はメイクを教えてもらうにあたって、サークルクラッシュ同好会のたくさんの方に教示をいただきました。興味深いことに、メイクのやり方や方法論は各人少しずつ違いがあり、メイクについて一人一人インタビューしてみるなんて企画を私は胸の内に温めていたりします。
この春は、私がメイクを習い始めて4年目に入らんとする春です。まったくメイクを知らないけど興味はあるという方に、今度は私が教える番なのではないでしょうか。もちろんメイクのやり方を教えてくれるサイトはたくさんあります。しかし、先ほども書いたようにメイクとの付き合い方は十人十色。メイクは学校の「教科」として編成されていない(けどみんなやっている)のでそれも当然です。だから、周知のテクニックでも私なりに「メイクとはこういうもの」という考え方とセットで提示するのには意味があるでしょう。この記事がthe happy fewに届くことを願っています。
そして女装男子を目指す皆さん、ぜひ先輩の後に続いてください。
- メイクの目的
- メイクの方法
- メイクの道具
- メイクをばなににたとへん
- ウエハーとはなにか
- 化学的・物理的研磨(洗顔とムダ毛処理)
- 表面改質(化粧下地)
- スピンコート(ベースメイク)
- OPCをかけよう!(アイメイク)
- リップメイク
- こまめな洗浄(化粧落とし)
- シミュレーション(アプリ加工)
メイクの目的
どんな技術にも目的があります。
生物のような行き当りばったりの「盲目の時計職人」とは違って、技術は人間の人間的な目的のために精緻に編成されています。メイクの技術。その目的は顔の印象を変えることです。もちろん若々しく、整った、魅力的で美しい顔面は相手の好印象を引きだすだけでなく、自分が相手に対して堂々とアピールする自信につながるでしょう。メイクが「武装」に比喩されるゆえんです。しかし、私はこれはメイクの目的をあまりに短絡していると考えます。老けメイクがあるように、メイクは当たり前からの逆行や逸脱を成し遂げる技術でもあるのです。
変化。変化です。
メイクは相手の印象を変え、自分の中の自分を変える技術です。
メイクの方法
では、以上の目的はどのような方法を通して達成されるでしょうか。それは、顔面の皮膚に様々な物質を塗ることによってです。塗られる物質が塗料(特に水に不溶な染色塗料を顔料といいます)、塗料が形成する膜が塗膜です。車の外装は塗膜に覆われてあのなめらかなフォルムを際立たせています。
メイクとは塗る技術です。
もちろん、メイクとは描く技術でもあります。多くのメイクの本はこの描き方に焦点を当てています。しかし私は工学的視点から、「いかに塗るか」に焦点を当ててメイクの技術を体系づけてみたいのです。これはすなわち、自分の顔の表面で膜がどのように形成されるかをイメージするということです。
メイクの道具
方法は明確になりました。次は、用いる道具について考えていきます。
道具は大きく分けて二種類あります。塗られる塗料と、塗るための工具です。顔には様々な部位があります。最も重要な部位は目、そして眉とまつ毛。それから口、鼻という開口部、額や頬や顎といった平坦部があります。それぞれに適した塗料があり、その塗料を塗る工具があります。しかし最も重要な工具は自分の指です。様々な工具はこの指の働きを補助するものです。そして、指の操作は目を通して入力される光信号を処理してフィードバックをかけながら行われますから、そのための光学機器(鏡)が必要です。あと、工具箱としてポーチがいりますね。
しかし、しかしです。これはメイクの半分しか見えていない!
人間の顔面はもともと塗料を塗られるようにできているわけではありません。ですから、塗料が顔面にうまくのるような下処理が必要です。私が言いたいのは、洗浄(クレンジングオイル)、研磨(髭剃り、毛抜き)、改質(化粧液、乳液)のことです。そうしてはじめて塗料がうまいこと皮膚になじみ、意図したメイクアップがもたらされるのです。
メイクをばなににたとへん
こうしたことは、もちろん日頃メイクをされている方は当たり前に、ほとんど無意識のうちに理解していることです。しかし、まったくメイクの習慣がなく、ゼロからメイクを始めようとするとき、この「コーティング」がうまくイメージできず、どういう道具をそろえて何を始めればいいのか途方に暮れてしまうのではないでしょうか。
いったいどういう技術と比較すればメイクをうまく説明できるだろうか。それはメイクをしない人にとっても身近でありふれた題材でなければなりません。そのとき私はひらめいたのです。この記事を読んでいるあなたが覗いているスマホ。その画面の裏で微熱を発しながら働いている半導体。
これ以上に身近な題材があるでしょうか?
なんとなれば、その半導体はシリコン結晶を薄く切り出したウエハーという「顔面」に様々な塗料を塗りつけ微細な構造を形成することで作成されています。半導体製造工程は複雑多岐にわたり、全ての見通しをつけることはとても大変です。私が着目したのは、フォトリソグラフィという工程のコーティングです。ウエハーの顔面に意図した配線を描き出すのをイメージしながら、メイクの基本を納得していただければ幸いです。
ウエハーとはなにか
ウエハーは古風な喫茶店のアイスクリームについてくるお菓子のウエハーと同じ言葉で、薄い板を意味します。半導体は導体(金属、周期表の左側)と絶縁体(有機物など、周期表の右側)の中間に位置し、電気を一方向に通したり増幅したりします。そのために、周期表の真ん中にあるシリコン(ケイ素Siの純粋な結晶)にプラスやマイナスの電荷を持たせます。ケイ素は地球上に最も大量にある元素。安価で工業価値が高いです。半導体で言うウエハーは、シリコンの薄い板のこと*1です。
化学的・物理的研磨(洗顔とムダ毛処理)
切り出したウエハーの表面はラフで、そのままでは細かい配線を描き出すことはできません。それをできるだけぴかぴかに、真っ平らに磨き上げること。これをCMP(Chemical Mechanical Polishing/Platening)といいます。
CMPではスラリーと呼ばれる研磨剤を使用し、ブラシを回転させてウエハー表面の凹凸を削り落とします。どのように凹凸をなくしているのかのメカニズムは、物理的に研磨剤がぶつかるのと、シリコン表面への化学反応によるのとの二説があり完全に明らかにはなっていません。
人間の顔面もウエハーの表面と同じようにラフで、放っておくと垢がこぼれ皮脂が滲み毛が生えてきます。垢や油脂は普段使っている洗顔料で落とせばいいですが、問題は毛、特に髭、もみあげ、眉毛の処理です。
メイク前には(覚悟の問題ですが)顔面全体に髭剃りを当てるくらいのつもりで、ムダ毛を落とすことが工学的理想です。
もみあげや目元の毛は髭剃りで剃ればいいでしょう。眉毛の形は眉毛用の剃刀で整えるか、あるいはすべて剃り落すかです。形を整えるだけなら毛抜きで抜いてもいいと思います(私は抜いています)。眉尻の広がりと眉と眉の間の毛は必ず処理が必要です。口もとの髭はできるだけ深剃りする必要があり、青髭を避けるために抜ける範囲で抜いたほうがいいです(私は抜いています)。青髭は、コンシーラーやチークで補正できますが、女装の敵です。でも私はまだ脱毛には手を出してないです。
CMPはリソグラフィの準備として非常に重要です。ウエハー表面の平坦化技術によって数十ナノメートルレベルの正確な配線の転写が可能になりました。髭の処理は特に面倒ですが、CMPの重要性に思いを馳せながら鏡に向かってください。
ジレット カスタムプラス3 髭剃り スムース CP3-S12 12本入
表面改質(化粧下地)
顔面の皮脂や垢は顔の保湿や撥水、菌叢(バイオーム)のコントロールといった物理的・化学的免疫効果を持っています。これを洗顔料で除去し、髭剃りで傷つけてしまったわけですから、むき出しの皮膚をカバーする必要があります。さらに、これからメイクで塗布するファンデーションののりを良くする必要もあります。
CMPをした後のウエハー表面も、シリコン結晶がむき出しになっています。これに空気中の水分が反応して、シラール基(Si-OH基)が形成されます。ところがこれからウエハーの上に塗布するのはレジストという感光性プラスチックを有機溶媒(シンナー)で溶かし込んだものです。これは水と相性が悪く、この後の現像工程で、ウエハーとレジスト膜の間に水が入り込んで剥がれる原因になります。レジストがウエハー表面としっくりなじむように、表面の化学的性質を親水性から疎水性に変化させなくてはいけません。つまり、水っぽい表面を油っぽくする必要があります。
これを実現するのがHMDS(hexamethyldisilazane)です。シラザン(Si-N結合)を2つ持ち、ケイ素の先に6つのメチル基(Si-CH3)がついた、アンモニアのお化けのような分子です。これがシラール基をメチル基に置換し、自身はアンモニアに分解されます。
HMDSはどこが優れているのでしょうか?
ウエハー表面につくる配線にとって金属イオンは大敵。さらに、メンテナーやオペレーターが行き来するクリーンルームで人体に有害な物質はできるだけ出したくありません。そして大量生産の効く安価でシンプルな材料が求められます。これは化粧品にもある程度当てはまることです。古来、鉛や水銀、ヒ素を用いた顔料で多くの中毒者が出ていました。現在は(動物実験などで)安全性を保障された顔料が使用されています。
閑話休題。化粧水は水にアルコールやグリセリンといった、ヒドロキシ基のついた保湿成分を配合したものです。HMDS処理とは逆のことをしているわけですね。この後乳液を塗りますが、そこには界面活性剤が含まれていて、油との相性を良くします。つまり、皮脂の代わりをしているわけです。そして、その後に塗るのが化粧下地です。HMDS処理がプラスチックのレジスト膜をウエハー表面になじませるように、化粧下地は皮膚とファンデーションをなじませ、汗でファンデーションが浮き上がらないようにする働きがあります!
まとめると、
化学的・物理的研磨を行ったお肌は化粧水や乳液でケアし、化粧下地で表面改質をする
ということです☆
納得できましたでしょうか。ちなみに、HMDS処理ではオーブンで200℃以上に加熱してHMDSを完全に分解し排気・乾燥させますが、私は時短のためにスキンケアの後にドライヤーを使うことがあります。いいのか悪いのかはよくわかりません。
ビオレ UV さらさらパーフェクトミルク SPF50+/PA++++ 40ml
スピンコート(ベースメイク)
半導体のコーティングには大きく分けてCVD(Chemical Vaper Deposition)とスピンコートがありますが、前者はガス状の気体原料を熱や光で励起して表面に積もらせていく方法でメイクには全く参考になりません。ここではレジスト塗布の一般的な方法、スピンコートを説明します。
レジストとは文字通り抵抗resistする物という意味です。フォトリソグラフィは、レントゲン写真の要領で、紫外線をマスク(体)に通してレジスト(フィルム)に露光することでマスクの配線(骨格)をウエハー表面に写し取る技術です。レジストは光の当たった部分だけ溶け、そこがウエハーが削られて配線されます。ウエハーを削ることをエッチング、削るプラズマをエッチャントといいます。
かわいいですね♪
このエッチャントに抵抗するからレジストなのです。
露光するとき、紫外線がウエハー表面で反射することでレジストに干渉縞の段ができてしまいます。これを防ぐために紫外線を吸収する反射防止剤ARC(Anti Reflection Coating)を塗ることがあります。レジストの前(bottom)に塗るのをBARC、レジストの後(top)に塗るのをTARCといい、BARCは現像中に水が入ってこないように疎水性、TARCは現像中に中和して水に溶けるように酸性となっています。
レジストやARCをウエハー表面に少量(1ccほど)たらし、ものすごい高速で回転させて1μmほどの膜をつくるのがスピンコートです(回転数はレジストの粘度で決まりますが、およそ4000~6000rpm)。レジストは結構値段が張るのですが、表面に残るのはたらしたうちの1%程度、のこりは振り切れて廃液されてしまうというたいへん贅沢な方法です。無駄をなくすために、インクジェットの要領でウエハー表面をスキャンするケチくさい方法も開発されています。
スピンコートは配線の間を絶縁する絶縁膜を塗布するときも使われています。これには大きく分けてポリシロキサン(polisiloxane)とポリイミドがあり、それぞれSOG(Spin on Glass)とSOD(Spin on Dielectric)と呼びます。シロキサンはシラン(ケイ素)オキシゲン(酸素)アルカン(有機物)が結びついた構造で、これを加熱するとガラスglassのようにゲル化します。ポリイミドには感光特性を持たせることもできますが、SOGはもっぱら配線ででこぼこした表面の平坦化に用いられます。
……さて、これはメイクの話でした。
もちろん顔をぐるんぐるん!と振り回してメイクするわけではありません。
しかし、すでに重要なキーワードがたくさん出てきています。紫外線の吸収はメイクにとっても重要なので、乳液や化粧下地には日焼け止めの成分が含まれていることが多いです(BARCの要領です)。そしてその上に塗るのがファンデーションです。ファンデーションfoundationとは文字通りメイクの「基礎」となるもので、顔面全体に一番大量に塗る化粧品であり、顔のトーンを決めます。
トーンにはイエローベースとブルーベースがあると言われています。人間の色覚は三つの錐体細胞の組み合わせで構成され、それぞれ波長の長い方から順に赤(Long)、緑(Middle)、青(Short)の光を吸収します。ということは、Lを吸収する物は目がMSを受け取ってシアンに、Mを吸収する物は目がLSを受け取ってマゼンタに、Sを吸収する物はLMを受け取ってイエローに見えるということで、この関係を補色と言います。*2
イエローベースということはどちらかというとSを、ブルーベースということはどちらかというとLを吸収する肌で、
イエローベースの人はLMを吸収するベージュ系のファンデーションを、
ブルーベースの人はMSを吸収するオークル系のファンデーションを
使う方がいいということになります。理屈では。ちなみに、この3色色覚を獲得したのは樹上生活をしていた私たちが熟した果物を見つけるためと言われています。
青髭を隠すのも同じ原理で、肌の下の髭が比較的Lを吸収して青く見えるので、Sを吸収するピンクオークルのコンシーラー(スティック状のファンデーションで油分が多く、クマやシミを隠すのに使います)やオレンジのチークを使って目立たなくします。
ファンデーションにはもう一つ重要な働きがあります。それは毛穴の凸凹(でこぼこ)を埋め、凹凸(おうとつ)のないなめらかな肌にすることです。まさにSOGの働きですね。
最後に、こうやって何度も重ね塗りをするのはたいへん面倒ですね? 時短メイクのために乳液とファンデーションが一体化したBBクリームやオールインワンファンデーションがおすすめです。*3
どうでもいい付け足しをすると、スピンコートではウエハーの縁にレジストが回り込んで残ってしまうエッジビードができます。これを放っておくとウエハー搬送の際に乾いたレジストが飛び散ってパーティクルの原因になるので、シンナーで洗い流し、さらに縁だけしっかり露光して現像時にもう一度洗い流すという手間をかけます。メイクでは反対に、エッジビード(生え際)の塗り残しに気を付けて、顔周りはウィッグで隠して小顔効果を狙うなどしてください。
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OPCをかけよう!(アイメイク)
ついに製造工程の本番、フォトマスクによる露光がやってきました。
ここで問題になるのは、マスクに描かれた配線をどこまで正確にウエハーに写し取れるかということです。
正確さを期すためにはマスクをウエハー表面にくっつけるコンタクト露光が理想ですが、そうするとレジスト剥がれが起こるので、一定の距離をおく縮小投影露光が行われています。しかしプロジェクターを思い浮かべると分かりますが、投影する画面にきちんと焦点を合わせなければ映像はぼやけてしまいます。レジストの厚み分の焦点深度を確保するために、露光の波長を短くし、屈折率を減らすためにレンズとウエハーの間を水で充たす液浸露光が主流です。しかし、たとえ焦点を合わせたとしてもマスクを通した光は干渉しあい、意図した像を結びません。そこで、干渉を見越してその分マスクをゆがめておくOPC(Optic Proximity Correction)で補正をかけます。
メイクの考え方も、このOPCと同じだと思います。人間の視覚効果に働きかけて、目を大きくくっきり見せる補正を行うのです。最先端の製造工程ではマスクを見ても投影する配線が分からないくらいOPCをかけまくるらしいですが、
同じくらいの意気込みで目の周りにOPC(Optic Proportion Correction)をかけまくる
これがアイメイクです。
まずはアイブロウ。
眉頭をぼかし、眉尻をかきたして柔らかな雰囲気をかもし出します。女装にはブラウンがよいです。逆に、眉頭が内側で目に近いと目鼻立ちがくっきりした印象になるので、男前に見せるには眉頭近めに、色はグレーでかくのがいいでしょう。ペンシルタイプが書きやすいです。
続いてアイライン。
上まぶたから目じりにかけて黒く線を引き、目を大きくくっきり見せます。これもペンシルタイプがいいと思います。さらにアイシャドーをまぶたにかけて影をつくり、立体感をつけます。あと、邪道かもしれませんが私はブラウンのアイブロウで涙袋もかいたりします。
そしてつけまつげ。
目が大きくかわいく見えるようになるので絶対やったほうがいいです。が、うまくつけるのが結構大変です。のりが剥がれて取れることもあるので、加減をつかむまで試行錯誤しましたがいまだに苦手です。つけまつげを毛抜きにはさんでつけようとして、危うく目に突き刺しそうになったことがあります。もしくは、アイビューラーでまつ毛を上げて、マスカラでまつ毛を伸ばす方法もあります。しかしビューラーもこれまた使うのが難しく、私はつけまつげ派です。
なお、カラーコンタクトレンズ
でひとみを大きく見せることでもかわいさが増します。ドンキホーテなどで売っていますが、購入には原則眼科医の処方箋が必要です。カラコンはメイクの前につけておきます。これもうまくつけるには練習が必要で、最初は両目に30分くらいかかると思います(かかりました)。
露光は半導体製造工程の要であり、露光機は半導体製造工場の数ある装置の中で最も精密で最も高価で、出荷台数に比べて非常に大きな市場規模をもっています。アイメイクも同じくらい、
手間と試行錯誤と課金を惜しまない姿勢
が求められていると言えます。
ニューボーン ダブルブロウEX N B2 グレイッシュブラウン
リップメイク
リップに対応する半導体製造工程は思いつきませんでした。
こじつける要素がないわけではありません。スピンにかけるウエハーはチャックというパーツで固定するのが一般的です。チャックは、掃除機の吸い込み口の要領で負圧をかけて固定するのですが、ウエハーとの間に隙間があると空気が漏れ入って負圧が下がってしまいます。
しかも、ウエハーに薄膜が塗られていると、ウエハーとプラスチックの膨張係数が違うために温度変化によってウエハーに反りが出ることがあります。するとますますチャックとの密着が難しくなります。そこでチャックにリップという、ウエハーに柔軟にタッチする構造をつけます。負圧がかかればかかるほどリップはウエハーに押し付けられ漏れをなくす(シールする)ことができます。
この原理はベアリングの軸受けオイルが漏れないようシールするときに効果的に利用されていますが、このとき軸とリップが潤滑に接するようリップにあらかじめオイルを塗っておく必要があります。おっ、まさにリップクリームではありませんか? ただ、ウエハーを固定するチャックのリップにオイルを塗ることはありません。
巧い説明が思いつかなかった言い訳というわけではありませんが、リップメイクはけっこう難しく、しかも女装ではちょっとけばくなってしまうのでそこまで力を入れなくてもいいかなと思います。色つきリップクリームが圧倒的におすすめで、女装にかんけいなく普段使いしています。冬は唇が荒れることも多いですし。リップグロスをつけると発色が良くなり、リップが映えます。まあ、メイクと言うほどではありません。
口紅は、ルージュを一つ買っておくとチークに使えて便利です。
メンターム 口紅がいらない薬用リップうすづきUV 3.5g SPF12
KOSE コーセー ノア リップグロス 03 ピンク系 (8g)
こまめな洗浄(化粧落とし)
半導体製造工程における最大の課題、それは歩止まり(一つのウエハーから製品として切り出せるチップの数)の向上です。この歩止まりを下げるのが、パーティクルとよばれる様々なゴミによって配線が乱れ、チップが正しく動かないという問題です。そこで、最先端の緻密な製造工程になればなるほどウエハーの洗浄技術の向上が求められます。マクベス夫人よろしく、パーティクルを洗って洗って洗い落とさなければなりません。
先に書いたように、工場では人間に有害で環境への負担が大きい物質の使用を避けるのが原則ですが、洗浄工程ではそんなことを言っていられません。きわめて有毒で危険な物質、フッ酸が大量に使用されます。高校化学で、ガラスを溶かすのでプラスチック容器に保存すると習う、あのフッ酸です。ウエハーは放っておくと表面が酸化されてガラスと同じSiO2の酸化被膜を形成します。この膜をパーティクルもろとも溶かして洗い流すのがフッ酸に期待される役割です。
他にも、ウエハー表面に残留する有機物を分解除去するために硫酸やオゾンが使用されますが、これも危険性の高い物質です。また、水が乾燥したときにできる斑紋(ウォーターマーク)を残さないように洗った後はIPA(イソプロピルアルコール)で水を置換しますが、これも吸入すると神経や腎臓が冒されてしまいます。それでも私たちは澄み渡った清浄なウエハー表面を希求しているのです。
洗浄の大切さがお分かりいただけたでしょうか。
ところでメイクでも、肌に過度な負担をかけないためにこまめな洗浄が大切です。クレンジングオイルを使ってメイクを落とすまでがお化粧です。個人的に、メイクをしない日でもクレンジングオイルを使って洗顔したら肌がきれいになる気がするんですが、どうなんやろ。半導体製造工程のように、フェイスパックをしたり蒸しタオルを使ったり、お肌のケアに気合を入れるのが理想なのかもしれませんがそこまでしたことは私はありません。
それから、旅行先でもすぐにメイクが落とせるよう、ポーチには携帯用のメイク落としを入れておくのが便利です。
KOSE コーセー ソフティモ ディープ クレンジングオイル 230ml
シミュレーション(アプリ加工)
SNOWやSODAを使えば、今まで書いたようなメイクがスマホの画面をいじくるだけでできてしまいます。ええっ、それじゃあリアルでメイクなんかしなくてもいいんじゃない!? と思われるかもしれません。しかし、話は逆で
これはけっこうためになる
と思っています。今まで説明してきたベースメイク、アイメイク、リップ、チーク、カラコンまですべて画面上で思いのままに操作でき、どういうメイクをすると自分の顔がどんな印象に変わるのかがシミュレーションできるのです。メイクの練習にこれを活用しない手はありません。
半導体メーカーも、CMP、スピンコート、ベーク(シンナーを蒸発させたり露光後に反応を促進させたりするための加熱)、露光、現像、洗浄などの物理的・化学的な振る舞いが様々な数理モデルによりシュミレーションされ、それをもとに製造プロセスを改善しています。レジストや絶縁膜材料の開発にもシミュレーションは不可欠で、ますます困難になる分子設計の指針を与えています。
ぜひ、自撮りをつかってアプリでメイクのシミュレーションをしてみてください。
written by 雪原まりも
↓参考文献
世界一 可愛い子に 生まれたかった
ごきげんよう。
@mira_yume_chanこと、さらです。
『世界一 可愛い子に 生まれたかった』
これは、みなさまご存知、田村ゆかりさんの名曲『fancy baby doll』のサビの部分の歌詞です。知らない方は、ぜひ検索してお聴きになってください。
初めてこの曲を聴いたとき、わたしは涙を流しました。これからわたしは自分の人生とめくるめく「かわいい」と「ブス」の遍歴について書いていこうと思います。そんなの誰が興味があるのでしょう。知らない。ただ、わたしが書きたいから書きます。
〈第一次かわいい期〉
この世に生まれて、わたしは「さら」と名付けられた。水が流れるような、絹糸がなびくような、美しい名だ。
わたしをさらと名付けた父は、わたしを蝶よ花よと可愛がった。家にはとんでもない量のわたしの写真が貼られたアルバムがある。わたしは一日に数え切れないほど「かわいい」と呼ばれて過ごした。それは空気のようにあるもので、なんら特別なものではなかった。
服飾学校を出た母は、フリルやレースのついた少女趣味たっぷりのスカートやワンピースをたくさん買い与えて、わたしを着せ替え人形にした。わたしは5歳で既に、母のマニキュアを自分の爪に塗れるようになっていた。保育園では男の子三人に求婚され、“ゆり組さん”で、わたしは三好くんと初めてのキスをした(ちなみに、三好くんは求婚三人組の中にはいなかった)
〈万能期〉
小学生のころ、わたしはよく勉強ができた。体育も図工もよくできた。俗に言う“優等生”の類だ。毎年、学級委員に選ばれて、児童会に所属する、真面目で目立つ、そんな子供だった。「かわいい」と特別もてはやされることはなかったけれど、わたしのことが好きだと噂される男の子は常に存在していた(小学生の“好きな人”なんて、クラス替えの度に変わってしまうようなものだけど)。
小学六年生のわたしは、中学受験をすることを決めた。いつごろか定かでないが、わたしをとろとろに甘やかしていた父は目の前から消えていた。母子家庭になった家にはお金がないので、某国立大学の付属中学校を一つだけ受験した。そして、合格した。
〈ブス期〉
進学した中学に、知り合いはほとんどいなかった。
一年生の一学期の始め、人間関係でつまずいてしまったわたしは、あっという間にクラス中、学年中からいじめられるようになった。
毎日のように「ブス」「死ね」などと言われた。
お弁当のときやグループ作業で班を作るときは、絶対に机をくっつけてもらえなかった。体育の準備運動では誰もペアを組んでくれなかった。遠足や写生会の際のお弁当は全て一人で食べた。運動会では本番ですら、誰もわたしと手を繋いでフォークダンスを踊ってくれなかった。机やノートへの落書き。いつだか「お前の顔が正面にあるとメシが食えない」と言って、クラスの男の子が、お弁当のネギだけを器用に摘んで食べていたのを思い出す。残りは飼っている犬に食べさせるのだと言う。犬はネギ食ったら死ぬからな、と。
「死ね」と言われたことは理解できた。でも死ぬのは怖いので、わたしは体を切り始めた。テンプレに従って手首を切っていると、わたしをひどくいじめている女に、ブラウスの袖をめくられて、手首の傷をクラス中に披露させられたので、それからは太股など、見えない部分を切ることになった。生徒手帳にカミソリの刃を挟んで、いつでもどこでも体を切っていた。
しかしながら、わたしは疑問だった。
二重のぱっちりした目を持ち、校則を守ってさらさらの髪を耳の下で髪を二つ結びにして、日焼けに気をつけている、ほっそりとした体形のわたしは、本当にブスなのか?
天然パーマでちりちりの髪、糸のような目をした、はち切れそうなふくらはぎを持つ、真っ黒に焼けた女の子たちでなく、なぜわたしが、わたしだけが取り立ててブスと呼ばれるのか?
客観的に見て、自分はそこまでのブスではないと思った。たとえ特別かわいくなくても、クラスで一番の、学年で一番のブスではないと思った。(この尊大な自意識が、いじめられる要因でもあったに違いない)
それでも、教室に一歩足を踏み入れると「ブス」のシャワーがわたしに降り注ぐ。だんだんとわたしは頭がおかしくなった。鏡が見られなくなり、持っている手鏡をすべて油性ペンで真っ黒に塗りつぶした。今まで撮った写真やプリクラをハサミで切り刻んだ。
そして14のとき、わたしのことを「かわいい」と言ってくれる21歳のおにいさんとセックスをした。
そのころのわたしは学校では一切口がきけなくなっていた。場面緘黙というものだ。なにも言えないわたしに、クラスメイトたちは卑猥な言葉を投げかけるゲームを始めた。「さらさん、〇〇って知ってる?」「××って知ってる?」数名の女子たちがわたしの机に群がって、言いたいだけ言って、笑いながら去っていく。その様子をクラス中が好奇の目で見つめている。
「全部、昨日やってきた」
心の中で小さな反抗をする。それだけがわたしの心の拠り所だった。クラスメイトより性的に進んでいること、単語を単語で終わらせないこと。おにいさんはわたしに川本真琴を聴かせた。「成長しないって約束じゃん」おにいさんはセックスのたび、わたしの太ももの傷を舐めた。内緒の共有。わたしのことをわかってくれるのは、この人だけだと固く信じていた(後に、彼は自分と同じ年くらいの彼女を作り、紙くずのようにわたしを捨てる)。
〈マンネリ期〉
中学のクラスの約半分が隣にある高校に進学するような学校だったので、待遇はほとんど変わらなかった。わたしをひどくいじめていた人たちはあまり勉強ができなかったので、レベルの低い高校へ進学し、物理的に離れはしたが、わたしが中学でどのような扱いをされていたかは、なんとなく広まっていくものだ。
高校に入って、わたしはぷつりと糸が切れたように学校に通えなくなった。高校三年になる前の春休み、トラベルミンシニアを十箱飲んで、初めての自殺未遂を図った。失敗して半年くらい幻覚が見え続けた。それくらいしか高校時代の記憶はない。
ただ、卒業の際に有志が作った小冊子に「なんでもランキング」というものがあったのを覚えている。クラスで一番かわいいと思う人、かっこいいと思う人、おもしろいと思う人などなどさまざまなランキングがある中、わたしは「大学デビューしそうな人」二位として名前が挙げられていた。薄ら寒い嫌がらせだ。しかしこれが、わたしの後の人生を暗示しているとは、夢にも思わなかった。*1
〈第二次かわいい期〉
わたしは第一志望だった東京の公立大学に落ちて、京都のd女子大に入学した。そこは成金の女の子にあふれていて、授業もつまらなく、わたしは共学のd大学の演劇サークルに入り浸ることになった。わたしの通っていたキャンパスは京田辺(京都府と奈良県との境目、とてつもない田舎)にあったのだが、稽古場は京都市内の今出川キャンパスにあった。近鉄と地下鉄を乗り継いで、授業が終わると毎日千円以上かけて、往復をした。
不思議なことに、わたしはそこでふたたび「かわいい」と言われ始める。ちょうどAKBが流行っていた時代だった。黒い髪を胸まで伸ばし、前髪を斜めに流していたわたしは、やれ、まゆゆに似てる、やれ、ゆきりんに似ている、と先輩や同期にかわいがられるようになった。頻繁に美少女役をあてがわれた。そのあたりからお化粧を覚えた。BBクリームを塗り、おしろいをはたき、ベージュのアイシャドウをしてマスカラを塗る。ささやかなものだった。それでも「目が大きいね」「まつげが長いね」と言われるのは、うれしかった。
夏に、恋人ができた。恋人は一日に100回くらいわたしのことを「かわいい」と呼ぶので、辟易してしまった。もっとかわいい人はいる、モデルの〇〇とか、女優の××とか、と言うと、彼は「さらが世界で一番かわいい」と間髪入れずに答えた。幸福だった。そのような生活の中で、だんだんと、自分はやはりかわいいのでは? と思うようになった。
演劇サークルは週に五日、本番前は毎日練習がある。小屋入り*2の一週間は、授業に出ることも許されない。あれはサークルというよりほぼ部活だった。アルバイトをする時間がないけれど、家賃も払うのも苦しいような状態だったわたしは、手っ取り早くお金を稼ぐため、祇園の会員制ラウンジに応募をした。面接はあっさりと受かった。
〈混乱期〉
周囲からふたたび容姿を褒められるようになったことは、初めは確かにうれしかった。でも、次第に、わたしはこの世のことが信頼できなくなった。自分は本当はかわいいのか、ブスなのか、どっちなんだ?
演劇にのめりこんだわたしは、次第に大学に通わなくなった。3年で40単位くらいしか取れなかった。ああだこうだしている内に、恋人が死んだ。精神科の閉鎖病棟に入った。大学を辞めた。そしてサークルクラッシュ同好会に入会した。なにがサークルクラッシュや。サークルどころか人生がクラッシュしていた。元々精神不安定だったわたしはさらに精神不安定になり、さまざまな男の子と“親しい仲”となった。×××なんて当たり前 とても人に言えないような 酷いことならなんでもやった*3
彼らはこぞってわたしのことを「かわいい」と呼んだ。荒んだ生活の中で、それだけが唯一の心の安寧だった。
〈安定期〉
長い混乱期を経て、わたしは今年で28になった。
インターネットで原料を取り寄せて化粧水を作り、一週間で使い切る。最近、右目の下と右唇の下以外のホクロを全て取った。月に一度、毛穴を目立たなくさせるためのレーザーを当てている。なかなか強い施術で、一度当てると一週間は人と会えないようなボロボロの状態になる。肌によいとされる漢方を一日に三度飲み、使っている化粧品のほとんどはデパートで揃えたものだ。美容院では、生まれつき色素が薄い人みたいな色にしてください、とオーダーする。美容院専売のシャンプーとコンディショナーとトリートメントを使っている。至近距離で見られても気づかれないようなサークルレンズを入れている。塗っているとわからないような薄桃色のマニキュアを塗っている。残した目元と口元のホクロを、化粧の最後に茶色のアイライナーで、より印象的になるように書き足す。
きっと、わたしは同じ年の平均的な女性よりも、美への関心が高いのだろう。今年の春に京都から東京に引っ越した。現在は週に数回、銀座のミニクラブで働いて生活をしている。
どうしてだろう、今は自分のことを特別かわいいとも、ブスだとも思っていない。このパーツは優れているが、このパーツはイマイチだ、でもトータルで見るとまあ見られない顔ではない、と判断している。ただ、化粧の技術は格段にアップした。ものすごい手法でありえないほどの胸の谷間を作れるようにもなった。「AKBにいそう」から「女子アナにいそう」になった。外出してから家に帰るまで何度もナンパに遭う。でももう、いやだともうれしいとも感じない。東京はそういう街だと思っている。
『世界一 可愛いって 今日も言ってね』
そのような気持ちはまだ、存在している。
でも、それは『何万回 言われても まだ不安』なのだ。
出勤前、カシミアの白いコートをまとって鏡に向かってほほえむわたしは、女子アナのようにも悪魔のようにも見える。一見すると清楚だがよく見るととても性的に感じるように作りあげられたわたしの容貌。「かわいい」という言葉は、もはやわたしを表さない。ふと、わたしは自らが「かわいい」から「うつくしい」の世界に足を踏み入れたことに気がついた。
これを人*4に読ませると「当たり障りがない、本当にやばい部分は書いてないね」と言われた。そんなの書くわけないじゃん。
このようなナルシスティックにも程がある自分語りを最後まで読んでくださって、ありがとうございます。わたしは自分のことが大好きみたいです。そして、わたしのことが好きでも嫌いでもいい。どんな感情でもいいから少しでもわたしを想ってくださる、わたしのことを考えて時間を費やしてくださった、あなたのことを愛しています。