ずきんは京都へ行くぞっ

①自分語り

 


こんばんは。サークルクラッシュ同好会では初めて文章を書かせていただきます。ずきんと申します。どうぞ宜しくお願いします。ずきんという名前の由来は、本当は"すずきんぐ"(鈴木+キング)という名前にしたかったのですが、とても烏滸がましいと感じたので最初と最後の文字を一文字ずつ取って、ずきんという名前にしております。昔のアカウント名はLiNGだったのですが、今はとある事情があり使っていません。またいつか使えるようになるといいな。いまだに リングさん と呼んでくれる方もいて、なんだかんだ好きな名前だったからちょっと嬉しかったりする。

 


それはさておき、私のことをご存知ない方がたくさんいらっしゃると思うので今回は私という人間を知ってもらいたいです。そして仲良くしていただけたら嬉しい限りです。ちなみに最近は大阪から京都へ引っ越しをする準備が忙しいです。京都の良い物件を紹介してくれたホリィセンさんありがとう。ついにグループホームという施設を出ることができる。本当に感謝しか無いです。大阪の支援者にはとても反対されたけど、なんとか押し切った。12/20に引っ越し予定。他の住人さんと仲良くできるのか・福祉の支援の更新はうまいことできるのか、などなど不安はたくさんあるけど、ちゃんと生活できたらいいな。

最近はそんな感じです。

ちなみにホリィセンさんは尊敬しているので敬称をつけてホリィセン"さん"と呼んでいるが、いつか ホリィセン と敬称なしで呼びたい。そういう日が来るといいな。多分まだまだ先だし、ずっとさん付けかもだけど。

ちなみに最近ホリィセンさんが出てる演劇を観に行った。とても良かった。演技上手だった。みんなでチェキも撮った。家宝にします。

 

 

 

 


話変わりますが、孤独耐性が皆無な私は、京都に行ったらひとりぼっちだな とか考えて実は毎晩泣いている。どなたか私の涙を止めてください。また1からいろいろ頑張らなくちゃ。京都に住んでいらっしゃる方、ぜひ仲良くしてください。今後はサークラの活動や読書会など積極的に参加するようにしたいです。

 


サークルクラッシュ同好会に来てくれた人列伝

 


私はホリィセンさんがサークルクラッシュ同好会に誘ってくださったので、よくわからず入会させていただきました。何名かとは新歓のときにXで繋がり、LINEを交換したのですが、今回は自己紹介(?)をします。結構重いかもしれませんが、引かないで欲しいです。

 


まず私はあまり嬉しく無いですが、今月12月14日で30歳になります。(本当に嬉しく無いけれど、ここまで生きることができて逆にすごいと思っています)

 


私は高校1年の頃、両親が離婚して父親に18歳まで育ててもらいました。弟2人も一緒でした。私は高校2年からグレて学校に行かなくなり、Twitterなどインターネット漬けの毎日を送っていました。それから私は福岡出身なのですが、家を出たい、でも地元の友達とは定期的に会いたいということで大分(福岡の隣)の大学に進学しました。大学では寮に入っていました。しかしとにかくお金がなかった(親からの仕送りなし、奨学金とバイトのお金で暮らしていました)ので、大学2年の中頃から体調を崩してしまいました。講義中も起きているので精一杯で内容は全く頭に入らなかったです。そんなこんなで内科的に何か問題があると思い、約10件ほど内科に行きましたが、何も異常がなく、最後に行った内科でメンタルクリニックを紹介されました。当時の私は本当に受け入れるのがつらくて仕方なかったです。そこでついた診断名はうつ病でした。しかし、のちに診断名は統合失調症にかわりました。そんなこんなで私は、障害者手帳を取得して、障害年金を主な収入として生きています。

 


それから、私の初恋の人はインターネット(Twitter)で知り合った人なのですが、その人と結婚をしました。当時(10年ほど前)のいわゆるインターネット婚・Twitter婚は現在よりだいぶ珍しく、周りからはかなり反対されたけれど、私の人生は私のものだ!と思い、結婚しました。ちなみに反対していたのはリアルな知人たちで、インターネット上の人やTwitter仲間は応援

してくれました。それと、自分自身初めての恋愛(それ以前は学生生活などで恋愛のれの字もなかった分際)で4年半付き合って、振られるのが怖かったこともあり、私がプロポーズしました。精神科入院明けのプロポーズの内容は「結婚してくれないと、ここで今から死ぬから!」と、10歳年上の相手に電車の踏み切りの前で言いました。我ながらかなりのメンヘラだなぁ…。でも当時の私も本当に生きるのに必死だったんですよね。それは今も変わらないですが。

 


そんなこともあり、学生(正式には精神科閉鎖病棟入院患者)から主婦へ。しかも場所は福岡から大阪へ。最初はお姑さんとうまくいかなかったり、喧嘩したり大変でした。でももっと大変だったのが、夫がアル中で記憶をなくすこと。

私もたまにプチODしたことはあったけれど、そんなことがちっぽけに思えるぐらいの感じ。今でも脳裏に焼き付いて離れない。警察沙汰になって真冬の真夜中に瓦礫を片付けたこと。救急車の中で離婚したいと大声で叫び続けられたこと。

 


今は別居してなんと家庭裁判所で円満調停中です。…何故円満調停なのかはここでは伏せておきますが。

 


別居のきっかけはたくさんありますが、一番は私が夫の両親から ◯◯(ずきん)ちゃんが良いサンドバッグになってくれていて助かるわぁ と軽く言われ、 あぁ、終わった…と悟り、近くの警察署に駆け込みました。

うろ覚えですが、帰るところがありません!助けてください!と言ったはず。

 


それから一時保護施設(いわゆるDVシェルターというもの)を経て、グループホームという障害者施設へ。門限は夜9時。第三者を入れてはいけない。そんなさまざまなルール・制約があるところ。めちゃくちゃ破っていたけど。

 


こんなこと書いて、夫に見つかったらどうしよう、グループホームの人に見つかったらどうしようと少しばかり…いや、実はかなり不安ではあるが、もういっか。そろそろいいよね。いつまでたっても臆病で小心者だなぁ。

 


このように、恥の多い人生を送ってきました(?)が、私はもうすぐ京都府民になる。

 


ずっと大変だった記憶しかない大阪から離れる。

 


さよなら、大阪。

 


これからは、心機一転、京都で新生活。

 


私の人生という長い旅はまだどうなるかわからないし、京都へ行くことが正解なのかも分からない。

 


しかし、私の人生はまだまだ続く。

 


少しばかりの後悔とたくさんの不安や弱さを抱いて。

 


(締めの文章が思いつかなくてそれっぽく書いたら、とてもキザなセリフみたいになってしまって恥ずかしいです)

 

みなさん、私はこんなやつですがどうぞよろしくお願い致します。

 


いろいろ誘ってください。

 


※ここに書いたことは、全部事実です。ノンフィクション!

 

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます!

 


次回はふまさんです!