神田方、降車終了
この記事は、2023年サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー1日目の記事です。
https://adventar.org/calendars/8608
今年もサークラ・アドベントカレンダーが始まりました。2017年に始まり、今年で7回目を数えます。今年の進行役は、わたくしfinaが務めさせて頂きます。アドベントカレンダーには2020年以来、3年ぶりの登場です。そのときは自虐についてと旅行記を書きました。
本年のテーマは、「サークルクラッシュ同好会に来てくれた人列伝」です。サークラのブログに私の名義で投稿するのは2021年の金沢合宿レポート以来となりますが(昨年も一昨年もアドベントカレンダーの〆切を落としてしまい申し訳ありませんでした)、今回はその金沢合宿のお話をしましょう。やはり私は旅について書くのが好きなようです。ということで、今年のアドベントカレンダーは、旅行記からスタートします。(〆切に終われ、職場からの投稿です…全然推敲してません、ごめんなさい!)
この文章は、サークラ会誌Vol.12に寄稿した「明け日勤/fina」の前日譚です。大好きな大好きな恋人とはじめて出会った、彼女との馴れ初めのお話。
序章─アドベントカレンダー
僕がサークラのアドベントカレンダーに初めて寄稿したのは2020年だった。当時高校4年生だった僕がサークラに入ったのは、言ってしまえばコロナ禍の暇潰し目的だった。学校が休校となった春先からDiscord例会に参加し始め、授業が再開したあともサークラの活動は面白かったので定着し、11月にはニセNFにも行った。そこで初めてホリィセンと会った。思ったよりおじさんだった。更には高校を中退して消息不明だった友人がフロントライン京都に住んでいることが判明し、旧交を温めるという一幕もあった。なお、この友人とは本カレンダー5日目に登録している「MSK」である。
かくしてサークラの実態を捕捉した僕は満を持してアドベントカレンダーに寄稿することになった。とりあえず登録したのはよかったのだが、このテの文章を書いたことがない。一時期ブログをやっていたが、そこではもっぱら旅行記や旅客営業規則についてを書いていたので、所謂メンヘラ文学とは縁が遠かった。
とりあえず、2017,2018,2019と過去の文章たちに目を通した。なるほどサークラの文章とはこういうものかと理解したつもりになって、自分なりに書いた文章がこれである。桐生あんずには「面白くて感性がみずみずしい子」と評され、アドベントカレンダー創始者に認められたのだとホッとしたものだが、実際のところはどんな文章が並ぶのかドキドキしていたものである。
そんな2020年のトップバッターは任意定数の「上野にて、感情」だった。こちらはホリィセンが大絶賛していた。文末に「池袋、池袋に到着です。」と書いてあって、ああこの人は東京の人なんだなとわかって、僕以外の関東勢の存在に安心した記憶がある。僕にとっては「理解(わか)りすぎる」ほどに見覚えのある情景だ。上野から乗ったってことは池袋着は6番線。反対番線にはホームドアがなく、発車メロディはせせらぎ。もはやフラッシュバックの域である。
でも、任意定数の文章はどこかいけ好かなかった。上野って別に、そんないい街じゃないし、だいたい上野の美術館群ってパターン化されたエモじゃん。パターン化されたエモでエモい文章を書いて、それでいいの?僕はだめだと思うんだけどなあ、と「ひねくれ陰キャ」のようなことを思った記憶がある。
これはシティーボーイかつ藝大崩れの僕のプライドだった。こちとら生まれも育ちも東京で、4代前から東京のど真ん中に住んでいる、生粋の山手っ子である。そして幼い頃から、藝大卒の祖父にしょっちゅう奏楽堂に連れて行かれて、そのたびに美術館に寄っていた。物心がついて藝大受験を意識し始めた頃には、「よい芸術に触れるため」に美術館に通っていた。そんな僕が上野でデートなんてしたところで露悪趣味になるだけだし、「ハイカルとサブカルってやつなんだな、所詮サークラはサブカルに憧れたお上りさんが、サブカルのセンスが有る絶妙な東京近郊住みを絶賛するだけの集まりなんだな」と少しばかり失望した覚えがある。ホリィセン、お前のことだぞ。
まあ、恐らく任意定数は東京近郊育ちで、「都心」である上野の空気に恋愛の風を感じるんだろうな、と思った。うーん、品川のほうがいいと思うんだけどな………。
僕にとっての上野といったら藝大だが、もう一つ挙げるとすれば「13番線」だろう。かつての上野駅は「今の玄関口」として隆盛を極めた。上野駅といえばあの薄暗い地平ホーム。ずらーっと並んだ頭端式ホームは壮観で、全盛期はそこから何本もの特急列車が北へ向けて発着していた。はつかり、能登、ときといった電車特急たち、そして、あけぼの、ゆうづる、北斗星といったブルートレインたち…。どれも名だたる名列車である。石川さゆりの名曲「津軽海峡・冬景色」の歌い出しである「上野発の夜行列車降りたときから」の一節からも、当時の上野が東北方面への重要拠点だったことが伺える。要は、鉄道マニアにとっては「聖地」なのである。特に上野駅13番線は、客車列車の発着ホームとしてマニアの間では有名だった。「推進運転」はわかる人にはわかる、上野駅13番線の代名詞である。
そんな上野駅も、今ではすっかりさみしくなってしまった。東北新幹線の開業によりその役目を東京駅に奪われ、その後も残り続けていたブルートレインの発着駅としての役割も、車両の老朽化による各列車の引退とともに失われた。2023年現在、上野駅の地平ホームから発車する定期特急列車は一日10本に満たない。
おっといけない。ヲタク・トークになってしまった。僕はこの通り、どうしようもない鉄道マニアなのだ。ちなみに自虐について書いたあと、12月9日の枠が埋まらないということで急遽旅行記を一本書いた。内容は、「三江線に乗ったよ」というもの。
僕が鉄道に目覚めたときはすでに、上野駅はすっかりと荒廃してしまっていた。そんな僕にとっての上野は、得られることのできなかったエモーショナルが眠る駅。任意定数は「鉄道を知らない」から上野で感情ができるけど、僕は「中途半端に鉄道を知っている」からこそ、手放しに彼女の感情に共感できなかった。
なお、件のMSKは全盛期の上野を知る、数少ない同世代の人物である。せっかくだし、僕にも任意定数にも書けない上野駅の情景を、彼に書いてもらおうかな。うーし、5日目、任せたぞ。
第一章─発案
なんとかアドベントカレンダーへの寄稿を終え、すっかりサークラに棲み着いた僕は、ずっとDiscord例会だけでは退屈なので、対面企画をやりたいと思い立つ。どうやら、過去には白浜合宿をやったことがあるらしい。そのときの様子は当ブログやToggeterでまとめられている。とても楽しそうだったので、また似たような企画があれば参加したいなと思ったため、ホリィセンに「開催予定はないのか」と尋ねた。すると「企画する人がいれば…」という返事が返ってきたので、ならば僕がやろうじゃないかということで、「やります」と名乗りを上げた。
僕がサークラのグループLINEに入ったのは、このタイミングだった。「グループLINEに入ったら入会」というよくわからないルールが活きているのだとしたら、僕はこの時点で入会したことになるが、当時はDiscord全盛期だったので、Discordで事足りていた。そのためあまりLINEグループに入る意味を感じていなかったが、合宿をやるとなると流石に入らないと連絡のしようがないため、ホリィセンに招待してもらった。とはいえ、いきなり入ってきた人間が「僕と一緒に二泊三日で旅行に行きます」と言ってもビビられてしまうだろうから、ちょっと心配だった。まあ、それも杞憂だったのだが。合計15名ほどから参加希望のLINEが来た。そして、その殆どが関西勢だった。やはりサークラはあくまでも京都の集まりで、関東ではローカルなんだなと思った。けっきょく、関東から参加することになったのは二名だけであった。
二名のうち、もちろん一人は僕で、もう一人が、のちの交際相手となる「彼女」である。ここから僕たちの恋物語が始まった。
「お疲れ様です、◯◯です。私も参加させていただきたいです。」
グループで告知した直後、威勢のよいLINEが飛んできた。実は、彼女とはニセNFで少しだけ会っていた。Discord例会でも何度かご一緒していて、そこで自己紹介を済ませ元々Twitterでは繋がっていたが、改めてお互い「よろしくお願いします」といった感じだった。やはり、インターネットの関係においてLINEの交換というのはどこかギアを一段階上げる意味合いを持つのだろう。
無秩序な合宿とはいえ、8名が参加する大所帯の旅行は、とても一人では回しきれない。「手伝ってくれる人がいたら教えてください」とLINEグループで告知を打ったところ、彼女は真っ先に「手伝います、仕事があったら振ってください」と名乗りを上げてくれた。献身的な人なんだな、と素直に思った。本人はTwitterではやれメンヘラだリスカだとメンヘラ芸を展開しているが、そこからはイメージがつかない「真面目さ」がLINEの文面に滲み出ていた。きっとリアルでは真面目でなければ生きられない責務がある、だからせめてインターネットではメンヘラをやるのだろう。まあ腕を切っている時点でメンヘラムーヴに真面目なんだけど、そこも含めての愛嬌だろう。るるぶを買ったり、とても楽しみにしているようだったし、僕も頑張ろうと思った。
彼女とLINEを交換して数日後、「ネイルを塗るキャス」という配信をしていたので、遊びに行った。リスナーは僕以外誰もいなかったので、コラボ配信をした。結局誰も来なかったので、当時ハマっていた謎掛けを僕が延々披露する回になった。彼女からお題をもらって、僕がひたすら「ととのえる」だけ。彼女が「口紅」というお題を出してきたので、「口紅とかけて、モテない男のバレンタインと解く、どちらも『くれない』」と解いたところ、彼女はたいそう感心していた。そうそう、これは2月の話だったな。バレンタインを控えていた頃で、「時事ネタはポイントが高い」と絶賛された。
意味不明である。
第二章─計画
合宿で訪れる場所は僕の希望通り金沢となった。関西勢は18きっぷで京都から向かうようだが、我々は18きっぷで行くには遠すぎる。かといって高速バスもかったるい距離で、北陸新幹線が開業したいま、金沢へ行くには新幹線一択である。ただし、新幹線はカネがかかる。彼女が「なるべく安く済ませたい、米原経由で敦賀から合流しましょう」とか言い出すことを恐れていたが、あっさり新幹線案に同意してくれたのでホッとした。
そうすると、今度は18きっぷの関西勢に比べて早着しすぎてしまうという問題が発生する。京都から金沢は概ね4時間半から5時間。道中食事を摂るだろうから6時間と見積もり、更に朝弱いサークラの面々に対し合理的配慮を行うと、彼らの到着は少なくとも夕方になるだろうと見積もった。我々二人もそれに合わせてもいいのだが、せっかくの初日を新幹線に乗るだけで終わらせるのはもったいないので、先に現地入りして二人で観光することを提案したら快諾してくれた。
彼女は欲張りだった。「加賀温泉に行きたい」とオーダー。温泉が大好きなんです、と言っていた。まあ、行けなくはない。僕も鉄ヲタの端くれである。実はこのとき、最長片道切符の出発もまた3月に控えていた。旅行のプロになろうとしていたのである。旅行のプロとして、行きたいと言われたら、連れて行きたい。連れて行くしかないということで、行程を組んだ。しかし一回NFで会った程度の人間と異郷の地でマンツーマンで温泉旅行をしたいと言い出すのはなかなかリスキーな気もした(市内観光程度だと思っていた)が、そもそも「先に二人で観光しませんか」と誘ったのは僕なので、気にしないことにした。
この構想が浮上したのは、私が合宿免許から帰ってきた一ヶ月後くらいだった。免許取り立ての学生は「怖くて運転したがらない」と「さっそく運転したい」に二極化するが、僕は後者だった。もちろん、バリバリの初心者マークの人間が「運転できますよ!!!」などと言うわけにはいかないので、控えめに「いちおう取り立てほやほやの免許があります」と申告したところ、案の定「車はあると助かりますが慣れない道を運転させるのは申し訳ないです」という返答。当たり前である。普段からTwitterでは死にたいとは言っているが、得体の知れない高校生の運転に同乗して死にたくないだろう。「流石に死にたくないんだね笑」「当たり前でしょ笑」と言って笑い合ったのを覚えている。
車の利用は最後の最後まで保留されたが、結果、初日の夕食にて「寿司のテイクアウトをする」ということが決定し、我々関東組がその役目を担うこととなり、テイクアウトには車があったほうがよいということで、無事レンタカーを借りることとなった。ならば加賀温泉から借りて金沢市内で乗り捨てようということで、加賀温泉へ車で行くこととなった。
彼女なりに色々調べてくれたようで、軽自動車しか置いていない怪しい格安レンタカーを提案してきたが、慣れない道で軽はマジで怖かったのでやめにした。彼女は怖くなかったのだろうか。
第三章─通称丸南
あっという間に当日を迎えた。待ち合わせ場所は東京駅南乗り換え改札を指定した。緊急事態宣言のときほどではなかったが、全盛期の東京駅在ラチ内とは程遠かった。確かあのときはまん防期間だったはずで、「緊急事態宣言下と比べたら大いに賑わっているが、今思い返すとそれでもガラガラだった」というくらいの人出だったため、彼女をすぐに見つけることができた。
薄いベージュのオーバーコートを着て、黒いリュックを背負って待っていた。僕も待ち合わせ時間の5分前くらいに到着したけど、「ずっと前からそこにいたよ」と言わんばかりの雰囲気を醸し出しながら東京駅の柱と同化して佇むその姿は、絶対に遅刻しないという律儀さを感じさせた。
「あ、どうも。finaです、よろしくお願いします」
オフ会仕草を済ませ、新幹線ラチ内へと入場する。自動改札機にピピッとタッチ。予め彼女のSuicaには特急券を紐付けておいた。実は僕は根っからの「アンチ・チケットレス」だが、きっぷの発券とか受け渡しとか、万が一僕がコロナにかかったことを考えると受け渡しが不可能となってしまい、リスキーすぎるのでやめた。このあたりからも、僕の初対面の女性に対する誠実さが見て取れて、今こうして振り返ると笑ってしまう。「きっぷ」という男根のメタファーを、彼女に対して隠すということは、僕も無意識に彼女を女性として意識していたのだろう。
新幹線に乗り込み、二人掛けのD,E席に座る。彼女は窓側を譲ってくれた。鉄ヲタへの合理的配慮、満点。もともとキャスや通話等で駄弁っていたこともあって、打ち解けるのに時間はかからなかった。お互いが横になって並ぶという特急車両の特性は、恋愛工学的に言えばパーソナルスペースを強制的に縮める機能として作用する。すぐ隣りにいるのに、意識して振り向かないと、相手の顔を視認できない。自ずと相手の表情や目線を意識して読み取らざるを得ない状況が生まれる。彼女は頑なに僕に目線を合わせようとしなかったが、それでも必死に僕の顔を見ようとしていた。きっと目を合わせるのが苦手なのだろう。深掘りはしなかったが、それとなく彼女の表情をふんわりと掴む程度に留めた。
ちょうどこの日は彼女の大学の来年度の履修調整だったようで、履修可否のメールを首を長くして待っていたのが印象的だった。お互いの学校の話で盛り上がった。上越・北陸新幹線は彼女にとっては高校時代のゆかりの路線らしく……おっと、彼女の個人情報がバレてしまう(笑)。
高崎を通過したあたりで、湖西線が強風でストップしたというショックな知らせが入った。京都出発組は足止めを食らっている。あわててJR西日本のホームページで在線状況を一緒に眺めていたが、どうやらこれはマズそうな状況だったので、「いやーまいったな…どうしようかな…いやー…」と独り言をブツブツ言っていたら、彼女は優しく「大変そうですねえ」と相槌を打ってくれた。鉄ヲタへの合理的配慮、120点。まあ、実際ヤバかったし、このせいで旅程は崩壊し彼らの到着時間は3時間ほど遅れることとなった。
長野駅を過ぎたあたりで、新幹線はトンネル地帯へと入り、車窓を楽しむこともできなくなる。気付けば、彼女は眉間にしわを寄せながらうとうとしていた。きっと昨晩は楽しみで眠れなかったのだろう。だとしたらかわいいもんだけど、いや、メンタルがヘラったから?まあいいや、なんであれ眠いんだなと思って、そっと彼女の寝顔から視線を落とし、再び北陸本線の運行状況を確認した。
カクンカクンと彼女の頭が揺れる。どうやら完全に寝落ちてしまったようだ。人間の頭はでかくて重い。座りながら寝ることは、その重い物体を首という支点で絶妙にバランスを保つことが要求されるが、彼女はそれさえ放棄してしまって、僕の座っていたE席を平気で侵害してきた。カックン、またカックンと、彼女の髪が不定期に僕の肩に触れる。列番で例えると8000番台。コトン、と後頭部が僕の胸元まで落ちてきた。こちらの頻度は9000番台。正直鬱陶しくて、おっさんだったらキレて起こすか車掌に言って座席を移動していたところだが、まあ許した。それにしても、よくもまあ初対面の男相手に無防備なツラを晒せるよなあと感心したものだ。本当に、掴みどころがあるんだかないんだか、不思議な女性だった。
第四章─レンタカー
金沢駅に到着したら、すぐに北陸本線の普通列車に乗り換えて加賀温泉へと向かった。なんとか521系の座席に二人並びでありついて、「京都の新快速と同じだ」みたいな話で盛り上がった……訂正しよう、盛り上げてくれた。鉄ヲタへの合理的配慮、100000000点。
加賀温泉の駅は新幹線開業を控え、絶賛工事中だった。北陸新幹線は来春、敦賀まで延伸開業する。したがって、乗車した北陸本線の金沢以西も、来春には第三セクターへと転換してしまう。
加賀温泉の駅舎を出たら小雨が降っていた。僕は傘を持っていなかったが、彼女が「入りますか?」と提案してくれた。とことん優しい人だなと思った。レンタカー屋までの距離も雨量も大したことがないので固辞し、水たまりを避けながら歩いた。レンタカー屋に到着して割り当てられた車種は知らない車で、古そうなコンパクトカーだった。まあ乗れれば何でもいい。初心者マークをペタっと貼って、いざ出発進行。
最初の目的地は山代温泉の古総湯。カーナビにセットして、アクセルを踏む。細かい話をすると、レンタカー屋の敷地を出るまではクリープ走行なのでアクセルは踏んでいないのだが。県道に出て、アクセルを踏み込む。加速は普通だ。しかし、赤信号で止まろうとすると、これが全然止まらないのである。一昔前のガソリン車のオートマなので、全然エンジンブレーキが効かない。教習車はエンブレが効きまくるマニュアル車で、自家用車が回生ブレーキがよく効くハイブリッドだったので、ブレーキ感覚に非常に困惑した。
さっそくガクンと止まってしまった。まずい、こんな運転操作では彼女に不安を与えてしまう。とりあえず「ぜんぜんエンジンブレーキが効かないですねえ」と言い訳をしてみるが、彼女は無免であるため、言ったところで理解されない。まずい、まずいと焦りかけたが、焦ったところで事故るだけだという真理に気付いたら我に返ったので、「まあ、なんであれ安全運転でいきます、よろしくお願いします」とひと声かけたところで、青信号となった。
最初の方は慣れない道の運転に必死で、あまり会話ができなかった。まあ、彼女だって運転に集中してくれたほうが安心するに決まっているからそれでいいんだけど、やはり無骨な空間だったかもしれない。古総湯に到着した頃には、天気は大雨になっていた。入口のすぐ前に車を寄せて、彼女だけ降ろして駐車場へと向かった。
古総湯はとても立派な建物で、昔ながらの浴場の原型を留めており、ステンドグラスが非常に美しく、芸術性の高い建築空間だった。一つ気になることがあったといえば、客が僕しかいなかったことだった。一人で入るには、ちょっと広いし豪華すぎて、どこか落ち着かなかった。女湯と男湯の仕切りは天井部が吹き抜けになっていたので、どうせ貸し切りだし彼女に声を掛けてみようかと思ったけど、女湯には人がいるかもしれないので、やめた。
あとで聞いた話だと、女湯にもやはり彼女しかいなかったらしい。じゃあ話しかけたらよかったわと言ったら、「いや、やめてくださいよ」と爆笑された。だんだんと、鉄ヲタ以前に僕の頭がおかしいことも理解して、内面も打ち解けていったことを実感した。
面白かったのが、温泉を出てからだった。次はどこに行きましょうか、と聞くと、「九谷焼をお土産で買いたいので、このお店に…」とオーダー。ぜんぜん構いませんよと快諾し車を回した。すると、なんと目当ての店は閉店。しかし彼女は九谷焼を諦めきれなかったようで、「本当にごめんなさい、このお店もいいですか…?」と申し訳無さそうにお願いしていたので、特に断る理由もなかったので受けた。二軒目に到着し、彼女を降ろして車内で待っていたら、すぐに浮かない顔をして戻ってきた。
「すみません、ピンと来るものが無くて…」
心のなかで爆笑した。どんだけ九谷焼にこだわるんだよ。こうして無事三軒目の店に行くことが決定した。どうせ遠方まで来たのだから、くまなくお店を巡って一目惚れしたモノを買うというのは正しい。だいたい、そのために車を借りているのだから。とはいえ、免許を取って一ヶ月と少ししか経っていない、ほぼ初対面の人間にそれを要求しているのが面白い。要求の正当性をわかっていても笑ってしまう。
きっと彼女は、どこまでも愚直で素直な人なのだろう。その正直さを信頼することができたし、人間としての魅力を感じた。どうしても人は、よく知らない相手には建前に塗り固められた感謝や謝罪のコミュニケーションに走り、人格の自己防衛を行ってしまう。そこから徐々に本音をちらつかせ、段階的に親密圏を形成していくが、彼女にはそれがなくて、どこか懐かしさを覚える程に、よそよそしさの影に眠りながらも本質に迫る本音があった。
これをASDと評する人もいるかもしれないし、彼女は自分のことをアスペルガールだと言っているけど、僕はそうは思わなかった。ただ自分自身の人格に対して誠実に向き合っているに過ぎない。正直すぎるその姿勢はきっと生きづらいだろうけど、それでも僕は、彼女には報われてほしいなと思えた。
せめて彼女の「素敵な九谷焼に出会いたい」という気持ちが報われるように、安全運転に努めること。それが僕にできる誠実さの返事だった。
第五章─お化粧してもいいですか?
一通り山代温泉の観光を終えたので、いよいよ金沢市内へと移動する。温泉街の運転も緊張したけど、加賀から市内への長距離ドライブこそが、今回の任務の本領と言えよう。まあ50km程度の道のりなのだが、免許取り立ての初心者にとってはハードルの高い長旅である。国道8号には無料のバイパス区間があって、最高速度は80km/hと、ほぼ高速道路と言っても差し支えない道路だ。
長旅に緊張したが、ようやく運転操作にも慣れてきた頃で、雑談を楽しむ余裕も生まれはじめていた。思えば、「初めて助手席に乗せた女の子」どころか、教官と家族以外の人間ようは他人を助手席に乗せたこと自体、彼女が初めてだった。なるほど世の男性はこうしてドライブデートの雑談を楽しむのかと理解を深める。
小松の道の駅を過ぎたあたりのこと。
「すみません、お化粧してもいいですか?さっきの温泉でぜんぶメイクが崩れちゃって…」
いや、僕は別にいいけど、それでいいの!?たしかにすっぴんだったけど、そもそも僕の前ですっぴんでよかったの!?そもそも得体の知れない男の前でパフパフオケショーして、それでいいの!?確認しなければならない事項が多すぎたので、もはやそれ自体を放棄してしまったが、やはり彼女は面白い。絶対に人前で化粧することが許されなさそうな育ちの良さ、ズバリ言ってしまうと「清楚であれという毒親の呪縛」の自覚については本人も言及しているが、その反動形成なのかな、と思った。とはいえその呪縛はこんなにもあっけなく崩れ去るのかと驚きを隠せなかった。
もちろん合理的な判断だし、「ただでさえ長ったらしい風呂上がりの支度に時間を要しては、待たせてしまって申し訳ない」という彼女なりの気遣いであることは容易に理解できた。約一時間見込まれる移動中に必要経費を避けば、時間効率が上がる。裏を返せば、彼女の「限られた時間を最大限有効に使って、最大限旅行を楽しむ」という精神なのだろうと解することもできる。その全力エンジョイ姿勢は、見習わなければならないなと思った。
僕のように旅慣れてしまうと、旅行そのものの希少性が薄れ、どうしても惰性になってしまう。旅行中の動作一つ一つは習慣化され、どうしても無意識が多くなって、得られる感動に対する感受性も薄れてしまうだろう。もちろん僕はシティボーイハイカル人間としての自負があるので、旅に見出すエモーショナルは「反復し習慣化された無意識の上にこそ見出す」という哲学を確立して惰性に抗っていたが、彼女の全力投球は、また違った方向からのアプローチだなと思った。もっというと、メメントモリを体現しすぎていて、なんというか美しすぎる儚さに物悲しささえも覚えた。
ふと任意定数のアドベントカレンダーを思い出した。僕は、上野の街を習慣化している。いや、上野の街だけではない。今回の合宿だって同じだ。東京新幹線車両センター付近から見える萩の月のクソデカ看板も、荒川橋梁から見下ろせるグラウンドを走る少年たちも、高崎線併走区間から望む浅間山と時たま見える富士山も、すべてが「反復された、変わることなく記憶に刻まれた光景から見えるエモーショナル」だった。
でも、任意定数にとっての上野公園の静寂さ、アメ横の喧騒、山手線のアナウンス、これらすべてが「はじめての世界」だったとしたら。任意定数と彼女の影が、妙に重なった。刹那的で、いまこの瞬間を必死に生きる彼女たちにしか見えない景色。消えて無くなってしまいそうな、儚い美しさなのだと思った。
納得がいったと同時に、いま僕の隣で化粧に勤しむ彼女にとっては、この北陸の無機質で社会主義チックな鬱屈とした景色でさえも、きっと光り輝いているのだろうなと理解した。どこまでも純粋で、少年のような眼差しから見える世界は、いったいどんな景色なのだろうか。
車は無事、次の目的地だった寿司屋に到着した。予約時間に間に合って一安心。あとはスーパーで飲み物等の買い出しをして、一式を宿へ運んで、車を返すだけ。乗り捨てという制度は便利だなあ。
「僕はしっかりハンドルを握ってるので、寿司を託しますよ!」
「はい!」
寿司ごときでバカバカしいとはいえ、9人分の寿司である。僕たち二人の使命は重すぎる。一つくらい…食べてもバレへんか!
第六章─金沢合宿に来てくれた人列伝
17時過ぎに宿に到着し、彼女と荷物と寿司を降ろした。僕の名義で予約していたので、チェックインを済ませ代金を支払うべく車を降りて宿へと入った。客室へと案内されたが、とても綺麗で広々としていた。本来は共用部の、ドミトリーの一階部分を貸し切っている。寝室はまた別に二階にある。大きなダイニングキッチンがあって、リビングのテーブルも長くて、こりゃいいや。彼女のテンションも上がっているのがわかった。寿司を冷蔵庫に入れ、「それじゃあ車を返してきますね」ということで、彼女とは一旦解散した。
宿から返却店舗への道のりが最後の運転となる。日が落ち始めていて、いわゆる「薄暮」という運転には特段の注意を払う必要のある時間帯に突入していた。返却店舗は宿からすぐ近くにして正解だっただろう。慣れない街の夜道は非常に危険だ。慎重に慎重に、カーナビの指示に従ってハンドルを切る。なんとか返却店舗に辿り着いたが、どっと疲れてしまった。ガソリンを入れるのが怖かったので、キロ精算にしてしまったけど、割高になっちゃうなあ。彼女にガス代請求するのはやめておこう。でも、彼女のことだから律儀に払おうとするだろうなあ。帰りの新幹線でビール一本奢ってもらおう。
宿に戻ると、関西組も到着したようだった。湖西線の大遅延は相当堪えたようで、みな顔が疲弊していたが、同時に安堵の表情も浮かべていた。関西組は計6人。うち京大生4名。高学歴すぎる。加えて現地参加者が1名いた。
食事の支度が整ったところで、無事寿司が振る舞われた。「寿司争奪戦ドラフト会議」は大いに盛り上がったし、自己紹介も各々が楽しそうに自分語りをすることに成功していた。ほとんどオフ会のような旅行で、どのような雰囲気になるか非常に心配だったが、アイスブレイクとしては大成功だった。
初日の食事のセッティングについては、彼女とずっと相談していた。今回は前回の白浜合宿と違ってほぼ全員が初対面で、どんな空気になるかわからないから、初日の食事は肝心であるという見解が一致し、そこから議論の末に「寿司テイクアウト」の結論へと至った。彼女と二人になったとき、「うまくいってよかったですねえ」とお互いの安心を相互確認した。こうしてふたりとも胸を撫で下ろし、初日の日程はトラブル無く終了した。
食事の後はそのままシェアハウスのような雰囲気で、リビングで各々が寛いでいた。流石はサクラ荘を展開するホリィセンが回しているだけある。その力量はホンモノだな、と直感した。いろいろな催しが開かれていたが、ウクレレを持ってきている人、某アカペラサークルに入っている人、そしてミニキーボードを持ってきた僕とで簡易セッションをしたのは印象的だった。サークラは広く開かれているとはいて、どうしてもアカデミア前提のサークルという側面もある。僕だけ高校生で、圧倒的最年少で、遠くの東京に住んでいて、そもそも高校だって定時制のようわからんところだし、大学生の集まりに一人混ざってよいのかという不安は常につきまとっていた。その点で彼女は、同い年かつ同郷という意味では、安心材料の一つだったかもしれないが。
あの合宿のあの空間は、そんな僕を出迎えてくれたわけでもなく、一方で僕が馴染むための努力をしたわけでもなく、自然と「良い空気」が醸成されていたのだと思う。うまく言い表せないが、とても居心地が良かった。
こうして全員の親交が非常に深まり、この合宿は大いにサークラの親睦を深めることに寄与したのだが、のちにクラッシュの運命を辿ることとなる。しかも、結果として三つのクラッシュが巻き起こった。
まず一つ目が、BおよびSの男性二名、そしてRの女性一名との間で発生した三角関係。まさに恋愛を巡って発生したクラッシュで、サークラ的にはお手本のような事例なのかもしれないが、非常に悲しい結末でもあるため、あまり言及されてこなかった。これについては、いつかほとぼりが冷めた頃に、ホリィセンあたりが言及することだろう。というか、そうあってほしい。「いつか笑い話に」なってほしい。
二つ目が、SとNが運営方針を巡って対立し、Nがサークラの脱退を余儀なくされたというクラッシュ。これも悲しい事件だったが、最近の出来事であるため、多くは語られていない。これについても、ほとぼりが冷めた頃にホリィセンあたりが言及するはずだ。
そして三つ目が、僕と彼女の恋愛。これは本当に本当に、悲しい結末を迎えてしまった。この結末こそが、今年の会誌に私が寄稿した文章の全容である。これは厳密にはクラッシュには分類されないかもしれないが、クラッシュということにしておこう。
第七章─乗り遅れ
二日目はグループを分けての観光とし、彼女とは別行動だったので、本文での言及は避けよう。ちなみに、ホリィセンと一緒のグループになって、市内観光をした。二十一世紀美術館の謎展示を「女性器のメタファーだ」とか言って、ゲラゲラと下品な笑いで盛り上がったのは特に覚えている。
三日目は帰りの電車の時間だけを決めた自由行動とした。ほとんどの参加者は連日の深夜に及ぶ飲み会のせいで限界まで寝ていたためチェックアウトギリギリまで粘っていたが、彼女は早起きして早朝の市内へと出掛けたようだった。チェックアウトのときに集合写真を撮ったのだけど、彼女はそこには写っていない。ちょっと残念だった。
そういえば、彼女は連日一足先に寝ていたな。いつも先に寝室へと上がっていた。別に何時に寝ようと自由だし、飲み会も強制参加ではないので問題はないが、どこか一歩距離を置いているように見受けられた。
僕も彼女とは初日にたくさん話せたので、他の参加者とのコミュニケーションを優先していたが、もっと「彼女が環に入れるような配慮」をすべきだったのかもしれないなと思った。でも、それを露骨にしてしまうと、いわゆる「オタサーの姫と理解のある彼くん」になってしまうし、逆に「東京から来たお二人は仲良しでいてはりますなあ」と京大生諸氏に思われても癪なので、あくまで静観が正しい対応だったのだろう。複数人のコミュニケーションへの参加は本人の意思に委ねるのが確実だ。
まあ、帰りの新幹線も一緒に指定席を取っていたので、またその時に話せばいいや、と思った。幸い初日の時間でかなりお互い打ち解けているので、ふたり合宿反省会も捗ることだろう。
そして僕は富山に住んでいる菊池あき氏とふたりでランチをしてから、七尾線に乗りに行った。菊池氏とは芸術や医学の権威性についての話をした。美味しいお店に連れて行ってもらって、とても感謝している。
この合宿最大のお目当てが、七尾線の413系だった。あと二週間ほどで引退してしまう車両なので、惜別乗車というわけだ。満を持して、乗り鉄の本領発揮である。国鉄時代から走る同車両の漂わせる風情を堪能し、爆音モーターに耳を傾けながら、だだっ広い能登半島を北へ北へと向かった。
しかし、この時点で僕は既に取り返しのつかないミスを冒していた。時刻表を読み違えており、このまま終点の七尾まで乗った場合、金沢まで引き返したとして指定していた新幹線に間に合わないのだ。えきねっとで予約した割引きっぷなので、後続の自由席にも乗れず乗車券部分のみ有効となってしまう。
このミスに気付いたときには時すでに遅し、もうどうしようもなくなってしまった。乗り遅れや時刻表の読み違いは何度も経験しているが、一人旅だからリカバリが効くのであって、今回はそうもいかない。一気に背筋が凍った。これはまずい、きっと彼女も困惑してしまう。実は二年前に七尾線に乗ったときも時刻表の読み違いで派手に乗り遅れ特急券をドブに捨てている。呪われているなと思った。
とりあえず彼女に連絡をした。彼女は「とりあえず指定しているかがやきで一人で帰ります」とのこと。乗車変更もできないのだから、当たり前である。ふたり反省会の目論見があっけなく崩れ去ってしまって残念だったが、同時に自分も純粋に彼女と話したかったんだな、と気付いた。ただでさえ一人旅が好きな僕である。たぶん彼女と反りが合わなかったら「のびのびと一人で帰れるしむしろよかったな」くらいの温度感だったかもしれないけど、ここまで「やってしまったなあ」と焦るほどには、彼女と二人で話したいと念じていたのだと思う。
待っててくれなくて残念とか、「馴染めていなかったかもしれない彼女が心配だ」とか、そういった類の性愛的感情も無意識にあったのかもしれないけど、何よりも彼女と一緒に新幹線に乗りたかった。九谷焼に異常にこだわって、助手席にで化粧をして、早起きして一人だけ先に出発する彼女には、僕の知らない北陸の景色を見せてもらった。だから、せめてもの恩返しとして、僕の見ている世界を、おすそ分けしたかった。
レンタカーで爆走することも考えたが、初心者マークを貼っつけている自分の運転技術で追いつくことはまず不可能だし、事故ったら本末転倒である。大人しく次に来る金沢行の七尾線を待とう。
こうして、ガソリン代がわりのビールを奢られることに失敗した僕は、渋々東京までの自由席券を別途購入し、ついでにプレモルを一本自腹で買った。
第八章─北陸ロマン
かがやき号は全車指定席なので、自由席のあるはくたか号に乗らざるを得なかったが、はくたか号は北陸新幹線区間は各駅に停車するので非常にかったるい。まあ乗り遅れた僕が悪い。乗車した自由席は始発の金沢発車時点で4割ほどの乗車率だった。平日の17時台でこれか。やはりコロナの影響は大きい。
高架の上から見下ろす夕暮れの金沢市内の景色は、やはりいつも通り変わらず鬱屈としていた。彼女の目には、この車窓がどう映ったんだろう。復路は窓側を譲る気でいた。一緒にビールで乾杯したかったけど、一人の晩酌で我慢する。まあ一人旅は僕らしくていいじゃないか。
「E7系かあ。上越新幹線なら風味爽快ニシテなんだけどなあ。上越新幹線のE7系はピンクの帯が入ってて好きなんだよな。まあプレモルも美味しいからいいんだけどね…」
いつも通りオタク思考に耽りながら、テーブルを広げプレモル缶を乗せたあたりで、車内チャイムが流れ、自動放送が続く。
今日のチャイムは、北陸ロマンだった。なんと!W7系を引き当てたのだ。
解説しよう。北陸新幹線の車両は、E7系とW7系の二種類がある。前者がJR東日本、後者がJR西日本の所有という違いだ。北陸新幹線は、JR東と西の二社にまたがる路線であるため、車両にも所属が存在する。外見はほとんど同じで見分けがつかないのだが、車体側面のロゴマークに「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」「WEST(以下略)」と表記されているため、そこで区別することができる。EとWはこの頭文字というわけだ。
そして、この両者は流れる車内チャイムの楽曲が異なる。E7系は「TR-12」、W7系は「北陸ロマン」がそれぞれ流れるので、ロゴを見なくても区別できる。
TR-12も好きだけど、あくまで僕の認知の中でのTR-12は上越新幹線と紐付いているし、あくまでJR東日本の楽曲なのだ。金沢はJR西日本管内だから、JR西日本の車両に後ろ髪を引かれるように旅行の余韻に浸りたい僕にとっては、北陸ロマンはこれ以上ないエモーショナルだった。
それに、そもそも曲が良い。哀愁漂う旋律と、はっきりと聴こえるベースライン。作曲したのは谷村新司、あの「いい日旅立ち」を世に送り出した作曲家である。もともと同楽曲は2015年の北陸新幹線開業キャンペーンソングとして書き下ろされた、比較的歴史の新しい楽曲ではあるが、たった5年10年でら鉄道マニアの間では「北陸の顔」として定着しているのだ。きっと末永く「北陸への旅の象徴」として君臨することだろう。
北陸ロマンから始まった自動放送と肉声放送が終わったあたりで、思わず泣きそうになってしまった。「ああ、僕は北陸に来ていたんだなあ、もう終わってしまうんだなあ」と痛感した。金沢は何度も来ている街だし、いま乗っているW7系は一日に何度も東京と金沢との間を往復していて、そのたびに北陸ロマンを流している無機質な存在だけど、そこに今いる僕は、極めて有機的で得難い経験をしたのだ。
無機物の反復、繰り返される習慣にエモーショナルを見出す姿勢が変わったわけではない。でも多分、この合宿は僕にとって、「全力でいまを楽しむこと」という、大切な気持ちを学ぶ時間になった。するとどうだろう、今まで無意識にエモさを感じていた旅路が、いっきに有機的に見えて、溢れ出す感情がそこにはあった。ふと窓を見ると、もう真っ暗で、自分の顔だけが映った。相変わらずバカな顔をしているが、いつにもなく増して疲れ切った顔をしてきた。合宿の主催を務め上げたんだから、そりゃそうだ。
ああ、彼女にもこの景色を見せてあげたかったなあ。ふたりで一緒に窓に映りながら「飯山トンネルは長いねえ、何も見えませんねえ」とトンネルについてのウンチクを語るついでに、碓氷峠の話をしたかった。どうして乗り遅れちゃったんだろうなあ。後悔が止まらなかった。
そろそろプレモル缶を開けよう。プルトップに指を掛けて引く。いつもと変わらない「プシュッ」という音とともに、少しだけ泡が溢れ出た。ちょっとぬるくなっちゃったかな、まあいいや。
北陸ロマンに乾杯するという意味不明なオタク仕草を見せたと同時に、たった350mlのビールで一気に酔いが回ってしまった。それほどには疲れていたのだろう。思えば慣れない運転から始まり、緊張の連続だった。疲れきった顔を彼女に見られるのも少し恥ずかしかったので、結局のところ一人で晩酌しながら帰るのは正解だったのかもしれないと、急に現実主義的な思考に転換してしまった。あー、思考がぐるぐるする。
終章─あゝ、上野駅?
すぐに酔いが回った分、覚めるのも早かった。高崎あたりで完全にアルコールが抜けてしまった。乗車したはくたか号は本庄早稲田停車便だったので、うげ、と吐き捨てたくなった。正直かったるい。行先に「東京」を冠している時点で、僕の旅はもう余命宣告を受けているに等しい。旅の余韻だって大事だけど、本庄早稲田のようなしょうもない駅に停まられると、「早く殺してくれ…」と思ってしまうのは鉄ヲタの性だろうか。なぜか憂鬱になってしまった。隣にいるはずだった彼女がいないから寂しいのか、本来乗るはずだったかがやき号のスピードに及ばないから手持ち無沙汰なのか、はたまた無駄金を払わされたからなのか。きっと全部なのだろう。憂鬱さの裏に、少しだけ刹那的な美学が芽生えた気がした。
僕は、夜の大宮駅が好きだ。下品に輝くラブホのネオン、野田線ホームに停まるボロボロの8000系、たまに貨物列車も見れたりする。なんというか、雑多で洗練されていなくて、さいたまのダサさを濃縮したような空気が好き。それを言ったら、大宮以南が全部好き。ちんたら埼京線の横を並走する赤羽までの区間は、埼京線各駅で電車を疲れた顔をしながら待つ乗客たちを眺めるのが楽しい。荒川も昼間とは全然違って、中途半端に高いタワマンの光をぼんやりと映している。赤羽を過ぎると、やたらと豪華に光っている萩の月が見えてくる。一連の車窓が「帰還の儀式」であり、感情が旅行の終了へと移ろうべく準備を始める。
かつての東北・上越新幹線の終着駅は大宮だった。それが上野まで伸びて、最終的に東京に繋がった。平成以後に開業した東海道新幹線の品川とはまるで対称的な歴史を持つ。つまり東北新幹線を東京まで乗ると歴代の終着駅を総なめにできるというわけだが、各駅に歴史と個性が眠っているから面白い。
上野駅は前述の通り、かつては北の玄関口として栄えていた。その当時に書かれた「あゝ上野駅」という演歌がある。集団就職のために上京してきた少年たちを描いた同曲は、上野駅のシンボル、ひいては東北のシンボルとして、長らく愛され歌い継がれてきた。上野駅には歌碑が立っており、いまでは発車メロディにも採用されていることからも、上野のメタファーであることが伺える。
全盛期の姿など、今は見る影もない上野駅。でも、きっと昔は北の玄関口の名に相応しい活躍だったのだろう。「あゝ上野駅」で歌われる哀愁は、上野駅から故郷を思う気持ちに他ならなかったのに。それが今では、上野駅そのものの過去の栄光へと思いを馳せる哀愁となってしまった。これも一つの時代の流れなのだろうけど、時間というのはなんと皮肉なものだろう。
あゝ上野駅。新幹線ホームは地下深くにあるので、ほとんど誰も使わない。直前までは地上を走っていたのに、急に地下深くへと潜ってしまう。急に異世界へ迷い込んだ感覚へと陥るのだ。僕にとっての上野駅は、「誰も使わない新幹線ホーム」であることもまた思い出した。藝大と、13番線と、深すぎる新幹線ホーム。すべて、結局は僕とは縁遠い場所であることに違いない。本当は故郷になるかもしれなかったのに、遠く遠くへと行ってしまった。いや、心の故郷であることは間違いないのである。でも僕は藝大に進学しなかったし、上野駅13番線から発車するブルートレインに乗ることはなかったし、僕たちの旅が上野駅から始まることは、もうない。
彼女と待ち合わせた東京駅丸の内南口。これが令和の象徴なのだ。僕たちは今この時間を生きなければならない。
彼女は一切の疑念も抱かず東京発の北陸新幹線に乗って、僕と一緒に旅に出た。任意定数は、廃れ切った上野駅でY君と待ち合わせた。MSKは、新幹線を上野で降りて常磐線へと乗り換える日々を送る。そこには確かに「廃れ果てた上野駅の実存」が存在すると同時に、いまを生きる人たちの実存がある。
「いつ死んでもいいように、いまを全力で生きること」
九谷焼に異常にこだわって僕の隣で化粧をする彼女に教えられたと同時に、任意定数のnoteの真意がようやくわかった。あれはまさに、任意定数にとっての「あゝ上野駅」だった。いけ好かないと思った根源は、僕の上野へのコンプレックスだった。いつまでも藝大に囚われてはいけない。あけぼのへの未練を垂れてはいけない。MSKに「ブルトレに乗ったマウント」を取られても、健気に生きなければならない。
僕の旅は、もう上野駅で終わらない。令和の時代、終わりを遂げるのは東京である。
「まもなく、終点、東京です。」
最後の北陸ロマンが流れ、自動放送が旅の終わりを告げる。もう終わってしまうけど、僕は前向きだった。彼女の美学に触れられたのが、嬉しかった。だからせめて、僕の美学でこの旅を終えよう。
「神田方、降車終了」
毎日繰り返される、変わることのない無機質な業務放送。東京駅に到着したW7系は、これを合図にドアが閉まる。こうして僕の合宿は幕を閉じた。
つぎは彼女と一緒に、「神田南了解、ITVよし、出発よし」を聞けますように。
P.S.
今では任意定数もMSKも僕も大の仲良しだ。今年の夏、上野駅120周年の特別企画として、13番線から発車する青い客車の臨時列車が何年ぶりかに設定されたのだが、三人で乗りに行ったほどの仲である。
という余談で本稿を〆ようと思う。
なお、飲酒の描写があるが、留年に中退を繰り返しているため、高校生ながら既に成人済みであるので、誤解なきように。
明日は雪原まりもさんです。どうぞお楽しみに。