いる場所のなかったわたしが居場所を獲得するまで
はじめまして、サークルクラッシュ同好会の副会長をしているカプリスです。去年の12月ごろに「セックスするけどヤリチンと言われたくない」を書いたものです
今回は、わたしがサークルクラッシュ同好会に入ったわけ
というテーマで自分語りをしていこうかと思います。
①大学入学
高2くらいからわたしはいわゆる「メンヘラ*1」でした。何とか大学受験は終わったもののそこから糸が切れた様に精神がより不安定になっていきました。何とか最初に友達は作れて私を含めた四人グループで行動していたのですが、その友達の前で「ブロン*2」をザラザラと瓶に口を付けて一瓶飲んでみたり、血を溜めたペットボトルを見せて無邪気に「見て~、綺麗~」とか言っていました。当然友達はメンヘラでもない普通の人です。どんどんこいつ頭がおかしいと思われ距離を取られていきました。そういった行為がどんどん悪化していき最終的には学校の授業中、教室のど真ん中でリストカットをしました。流れる血、慌てふためく周りの人、飛んでくる保健室の人。それらが重なり結局精神科病棟へ入院することになりました。入院することになりもちろん大学は休学、そしてその友達だった人とは完全に縁を切られました。そんな私の心のよりどころはツイッターだけでした。
②サークルクラッシュ同好会を知る
休学して毎日ツイッターをしていた時、あるアルファメンヘラツイッタラー*3の名言(?)をまとめたbotと出会いました。その人(botの元となった人)がサークルクラッシュ同好会のことに言及していて、初めてサークルクラッシュ同好会の存在を知り、また、その人が「サークラはコミュニティーになじめなかった人の最後のよりどころとして活用してほしい」ということを言っていて、これは入るしかない!! と思っていました。
③NFにて
しかし生きることに精一杯だったわたしはそんなことを一瞬で失念してしまいました。毎日死にたいと思いながらフラフラ生きていると高校の友達にNFに行かないか、と誘われたので、行ってみると自分の学校では見ないような人がたくさんいて感動していました。友達と少し見て回っていたのですが、友達が家が遠かったので途中で帰ってしまいました。そこでペラペラとガイドをめくっているとサークルクラッシュ同好会のブースのある場所を偶然発見し、運命的なものを感じブースに行ったことを今でも覚えています。そこで今の会長であるかしぱんさんとしゃべり、最終的にサークルクラッシュ同好会に入りました。
④そのあと
学校では全く友達ができなかったものの、サークルクラッシュ同好会の活動や、会員とのかかわりによって、どんどん友達が増え、学校以外に居場所を作ることができました。その後、また問題を起こして精神科病棟に入院し、また休学もしましたが、居場所があるという安心感があるおかげかこころなしか安定している気がします。
⑤まとめ
サークルクラッシュ同好会は活動頻度こそ少なく、義務や責任もない分所属意識なども薄いですが、わたしのように問題だらけの人間でも受け入れられています。ちょっとした居場所が欲しい、でもなかなかクラスやサークルには馴染めない、と言う人でも気軽に参加できるのでもしよければ入ってみてください。