死にたいということについての自分語り

 

注1:精神的に不安定な方は読まないほうがいいかもしれません。
注2:なにかしらの記憶違いが存在する可能性や、将来私が全然違うことを言っている可能性があります。

 

これはサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー2020の21日目の記事です。(遅れてごめんなさい!)

adventar.org

 

この記事では死にたいということについて書いていこうと思います。
それほど暗い記事ではありませんが、なんかよくない感じだなと思ったらブラウザバックをお願いします。

 


はじまり:中学2年生ごろ

小学生の頃、自分が死についてどう思っていたのかはあまり記憶がない。
死にたいと思い始めたのはだいたい中学2年か3年ぐらいの頃だったと思う。中学2年の秋から、ガラケー(そう、当時はガラケーだった...)の未送信メールを日記帳にしていた。この日記の中に死にたいという記述があったことは覚えているのだが、それがどのような死にたさだったのかはよく覚えていない。ガラケーの電源を入れて見てみればいいのだが...。

 

転機:高校生

高校1年生の頃、生理不順で病院に連行され、薬を飲まされた。この薬が合わなかったらしく、母に「死にたい」と言っていたそうだ。自分ではこのときの記憶がない。(正確には、洗面所でドライヤーを見ながら喋っていたことと、母の反応がなんか微妙だったことだけを覚えている。)今思うと、母に死にたいと漏らすなど、大胆なことをしたものだなあと思うが、悩んだ末にこっそり打ち明けた、という訳ではない。当時の私にとっては自分が死んだ方がいいのは当然のことであり、そのことを淡々と述べたのに過ぎなかったのだと思う。医学的に根拠のある話ではないが、私はあのとき薬を飲まされたところから「死にたい」ということの輪郭がわかるようになってしまったような気がしている。


高校生の頃は、死にたいということ以外にも、感情がコントロールしきれずブチ切れることもよくあった。血の気が多かったから、鬱々とした死にたさではなく、「ああもう、わたしが死ねば全部解決するんだ、そうでしょう!」という、手段としての死にたさ、積極的な死にたさを感じることが多かった。自分が「死ぬ」ということに納得がいってしまったら速攻死んでしまうのでは?というコントロールできない恐れのようなものがあったし、どうしようもなく感情が理性を飛び越えてしまうような危機感を感じていた。

 

死ぬ死ぬ詐欺の話:1回生の頃


大学生になって一人暮らしを始めると、ほんとうに自分が突然死んでもだれも気がつかない状況になってしまった。その他いろいろ限界だったこともあり、この頃、地元の仲の良かった友人に月1ぐらいで死にたいという旨のLINEを送っていた。(私は高校生ぐらいの頃から彼女に死にたいと漏らしていたように記憶していたが、LINEの履歴を確認したところその形跡はなかった。人間の記憶は曖昧だ。)


死にたいと言うことは、相手に心理的負担を強いてしまう場合がある。距離が離れているなら尚更だ。だから、死にたいというときには、「あなたが死んだら寂しいよ」と返してね、とお願いをした。そして、勝手に黙って死なないこと、もし死ぬことを決めたなら、死ぬ前に必ず会いに行くことを約束した。
死なないという条件の元で死にたいと言うことを、私は「死ぬ死ぬ詐欺」と呼んでいる。死ぬ死ぬ詐欺をやっている限り、私は相手に心理的負担を強いているかもしれないと気に病まなくていいし、相手も真剣に返答しなければいけないというプレッシャーを感じなくていいよ、という仕組みだ。


「黙って死なない」というルールを既成事実にしておくことで、死ぬということが自分の中で正解になってしまったとしても、速攻死ぬということはないなと思えるようになった。当時のLINEを見返すと、死にたいということと一緒に日頃の悩みも聞いてもらっていて、そんな私の相手をしてくれた彼女には頭が上がらない。ほんとにありがとう。


歳をとればなおります?:2回生〜現在


2回生ぐらいになると、切羽詰まった死にたさを感じること自体がそもそも少なくなっていた。死にたいということにかかわらず、感情と行動が昔よりも切り離されている感じを覚えるようにもなった。腹が立っても物に当たらなくなったけれど、いい音楽を聴いて急に動き出してしまうこともなくなった。高校生の頃、「歳をとればなおります」という発言に怒りを覚えていたけれど、たしかに「歳をとればなおる」ものだったのかもしれない。(いまだに感情が暴走しがちなのは否めないので、わからないが。)


しかし、この頃から、鬱々とした死にたさに苛まれるようになった。自分は生きている価値がないとか、人に会ってもうまく話せないだろう、とか、そのような類のもの。文章がうまくまとまらず、大学の課題に余分に時間がかかったり、家事をしている途中にフリーズしてしまったり、まあそんな感じになってしまうことがときどきある。


鬱々とした死にたさの傾向と対策


こういう死にたさともしばらく付き合っていて、わかってきたことがいくつかある。
一つ目は、忙しさが一定量に達すると発生しやすいこと。自分のペース的には、週に一度は家に引きこもれる日を作るといいが、人間そうもいかず、ついつい予定を入れ、予定がふと途切れると家から出られなくなるのがオチだった。
二つ目は、だいたい月1で小さいものが、3ヶ月か半年に1回ぐらいひどいものが訪れるということ。忙しさ要因とも絡むので、必ず、というわけではないが、Twitterを見返すと周期的に同じようなツイートをしていることに気づいて笑ってしまった。
パターンがあることがわかると、「今だけだから」と考える余地が生まれてきた。そう思ったってしんどさは別に変わらない。でも、「きっと今だけだから、この課題は来週やろう」とか「きっと今だけだから、うまくできなくても仕方ない」など、休息を取ることやうまくいかないことに納得できるようになったことはよかったと思う。


三つ目は、普段気にならないようなことまで気になって仕方がなくなってしまっていること。もともと心配性な性格だけれど、いつも以上に神経質になっている。具体的には潔癖になってしまって手を洗いまくったり、ご飯を食べたら食中毒になるのではないかと過剰に心配したりしている。その他、注意力が散漫になり時間感覚が曖昧になることも重なって、家事をしている間に頻繁に手が止まってしまう。これにはあまり有効な対策を今のところ見つけられていない。まあ仕方ないなと諦めている。


「死にたい」という言葉の裏にあるもの


ここまで散々死にたい話をしてきたが、まとめると、私は本当に死にたくて死にたいと言っているわけではないのではないかと最近は思うようになっている。死にたいというわりには、死なないための方法をいろいろ考えているような気がするからだ。高校生の頃の死にたさは自分が突然死んでしまうのでは?という恐れを含んでいるし、1回生の頃に友達と死ぬ死ぬ詐欺を始めたのも明らかに死なないための手段だ。最近も、ほんとに死にたいなら潔癖症になんてならずにやばいもの食べて食中毒にでもなればいいと思う。


みんながそうというわけでは当然ないのだが、少なくとも私にとっては死にたさというものはなにかの代理なのだと思う。自己否定とか、不安とか、まあそういういろんなものの。まだその全容をはっきり掴むには至っていないけれど、これからもほどほどに付き合っていくしかないなと今は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

27クラブ

思考が停止してゆきます。

 

昨日27歳の誕生日を迎えました。初めまして、中田瑠美(なかだるみ)です。サークルクラッシュ同好会の方々と比べると多分立派にアラサーなので、高齢な類に入るのではないでしょうか。考え事とか、ひらめきが、どんどんできなくなっていきました。成長のピークは過ぎ、このまま老いていくということをまざまざと実感させられる時期です。今も回らない頭でこれを書いています。

 

誕生日も、正直言って憂鬱でした。ちょうどメンタルクリニックの通院日だったので主治医にその事を話したら、誕生日おめでとう、と言ってくれたのですが、私は空虚でした。たぶん社交辞令です。いや確実に!!

 

27クラブ

27歳、音楽好きな人はピンとくるかもしれませんが、カート・コバーンジミ・ヘンドリックスらが死亡した年齢です。同じ歳になってしまいました。年々朦朧としていく頭の中で、自分が世の中でどれだけ活躍できたか考えてしまいます。誰もが知ってるカート・コバーンジミ・ヘンドリックス、などなど、華々しくなれて早死にできるなんて良いなあ…。

 

私の人生のピークっていつだったでしょう、もうとっくに過ぎたかもしれないし、まだ過ぎてないかもしれません。私がこのまま死んで27クラブに入る権利はあるのかと考えることがあります。追い出されるかもしれません、お前はまだなにも成せていないって。

 

そこそこ絵を描いて生きてきました。絵を描いて成したいこと、ありました。27になってそれがこの先叶うのか、こんな老いていく一方の脳で成し得るのか、不安で不安でなりません。たしかにちょっとアキバblogさんとかに紹介してもらえたこともあるけれど、それも何年も昔の話です。あのころはたくさんひらめきがあった。どんな締切も守れた。あの頃は良かった、あの頃は良かった、あの頃は良かった!! そればかりです。

 

本当にあの頃は良かった?

懐古とか思い出の美化なんて言葉が、この世にはあります。27歳にしてもうそんなことをするようになってしまいました。あの頃は良かった。思考の口癖です。あの頃は良かった。本当に? たまに「あの頃は良かった」とぼやくと、長年の私を知っている人から、

 

「そんなことないよ、君は昔も今も苦しそうにしている。あの頃って時期に戻ってご覧、きっと今より苦しいかもしれない」

 

と言われたことがあります。そうなんでしょうか、あの頃という時期ーー例えば10代の終わりから20代になった頃ーーに戻ったとして、まだまだ先に希望がわずかながらあった頃と、もう数年で30歳という頃になった希望があるかわからない今、本当に同じなんでしょうか。ただの懐古なんでしょうか、美化なんでしょうか、もうわかりません。そもそも私は苦しんでいるのでしょうか?

 

疑問だらけ、されど答えを出す気力もありません。

 

 

 

自分を語るにも言葉を紡ぐのが難しくなってきました。老いでしょうか。とりとめのない文章ですがこれで失礼いたします。よいホリデーシーズンを。さようなら!!

人に愛され、旅を愛する

 この記事は、サークルクラッシュ同好会・アドベントカレンダー10日目の記事です。

adventar.org

 

こんにちは。finaです。4日目に世紀に残る駄文を投稿し各方面から大顰蹙を買いました。しかし懲りずにもう一本記事を書いています。先日はこじらせたことを書いてはみましたが、私にも純粋な一面はあります。

それは旅行が好きであり、また熱心な鉄道ファンであるということです。かつてサークラに熱心な鉄道ファンがいたかはわかりませんが、過去数年の新歓ブログリレーやアドベントカレンダーを見る限りコテコテの鉄道ファンが書いたと思わしき記事はあまり目にしませんでした。なら私が書いてやろうじゃないかということで、旅をサークラっぽいテーマに絡めて書いてみたいと思います。

 

これは私が中学3年の春に体験した、出会いと別れの記録です。

 

三江線を目指す

広島県の三次という街と島根県の江津という街を結ぶ、三江線という路線がかつてありました。残念ながら利用者減少などを理由に2018年3月をもって廃止になってしまいましたが、車窓からは雄大江の川という綺麗な河川を望め、多くの鉄道ファンから愛された路線でした。

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三江線口羽駅。上下線の列車がすれ違います。

三江線が廃止される1年前に、私は乗車することが叶ったのです。中学3年の春でした。卒業式を終え、高校進学を直前に控えた私は中学最後の思い出を作ろうと三江線乗車を計画します。既にこのときに三江線の廃止は決定しており、廃線へのカウントダウンは開始されていました。

 廃止の寸前となると多くの鉄道ファンが大挙します。ときにそれは地獄の様相を呈し、「葬式鉄」などといって物議を醸すのです。なのでできるだけ早いうちに乗っておきたい。そう考えた私は中学生ながら、2泊3日一人旅という小さな冒険を企画、敢行したのでした。

 

早朝の出発 

3月27日。三江線の始発は5時38分に三次駅を出ます。早い。早すぎる。十万石まんじゅうもびっくりです。4時半くらいに目覚ましをセットしていたので乗り遅れることはありませんでしたが、眠いったらありゃしない。

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ブレブレ…三次駅の発車時刻標です。

発車10分前程にホームに到着すると、列車は既に入線していました。列車は1両編成で、客室の半分はロングシート、もう半分がボックスシートです。せっかくの車窓を楽しみたいところですが、ロングシートでは窓に背中を向けてしまうため眺望が期待できません。なので狙うはボックスです。空いているかなあ…期待と不安で車内に足を踏み入れると…

なんと、4つあるボックスには全て先客がいました。ガーン!だけどロングシートにもそれなりに人は座っています。混雑率で言うと50%ほどでしょうか。もっと早く駅に着いておけばよかった…

後悔しても仕方ない。車内を見渡すと、4人掛けのボックスに1人しか座っていないところもあります。勇気を出して、相席を申し出ることにしました。

 

「すいません、ご一緒してもいいですか?」

 

これが私の鉄道趣味を決定づける、運命の出会いとなるのです。

 

旅情を噛み締めながら

私が声をかけた相手は、ニコニコとした笑顔が印象的な初老の男性でした。「もちろん」と相席を快諾して頂き、私はボックスにありつくことに成功するのです。

私にとって、ローカル線の乗車は三江線が初めてでした。もちろんボックスで相席の経験などもあまりなく、正直とても緊張していました。「迷惑をかけられないな…」とか、「変な人だったらどうしよう…」とか。心配事を考え始めたらキリがありません。それになんといっても初対面の相手とこれから何時間もずっとお見合い。大丈夫でしょうか。確か江津まで4時間半ほどかけて運転します。

 

そんな不安を抱えたままぎこちなく座っていた私に、初老の男性は優しい声で尋ねてきました。
「どこからいらっしゃったんですか?」
思わずびっくり。しかし無視するわけにもいきませんし、正直に答えます。
「東京です。そちらはどちらからいらしたんですか?」
「名古屋です。この始発に乗るには名古屋からだと当然間に合いませんので、昨晩は三次に前入りしました。」
なるほど、私と同じだ。相手の素性が少しでもわかると安心するものです。
「僕もなんですよ。僕は途中まで香川を家族と旅行していて、途中で抜けてこっちに来ました。」

 

打ち解けるのもあっという間

不思議と私も自分のことを話し始めていました。最初はあんなに緊張していたのに、スラスラと言葉が出てきます。どうやら相手の方は今年定年の60歳の方で、名前は田中さん(ありふれた名前なので公開)というらしい。こちらも素性を次々と明かし、話に花が咲きます。

色々と私のことについて最初は尋ねてくれました。学生なの?と聞かれたので「はい、中3でこの春で高校生です」と答えると大層驚かれました。とても15歳には見えない、落ち着きがあると言って頂き嬉しかったです。何故私が鉄道ファンになったのかや、これまでどんな旅行をしてきたのか等々。色々と根掘り葉掘り聞いていただいたので、こちらとしてもとても話しやすかったです。

 

聞かれっぱなしでは申し訳有りません。私の方から話を振ると、田中さんはなんでも教えてくれました。

なんといっても相手は60歳、国鉄時代を知っています。Wikipediaと個人サイトを巡回し知識だけは齧っていた私でも、実際に見聞きしてきた方の知識には敵いません。まさに百聞は一見にしかずです。

田中さんの話はどれも興味深いものばかりでした。寝台特急全盛期のときの思い出や、雪の中フィルムカメラでSLを撮影したときの話。既に引退してしまったり、廃線になってしまった車や路線の話も色々と教えてくれました。

話を聞いているだけで楽しい。こんな体験は初めてでした。中学の授業は退屈だったし、そもそも不登校なので行っていなかった。ずっとインターネットで知識を漁ることしかできなかった私にとって、田中さんの話はそれほどに大きな衝撃を与えたのです。

 

出雲大社と縁結びの神

「このあとfinaくんはどうするの?」
「決めていません。夜に浜田の宿に着けばいいだけなので。田中さんはどうされるんですか?」
「私も決めていないが、出雲大社に行こうかなと。finaくんもご一緒にどうですか?」
まさか誘っていただけるとは…となれば私も行くしかありません。出雲大社までご一緒することにしました。

道中の田中さんの言葉が思い起こされます。

「私もまさかこんな出会いがあるとは思っていなかった。出雲には縁結びの神様がいるというが、本当にそうなのかもしれない。これも出雲のご縁だ。finaくんと三江線をご一緒できたのは、本当に楽しかった。」

ここまで言ってもらえるととても嬉しいですし、こちらこそです。私もありったけの感謝と出会いへの感動を田中さんに伝え、出雲大社の参拝を済ませました。帰り際は出雲そばも食べました。美味しかったです。

 

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出雲大社でパシャリ

 

出会いが未知への扉を開く

私はこの体験で、旅には無数の出会いがあるということを思い知らされるのです。この世界には自分の知らないことを知った人がいる。様々な人々と出会えるプラットフォームとして旅というのは非常に有用であること。そして思ったよりも旅先で知り合った人相手には好きなことが喋れること。その場限りの人間関係なのですから、余計な気を使う必要はありません。

それに相手も旅行という共通の趣味があるからこそ出会っているのですから、話に花が咲くのは当然です。それに加えて私は鉄道オタク。旅先での出会いは常に私に新鮮な情報を届け、そして新たな世界を教えてくれました。お互い好きなことが言えて、思いっきり笑える。そうした人間関係は決して長い時間をかけないと得られるものとは限らないということに気付かされたのです。

これが一人旅のメリットでしょう。私の学校の周りの友人は殆どが「旅行といえば友達か恋人と」と答えるはず。実際に一人旅をしている友人は数えるほどしかいません。確かに気兼ねない友人と一緒に行く旅行も楽しいですし、そこでしかできない会話もあります。恋人との旅行も同じです。お互いの仲を深めるいいイベント。私は決してそれらを否定しません。

実はそれと同じくらい、一人旅も人と触れ合い話をすることができるのです。「一人旅は寂しくないの?」という疑問に私は胸を張ってNOと言えます。私にとっての旅行の区別は一人か複数人かではない。知人か匿名か、この違いでしかありません。

 

その後高校に進学し鉄道一人旅は更に本格化しますが、様々な人と出会ってきました。極寒の宗谷岬で出会ったライターさんや、草津温泉でバスが通行止めで大幅に遅延し極寒の中一緒にバスを待った大学生グループ…寒い思い出ばかりですね(笑)なかには列車内で知り合った相手で、今でも連絡を取り定期的に旅行に行っている相手もいます。

皆が本当に十人十色、出会ったぶんだけ自分の世界が広がります。私は東京生まれ東京育ちなので東京以外の街を知りません。だからこそ自分の価値観に疑いを持っています。確かに東京は日本一の都市であり人口も多い。だからといって東京の価値観が全て正しいとは限りません。

異郷の地を自らの足で歩き、自らの目で見て確かめる。同時に、その土地の人の話を聞くこと。これを行うことで、私は少しだけですが多角的な視野を手にすることができたと思っています。

私は田中さんとの出会いを経て一人旅をかけがえのない趣味へと昇華させ、高校在学中に日本中を旅する流浪の学生へとなっていきました。

 

一人旅が意味すること

田中さんとの出会いは本当に大きなものをもたらしましたが、もう一つだけ田中さんは私に大切なことを教えてくれました。しかし、それをすぐに理解することはできませんでした。

「私は学生の頃から鉄道趣味に目覚め、気付いたらもう60です。結婚もして子供もいる、幸せなことです。しかし結婚したら家内と子どもたちを養わないといけない。そんな中でも、家内は私がこうして一人旅をすることを許してくれるんです。旦那が一人ででかけて、旅先で何をしているかわからないのは不安だろうに…有り難いことにわがまま趣味を理解してくれる、素晴らしい妻です。」

出雲大社への道中での一言です。田中さんは続けます。

「本当は家内も子どもたちも連れてきたいんだけど、ローカル線に何時間も乗せるのは酷です。だけど本当に、一人で行くことは申し訳ないと感じている。だから必ず毎年家内は旅行に連れて行こうと決めています。本当に私はこの歳になってまで一人旅をさせてくれる家族に感謝しています。」

 

私は恵まれているのか?

この言葉を聞いた直後、私は素敵な夫婦だなという感想しか抱けませんでした。

しかし高校に進学してから気付かされます。同級生の皆は、旅行に行きたくてもそう簡単に行けないのです。普通の家庭はまず高校生が行先も告げず家を10日も留守にすることを許さないでしょう。両親が寛容であるからこそ私の一人旅は実現しているのです。

資金だってそうです。初期はお年玉貯蓄を切り崩し、尽きた頃にはバイト代で賄っていましたが、決しては安いとは言えない金額をお小遣いとして渡してくれるのも両親です。

そもそも私が初めて一人旅をしたのは中3の夏でしたが、この頃はお世辞にも家庭環境が麗しいとは言えませんでした。空中を椅子が乱舞していて、常に喧嘩が耐えず暴力も常でした。荒みきった家庭だったため私は外の世界に救いを見出そうとして、日帰りで関東地方の鉄道をひたすら乗り潰し始めたのです。このプチ家出が私の鉄道趣味のきっかけでした。

その趣味が今では高じて日本中を歩き回っていますが、きっかけは決して明るい理由ではないのです。なので最初の頃は自分の一人旅を「反抗の一環だし、両親は認めて当たり前だ、むしろ他の家庭が厳しすぎる」と思っていました。

しかし高校で彼女が出来て、また多くの友達を話して自分の家庭の寛容さを再認識します。それは即ち、両親あってこその一人旅ということです。

 

少しだけ暗い話

親にされた仕打ちで許せないことは数多くあります。一刻も家の抑圧から逃れようと外出志向になるロジックも正当であると言えます。何度も死ねと言われ包丁を向けられ、お世辞にも親による無謬の愛情を受け取って育ったとは言えない私ですが、旅行に限れば私はよい両親を持ったと言えます。

親の行いが間違っていたからと言って、全てが間違いではない。それに親を全て間違いだと定義してしまえば、その親元で育ってきた私の18年間は全て誤りとなってしまう。今を楽しく過ごせているし、旅先でかけがえのない思いをさせてもらっているのだから、それは紛れもない親の功績です。

決して親を手放しに評価するのではない。寧ろ恨み節のほうが多いです。しかし全て間違っていたわけではないことも事実。これら二つの事象を切り離して考え折り合いをつけた途端、心の底から私が恵まれていることを実感できました。

 

そんな今だからこそ、田中さんの言葉の意味を理解出来た気がするのです。田中さんがどういった意図で言ったのかはわからないので勝手な思い込みに過ぎませんが、親に対してずっと抱いていたわだかまりが徐々に氷解するきっかけにまでなりました。

田中さんがポツリと呟いたこの一言が、今でも忘れられないのです。

 

過去は取り返せないからこそ

思えば私も親には迷惑をかけてきました。思いっきり殴ったし、母親に関してはうつ病になるまで追い込んだ戦犯であることは間違い有りません。反出生主義的立場を取れば子である私に責任はないのでしょうが、もう私も大人ですし若干の罪悪感は感じています。

前回の私の記事中「finaは自虐をしないの?」に記述しましたが、私が初めて指を切ったのは旅行先でした。その旅行は今でも苦い思い出です。ずっと家族で喧嘩をしたまま過ごしたので、以来家族旅行はあまり好きではない、辛い時間でしかありませんでした。

しかし、人は誰しも旅に出たいもの。両親にとっては、家族旅行というのは僅かな時間を捻出して作り出した異郷の地を歩く機会でもあるのです。それに、たとえ結果が最悪に終わってしまおうと企画の段階では両親は私を楽しませようと企画してくれていたはず。

好き勝手旅行ができる身分の私だからこそ、年に数回しかできない家族旅行は自分で企画してみてもいいんじゃないか。どうせ行くんだったら、楽しい思い出にしたほうがいいに決まってる。そう思い始めたのは高3の頃でしょうか。昨年夏はスーパービュー踊り子(2020年3月引退)のグリーン個室を手配し、家族で伊豆旅行を楽しみました。今年はコロナの影響で旅行できませんでしたが…

今では、家族でのイベントはなるべく私から積極的に提案し実施するように心がけています。旅慣れた私だからこそできることでもあります。これが贖罪となり、そして普段一人旅をさせてくれていることへの感謝の代替になるのであれば容易いものです。

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スーパービュー踊り子のグリーン個室、定員は4人で快適に過ごせる

 

別れのとき

蕎麦を食べ終え、私と田中さんはバスで出雲大社から駅前へと戻りました。バス車中で、このあとの予定を立てます。

「このあとはfinaくんはどうするの?」
「もう一回三江線に乗りに行こうかと思います。今から向かっても夕方の列車には間に合う。」
「そうか、私は鳥取方面へ向かう。じゃあ別方面になるね。」
どうやら、ここでお別れのようです。親切な田中さんは、時刻表で江津方面の列車を調べてくれました。するとバスの駅到着から発車まで数分しか時間がないことがわかったのです。

出雲市駅に着いたら走ったほうが良い。乗り換えに1分もないかもしれない。」
かなりカツカツな乗り換え、成功するでしょうか。しかしチンタラ歩いて乗り遅れてはせっかく調べていただいた好意を無下にしてしまう。頑張ってチャレンジしてみることにしました。

 

───終着の出雲市駅前に到着です………

 

バスの運転手が到着を告げます。運賃を精算するや否や、私は改札に向かって駆け出しました。

「ありがとうございました!田中さんもご無事で!」

finaくんもありがとう!頑張ってね!」

一言二言を交わすのが精一杯でした。時間は残酷です。私達に別れの余韻を楽しむ猶予さえ与えてくれませんでした。

 

結果、列車に間に合いました。キハ47系は、ゆっくりと重厚なエンジン音を轟かせながら動き出します。あっという間に私は一人の時間に逆戻りです。どこか寂しさもあり、開放感もあり、そして物悲しさを感じさせながら、ゆっくりとゆっくりと車窓は加速していきました。

田中さんとはそれっきりです。連絡先も交換していないのですから。本当に一期一会の出会いでした。今頃何をされているのでしょうか。見当もつきませんが、確実に言えるのは今も日本中を旅されているはずです。そんな田中さんと私の思い出の痕跡は唯一、出雲大社で並んで撮った写真一枚だけ。しかしその一枚の写真がかけがえのない時間を過ごしたときの記憶を思い起こさせます。

 

私は旅する幸せを噛み締めながら、今日もまた旅路に歩みを進めます。一歩、また一歩。明日はどんな出会いが待っているのでしょうか。

 

 

『さら、頭をよくしてあげよう』

これは、サークルクラッシュ同好会のアドベントカレンダー企画9日目の記事です。


ごきげんよう。さらです。
今回は、過激かつ面白くないテーマかもしれません。
「わたしときまぐれな白痴願望とそこに漬け込んで啓蒙してくる男がキモい」という話です。
この一文で書きたいことがほぼ終わってしまいした。いや、さすがにそれでは短すぎるので、この一文に至った過程をうろうろと辿ってみようと思います。どうか、しばしお付き合いください。


また歌か、と思われるかもしれませんが、今回は筋肉少女帯の『香奈、頭をよくしてあげよう』という歌を主軸にして、わたしの混沌とした考えをなんとかまとめていこうと思います。
こっそり歌詞を貼ります。JA/SRA//Cにばれたらお金をたくさん取られるのかな。


‪モフモフと ジャムパン‬
‪食べている君の横で僕は‬
‪ウムム!と考える‬
‪抱きしめてあげる以外には何か‬
‪君を愛す術はないものか?

‪“あたしってバカでしょ?
‪犬以下なの"と微笑む‬
‪無邪気な君は‬
‪本当にバカだ‬
‪だから‬
‪アレだ‬
‪僕は…‬

‪香菜、君の頭僕がよくしてあげよう‬
‪香菜、生きることに君がおびえぬように‬
‪香菜、明日 君を名画座に連れていこう‬
‪香菜、カルトな映画君に教えてあげよう‬

‪“御免ね途中で寝ちゃった‬
‪ラストどうなったの?"‬
‪たずねた君は‬
‪本当にバカだ‬
‪だから‬
‪アレだ‬
‪僕は…‬

‪香菜、君の頭僕がよくしてあげよう‬
‪香菜、生きることに君がおびえぬように‬
‪香菜、明日 君を図書館へ連れていこう‬
‪香菜、泣ける本を 君に選んであげよう‬
‪香菜、いつか恋も終わりが来るのだから‬
‪香菜、一人ででも生きていけるように‬


この歌の主人公は香奈ちゃんです。
彼女は自ら「あたしってバカなの、犬以外なの」と言って、にこにこするような女の子です。
そんな香奈ちゃんをみた‪"僕"は「頭をよくしてあげよう」と思いたち、彼女を映画館や図書館に連れて行き、さまざまなものをあてがおうとします。
けれどもせっかくの映画も、香奈ちゃんは途中で寝てしまう。そんな香奈ちゃんのことを「本当にバカだ」と"僕"は嘆きます。


ところで、わたしが大学に入ってから今までの間に、変だなあと思うことが幾度もありました。
サークルで、職場で、気になって足を運んだバーで、遊びに行った人の家で、参加した読書会で、とにかくいろいろな場所で、知り合った男性から、「あなたは本当にものを知らないね」と軽口を叩かれたり、逆に「あなたはなかなかスジがいい」と褒められたりするのです。


それがどうした、自意識過剰、と思われる方もいらっしゃるでしょう。でも、無理なんです。男の人に「馬鹿」とか「賢い」とか認定されると、とたんに足がムズムズしてきて居心地が悪くなります。その場の空気はどうにも言語化できません。
もしかして、わたしが男であるならばこんなこと言われはしないのではないでしょうか。わざわざ大勢の前で「馬鹿」とか「賢い」とか口に出して見せ物のように評価されることはなく、考えや好みが合えば仲良くなり、合わなければ自然と離れていくものだと思うのです。
前々回の記事で書いたように「かわいい」と「ブス」の地獄からようやく抜け出ることができたと思ったら、今度はまた違うところで、わたしは品定めされていることに気がつきました。


「馬鹿」/「賢い」。後者は別にいいじゃないと思われるかもしれません。経験則ですが多くの場合、この二つはほぼイコールです。
わたしが、若い、比較的美しい、女である割には、ものが解っている(この解るとは、発言した男性の認識下においての"解る")という意味で発言されているのです。前者も後者も、さらちゃんをけっして同じ土俵に立たせてくれないことにおいて、違いはありません。
極端な言い方をすると、どちらを言われても、わたしは馬鹿にされているような感覚がするのです。


よせばいいのに、わたしはその場で要求された女であろうとします。適切なタイミングの相槌、大げさじゃないくらいの褒め言葉、そして、小さな反抗(これは特に権威のある人に効きます)。
そうしている内に、わたしの元には、たくさんの「知るべき」本や漫画やCDやDVDがなだれ込んでくるのです。現物ではなくリストを渡されたこともあります。手をつけずに返すわけにもいかず、なんとなくぱらぱら眺めたり、流したりして、一番印象的だったところだけ考えて、お返ししていました。


わたしを「馬鹿」/「賢い」と言った男性たちの多くは、わたしよりも勉強ができたり、年上だったり、ステイタスが高いとされる職業についていたりしました。でも。
本当にわたしは馬鹿なのか? おまえの知っている物事を知らないから、わたしはものを知らないのか、馬鹿なのか、おまえの解釈にわたしの意見や感覚が近いから、わたしはスジがいいのか、頭がいいのか。
それは、ぜったい間違ってる。


しかし、一方で、「あたしってバカなの、犬以下なの」と言って、にこにこすることの快楽も、わたしは知っているのです。
若いだけの、美しいだけの、女であるだけの快楽。白痴美。自分でなんにも決めない快楽。相手のおもちゃになる快楽。相手の言うがままの姿に変わる快楽*1。わたしはさながらお人形になった気分で、男の人の願望を叶える従順かつエキセントリックな存在になります。
でも、それは唐突に飽きちゃう。だってわたしは生身の人間なので。本格的に好き勝手やりはじめたわたしに対して、男の人は掌を返したように冷たくなります。おかしいな。


わたしは自分の好きな本を読んだり、映画を観たり、演劇を観たり、音楽を聴いたり、美術館に行ったりしています。
そしてわたしは、賢い女も馬鹿な女も、どちらも魅力的だと思っています。どちらが好ましく、どのように振る舞うかは、わたしのそのときの気分によって決めるもので、誰かによって定められるものではない。わたしが賢いか馬鹿かは、第三者にあれこれ言われていいものではないのです。

そう、これです。わたしにおまえの理想の女をやらせるな。そしておまえの好きな物を勝手に押し付けるな


そして、現実問題、わたしはとりたてて馬鹿でも賢くもないのです。まあ普通。
さらに言うならば、おまえはたいして若くも美しくもないし、ましてや物語の中の人間でもお人形でもないのだぞ、と自分で自分を戒め、享楽的な暮らしをやめ、ふたたび労働と生活と美容に励みます(でもこれを他人に言われるとムカつきます、あくまで自分から自分への戒めです)。
多くの物語の中で、女の子は自らを寵愛する男の庇護を失うと悲劇の死を遂げますが、お話ではないのでわたしは死にません。というか、もう女の子ってしっくりこないなあ。「女の子」や「少女」という概念に年齢を持ち込みたくないという気持ちは大いにあるのですけれど。
メタ視をしないことと、自分のお世話をしないことはとっても気持ちがいいけれど、やめっぱなしだとわたしはみるみる醜くなってしまうので、鏡をジッと眺めます。


ずっと疑問だったのですが、男性に誘拐されて監禁された女の子は、いつまでかわいい状態でいられるのでしょうか。
鼻の下に産毛が生えたり、眉毛が繋がったり、脚の毛が生えたり、身体や口が匂ったりしないのでしょうか。そのような女の子を見て、誘拐犯は愕然としたりはしないのでしょうか。
それとも、女の子は誘拐犯の手によって夜な夜なシャボンの泡に包まれ、安全剃刀で全身を剃り上げられ、お口をアーンさせられ一本一本丁寧に歯を磨かれたりしているのでしょうか。
ああ、これでは、主従が逆転している!
(現実として、彼女たちの多くはあっさり殺されているのですけれど)


結局、男性(もしくは男性たち)に「馬鹿」/「賢い」と評され、それにふさわしいキャラクター(どっちを言われてもほぼ同一)なったところで、相手はやさしい誘拐犯のように逐一わたしの身辺や精神のお世話をしてくれるはずはない。自分で自分の容姿や情緒をお世話をする余裕や判断能力は、きちんと残していないといけない。
さらちゃんは本当に馬鹿だなあ/賢いなあとかわいがられて、にこにこ笑うわたしは、毛玉のついたセーターを着ていてはならないし、ちょうどいい濃さのお化粧をしていなくてはならないし、指に毛が生えていてもならない。適度に笑い、適度に怒り、ちょっと泣いても、ぜったいに発狂なんてしてはならない。わたしはわたしを監視し続けたまま「馬鹿」/「賢い」状態でなくてはならない! 

いけないいけない、話が横道に逸れすぎました。お歌の話に戻ります。


最後に、わたしはこう思うのです。
「香奈、生きることに君がおびえぬように」と願う"僕"こそが、生きることにおびえているのではないか?
たぶん、香奈ちゃんは生きることに恐怖を覚えていないのです。あるのだとしてもそれは"僕"のものとは違う恐怖です。だから"僕"の勧めてくる映画や本には興味がない。
そして香奈ちゃんは馬鹿ではなく、"僕"の価値観とは異なった、香奈ちゃんにとっての世界があるのです。そこにはジャムパンだけでなく、さまざまな素晴らしいものがひしめき合っているのです。
歌われることはありませんが、わたしはこの"僕"は、香奈ちゃんにあっさりと振られてしまうと思っています。*2
「だって、あなたつまんないんだもん」と。


あー、超名曲に自らを重ね合わせるなんて、あまりにも傲慢です。
『さら、頭をよくしてあげよう』なんてタイトル、恥ずかしくないのかな、恥ずかしいに決まってる。
ネタばらしをすると、実はこの曲、かつて、筋肉少女帯のCDをごっそりと貸された際に「一番印象的」だった曲なのですよね。*3

たくさんの男の人からの贈り物を不意にしてしまうような文章を書きました。教えてくださったものの中にはとっても素晴らしいものがあったことも、また事実です。
そして、この記事を最後まで読んでいただいたことにより、わたしはあなたに一つの曲を押しつけてしまったことになるのだから、ああ本当に因果なものだ、と感じております。ごめんなさい。どうか許してね。

*1:だってわたしはダメでバカでどうしたらいいかよくわかんなくて、あなたがこうなれと命じてくれるから、ようやくわたしは安心して生きていけるの

*2:大槻ケンヂは、簡単に想定されるラストも折り込み済みで、この歌を作ったのだと思っています。ほんとかな。

*3:だから、そんなにたくさんの曲を知らないし、彼のこと全然知らないし、著作も3冊くらいしか読んでおりません。あと、この曲より『ノゾミのなくならない世界』の方が好きです。

ピアニストは素直になれず、今日も自虐を繰り返していた

adventar.org

 サークラアドベントカレンダーへようこそ。藍鼠さん @indigo_mou5e からのバトンを受け取り、本日はわたくしfina @fina0539 が担当させて頂きます。このたびサークラへはじめて寄稿させて頂きました。初めて私を知る方も多いと思うので、軽い自己紹介をします。今年度大学生になれなかった(受験さえしなかった)浪人生&留年生です。肩書きはまだ高校生です。つまり中卒です。中卒の書く文章ですので、大層読みにくいと思いますが、どうぞお付き合いください。ちなみにタイトルではピアニストなんて言っていますが、大したことないです。ただの下手なアマチュアです。

 と、こんな調子で私はよく自虐をします。今回は、「自虐」をテーマにしました。こんなクソみたいな前置きはとっとと終わりにして、本題に入りましょう。

 

執筆のきっかけとなった当事者研究

 2020年10月30日、サークラの例会が開催された。テーマは「心を開くこと」について。各々の思う「心を開くこととは何か」であったり、最近心を開けた体験などが活発に語られたが、その中で「自虐」の話題が挙げられた。多くの参加者が「ネガティヴな自己開示」ができる相手こそ心を開ける相手だ、という意見を述べていたものに対し、「ポジティブな自己開示」があってもいいのではないかという意見が挙がる。続いて、「ポジティブな自己開示」はマウンティングに繋がりかねないが、そもそも何故マウンティングになってしまうのかという疑問に対し、私が「インターネットの文化がSNS等の台頭により自虐文化からマウント文化に変わったからでは?」という意見を述べ、そこから自虐について話が転がっていった。トークスキルとしての自虐、自己憐憫に近い自虐、謙遜のための自虐…どうやら自虐にも様々な種類があり、いろいろな人がいろいろな場面で用いているようだ。

 読者の皆さんも、何気ない場面で自分を低く言ったり、「自分なんかダメだよ」とネガティヴモードで話すときは少なくないだろう。そして、自虐についての話は私にとっては非常にタイムリーな話題ネタであった。私が自虐をとても気にするようになったのは、去年の秋頃に遡る。

 

私と中学の同級生の話

 私はピアノを嗜んでいる。幼少期は音大を目指していたほどのガチ勢だった。しかし中学の頃に挫折を経験し、それがきっかけで中学は不登校だった。高校は定時制に通わざるを得ず、今ではさっぱり弾けないアマチュア風情のド素人である。ああまた自虐してしまった。実際は今でも音楽自体は継続しているし、人並みに程度には弾ける。

 そんな私には中学時代の同級生で、いまは美大生の友人がいる。私もアマチュアとはいえ音大志望生の端くれであり、彼女は「芸術系学科に学籍を置く、他ジャンルだからこそのクリエイターとしてのライバル」といった存在といえるだろう。彼女が学校の課題に追われ修羅場だったときは力を貸してきたし、私も昨年は大きな音楽の制作に取り組んでいて、色々と助けてもらったものである。少なくとも私は彼女を心から尊敬しているし、お互い気兼ねなく音楽・美術の込み入った話ができる仲といったところだろうか。

 昨年秋、そんな彼女に「なぜfinaは自虐ばかりするのか」とツッコまれたことがあった。正直無意識だったが、確かに彼女と話す際はよく自虐している。「次から自虐するたびに1ポイントずつ加算するから」という意味不明な提案をされ、それからはよく気をつけようとした。ちなみに、どうやらこのポイントは溜まったから何らかのペナルティを課されるものではなかったらしい。1年ほど経過した今では、制定されたルールさえあやふやとなってしまっているが、この自虐ポイント制度制定は我々の会話において国鉄分割民営化ほどのインパクトを与えたことは間違いない。

 何故私は彼女の前では自虐するのか?そんなことを考えるうちに、私の中に存在する様々な思惑が見えてきた。

 

自己分析をしてみた

謙遜型自虐

 まず、私は素直に人を褒められない。私の大きな課題である。自然に人を褒めることに何故か恥ずかしさを感じてしまうのだ。人に音楽を教えるとき、褒めて伸ばすべきだと思っていても「上手になったね」という一言をかけられず、淡々と教え続けてしまうという癖を自覚したのは最近だろうか。その割に叱るのも苦手なので、なんとも中途半端な指導者になってしまう。このあたりは職場で新人に仕事を教える際に修正をかけていったので、最近は少しマシになったものの、依然として要改善点だろう。

 恐らく、私は彼女に対して素直に尊敬の念を伝えることができていない。いや、褒め下手な私が不自然に言葉を取り繕った結果不自然なお世辞に聞こえてしまうことを気にして、どうしたら受け取ってもらえるかを考えた結果なのかもしれない。だから自虐に走り、過渡に謙遜し自分を下げるところまで下げないと、「褒める」言葉に信憑性が生まれないのかもしれないとも解釈できる。謙遜として、「いやいや私なんて」とへりくだることは至って当たり前な会話術だが、どうやら私はそれが行き過ぎていたようだ。

自己憐憫型自虐

 次に、最も重要かつ深刻な部分である、「自分のなかのコンプレックス」について触れよう。大きな挫折を味わった私にとって、不登校レベルのどでかい失敗を経験せず美大に通えているのは嫉妬の対象にもなり得た。そんな彼女が私に向ける尊敬の意は素直に受け取れば受け取るほど、「じゃあどうして僕は音大に行けなかったんだ?」と自己肯定感がガリガリと削られてしまう。ならば最初から「自分はたいしたことない」と納得しないことには、彼女に対する尊敬と、自分に対する情けなさの折り合いがつかない。そうして私は自虐をする選択肢を取り続けたのかもしれない。まさに自己憐憫である。

 別に哀れんで欲しいわけじゃない。慰めてほしいわけじゃない。でも、心の奥底は不安だらけだ。未来に恐怖し、何もできない無力感に苛まれ、失敗経験を引きずりながら常に生きている私にとって、そういった本音を少しでも言語化できる時間は、ほんの少しだけ心地良い。いや、かなり心地良いのかも。なんだ、自分は人を褒められないだけじゃなくて、弱音さえ正直に言えていないじゃないか。

オチ自虐

 最後に考えられる理由として、「話のオチ」としての自虐だ。私は常に人と会話をする際には頭をフル稼働させており、そのため話のオチというものを極端に気にしている。オチのない話をだらだらと続けるのは相手に申し訳ないという自分のなかでの理屈のもと、マシンガントークを展開しては呆れられることがよくある。その是非はともかく、私は内容が伴い、そしてオチのつく話に拘る癖があり、単に自虐ネタは使いやすい。「今日学校行く時財布忘れたんだ」という何気ない話にも、「だから俺って発達障害なんだな、アッハッハ!」という自虐を伴ったオチを用意すれば何故かまとまったようになると感じられるため、こうしたテクニックに甘えてしまっている感は否めない。

 どうやら、本当に自虐にはいろいろな種類があるらしい。更にタチが悪いのは、私の彼女に対する自虐は複数要素を兼ね備えていた点である。

補足:fina自傷しないの?

 思えば私の自傷行為の入門は、小5のとき旅行先の松江城で号泣しながら、道に落ちていたデカめの石で左手の薬指を叩き潰すという割と入門にしては早期かつ超上級な手法だった。母親に大層悲しそうな顔をされたのもそうだが、なによりピアニストなんだから自分の手は絶対に傷つけてはいけないという自覚が芽生え、「何があっても自分の手だけは傷つけてはいけないんだ」という意識を持つようになった。とはいえ根本的な自傷願望とそれに伴う快感も理解しており、その逃避先としての自虐という意味合いは自分からすれば納得がいくものだ。皮肉なことに、その直後の小6夏に自転車でズッコケて全治半年の骨折を経験し、物理的に手を破壊している。やっぱり私に自傷は向いていない。

 

素直になれない自分

 改めて振り返ってみると、私は口下手だ。どうして素直に相手に尊敬を伝えられないのか。一つだけ心当たりがあるとすれば、そもそも褒められ慣れていないことだろう。常に自分の理想が高い完璧主義者なため、自分のなかで完璧でなければ自分に向けられた称賛の言葉も全て素直に受け止めることができない。自分が素直にポジティブな意見を受け止められないのなら、当然相手にも言えるはずがない。

 確かに人は謙虚であるべきだ。過信ばかりしていては嫌味なヤツになってしまうが、だからといって素直に人の好意を受け止められないことも問題だとようやく気付くことができた。人が自分のことを認めてくれるって、なんとも素敵だし嬉しいことじゃないか。だったら素直に受け止めて、それを自信に繋げていくことも大切だ。低い低い自己肯定感を高くする手がかりになるこの小さな気付きを、私は大切にしたい。 

 

自己肯定感が低いからといって他人が凄いわけじゃない

 アイドルの原義が偶像であるなら、私の親友たちはみなアイドルだ。彼らは実像を持ち実態として存在しているが、「私にとって親友は○○な存在だ」という私の認知のみで作り上げられた偶像としての親友もまた存在している。私の友人たちは皆が素晴らしく、尊敬に値する人物ばかりだ。もちろん、同級生の彼女もそのうちの一人であることは間違いない。そんな彼らの頑張りを見るたびに、私も頑張らなくてはと鼓舞される。そう、尊敬は憧れでもあるのだ。アイドルのように私に元気を与えてくれる憧れの的、こんな一面が私の親友に内包されているのかもしれない。

 もちろんこれが全てではなく、私にとっての親友はバカ騒ぎしてバカ笑いしたり、何気ない相談ができたり。気兼ねなく話せて、好き勝手言える相手でもある。でも、当然リスペクトもしてるよ、ということなのかな…。よくわからなくなってしまった。何にせよ突然アイドル呼ばわりされ、尊敬だの憧れだの言われた親友たちの気持ちを考えてみたらいたたまれなくなったので弁解させていただきたい。

 では、私の尊敬する対象は常に完璧なのだろうか。そんな筈がない。彼らだって人間だ。失敗だってするし、弱音を吐くときだってあるだろう。しかし、私はその事実を失念しがちである。自らを呪縛する完璧主義が他人にも及び、「彼らは完全無欠であり、常に私の先をリードしている」という先入観に支配されていることに気付いた。相手が完璧でなければ褒められないという突拍子もない理屈に則り、相手を完全無欠人間扱いしないと納得がいかない。

 勝手に相手を完璧だと思い込み、自分を不完全だと思い込む。完璧主義が生む弊害である。この二項対立を抱えた状態で自己憐憫をしていては、不毛なだけでなく相手を傷つけかねない。いくら自分が理想と程遠いダメなヤツだからといって、相手が凄いわけじゃない。人間みんなダメなヤツだし、ひとりひとりの人生にひとつひとつの悩みがある。“自己憐憫”の心地よさに浸るために、自虐してまで相手を持ち上げるって、よく考えたらとっても自己中心的だ。猛省である。

 

何故私はコンプレックスを感じるのか

 同級生の彼女が私にとってのコンプレックスだと先述した。これについて少し掘り下げたい。 

 あるとき、「中学からの繋がりで、絵の話をわかってくれる、悩みを気軽に言えるのはfinaくらいだ」と言われたことがある。複雑な気持ちだった。まず当然、嬉しかった。けど、何故か悲しかった。だって、彼女は美大生なのに、私は音大生ではない。美大生の悩みを聞く人間は、彼女が成し遂げてきたようなことは殆ど積み重ねられなかった凡人だ。「僕なんかでいいの?」というベタな感情が真っ先に浮かぶ。けどそれは本心かと言われたら微妙だった。確かに、「一度自分も音楽で勝負して、全力を注いだ作品を彼女に評価してもらいたいな」ということは常に思うが、彼女と比べて私は根本的に劣っているのかと言われたらそんなことはない。そもそも、もとは中学の同級生。いつまで経っても対等なはず。

 ではなぜ?心当たりは大いにあった。私は、彼女に自分ができなかった目標の達成を期待している。だから過渡に完璧を期待するし、「自分はもう諦めたんだから、そのぶん頑張ってくれ」と勝手に心のなかで思っている節がある。だからこそ、彼女の一言は捨てたはずの音楽への未練を焚きつけた。自分の身勝手さを自覚したのもそうだが、そもそも自己投影をせず素直に応援すればいい話である。

 確かに私は音楽に対する未練がある。美大に通えることを羨ましいとも思う。だからこそ彼女は人一倍頑張ってほしい。だけど、彼女だって私を羨んでいる部分はあるはずだ。実は彼女もピアノは弾ける。そして私のほうが上手い。ならそれでいい。彼女を応援することと、自分がずっと“ピアノが弾けるfina”であることの両立は可能だ。わざわざ自己卑下せず、素直に応援を伝えること。そして、確かに私にはできなかったことを彼女はやっているが、彼女にはできないことが私にはできる。なら、自分の人生を堂々と生きようと思えた。コンプレックスに思っていたことが恥ずかしい程である。

 

オチはないけど、まとめてみる

 ここまで約5000文字。書きたいことだけ書きまくっていたら、本当に不器用な生き方をしているなあと改めて思った。ただ素直に言いたいことを言えばいいじゃないか。伝える言葉なんか一言一句精査しなくたって、相手に気持ちは伝わるはずだ。会話って難しい。自分語りは得意なのに、自分の気持ち語りは全然ダメ。ああまた自虐している!!!

 もっと、素直にありがとうと伝えられる人間でありたい。素直に「凄いね」って言える人間でありたい。それと同時に、素直に人の好意を受け止めることのできる人間になろう。褒められたらもっと無邪気になってみよう。ちょっとくらい調子に乗ったって、きっとみんな許してくれる。

 

おわりに

「同じ絵を描く学校のライバルたちはいくら腹を割って話せる友達とはいえ、彼らがとても優秀で努力屋で、そして自分ができないことを知っている。逆に中学校の同級生らは、私のことを“絵がうまい人”という認知でしか捉えていない。私は確かに人並み以上に絵は描けるし、上手いのも自負している。だからこそ、美術を専攻するコミュニティの中における自分の立ち位置も客観的に理解している。この二つの極端の中間にいる立場だからこそ抱える悩みは、なかなか親友とて同業者の友人らには言いづらい。」

 

 彼女の言葉だ。この彼女の一言は、決して自画自賛でも自虐でもない、客観的事実である。そして全くもって同じことが自分にもいえる。私は自分以上に音楽ができる人がこの世に存在することを知っており、自分のなりたい理想に近ければ近いほど自分のヘタクソさに泣けてくる。だけれども、少なくとも私がこれまで通ってきた学校では、みんなから「うまいね」と言ってもらえた。同じくピアノをやっている人からも言ってもらえていたことを振り返ると、それなりに認めてはもらえていたのだろう。一つ自己PRをするならば、自分の持っている絶対音感とそれに伴う聴覚認知(耳コピ)だけは誰にも負けたことがない。ピアノの技量とは直接関係はないが、これだけは自信がある。

 私も彼女も、言い方は悪いが素人の「上手だね」は死ぬほど耳にしてきた。だから自分が上手な部類なのも自覚はしている。一方で自分の理想とは程遠く、未熟で怠惰な一面も自覚している。どうしても周りと比べてしまうし、周りの優秀さを感じてしまう。こんな話で盛り上がったことがあった。冒頭の彼女の言葉もそのときに出たものである。

 

 私は彼女の描く絵が大好きだ。何気ないラフスケッチも、完成された作品も。本当に上手だし、絵心なんてものがない私からしたら同じ人間が創り出したということが信じられないものばかり。なにより、彼女の高校時代の頑張りだってよく知っている。誰がなんと言おうと、私にとっては「誰よりも絵が好きな人」であることは胸を張って主張できる。そして、彼女がいう「自分はできない」という気持ちも十分に理解できる。彼女が悩みに苦悩するたび、私は話を聞いてきたのだから。

 

「この悩みを話せる人は中学の同級生だと本当にfinaくらいしかいないよ。大きな芸術という枠組みの中だと同業者でも、絵と音楽は180度違う。だけど思うことは似ているはず。finaだってそうだよね。」

 

 この一言は彼女からの最大限の賛辞だった。お互いが共感し、私が彼女を認めるのなら、その逆も然りである。しかしこれに気付くのは遅かった。彼女はきっと、「持つべき自信は持つべき。だからこそ頑張らないとね。」という意図を含ませて言っていたはず。にも関わらず私は、美大生と高校生という肩書きを比較し勝手に「結局、自分は理想と程遠い、周りと比べてもダメなやつ。彼女と比べてもダメだ。」とこじらせた自虐オチで納得してしまった。

 素人と上位層の二項対立に挟まれながらも、自分の力量を自負し努力を続ける彼女から、私は認めてもらっている。今だからこそ言えるが、とても嬉しいことだ。これくらい素直に受け止めておけばよかったと痛感する。ここまで彼女に言わせておいて、私はなお自虐癖から抜けられず自己憐憫の快感に浸っていた。

 

 彼女になんて言おう。「あそこまで言ってくれたのに、ひねくれたことばっかり言ってごめんね」かな。いや、まずは素直に褒めてくれたことを受け止めるところから始めたいな。「ありがとう、頑張るね」これを彼女に伝えるかは、もうちょっと考えよう。

 

 そしてこれは、いよいよ私は自虐から卒業するときがやってきたことを意味するのかもしれない。ちょっとだけ自信がついたし、なんだか音楽がやりたくなってきた。そう、私は決して下手ではないんだ。ならそれを維持する程度でもいい。別に音大生じゃないんだし。肩の荷が下りた感じがした。心から楽しんで音楽をやってみたい。そう思えるんだから、また少しだけ頑張ってみよう。彼女が覚えているかもわからない、僕の出したCDのジャケットを彼女にデザインしてもらうという口約束を叶えられる程度には。

 

 

次回はホリィ・セン @holysen の記事です。ぜひお読みください!

holysen.hatenablog.com

新歓リレーブログ企画 リンク集

みなさんこんばんは〜

サークルクラッシュ同好会新歓リレーブログ企画を開催していたろくじ(@rokuzi_am6)です。

(一応)全ての記事が出揃ったので、リンクまとめを作成しました。

まだ投稿されていない方も投稿し次第追記するのでいつでもご連絡ください〜。

 

1日目
ろくじ(@rokuzi_am6)
新歓リレーブログ企画「あなたにとってサークルクラッシュ(同好会)とは?」

am6.hatenablog.com

 

2日目
藍鼠(@indigo_mou5e)
誕生日に生き方の転換ができた話

indigomou5e.hatenablog.com

 

3日目
桐生あんず(@anzu_mmm)
6年間ほど在籍していたサークルクラッシュ同好会を卒業しました

kiryuanzu.hatenablog.com

 

4日目
なんたい
サークラ同に入った理由とか性癖とか反省とか

mollusca113.hatenadiary.jp

 

5日目
永井冬星(@tosei0128_)
摂食障害はつらいよ 社会不適合者はたまにはサークラ同好会に帰りたい

everwell.hatenablog.com

 

6日目
雪原まりも(@uhn58)
半導体製造工程で学ぶメイクの基本

circlecrash.hatenablog.com

 

7日目
やまのまひろ(@KALAMASAHIRO)
楽しい学生生活と、初めてのクラッシャーの思い出

yamanomahiro.hatenablog.com

 

8日目
さら
マンションの11階で生きていること

circlecrash.hatenablog.com

 

9日目
Silloi(@silloi93)
(記事削除済)

 

10日目
まるちゃん (@marusingfire)
「ひと休み」のススメ ~サー同はいつもあなたのそばに~

marusingfire.hatenablog.com

 

13日目
ちろきしん(@taikai_sha)
ホリィ・センに勝ちたかった

nakanoazusa.hatenablog.com

 

15日目
ホリィ・セン(@holysen)
サークルクラッシュ同好会とは何か? その戦略の全貌

holysen.hatenablog.com

 

16日目
こじらせ神(@Help_MyKojirase)
私が「こじらせ神」になった訳

koji-rase-god.hatenablog.com

 

17日目
せーや(@seiyann1224)
ルッキズムに堕ちる

circlecrash.hatenablog.com


全部で14人の方にブログを書いていただくことができました。ご参加いただきほんとうにありがとうございました。
投稿に至らなかった方もいらっしゃいましたが、「書くよ〜」と言っていただけたことがとてもうれしかったです。
この企画が、書かれた方と読まれた方の何かしらの役に立てていることを祈っています。

サークラは随時会員募集中です。現在活動はdiscordを使ってオンラインで行っています。ぜひお気軽にご参加ください。

 

ルッキズムに堕ちる

この記事はサークルクラッシュ同好会(以下、サークラ)リレーブログ2020の17日目の記事になる。

 

※私は2018年梅雨頃から2020年2月まで諸事情のためサークラに参加しておらず、乖離している箇所もあると思われる。また書き殴りである。

 

①私にとってのサークルクラッシュ

 まず、サークラに入った経緯を説明する。

 元々、私はゲストハウスに住み込みでフロントとしてアルバイトしていた。英語・中国語を活かせ、家賃も浮くこの生活に満足していた。しかし、老害のオーナーとぶつかることが増え、ゲストハウスから出ていった。ホームレスになるところだったが、さくら荘のリビングにしばらく泊まることができた。泊まり始めて数日後に男女二人組がやってきて、リビングで雑談することになった。結果、入会費も無料ということもあってサークラに入ることにした。単に入会費が無料というだけで入ったわけではない。なぜ私はサークラに入ったのだろうか?

 私は一年生の時に10個以上のサークルに入っていた。しかし、色んなサークルで人間関係に悩まされることになった。以下、あるサークル内における実体験である。Aちゃんは私のことが好きだった。Aちゃんが気になっているBくんは私に敵対心を向け裏で私の悪口を言いふらした。人間の醜さを感じた。結局、Bくんをサークルから追い出し、Aちゃんとも付き合った私であったが、付き合ってからAちゃんは自殺未遂を図ったり、包丁を振り回すなどメンヘラ的一面を見せ始め、壮絶な別れを遂げた。私はそのサークルとメンヘラ彼女が連想されるため、そのサークルを辞めてしまった。他にもサークルの幹部の先輩に告白されて振った都合から、サークルに行きにくくなり辞めたこともあるし、サークルの後輩と付き合い、別れた後も役職の都合上しばらくはサークルに残り、表面上は仲良くして凌ぐといった「サークルクラッシュ」を既に何度か味わっていた。

 そういった経験をしていた私にとって、サークラは非常に面白そうな団体に見えた。また、当時家なき子であった私は社会の主流から外れ、異端派になった人が多く所属しているように見えたサークラに同感を持てた。これがサークラに入った主要因である。

 私にとって、サークラは社会の主流に馴染めない或いは馴染む気のない方々と交流して、様々な思想を知ることで、自身の知見を広げる場であり、ジェンダー、メンヘラ、性愛、こじらせといった日常では話しにくいテーマを取り上げられる貴重な場になっている。それ故、やみを自己開示できるところがサークラの魅力と思われる。

 しかし、サークラは「サークルクラッシュ」が起こりやすい場所でもあり、承認に飢えたサークルの姫を生み出す温床と化している。男女比が偏っており、捻くれ姫に幾らかの男達が「囲っていない」と謳いながら囲っているように感じた。

 

②自分語り

 あなたは「ルッキズム」という単語を知っているだろうか。ルッキズムとは外見主義や外見差別といった意味合いを含んでいる。私は「ルッキズム」を数年前から言っていた。私は自身のルックスを気にしており、周りからも色々言われることが多く、昔から「ルッキズム」の事象に注目していた。勘違いされることが非常に多いが、私自身はルッキスト(外見差別主義者)ではない

 私は小学校高学年の頃から自分の顔が嫌いで、親にも文句を言っていた。しかし、小6の時に急に私のルックスが評価され、初めてのモテ期を味わった。中学生になってから現在まで自分のルックスに対する自分の評価と他者の評価に差があるように感じる。女の子が容姿が醜いだけでいじめられたり、ルックスを基準にグループが分かれる現実を中学の頃から認識していた。また、高校(特に大学)以降はチャラそうなどと言われ、外見のせいで勉強ができなさそうと扱われる現実と向き合ってきた。

 それから、私は日常生活の中で「ルッキズム」を見出し、批判的に考えた。元々捻くれている性格もあり、そこには偏見も多く含まれてしまう。可愛いルックスと若さを振りかざして調子に乗る女などが代表例である。

 しかし、私自身もルッキズムに堕ちていることを自覚してしまう。美女を見た時に私はルックスに頼り、苦労することもなく、チヤホヤされてきた人間と捉え、第一印象にヘイトが入る。しかし、話してみると、色々苦労している子もいる。そういう子には共感できる部分が多く、予想を裏切られて好感度がすごく上がってしまうことがある。結果的にルックスが交際に大きく影響を与えてきた事実に気づく。

 また、大学入ってからも深夜にファミレスに行き、勉強に投資してきたが、それも知的好奇心だけでなく、周りからの「勉強できなさそう、チャラそう」という偏見に対するギャップを作り出したいのかも知れない。

 また、私は「美人系」より「可愛い系」が好きである。男性に関しても、中性的で可愛い顔のイケメンが好きである(目の保養であるが、恋愛対象ではない)。昔、道場で怖い大人に怒られて殴られることが何回かあり、それが本当に辛かった。この経験が原因だと思うが、見た目に対する好みもある。

 以上から私自身もルッキズムの呪縛から解放されていないんだなと感じる。故に私は自己批判を続けており、容姿に関わらず皆に優しくありたいと思う。現在はルッキズムにうまく向き合いながら生きていく所存である。言いたいことは沢山あるが、長くなってしまうのでここで終わる。

 

 私はサークラにあまり参加しておらず、影も薄くトリを飾るような人間ではないが、現在のところ、私の記事をもって最後のようである。

 ご高覧いただきありがとうございました。