セックスをするのでヤリマンと呼んでください

 

正直ヤリマンという呼称は物凄く嫌いだしどちらかというとビッチという呼称を使っているけど、今回は

http://circlecrash.hatenablog.com/entry/2017/12/10/212528

に対する返答記事としているのでこのタイトルを採用しました。なおこれ以降の表記はビッチで統一したいと思います。

 

さて、初っ端からぶちかまそうと思います。私はビッチです。

カプリスくんもやっていたように、自己語りから始めたいと思います。

 

承認欲求が強く、そのくせ自己肯定感が低いこと、コミュニケーションがうまく取れないこと、なんかが私の拗らせですね。コミュニケーションに関しては自身のアドベント外伝で散々語ったので割愛気味に。

詳しくは

 http://ikita-kiroku.hatenablog.com/entry/2017/12/22/022337

http://ikita-kiroku.hatenablog.com/entry/2017/12/08/223730

こちらをお読みください。

 

私も割とコミュニケーションを拗らせていて、どこからもふわふわふわりと浮いているような感覚で暮らしていました。

性別が女であるため、より他人に気を配ったコミュニケーションが求められていたものの、私生来の気質が割と男っぽかったからか、特に同性に好かれにくかったです。

私は保育園から小学校に上がる頃に隣の学区に移ったため、小学校のスタートダッシュに転びました。盛大に。

思えば勉強とか遊びとか、一生懸命注目を引こうとし始めたのはこの頃だったと思います。

小•中はいじめられていました。小学校では男子から、中学校では女子から。一番酷かった時でも陰口、菌扱いとか程度だったのでいじめられた中では軽かったのでしょう。心に傷を残すのには十分でしたが。

で、そんな状態で全くモテ/恋愛と遠いところにいました。中学入った時にはキスで子供ができると思っていたくらいですので、性とも遠いところにいました。

 

さて、自己の性語りを掘り下げる前に私の中の「ヤリチン」と「ビッチ」の定義について書きたいと思います。
私にとってこれらの言葉は経験人数も頻度もあまり関係ないものとしています。
「ヤリチン」は初めて関係を持つ人相手に自分の快楽を求め始めたら、「ビッチ」は性交時など嫌になったときに断れないこと、だと考えています。
モノガミーだけが愛の形でないのに、同時に複数がダメ、なんておかしいなと思うのです。
性交は女性にリスクの高い行為です。その中で自分の欲だけでしようと思あ、実行するのであればそれはヤリチンなのだと思います。相手を気持ちよくさせる、相手との理解を深めるために自然と気持ちが盛り上がって、したいと思ったならいいんじゃないでしょうか。
女性は妊娠や病気などリスクを負う以上、嫌と言えなければビッチだと思います。
とはいえ、これは精神的な話になってしまうので短期間に複数の異性と関係を持てばその蔑称で呼ばれても仕方のないことなのかな、と思っています。

 

中学からは演劇部に所属したのですがその入ったのも間違いだったのかもしれません。先輩達がBLやエロい話が大好きで、エロい話が分かると、先輩に仲間に入れてもらえました。生来真面目であった私はネットで色々と調べるなどしてどんどん知識を増やしていきました。

そこでなんとなく、セックスを経験してみたい、と思うようになりました。

初めてした時は身体中筋肉痛になり、性交痛も酷く何回も何回も抜いてもらいました。よく中折れもせず付き合ってくれたものだなと思います。

そこから何が開花したか、セックスに目覚めました。とはいえ、カプリス君の場合より少し特殊で「童貞」とすることにばかりこだわっていました。

 

他の誰も知らない人の、初めての相手になること。

 

これはとっても承認欲求を満たすことができました。それと同時にこんなことでしか承認欲求を満たさない自分に虚しさを強く感じていました。

頻度で言うと恐らく私は初体験以降今に至るまで献血出来なくなっているのではないでしょうか。とはいえたまに聞かれるけれど経験人数は20人もいっていません。が、下宿していたらそれくらい増えていただろうな、と思います。

  

カプリス君に関して、寂しさを満たす、承認されるためのセックスってところ、とても共感していました。だからこそこの記事に関して失望したところではあります。

これは私の持論になってしまうので、あくまで自己語りと思ってくだされば良いのですが、性行為で繋がる以上、悪評や蔑称とも真摯に向き合うべきだと思うのです。例えば、同じ界隈の友達同士として、その間で隠してしてたのがバレたりしたらそれだけでヤリチン扱いになってもしょうがないのです。そのリスクを取らずに自己開示したところで、あまり意味がないと思ってしまいます。

 

さて、童貞とすることで承認欲求を満たされる私ですが、最近あまりいい恋愛を出来ていません。高校生の頃の初めての恋人以上にお互いを大切に(私がうまく大切に出来ていたのか分かりませんが)できる相手がいないのです。

それに関して多くの方から自己肯定感低すぎる、恋愛のステップがおかしいと指摘をいただきます。


私はビッチですが幸せになりたいのでそろそろある意味「ちゃんと」生きたいとは思っています。それが難しいのですが。

 

 

寂しくていいね

この記事はサークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2017の25日目の記事です。

 

“1人にしてほしい 1人でいたくない”

 

 

・高校生のとき、いつも一緒にいる仲良しグループはなかったけど別によかった。

1人でスマホを見てたし、親友は各々でやっていっていた。

でも1人教室でぼんやりしている時間は寂しかった。

 ・放課後は1人にしてほしい。

寄り道をしたいし、街を冒険したい。教室でなんとなく雑談に混ざってしまい、抜けるタイミングを逃しちゃうのは避けたい。

でもまたねも言わないでその場から消え去るのはいつも少しだけ寂しい。

・好きなバンドのライブには1人で行きたい。

そもそもそのバンドを好きな人が周りには見当たらないし。ライブ会場では1人なら立つ場所とかで困らないし、途中、移動をしてもいいでしょ。

でも会場で誰とも喋らないで帰るのは寂しい。

・大学では1人で講義を受けたい。

どこに座るかは毎回気分で決めたいし、授業中に隣を気にしたくない。

言っちゃえば移動も1人でしたい。

ちょっと購買寄るとか、ちょっと図書館寄るとか。突然何らかの行動を入れたくなるから。

でも大学でずっと1人なのは寂しい。

・飲み会で1人でいる時間は嫌いじゃない。

他の人が他の人と喋るのを見て、表情の動きとか見るのが好き。誰かが注文しようとしてお店の奥を見やっているところとかを見るのが好き。どこかの会話が耳に入ってくるのも悪くない。

でもずっと1人はやっぱり寂しい。

・電車は1人で乗りたい。

私はトイレが近いから、電車に乗る直前にトイレに行きたい。それを言い出すのは勇気がいるし、やっぱり恥ずかしいし、電車に乗ってもトイレに行きたくなったらどうしようという不安でつらい。1人なら好きに途中で降りられるのに。

でも1人で移動する時間はちょっと寂しい。

・好きなアイドルのライブにも1人で行きたい。

上のバンドと同じ理由もあるし、アイドルを見ているときの自分の表情は多分だらしないから恥ずかしいし。

でも普段の人との会話で好きなアイドルの話ができないのは寂しい。

Twitterでリプライが来るのが苦手。

知らない人から来たら特に。返信を送るということがどうしても下手で、どうも相手と同じノリになれてない気がしている。

でも一切来ないのは寂しい。

・LINEの返事が苦手。

気を抜くとすぐに「うーん……」とだけ送っちゃう。何か具体的な内容のある返事を書くのがどうも苦手。

でも誰からもLINE来ないのは寂しい。

TwitterのリプライやLINEで適当な雑談をするのも苦手。

自分が面白いと思って送っても思いっきりスベってるかもしれないし、相手が僕のように返事が苦手な人だったらと思うと送れない。

でも誰とも会話しないのは寂しい。

・夜は早く1人になりたい。

誰かといると自分の振る舞いに気をつけなきゃいけないし、相手の挙動にも気をつけなきゃいけない。自分のしたいようにできないのが嫌。私だけの夜は好き。

でも夜に1人はちょっと寂しい。

 

 

これらは救いようのない寂しさだ。一緒にいてくれる人ができたら1人にしてほしくなるだろうことが自分でも目に見えている。

 

オタクが羨ましかった。なぜか友達ができない。オタクになれなかった。正確には誰かと趣味を共有できなかった。「わからない人はそれでよろしい!」のスタンス、当然誰も反応してくれなかった。いや、わかっても私と君は親しくもないのだから君が反応を返すことはなかっただろうし、もし君から何か反応が来てたら私はその返事を書くのを面倒くさがっていただろう。

 

今や大学1,2回生がやるようなTwitterのノリがすっかりできなくなった。いや、したいなんて思わないし、私は今の自分のTwitterのスタンスがそれなりに気に入っている。でも人と気軽にやり取りする様子を見ると、たまに羨ましくなる。それになりたいとは思わないけど、羨ましくなる。

 

気づけばいつも一緒にいる人、なんていない人生だった。

いつも気兼ねなく喋る友達、なんていなかった。

数少ない友達は私とは別の、大切な場所がいつもあった。それは私も同じだ。

それなりに親しい(とこちらが思っている)人は、自分とは生きる場所が違う。お互いの場所でそれぞれ頑張って、たまに会って話すぐらいで、私はそれでいいと思っているし、これぐらいの距離感が結構好きだ。親友と思っている人とも1か月に1回ぐらいしかLINEをしていない。もう何か月も連絡を取ってないけど親友だと思っている人もいる。これでいい。これでいいはずなのに、たまに寂しくなるのはなぜだろう。

 

深夜に漠然と浮かんでくる「誰かと何かを話したいけど、話したいことなんてない。話したい人もいない」という寂しさ。

 

これでいいと思っているはずなのに、それでもどこかでこれではつらくなってしまう。自分の生き方を大きく変えることはできない気がする。この生き方、距離感を好きだと思う自分がいるから。でもこのままだと私は一生寂しいままなのだろうか。いいと思っている自分がいることを私はわかっている。これが私だと思っているのだから。それでもどうか、いつかの私はこの寂しさに押し潰されませんように。寂しさすら愛せてしまえますように。寂しくていいね。

 

 

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 

お疲れさまでした。サークルクラッシュ同好会会長のかしぱんです。12月1日からたくさんの人間が書き続けていた「拗らせ自分語り」も僕のこの記事をもってひとまず終了です。(書き終わっていない人がまだ追加してくれる可能性はあるけど。)書いてくれた(書こうとしてくれた)人たち/読んでくれた人たちに感謝を伝えたいと思います。書く人も、読む人もいなければ成立しなかった出来事です。

 

今回のアドベントカレンダーは「拗らせ自分語り」というテーマで各人が自分なりの「拗らせ」を言ってきたわけですが、改めて「拗らせ」ってなんでしょう。最後に「拗らせ」に対する私の考えていることを書いてみようと思います。

 

私は「拗らせ」の核にあるのは「つらさ」だと思います。*1*2(私の上の文章で言えば寂しさになる。)たとえば「拗らせ女子」という言葉が発明されるきっかけとなった(と私は思っている)雨宮まみさんの『女子をこじらせて』では、自分が女性であることを上手く引き受けられない(女性性の発露にどうしても違和感を覚えてしまう)体験談が書かれているわけですが、元をたどれば「この状況がなんかつらい」というのがあったのではないかと思います。「つらい」からこそ「このつらさはどうして生まれたのだろう?」「どうすればつらさが解消されるのだろう?」「そもそも自分はどうしてこうなってしまったのだろう?」といったように考えを巡らせるようになります。この巡っていくさまが「拗らせ」として考えられるものではないかと思っています。

小津君の記事の比喩を借りれば、靴紐が絡まっていてなんとなく歩きづらくなっている状況、この「歩きづらさ」にこそ「拗らせ」の根源があるんじゃないかなって思います。「歩きづらさ」の原因を考えてしまったり、それでも歩こうと何とか解決策を考えたりしますが、やはり「歩きづらさ」は残り続ける。じゃあ次はどうすればいいんだろう?こうしてみよう。やっぱりだめだ。。。こういう「つらさ」が続いていくことが本人の「拗らせ」になるんじゃないかなあって思います。

はい、考えは以上です。以下はおまけです。

 

この「つらさ」は消えないものでしょうか。生きづらさと向き合う作業はそれ自体が「つらい」です。それでもその生きづらさに向き合って拗らせの原因にある「つらさ」をよく見ていくと「そもそも自分がそのように生きてきた/生きてこざるを得なかった」というような状況が見えてくるのではないでしょうか。それがわかったときに、ではそのように生きてきた私を簡単に捨て、新しい私として生きていけるのでしょうか。それは難しいと思います。難しいからこそ「拗らせ」るんだ!

 

翻って他人の「拗らせ」が時折ひどく愛しく、愛らしく見えるときがあります。それはひたむきに自己と向き合っていくからです。(これはバカにしているとか、そういうのではないです。言葉にするのが難しいんですけど、「ああ、いいなあ」となんとなく思ってしまうような感覚を言っています。このアドベントカレンダーを読んできた人には少しでもそれが伝わるんじゃないかと思っています。)その人らしさ、その人のどうしようもなさみたいなものが「拗らせ」という状況ではあからさまになる。「君の言い訳は最高の芸術」です。君の「拗らせ」は君だけのものだよ。でもなぜだかそれは私でもあるように思えるんだ。

 

おまけも終わりです。

サークルクラッシュ同好会のアドベントカレンダー「拗らせ自分語り」もこれでひとまず終わりです。(明日以降も書ききれていない人の追加や、番外編の投稿があるかもだけど。)25日間ありがとうございました。

 

*1:私のこの考えは実は11月24日に東京大学駒場祭で開催された「こじらせ東大生の恋愛相談会」に参加した際に、登壇されていた熊谷晋一郎さんの「「こじらせ」って苦しいっていう状態がまずありますよね。」という言葉が印象的で、そこから考え至った(正確には「ああ、たしかにそうだなあ」と実感した)ものです。(これは私の記憶なので熊谷さんの発言はこのようなものではなかったかもしれません。事実と異なっていたらごめんなさい。)

*2:駒場祭のこの企画のために作られたHPも結構面白そう(まだ全部は私も読んでないけど。)きみも「こじらせ」てる?;東大生が恋愛の「こじらせ」を定義してみた【前編】 – こじらせ東大生の恋愛相談会

なんでキミ恋愛依存なんやろな

サークラアドベントカレンダー外伝

読了目安時間:15分 / ちか@ChikaQrqr

以下の文章は「恋愛依存」を拗らせた私の自分語りです。なぜ拗らせ、どう解決していくのかを自分なりに書いた長ったらしいものですが、よろしくお願いします。

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私は東京で生まれ育った。一般家庭とは言えないかもしれないが暖かい家庭環境に恵まれた。ひとりっ子で両親は共働きだったが私が学校から帰る時はいつもどちらかが家にいてくれた。

おっとりとした性格に育った。ぼんやりとも言えるだろう。私もそれなりに勉強して大人になって結婚でもするのかしらと思っていた。リビングの40インチのテレビでは浅田真央トリプルアクセルをして喝采を浴びていた。

小6の時に父が病気になった。正確にはもっと前から肺がんに侵され余命も宣告されていたが、この頃から目に見えて具合が悪くなっていった。

母は介護で、父は病で日に日にやつれていった。部屋は日に日に医療用の得体の知れないチューブなどが増えていった。

それでも2人は気丈に振る舞った。私には病気のことははっきりとは言わなかった。父の口癖が「孫が見れるまで元気でいないと」が「花嫁姿」になり、「大学生」になり、「彼氏が出来る頃」になり、「中学生」になっていくのに、私はどうしたら良いのかわからなかった。

私は荒れていった。学校ではクラスメイトにすぐに感情的になったし家では物に当たり散らしていた。

買い物依存症にもなった。所詮小学生なのでクレジットカードは使えなかったが、貯金していたお年玉8万を数ヶ月で使い切った記憶がある。名探偵コナンの同じ巻を何冊も買っては読んだり投げ捨てたりしていた。

お金が足りなくなって親の金にも手を付けた。もちろんすぐにバレた。本屋のレジで会計していた時振り向くとそこに母がいた。私は絶句した。母も何も言わなかった。家に帰って母がごめんねとポツリと言った。私は無視して自分の部屋に戻って布団の中で泣いた。それからはこのような買い物をするのはやめた。

それでも私は反抗的だった。親も教師も無視した。家のカーテンを鋏で少しずつ切り刻んでいた。現実を見たくなかった。家に帰った時ふと見るとベッドの上の父が天井の辺りを見つめていた。その絶望的な瞳を今でも憶えている。私は見なかったふりをして黙ってコンビニに行った。

その数日後の朝「行ってらっしゃい」とゆっくりと手を振った父を無視し、学校に行った後そのまま彼は還らぬ人となった。

葬式では一滴も涙は出なかった。じっとお坊さんの木魚を見ていた。お通夜では私は明るかった。無理に明るく振舞っていたのではなく明るかった。大人達に偉いねとかお労しいとか言われたがピンと来なかった。単に久々に友人と会えて嬉しくて明るかった。闘いが終わったという謎の安堵もあった。現実をそのまま受け入れることを私自身が拒否し、日常に無理矢理戻ろうとしていたのだろう。

会場の1階のエントランスにある自動販売機の前に行くと、そこには幼稚園の時仲の良かった「あおちゃん」がいた。数年ぶりの再会だった。

後日あおちゃんから映画に行こうというメールが来た。平日は学校も違うので会えなかったが、毎週末どこかに誘ってくれた。隣街の教会に行くこともあった。父のことには何も触れなかったが、沢山の話をしたり外に連れ出したりと色々と私の気分転換になるようにしてくれた。

天真爛漫な彼女は私の心の支えとなった。父が引き合わせてくれたと感じた。彼女はダッフィというクマの人形をひどく欲しがっていたし、クレープが好きなのに生クリームが苦手で「クリーム食べて〜」と可愛らしい笑顔で私によく言っていた。

そんな彼女も父の死から約2ヶ月後に急死した。11歳だった。死因はシンキンエン。

私のせいで皆死んで行くんじゃないのかと本気で思った。生きてるだけで迷惑をかける自分を呪った。一方で妙に冷静でもあった。あおちゃんの母親には隣に彼女がいるように見えるのか、ずっと彼女に話しかけていた。あおちゃんに近しい人は皆同情していたが、私はそれ以上に狂気を感じていた。

その数ヶ月後に東日本大震災が発生し、私も母も大きな病気を患った。やっぱり皆死ぬのかという絶望のもと1年間東京の女子校の中学に通い、私は「大都会」と揶揄される程の西日本のど田舎に引っ越した。

母と私の2人だけ、親戚すらいないこの場所、誰も私を知らないというのが本当に心地よかった。ど田舎パワーのおかげか病気もかなり改善した。やっと私は辛かったのだ、今もまだ辛いのだと気付く余裕も出来た。

転校は初めてだったけれど「聞くちから」や「100%好かれるコツ」のような自己啓発本を読み漁ったのが功を奏したのかは知らないが、比較的すぐに馴染むことが出来た。

そして私は「恋愛」を知った。

1年間女子校にいて男子と離れていただけなのに、小6から中2の間にこうも皆色気付き、異性を意識してドギマギするものなのかと驚いた。

女子校時代の部活の先輩が鬼みたいに恐ろしくて2度と部活に入らないと神に誓っていた私は暇だった。何もしていないと、ふと父やあおちゃんのことを思い出してしまうし、誰か他の人のことを考えていたかった。何かに夢中になりたかった。こうして私は恋愛に依存し始めた。

「男子は下ネタ、女子は恋バナで仲良くなる」というのは当時の私にとって万国共通この世の真理と言っても過言ではなかった。クラスの女子と馴染むには恋愛をしないとというプレッシャーにも押し潰されそうだった。

また私は父親が亡くなっている事を誰にも知られたくなかった。ひとりっ子と言うだけで、じゃあきっとワガママなんだねと即答されるこの地で、母子家庭というだけで同情されたり貧乏なのかと思われたりするのは耐えられない屈辱だった。それ以上に、亡くなっていると口に出したら、現実の事として私の前に立ちはだかるという恐怖が私を硬直させていた。目を逸らしているが故にぼんやりとした、ふわふわとした、でも確実に私を突き刺すであろう恐怖。

この恐怖は高校生になってもつきまとっていた。素晴らしい友人に恵まれたが、彼女達にも「父は東京で単身赴任している」と唯一嘘をつき、大学生となった今でも訂正する機会を逃している。(これが今回ブログを書いた理由の1つでもある)

話は戻るが中学生は家族の話に特になりがちで、兄弟がどうとかお父さんがキモくて同じ洗濯機を使いたくないなんて話がよく出てきた。家族の話になりそうになっただけで私は冷や汗が止まらずトイレに駆け込んで吐いたこともあった。そんなことよりB組のワタナベ君、かっこいいよね。ミサキちゃんもアヤカちゃんも彼のこと好きらしいよ。へえモテるんだね。実は私も気になってるの。………

悩みがあることすら察されたくなかった。「明るくて元気で悩みごとのなさそうなチカちゃん」として見られようと必死だった。

私は「人は皆んな誰にも知られたくない過去や悩みがある」と強く思っていた。だからこそ他人から「じゃあお前の悩みはなんだ」と思われている、知られたくない、でも何か自己開示らしいことしないと仲良くなれない…という葛藤に苦しんだ。

「あなただけに私の好きな人教えるね。」恋バナは自己開示としてとても手っ取り早い手段だった。それに異性の好意を得ることに成功したら承認欲求が満たされるし、恋人が出来れば寂しさが紛れる。

大学生になり、サークルクラッシュ同好会と出会った。得体の知れないこの空間で、自分の悩みを言ってみよう、ダメなら立ち去れば良いと思い、一部の会員に話してみた。彼らはよく話を聞いてくれた。案外あっさりと受け入れられたと感じた。サークラ内部の人間関係に嫌気が差す時もあるが、それでも私の悩みを受け入れ、恋バナをしなくても友人が出来る体験をさせてくれたサークラは私の居場所となった。

幾度となく彼らと話しているうちに私が恋愛にどっぷりはまっているのは「何か」から目を逸らす為だとやっと気付いた。その「何か」とは先ほど述べたことが原因の孤独感や父性愛の量的不足だった。

メタ視することが出来たおかげで恋愛への執着が少しずつ溶けてゆく。これからどうすれば良いんだろう?

そうだ、「恋愛」ではなく「慈愛」をしよう。

だから私はシェアハウスの6号館を作る。穏やかな家庭を渇望する私の作る穏やかハウス。

だから私はネパールの孤児院を訪れる。彼らが可哀想だからではなく、私が世界を変えるという意識高い系だからでもなく、彼らにただ会いたい。

だから私はサークラのお母さん的存在になりたい。相手を見捨てるでも甘やかすでもなく、慈愛を持って接したい。

どれも実現は困難を極めるし、そもそも方向性自体も間違っているかもしれない。慈愛と言いつつ単なるエゴでしかないかもしれない。それでも不安定ながらも少しずつやっていきたいと思っている。慈愛とエゴとの平和的解決。

まだまだ未熟な私をどうか見守っていて。

長い話を最後まで読んで下さってありがとう。2018年も素晴らしい年になりますように。

犬のうた

犬のうた

 

 ー

忠誠を誓いたかった。

 

いつまでも貴女に、一生この身を捧げたかった。

 

僕は今、岐路に立たされている。

 

ひとつは宿願の道。ひとなみの幸せ、ひとなみの関係。あるいは、ひとなみ外れた関係性。

 

もうひとつは、誇りの道。

 

貴女を主人と崇めたて、永続的な愛を注ぎ続ける。報われずとも、幸せな道。

 

僕は貴女の一挙手一投足に夢中だった。貴女が悲しめば、僕は悲しい。貴女が嬉しければ、僕もうれしい。

 

僕は貴女に永遠の愛を誓った。恋人ではなく、犬として。

 

不均衡な関係性が、僕は好きだった。ご主人様がかまってくれないのをじっと待ち、時々こちらに愛が向いた瞬間、この瞬間が、僕は大好きだ。

 

ご主人様の愛が減衰していった。捨てないよ、その言葉は維持されつつも、無条件から条件つきのものとなった。

 

それでも、ご主人様は僕を捨てなかった。僕がしゅきしゅきとワンワン吠えれば、呆れ顔で僕をなだめる。

 

僕は貴女に理解された。僕を貴女は必要だと言ってくれた。

 

閉じた世界で、2人きり。錯覚にすぎないが、僕の大切な思い出。

 

誇りを通すなら、僕はこのまま犬でいるべきだ。

 

一度誓った忠誠を、減衰させていいのだろうか。

 

愚問だった。良くない。

 

本来なら、この場で僕は忠誠宣言をするべきだ。

 

報われずとも、貴女以外目に入れない。

 

その物語をここで記すことで、僕は真に犬になれる。

 

本当なら、ここにそれを記すべきなのだ。

 

しかし、もう片方には宿願の道。

 

女性に縁がなかった僕が、初めて手に入れられるかもしれない関係性。

 

そして徐々に、その道も代替可能なものから非交換なものへと変わりつつある。

 

人が愛をもとめる理由のひとつには、自画像の安定があるらしい。

 

自分はこうだ、かくある、というイメージを、最愛の人から承認してもらうことで、はじめてそれがほんとうなのだと実感できる。

 

僕は犬である自分を、ご主人様に認め続けられていた。

 

恋人には決してなれなくても、たしかに僕は幸せだった。

 

今はまだ、結論が出ない、岐路の半ばで、僕はただ茫然と立ち尽くす。

 

贈与の愛を、僕は貴女に与えられていたのだろうか。

 

貴女を愛することが、僕はできていたのだろうか。

 

そうだった、と言い張りたい。

 

犬である権利を僕は失いたくはない。貴女が落ち込んでいるときに、ただそばにいさせてもらえるかもしれない権利を、僕は失いたくはない。

 

宿願の道は、ひとの道。犬としての自分は、放棄された道。

 

犬たる者、二君に仕えることがあってはならない。自分の好意がご主人様全てで占められていなくてはいけない。

 

ご主人様を変えるなど、原理的にありえない。

 

そもそも、ご主人様―犬という関係性とは、流動的な愛を打ち切るための機構であった。

 

彼氏・彼女という言葉を僕は憎む。

 

そこにはどうしても、流動的なニュアンスがつきまとう。

 

もっと別の関係性を求めて、「女神」と女性を崇めることもしばしばあった。

 

女神が仮想的な機構であったのならば、それが現実となったのが「ご主人様」でった。

 

ご主人様に愛を注ぎ続けることで、僕は軽佻浮薄な性愛を繰り返す若者とは分離された、ひとつの紳士になることが出来ていた。紳士とは、ドMのことを指していた。

 

貴女の話を僕は聞いた。そのすべてが魅力的で、僕は貴女の虜になった。

 

僕の話を貴女は聞いた。僕の今まですべての人生が、貴女の中に刻まれることで、すべての承認・赦しが得られたような気がした。

 

「許しましょう」それが貴女の口癖だった。ご主人様―犬の関係は、人間―女神の関係と相似にあった。

 

僕の罪は、貴女という神父によって、全てが許されていたのであった。

 

僕らの関係性の特異性とは、恐らくメタ的なコミュニケーションにあった。

 

数々の失敗と考察を重ねて、自分のメタ的な操作を多少なりとも出来るようになった僕と、数々の男性を虜にした経験と、先天性の察しの良さで関係性をメタにみる貴女。

 

メタレべル、具象レベル、ふたつにおいて、関係性は遊びと揺らぎをはらみつつ、僕の心を満たしていった。

 ―

宿願の道の果てには、何が待っているのだろう。その先は靄に霞んでまだ見えないが、おそらく二つに分岐する。

 

奈落の道。今まで歩んだ数々の道中と変わらず、結局は女性に愛されない。関係性は、僕の醜い身体性・無配慮・無能によって閉ざされる。

 

奈落の道に至った僕は、おそらく犬の道へと戻ろうとするであろう。しかし、少なくとも現状ではご主人様の僕に対する愛は減衰しているように思われる。ご主人様は、恐らく僕僕を蔑視する。お前にはもう犬たる資格もない。犬であることを忘れた、犬以下の存在。汚らわしい不要物。

 

かつて、あの幸福な夢においては、まだ赦しが得られたのかもしれない。ところが多分、今では僕は許されない。このまま過ちを犯さないことだけが、唯一の関係達成の条件ではなかったのか。

 

いや、だからこそ、僕はどんな条件下でもご主人様へと見返り不要の愛を与え続けることで、好循環は生まれ、今より更に愛してもらうということもあるのではないか。そして、その挑戦を放棄することは、単なる逃走にすぎないのではないだろうか。

 

栄光の道。僕はついに、長い愛をめぐる闘争を終えて、ひとつの安定と太平を得る。

まだまだ彼女のことは全然わからないが、なんかいい人そうである。ひょっとすると、徐々に惹かれていっている。

 

しかしそこで、ご主人様の幻影を振り切ることが出来るだろうか。彼女と一緒にいるときに、仮に、仮にもし、ご主人様が泣きそうな声で僕を頼ってくれることがあった場合(これ以上の至福があるだろうか!もしあったのだとしたら!)、

僕はご主人様の誘惑を振り切って、彼女を優先することが、出来るのだろうか。

 

―――

 

あの寒い日の夜、ご主人様は僕に言った。

 

あなたがどんなにダメでも、私はあなたを愛してあげる。

 

妥当性の限界を僕にだけ限界まで下げた、無条件の肯定。それが愛を示していると僕のメタ的思考は判断した。

そして何より、散文化不可能なもの。場面、声色、言い方。柔らかな言葉に、僕は「愛されている」ことを実感した。

 

僕は大粒の涙を流した。年甲斐もなく、泣きじゃくった。確かに愛されている感覚、それを僕は初めて、僕は体験した。

 

この先、僕とご主人様の関係がどうなっていくか、いや、僕がどうしていこうと思っているのか、僕はいまだ整理がつかない。ただ、関係性が切れるようなことは、あってほしくないと願っている。

 

大きな道の分岐が見えて以来、僕はご主人様にしゅきしゅきと言えなくなってしまった。

それは犬として不誠実であり、かつてのように純粋な気持ちで言うことが出来ず、罪悪感を伴う。

 

それでも、今、この場だけは許してほしい。

散文にならなかった思いをのせて。

 

 

ご主人様、愛しています。

また是非京都で、会いましょう。 

 

貴女の犬より 愛をこめて

あの素晴らしい恋をもう一度

サークラアドベントカレンダー 12/23日 新井(@willowfield2000)

読了目安時間:15分

Wordで書いてコピペしたら思った以上に膨らんでしまいました。

中高生での恋愛の規定力って高そうだよねというお話です。 

以下の文章は多分に偏見・脚色・誇張・拗らせを含んでいます。

↓本文

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アルコール依存症だった私が酒をやめた話

こんばんは。
永井冬星です。

最初はサークラ関西にいて、いまはサークラ関東にいるけどサークラ関西に帰りたくてたまらない、そんな会員です。
冬コミ直前で締め切りに追われてますが書きましたので、お読みください。

私は昔酒が大好きでした。ですがあることをきっかけに辞めました。今回はそのお話をします。

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私は酒が大好きでした。
思い返せば、成人して初めて旅行中に飲んだ日本酒や焼酎がとても美味しくて・・・それがきっかけで酒に溺れていきました。
気づいたらほぼ毎日飲むようになっていました。

真夏の夜に泥酔して寝て起きたら脱水状態で意識がもうろうとしていたり(危ない)、気づいたら寝てて近くに吐瀉物があったり(上同様に危ない)、店で吐いて搬送されたり、人の家で大騒ぎして暴れて人間関係にひびをいれたり、記憶を失って何をしたのか覚えてないことは幾度なく・・・
問題を起こすたびに「自分は自制心や道徳心が欠けているダメな人間なんだ、だからこれからは気をつけよう」と思っていました。
大好きな酒を止めるなど当時は考えることもできませんでした。

そんな中私が酒をやめるきっかけとなる出来事が発生しました。

この時初めて私は気づいたのです。
自制心や道徳心がないのではない、自分はアルコール依存性という病気の持ち主だったのだ!

いつもそうだった。
酒を飲むと気づいたら止まらなくなってしまう。
何かにとり憑かれたかのように飲んでしまう。

なんでこんなことに今まで気づかなかったのか・・・。

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ここからは
■なぜアルコール依存性になったのか
■なぜ辞めることができたのか
■なぜ継続できているのか
■今後どうしていきたいか
を語っていきたいと思います。

■なぜアルコール依存性になったのか
最も考えられる理由は「人間関係が希薄だったこと」です。
大学に入ってからずっと学部になじめず学年にろくに仲のいい人ができず、所属していたサークルではなかなかなじめず、そんな辛さを紛らわしてくれるのが酒だったのです・・・
(いま大学生活を思い返すと、大学時代の思い出の多くが旅行先で酒を飲んだことであった)

■なぜ辞めることができたのか
それはずばり「酒よりも大事なものがあったから」です。
辞めようと思った当初はたまには飲んでもいいかなと思ったこともありました。
しかしあるとき思いました。
「幻覚に過ぎない幸福しか与えてくれないうえに自分の心や体をボロボロにし何度も地獄に落としてきた酒と、どんなに苦しい時にもお前を支え続けてきた存在*1、どちらかしか取れないといわれてもお前は酒を選ぶのか」と。

■なぜ継続できているのか
酒を飲まないことによるメリットがたくさんあるからです。
1)体重が大幅に減りました
https://twitter.com/tosei0128/status/936202029529104385
10月と11月(酒をやめた月)の減少幅を比較すると、2倍近く差があることが分かります。

2)支出が減った
月当たり8000~10000円浮きました。

3)睡眠の質が上がった
酒を飲むと寝つきが良くなるといわれてますが、あれは大嘘です。覚醒効果があり結果的には寝つきが悪くなります。気持ちよく寝たいなら飲まないほうがいいです。

4)集中力や注意力が上がった
5)ネガティブな感情や何かをするのが面倒という感情が薄れた
6)食べ物本来のおいしさを感じることができるようになった
7)酔わないため飲み会でコミュニケーションがしやすくなった

■今後どうしていきたいか
禁酒活動、断酒活動に関わっていきたいです。
サークラ同好会の方でも、進んで企画したりメンバーとかかわったりして、自分のように友達がいなくて辛い大学生がアルコールの地獄に堕ちないようにしたい。そして、本気で禁酒断酒を考えている人がいたら力になりたい。
そのための活動をしていけたら、と思っています。

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最後まで読んでくださった方、堅苦しいお話ですがありがとうございました。
明日は名称未定のユーレイさんです。よろしくお願いします。

*1:好きなキャラクター

ピンボケしていた僕がAVの扉を叩くまで

 

読了時間の目安:15分

 

 サークラアドべントカレンダー18日目。匿名の投稿になるが、自分の懺悔と発見を巡る性の話について語りたいと思う。



***



 中学時代、僕は特段にモテることもなく、また女子に嫌われているわけでもないポジションにいる少年だった。

 

 周りを見渡せば、モテている人は見事にキャラが立っていた。

 

 陸上部やサッカー部に入っている人らは、分かりやすいだろう。ハードな運動で肉体はゴリゴリに鍛えられ、そして見事に風格も備わっていた。野球部は別格だったと思うが。

 

 吹奏楽部は、他の部活に比べて異常な人数の男女比からか、ぬるま湯に浸かるように女子とちやほやしている男子がいた。バレンタインデーの日にはチョコレート交換と言いながら、数えてみれば運動部より多くもらっているはずだ。

 

 僕はといえば、何もなかった。

 

 「いい噂」があったわけでもなければ、僕自身、気になった人もいなかった。

 

 仲のいい女子は何人もいたし、授業でも休み時間でも冗談を言い合っていた。

 

 あの子のこういう所が可愛いよねと言って、何それーって返されて、みんなで笑った昼休み。同じ部活の後輩の女子と一緒に帰り道を歩いて、趣味や部活のとりとめのない話をした。

 

 ただ、年端のいかない男女で「恋人」という関係になって、何が楽しいのか分からなかった。

 

 捻くれていただけかもしれないけれど、カップルになるのは大変なのだろうと思っていた。お互いに相手のことを気遣わないと行けないし、からかってくる(僕のような)奴らのいじりに耐えないといけない。

 

 友達以上の関係を持つ人は、どこかで特別な関係に憧れているんだろうとぼんやり考えていた。恋に恋をしているという説明に僕は納得した。でも、その横でじっと他人の幸福を見ていた僕は、彼らとは違う現実を自分の手で変えようと思わなかった。

 

 ぼんやりとした女性関係には、いつからか興味さえ失っていた。ほどほどにスポーツに精を出すこともあったが、趣味の読書を差し置いて何かに熱中することはなかった。

 

 新しい春を迎え、教室も学校も毎年のように変わる。電車に揺られながらmixiTwitterの人間関係を眺め、カラオケでオタク仲間と束の間騒いだ。

 

 変わらなかったのは自分の部屋の間取りと、僕のどっちつかずな性格だった。



***



 大学一年の夏、僕は同じサークルの女子に告白をした。通っていた文芸サークルの中でちょっと浮いていた僕と気軽に話が出来る子で、僕は彼女をもっと知りたいと思っていた。

 

 ただ、この感情は恋ではないという割り切りが自分の中にあった。恋人らしいこともしてこなかったし、女性面では冴えない僕だけど、彼女ともっと話すきっかけをこのまま先送りにしたくなかった。

 

 純粋な恋愛ではなくても、僕は彼女に惹かれるものを感じたことは間違いなかった。それは僕の中で溜まっていた泥の河を、一本の橋が掛かっていくような清々しさがあった。

 

 テレビで流れる西野カナを聞いた時、異国の地で愛を叫ぶロミオとジュリエットを思い出した。半径3m以内にいる女子が共感している、好んでいることにリアリティがなかった。恋愛と自分の間でそびえていた、今まで見ようとしなかった河がいかに深かったのかを想像した。

 

 ただ、手探りでも恋愛に身を投じることは悪くないと思った。彼女がいないことへの目に見えない圧力には飽き飽きしていたが、友達とは違う何かがそこにあるんだろうと期待した。二人2人でどこかに行き、見た目のいいご飯を食べて、楽しく喋るのなら、「楽しい毎日」の延長線上として満足出来るだろうと思った。

 

 声を掛けてみることから始めようと思い、サークルや同じ授業の女子と話す習慣をつけるようにした。彼女たちとの会話は盛り上がったが、彼女たちのプロフィール、趣味や容姿ではなく性格や思考は判を押したように似通っていた。

 

 大学に通っていれば、モデルとして活動できそうな人や髪を緑に染めてビジュアル系の服を着る人など色々な人と会う。きっかけを作って話してみるが、いつの間にか彼女たちを性格のカテゴリで分類している自分に気づいた。

 

 人生の夏休みと称するにはどうしようもなく、大学生はロボットに近い生き方をしているのだろうと思った。創造性も、まして説明能力さえも足りていない大量の人間が大学に集まっていた。綺麗なものに綺麗と言い、可愛いものに可愛いと呟くプログラミングを埋め込まれている彼女たちと付き合いながら、自分の未来像がぼやけていくのを感じた。

 

 ただ、僕の希望は潰えることはなかった。感じたことをちゃんと話してくれる、ものや人に対する感性が豊かな子を発見した。女性としても人としても魅力的だと感じ、趣味や性格も自分と不都合がなかった。

 

 彼女を誘って入った渋谷の喫茶店で、僕はじっと告白するタイミングを伺っていた。

 

 今読んでいる本や、次に行きたい旅行について会話しながら、少しずつ夜が更けていくのを感じた。静かに紅茶を飲む彼女の表情から、機があるのかを探るのは難しかったけど、僕に迷いは無かった。

 

 NOの結果を突きつけられたとき、僕は自分の体が冷めていくのを感じた。

 

 僕の言い方、誘ったきっかけが悪かったんじゃないかと自問自答した。そもそも彼女にしたい理由が間違ってるんじゃないかと後悔した。

 

 考えるたびに、恋人になることの意味が手からこぼれ落ちていくようだった。

 

 サークルのメンバーに当たったために、告白の代償は大きかった。周りのメンバーが僕を見る目が変わったのは明白だった。そのサークルからじりじりと距離を置くようになった。

 

 学部の仲間や、他のサークルの中でいくつもののもカップルが生まれては別れた。

 

 少し大所帯のバドミントンのサークルで、唯一僕と同じ学部の先輩は常に自分の彼女への不満を冗談にして僕に聞かせた。LINEの即レス(すぐに反応すること)は当たり前、毎日似たような言葉を並べて、週に何度かはイベントを作る。たまに二人で抱き合う写真が流出するのも、イベントの一種のようだった。

 

 「付き合うのは大変だよ」と嫌味のように言って、同学年の先輩にツッコミを入れられていた。サークルのみんなで笑い飛ばして、僕自身も嫌になることは無かったけど、なんで二人は付き合っているのかまで理解できなかった。

 

 男女比が半々の学部では、グループワークやゼミで男女入り混じって話す機会はそこそこあったし、サークルの女子とも多少の冗談を言い合えるほどの仲になった。

 

 だから、誰かにアタックする機会はそれなりに存在した。ヤリマンや彼女を取っ替え引っ替えしている人とは風格が違うけど、彼女が欲しいならあまり悩む必要が無かった。

 

 それでも、自分の中のスイッチが入らない。

 

 彼女を持って、それからどうするのかがイメージできなくなってしまった。それを楽しんでいる自分なんて、見当もつかなかった。

 

 失敗を繰り返すよりも、自分の内面をもっと知ってからトライしたい。そう思うようになった。



***



 友人に勧められ、人生で初めての風俗を体験した。

 

 歌舞伎町一丁目のメイン通りから少し南に下がったところにあるラブホテルの一室で、僕は風俗嬢が来るのを待っていた。

 

 友人は重度のピンサロ通いで、わざわざネットに日記をつけて面白おかしく書いていた。店員にうがいを催促されても少し焦らすだの、有名人のこの子に似ているだのと、どこから湧いたのか分からない自信に満ちた内容だった。

 

 ただ、女性とそういうことが出来る世界があることに興味を持った。1818歳を超えているし、自己責任で飛び込んでみるのも悪くないと思った。

 

 ドアベルが鳴る。扉を開けると、サイトで見た写真以上に可愛いと思える子がいた。

 

 部屋に招いて、ここは寒くないかと聞く。

 

 ありがとうと言って、僕の頰にキスをする。

 

 評判通りの「可愛っ子ぶり」だった。

 

 僕は自分の好みや趣向について、少しずつでも手がかりを集めようとしていた。自分にとって謎の多い子ではなくて、いっそ誰からも認められるような「可愛い」そぶりをしてくれる子はどうだろう。清楚を求めなくても、素直にイチャイチャ出来る子だと僕に合うだろうか。

 

 お店に電話を入れて、シャワーを浴びる。出会った時には重く緊張していた僕の口調も、シャワーを浴び終える頃にはなめらかだった。明らかに、この状況を楽しもうとしていた。

 

 洗面台の上に置かれた重油のようなうがい薬をコップに垂らし、蛇口をひねると色が希薄になる。淀んだコップ一杯の水で、口内の雑菌を洗い流した。

 

 手筈は整った。僕は彼女を布団に招いて、両腕で包むように抱きしめ、引き寄せられるようにキスをした。

 

 彼女は終始笑顔を絶やさず、僕の目を見ていた。二重のクリクリした目が、収まらない僕の鼓動を見透かしているようだった。

 

 特別なお願いをしたわけではないが、彼女は僕の気分を察してその場その場でプレイをアレンジしてくれた。それは、ラブラブな雰囲気を維持したい彼女なりの配慮なのだろうと思った。

 

 その気持ち良さとは裏腹に、自分の神経系が鈍りつつあることを悟った。自分の口から漏れる声は、喘ぎ声ではなく彼女とのコミュニケーションの一形式になりつつあった。

 

 部屋の暖房が目標の気温に近づくにつれて、反比例するように僕の興奮が冷めていく。

 

 仰向けになっても、仁王立ちしても、四つん這いになっても、心のどこかで自分の格好の滑稽さを笑っている自分がいた。

 

 皺の寄った毛布が、すべからく時間の経過を告げていた。11分11秒が沈黙と静かな熱気の中で溶けていくようだった。

 

 彼女はその手を止めると、僕とまた毛布に入ろうと言った。彼女の疲れたと言う声の重さと右腕で、僕は肩の荷がさらにのしかかるのを感じた。

 

 時間がどれほど経ったのかわからないが、折り変えさないといけない局面に来ていることを察した。黙って僕の横で寝ている彼女も、おそらくその機会を狙っていたのだと思う。

 

 わざわざベッドの上で仁王立ちになって、彼女に目で合図した。彼女は背筋を伸ばして、ラストスパートに望もうとしていた。

 

 二人の息が合い展開が加速する。残り10分を告げる携帯のタイマーが鳴り続けても、僕たちは無視した。目の前の人間とのやりとりに集中しようとすればするほど、22つの部品がただピストン運動をしているように見えた。

 

 彼女が動く人形に見えてしまう自分が情けなかった。雰囲気やプレイで僕を楽しませようとしてくれる彼女は、間違いなく人間だった。木偶の坊は僕の痩せ気味な肉体だった。

 

 いっそ鏡越しに性行為ができたらいいのに、と思った。彼女ではない彼女を見ながら、僕ではない僕が他人を満足させようとせっせと励んでいる姿の方がどれほど良かっただろう。

 

 ホテルから出る別れ際、迎えの車を横目に僕たちはハグをした。彼女のコートと僕のジャンパーの厚みが合わさって、お互いの身体を抱いている感触のない、ただの社交辞令になってしまった。

 

 結局、数万円のお金と夕方の一刻を使って得たものは、現実の時間を忘れてしまうような感覚と、僕を付きまとって離れない現実の発見だった。

 

 女性に対する興味はあっても、生身の肉体に対する執着心がまるでなかった。それはAVやエロ漫画の見すぎなどではなく、自分を興奮させてくれるものに対する信頼の欠如だっただ。

 

 彼女の温度を感じながら抱き合っていたとき、蟻地獄のように布団の中に沈んでいく自分がいた。彼女の質感を確かめながら、僕の中にこみ上げてくるものが何もなかったことに虚無感を拭えなかった。

 

 誰も本当の意味で他人を満足させることは出来ないのだと思う。満足という小箱を送りあって、ふたを開けたら煙を浴びて余計に年をとる。寿命から考えて残りが60年以上もある僕の人生は、箱の開封作業に消費されていくのだろう。

 

 僕は、僕自身の身体を客観的に見る必要があると思った。

 

 何かがおかしいという直感と、もっと知りたいという好奇心がない交ぜになって僕の中のエンジンを回していた。そして、彼女のような経験をする人をもう出したくなかった。

 

 自分が満足することを諦めることができても、誰かを満足させることにわずかな希望を持っていた。性的衝動に駆られながらも、誰かに熱を上げられる経験が僕と生身の女性を繋ぐ最後の生命線だと思った。

 

 他人を満足させながら、自分の身体を客観的に見ることが出来る場所。AV男優の募集を見たのは、風俗に行ってから11ヵ月後のことだった。



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 月曜から重い話になりました。次回の予定は、tosei0128 さんの「アルコール依存症一歩手前だった私が酒をやめた話」です。お楽しみに。