はつ恋

「わたし、ずっと、ずっとずっとずっとあなたのことが好きでした」
 
「ごめんなさい」
 
初めから、わかっていた言葉でした。それでも口は未練がましく動きます。
「わたしがブスだからですか?」
「違うよ」
「物を知らないからですか?」
「違うよ」
「中学生だからですか?」
「……そうだね」
 
頭をがあんと殴られたような気がしました。でも、そんなの初めからわかっていたことでした。お兄さんは優しいからわたしのような子供の話をたくさん聞いてくれるけれど、恋い慕うものとしては全くもって的外れなのです。
泣きたいと思っていないのに、勝手に涙が出てきます、スカートのポケットの中にタオルハンカチがありました。わたしはそれに顔を埋めて、涙が止まるのを待っていました。
 
「さらちゃん、本当のことを言うから」
「はい」
「本当のことを言うから、聞いてね」
「はい」
 
「僕はね、小学生より上のこは、好きになれないの。そういうおかしい人間なの。さらちゃんがどんなにかわいくても。さらちゃんがどんなに賢くても。さらちゃんは中学生だから、そういう対象にはならないの。ごめんなさい」
 
一瞬、意味がわかりませんでした。お兄さんは大学生の綺麗な女の人が好きなのだと思っていました。わたしが成長していないから駄目なのではなく、成長しているから駄目なのだ、と言われたのだと気づくのに、しばらく時間がかかりました。
 
「わたしが、中学生だからいけないのですか?」
「……そうなるかな」
 
「わたし、頑張ります。なんでもします。まだ中学二年生です。身長も151㎝しかありません。同じマンションに住んでる小学六年生の女の子はわたしより大きくて胸だってあって。知ってます?  最近の小学生はみんなもうランドセルなんか四年生くらいから辞めちゃって、スポーツブランドのリュックで通学してるんですよ。わたし、まだ全部あります。制服も、鞄も、帽子も、全部残ってます。だから、二歳だけ許してください、お願いします」
 
お兄さんはなにも言いません、表情も変えません、ただ、空白の時間だけが流れます。
わたしは、もう一度、お願いします、と頭を下げました。
 
「ごめんね、わかったよ、僕はさらちゃんのこと好きになるよ」
 
 
この文章はフィクションである。
わたしの"お兄さん"でありつづけた、
親愛なる振一郎さまへ捧ぐ。

なぜ私は小説が書けなくなったのか

私は驚愕した。

"Circle Crash" Research Institute Vol.1には一編の小説が掲載されている。

「わがはいはネコではない」これは私が書いた小説だ。私は驚愕した。それがあまりにも駄作――というより、小説のていをなしていなかったから。

この小説はもともと、かわいい「ネコ」を拾った男性とその「ネコ」との関係が次第に歪んでいく過程を通して、相手にかわいさを期待し庇護しようとする心理が破滅的な関係を生み出すダイナミズムを描く、という構想をもとに書き始めたものだった。しかし冒頭と結末を書いただけで挫折し、そのまま放置して数年がたっていた。

私はサークルクラッシュ同好会の会誌に時折小説を寄稿しており、それを知っている方からコメントをいただくことがある。小説を褒められれば、私もうれしくなる。そして、久しぶりに小説を書こう、と思い立ったのである。とはいえ、締め切りは間近。書きたいネタもなく、私は放置されたこの「ネコ」の断片を引っ張り出してきた。ちょうど、何かの折に『吾輩は猫である』の最後を読み、それが思いのほかあっけない幕切れで驚いたところだった。こういう軽妙なタッチなら書けそうだ、そう思った私は当初の重たい構想を捨て、頭でっかちな飼い主をからかう話に変更して脱稿した。

そして今、私はその小説を読み直し驚愕している。

冒頭のやや実験的で読みづらい駆け引きが、短編にしては長すぎて宙に浮いている。苦紗那先生の性格をあげつらう主人公のセリフは説得力に欠ける。ネコと結婚しようとするのは面白いが、去勢のエピソードに持ち込むつなぎに無理がある。なんともちぐはぐで、主人公のネコには申し訳ないくらいだ。

どうやら、私は小説が書けなくなっている。物語を練ることができず、語彙も貧弱で読み手を引き込むつかみに欠ける。

私は村上春樹のひそみに倣って、公開した小説を読み返さない。というのは少々言いすぎだが、以前書いたものに影響されて似たような話を書いてしまうのは避けたいし、作品をいつまでも所有しようとしないことが、創作に益する心構えだとなんとなく感じてきた。しかし、小説を書く力が衰えつつある今、思い切って自分の作品を読み返し、分析してみた方がいいのではないか。私が私の小説に何を求めていたのか、振り返ってもいいのではないか。

そう思い立って調べてみると、私はそこまでたくさん小説を書いてきたわけではない。リストアップすると、

『すばらしさとうつくしさの感情について』

『え・と・ら・ん・じぇ』

『信念のパズル』

『ちーちゃんはこう言った』『ちーちゃんは藪の中』

『僕の名は、』

『チンポ騎士団長殺し

以上だ。すべてサークルクラッシュ同好会会誌に寄稿した。

まず、私の小説には共通点がある。それは「元ネタ」である。単にタイトルを借りてきたものもあれば、物語の構成に深く関係するものもある。それらを列挙すると、

『崇高と美の観念の起源』(バーク)『美と崇高との感情性に関する観察』(カント)→タイトルのみ

『こころ』(夏目漱石)→プロットに関係

『異邦人』(カミュ)→プロットに関係

『信念のパズル』(クリプキの論文)→内容を反映

ツァラトストラはこう言った』(ニーチェ)→セリフを引用

『藪の中』(芥川龍之介)→発想を参考

君の名は。』(新海誠)→プロットに関係

『変身』(カフカ)→プロットに関係

騎士団長殺し』→タイトルのみ

ゼロからストーリーを作り出すのではなく、二次創作的な気分で、有名な作品のプロットを拝借して別の物語差し替えたものがいくつかある。この二次創作性(他の作品の依存度)が強いのは『すばらしさとうつくしさの感情について』と『僕の名は、』である。プロットを参考にしているがほぼ別の物語となっているのは『え・と・ら・ん・じぇ』、三人が別々に解釈を述べるという発想だけ使ったのは『ちーちゃんは藪の中』である。なお、ニーチェ、レー、ザロメの三角関係もネタに使っている。『ちーちゃんはこう言った』はツァラトストラのセリフを強引に解釈して組み込んでいるが、ニーチェの思想を物語の中に持ち込んでいるとは言えない。『信念のパズル』はヒロインが二人の男性をめぐって信念文のパズルを引き起こすという実験的な構成になっている。二次創作性が最も希薄なのは『チンポ騎士団長殺し』だが、TSと異世界転生ものの組み合わせというプロットはベタでオリジナリティを感じさせない。

私は、私の思考は他人の思考であるという考えから、引用元、参照元は隠さず積極的に示すようにしている。オリジナリティという概念が著作権の運用上重要であることは認めるけれども、少なくとも私が創作の上でこだわる点ではない。何かの作品に影響されて創作を行うのは自然なプロセスだと感じる。ただし、私の小説にはハイカルチャーへの露骨な偏りがある。ハイカルチャーに触れることが小説を書く一つの目的になっているとさえ言える。だからあからさまに引用元、参照元を示すのだ、と言われても仕方がないところもある。

次に、作品の人称(だれの視点で描かれた物語か)である。『すばらしさとうつくしさの感情について』『え・と・ら・ん・じぇ』『信念のパズル』はいずれもヒロインの一人称視点から男性を描いている。リストアップしていないが、私の就職活動を小説風にアレンジした『ご活躍を心よりお祈り申し上げます』は私自身をヒロインの一人称視点から描いた二人称小説のようになっており、男性の七転八倒を少し冷めた視点で描くという点が共通している。

これは「雪原まりも」というペンネームと関係している。そもそもこのペンネームは私の本名のアナグラムであり、自分の中の女性性を名付けるという意味を込めていた。作品の登場人物の男性たちは部分的に私自身の投影であり、それを描写する一人称のヒロインも部分的に私自身の投影である。

この構造を少し発展させ、女性主人公の一人称視点をメタ的に男性主人公の一人称視点が受け取るのが『ちーちゃんはこう言った』『ちーちゃんは藪の中』、女性主人公の一人称視点と男性主人公の一人称視点が交替するのが『僕の名は、』である。これ以降、男性を観察する女性主人公という枠組みを私は採用していない。これは創作上の大きな変化であり、「雪原まりも」であることからの離脱といってもいいと思う。

そのことがわかるのが『チンポ騎士団長殺し』で、ここでは男性主人公の一人称視点がほぼ一貫している。作品のテーマが男性性であり、最後にすべての男性が殺しあう形で否定されるのは、物語が女性一人称で描かれていないことの帰結でもある。女性は男性の外部ではない。女性は語りえず、ただ男性が自らを否定するのみ、というのが「雪原まりも」を離脱した帰結なのである。

『すばらしさとうつくしさの感情について』『え・と・ら・ん・じぇ』では、女性主人公が見守る中男性が自殺する。それに対して、『チンポ騎士団長殺し』はやたらと壮大に自殺する男性だけが描かれている。それを看取るのは「かがり」という抽象的な存在であり、自殺する男性についてメタ的にコメントする抜け道が用意されていない。

最後に、私の作品に繰り返し登場していたモチーフ、「学問への憧れと諦め」について指摘する。『すばらしさとうつくしさの感情について』と『ちーちゃんはこう言った』『ちーちゃんは藪の中』では、このモチーフが執拗に描かれている。これは私自身の問題であり、大学制度内に残るかどうか葛藤していた私の心境が描かれている。『え・と・ら・ん・じぇ』や『信念のパズル』でも、このモチーフは「ママ」や「先生」という重要な人物を使って表現されている。なお、自身の就活を描いた『ご活躍を心よりお祈り申し上げます』では、学問への憧れが劇的な形で否定される。

『僕の名は、』『チンポ騎士団長殺し』ではこのモチーフは姿を現さない。これは、就職のため大学を離れる決心がついたことを反映している。両者はTSものであることも共通しており、フェミニズムの知識をつけたことでジェンダーについて思想的に悩んでいたことを反映している。

このように概観すると、私の小説は思いのほか実存的なテーマを選んでいたことがわかる。私自身は作品それ自体の構成やテクニックに頭を使っていたつもりだったが、そして確かに、どれも凝った作りの短編になっていると思うが、にもかかわらず実存的なテーマを小説の形に落とし込んでいた。「わがはいはネコではない」は、その落とし込みに失敗している。

今、私は仕事をやめ、大学に引き戻され、確かに足場を見失っている。にもかかわらず、その実存的テーマを真摯に落としこむことができなかったようだ。年を取るというのは割とそういうものかもしれない。いささかの失望を禁じ得ないが、しかし、小説にはもっと別の書き方もある。

最後に、12月3日の期限を大幅に超過してすみませんでした。

金がねえって話(思ってたんと違う30歳)

天才写真家の菊池あき(30)です。
20のころ、写真家を名乗る予定も菊池あきを名乗る予定もありませんでした。
そのころ僕はネトゲして、おっさんとセックスして、医学部を留年してました。あと気付いてなかったけど、かなりひどい鬱でした。
よく覚えてないけど、22くらいで諦めて中退、地元国立大学の芸術文化学部に入りました。母親、泣いてました。よく誤解されるんすけど、医者になりたくなくなかったわけじゃない。細胞生物学とか、解剖学とか好きだし、最後まで医師免許とるつもりでした。
で、また中退して、今は大阪芸大の通信です。ここまでぜんぶ親の金。
バイトしたんだけど、数回くらい行って全部にげました。何をどうしていいのかわかんないし、起きてるだけでしんどいし、人間こわい。
あといろいろ20の時はたぶん信じられないことを列挙していきます。
太った(50kgくらい増えた)、サークラに入った、ほぼ無収入、実家暮らし、恋人がいる、youtuberしてる、ついでにニコ動は死にかけてる、あと親からのそれ虐待だから。
えー、今年も楓が赤く染まる季節となりましたね。そんな感じで「普通の」?生き方は逆にハードル高そうなんで芸術家してます。カメラマンもしてます。富山です。腕も知識もあるっぽいです。やる気と依頼はないです!
とりあえず今は、なんでもするからお金ください。いやごめんなんでもするは盛りすぎだわ。だいたいなんでもするから。
本気ですよ?なんならメアド書いとくから。お金がなくても豊かな~みたいなのって、最低限の衣食住は稼げる前提の戯れ言だから!
 
天才写真家 菊池あき
suishogaslight@gmail.com

支えとしての正しさとセルフコントロール

はじめに

この記事は、サークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2021の16日目の記事です。

 

京都で永遠に学生をしています、くらげです。

新入生の時に少しだけ活動に参加していました。その後は、卒業 結婚 再入学 離婚という感じで生きています。人生が上手ではありません。

離婚は、自分のなかのウエットでやわらかな部分をもう少し大切にしたいと思い、決めました。情緒は大事。

現在は、対人援助職を目指して2回目の学部生をしています。

 

「自分語り」「わたしにとってのサークラ同好会」がテーマとしてあたえられているので、「自分語り」をメインに、サークルクラッシュ同好会が自分に及ぼした影響についても触れています。

この文章を書くのは大変でした。大学入学以降、140字以上の長文をインターネットに放出していません。なぜ文章を書いて公に発信できないのか、ということにまず向き合う必要がありました。そしてそれがそのまま内容になっています。

 

自分語りは難しい

自分語りはサークルクラッシュ同好会の活動の核にあるけれども、それは私にとって簡単なことではない。自分の話をするのが難しかったので例会にはすぐに参加しなくなってしまった。

適切な自己開示は難しい。社会性をある程度保ったまま、自分のことを深く掘り下げて公開することは非常に難しい。社会性をある程度保ったまま、というのが大変だ。普通の人は自分語りをしないということを理解していたから、普通であるために自分語りをしないという抑制が働いた。もっとも、衝動的に露悪的なツイートをしてしまうことはよくあって、それはコントロール不全とみなしていつも後悔していた。私は、自分の振る舞いをコントロールして、出来る限りの適応をはかりたかったのだ。

 

自分が人にどう思われるかをコントロールしたい。相手が増えれば増えるほど自由度が失われて身動きがとれなくなってしまう。そしてインターネットに何も放出できなくなる。

 

むかし

どうしてそのように感じるようになったのだろうか?大人になろうとする時の普遍的なふるまいではある。自分の振る舞いをコントロールしたいという感覚が生まれたところまで遡ってみたい。

 

まずは自分が自由だった頃を思い出してみたい。中高生の時、メモ帳にHTMLをベタ打ちして自分のホームページを作り、詩を書いて、文章を綴ってブログに載せ、アルフーでリアタイブログをやっていた。とてもなつかしい。ゼロ年代のインターネットにどっぷり浸かっている女子中高生のテンプレだ。この頃の私は本当に自由で、とにかく書くことが楽しくて仕方がなかった。稚拙なものではあったけれども、書いたものとそこで表現された世界を大切に思っていた。そこではある種の自己愛が育まれていた。公開していたとはいえ、限られたアクセスしかなかったのであまり人目を気にすることなく自分の城を築いていた。

 

高校2年の春にTwitterを始めて、情報を持続的に大量に浴びることによって、すこしずつ自分の形と言葉のムードが変わっていった。幻想の世界に生きていたやわらかな自分はあまり目立たなくなり、タイムラインの中で文体が目立たないように適応していった。

いまでこそ、叙情的な雰囲気のアカウントを見つけることができるようになったけれども、当時はインターネットとの親和性が高い人たちがTwitterを利用している時代で、私が主に交流をしていたのは科学をやっているような人たちだったので、タイムラインは比較的カラッとしていた。そこには、客観的な正しさのものさしをあてることができるような、大人の世界があるように感じられていた。

 

理性によって適応してきた

このあたりから、自分の言動を外側から客観的に評価する目がどんどん厳しくなっていった。実家との葛藤が最も深刻だった時期でもあって、足場の脆弱さを補うために、自分を守らなければならなかった。理性によって自分の言動をより社会的で適切なものに変えていこうとする傾向が強まった。それがうまくいかないと世界から完全に見放されてしまうという感覚があった。主観的にはうまくいっていないという感じが強く、しんどかった。

(とはいえ、ふりかえってみると、安定した対人関係を保つことができていて、中高の友人や浪人時代の友人との繋がりは現在までちゃんと続いている。これはある程度、理性による適応の成果であるように思う。良い友人たちに出会うことができたのも幸運だった。)

 

サークルクラッシュ同好会の存在を知って、NFで会誌第1号を手にとってみて、そこで知ることができたサークルクラッシュに関する情報は、自分の言動をより社会的で適応的にするのに役に立ちそうだった。それは当時の言葉で言うと承認欲求の強さに心当たりがあって、人に好意を持たれたら訳がわからなくなるのが目に見えていたからだ。

 

警戒心を強めた私はそれから、徹底的に自他境界にバリアをはり、彼氏がいるアピールをし、異性に隙を見せないようにしていた。恋愛に対して過度に抑制的になってしまっていた。それが良かったのかどうか、いまとなってはわからないけれども、当時はそれが正しい振る舞いだと思っていた。抑制しないで実際に色々と経験しておくべきだったかもしれない。

 

正しさ

この頃、自分が寄りかかっていた正しさ、規範には3種類のものが混ざっていた。

1つ目は、科学的真理のような、学問が追究しているような真理の正しさ。ほんとうのことを知りたい、ほんとうのことに意味があるはずだ、という気持ちがあった。真善美のうち、真を志向する気持ち。これは進路を理学部か哲学科かで迷っていたところにもあらわれている。

2つ目は、適応的であるべきであるという規範。生活のなかで、社会のなかで、うまくやっていくことが大事。精神疾患の知識と発達障害に対する対処を少しだけ知っていたため、その延長で、生活していく上でのさまざまな振る舞いについて、それが正しいもの(=適応的なもの)なのかどうかを常に判断する感覚があった。

3つ目は、道徳的な規範。他者を傷つけるべきではない。恋愛でいうと、思わせぶりな行動はとれないし、浮気や交際期間の被りなんてありえないと思っていた。潔癖だ。これは反出生主義への気持ちや職業選択にも繋がっている。

 

真理は心強くて適応は実用的、他者を傷つけるのは生理的に無理。これら3つが結びついて、私の振る舞いを規定していた。

 

正しさには強さと安心感があって、そこから外れるのは非常にこわい。潔癖さは弱さからきていた。葛藤を抱え込めるだけの余裕と弾力性が私の心にはなかったし、複雑な現実をそのままに受け止められるように心の襞を発達させられていなかった。セロトニンというオブラートで現実を包み込んでしまうことも、私の脳は苦手としていた。

この世界で生きることを支えるために手に入れる必要のある、虚無感に負けないくらい力強い何か。世界に受け入れてもらうために、自分に何か足りていないものを補ってくれる何か。それが、なんとか生きることを支えてきた。

 

これから

そろそろこれらをある程度の手放すべきなのかもしれない。もうこんなに支えがなくても生きていける気がしている。本当はこんな文章、公開したくないけれど、強迫的なセルフコントロールから逃れるための試みのひとつとして、公開してみたい。多少は間違ってもいい。

私はこれから、正しくありたいという欲望を背景とした抑制を少しゆるめて、もっと自然に自分が生き生きとしていられるように、正しさを支えにするのではなくてふわふわ浮力で漂って、いけるところまでいけたらいいと思う。

 

 

さいごに

アドベントカレンダーか〜〜と思って覗いてみたら1日だけ枠が空いていたので勢いで登録してしまいました。しかし1週間では書けなかった……。かなり遅れてしまって、申し訳ありません…。

とても苦労しましたが、書いてよかったです。文章をアウトプットしている人たち、こんな大変なことをずっとやってきているんですね。見習いたいな。

読みにくかったかと思いますが、ここまで読んでくださってありがとうございました!

 

 

 

 

 

恋人の七回忌が終わりました

こんにちは、さら(mira_yume_chan)です。


なんにも書くことが思いつかないので、サークラ会誌に載せようとしてやめにした、2019年11月11日の文章を載せることにします。



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恋人の七回忌が初夏に終わりました。

わたしが初めて「お付き合いをしましょう」という約束を交わした人でした。

恋人とは「結婚したらこんな家に住みたいね」とか「ここはわたしに、ここはあなたに似たら、完璧な子供ができるね」とか、他愛のない話をしていました。なぜかわたしは途中で泣き出してしまって、「そんなことしたら、まるで実現しないみたいじゃない」と言われたこともありました。実現することはなかったのですが。

 

恋人はとてもかわいい人でした。

カフェイン中毒で、一日に十杯くらいコーヒーを飲むんです。喫茶店でも、駅でも、家でも、起きているときは呼吸をするようにブラックのコーヒーを飲んでいました。

そして、とてつもなく本が好きでした。恋人とお付き合いをする前、彼はわたしに「あなたの部屋の本棚の写真を送ってください」と言いました。わたしはそれは「あなたの下着姿の写真を送ってください」と言われるより、よっぽど恥ずかしいことのように感じました。デートなのにハードカバーの本を三冊も鞄に入れていて、わたしを放ったらかして読みふけることもありました。二人で行った三月書房は週休七日、実質閉店してしまったし、アスタルテ書房は店主がお亡くなりになって、代替わりしてしまいましたよ。


プレゼントは、わたしの好みを完全に無視して、自分が欲しいものを押し付けてきました。サラ・ムーンの写真がついた赤ずきんの絵本、紫陽花のドライフラワー石川啄木のカルタを誕生日にもらったときは、さすがに怒ってしまいました。当時のわたしは演劇をしていてとても貧乏で、アルバイト漬けの生活をしていたからです。奨学金を借りて、隙間風のひどいアパートに住み、納豆と豆腐と卵ばかり食べていたわたしにとって、「はたらけど はたらけど猶 わが生活楽にならざり ぢつと手を見る」はあまりにも現実めいた響きでした。そうすると、彼は改めて、チーキーというメーカーのテディベアをくれました。両耳に鈴が入っていて、振るとしゃんしゃんと鳴るのです。調べると二万円以上もして驚きました。確かに精巧な作りをしているのですが、わたしには、ぬいぐるみを集める趣味はありません。


恋人はわたしのことを「かわいい」と言いました。比喩ではなく一日に百回くらい言いました。わたしはそれに辟易して「もっとかわいい人はいる、女優さんの〇〇とか、モデルさんの××とか」と返すと、恋人は間髪入れずに「いや、さらが世界で一番かわいい」と言いました。そのときの恋人の澄み切った目。わたしは本当にうれしかった。今でも昨日のことのように思い出します。

 


「お付き合いしましょう」という契約をしたまま、相手が死んでしまった場合は、一体どうしたらいいのでしょうか。

恋人のお墓は茅ヶ崎の山の上にあります。とてもよく手入れがされていて、行くたびいつも綺麗なお花と缶コーヒーが捧げられています。わたしも死んだらそこに入りたいけれど、ただお付き合いをしていただけなので、不可能です。

お墓参りをするたび、悲しくなって、ここで首を吊ってしまおうかと思います。でも、死んだところで、わたしはこのままでは、瀬戸内海の小島のさらに山の上にある、アクセスが悪すぎて誰も来られないような、荒んだ寺の墓に入ることになっています。嫌すぎる。

帰りしな、名残惜しくて、御影石に刻まれた恋人の名前をなぞります。この世にこれほど甘美な名前はあるでしょうか。しかしその下には享年と戒名。享年とは天から授かった命のことだそうです。わたしは天を憎み、神を恨みます。恋人はとても頭がよかったから、それにちなんだ戒名がつけられています。頭がよくても死んだら終いです。


向こうのお父さんとお母さんには懇ろにしてもらっています。妹さんとは年に何度かお会いして遊びます。この前、彼氏に撮られた自分の寝顔がお兄ちゃんにそっくりだったからと、わたしに写真を送ってくれました。わたしはそれを携帯の待ち受けにしています。わたしはなんとか頼みこんで、恋人の家の養子にしてもらいたいと思っています。でも、さすがに断られるだろうなあ。

毎年、わたしは恋人の命日を恋人の家族と過ごします。こんな女は怖すぎると、自分でもよく承知しています。でも、そうするしかないのです。そうするしか、わたしには術がないのです。

 


なぜ、わたしは恋人より年上になっているのでしょうか。五つも歳が離れていたはずのに。恋人はしょっちゅう頭の悪いわたしを馬鹿にしていました。わたしは恋人の世間知らずっぷりを馬鹿にしていました。でも、それがとても心地よかった。毎年恋人の誕生日をどうお祝いしていいかわりません。おめでとうございます。きっと歳を取らない方がうれしいだろうから、一生、二十六歳のままで止めてあげます。わたしは今年二十八になりました。いつのまにか、わたしの方がおねえさんになってしまいましたね年上の女の人は好きですか?

 

過去にすがるのはよくないと、この世にはもっといい人がいると、さまざまな人は言います。

でも、わたしは恋人のことを好きなわたしのことが好き。あんなにもかわいい人を未だに愛している自分のことが大好き。

わたしは素晴らしい記憶を反芻しながらお化けのように生きて、その効き目がなくなったら、自殺しようと思っています。できるかな。

それまでどうかわたしと恋人がしあわせでありますように。


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わたしはまだ生きていて、彼氏とは三年続いていて、この前は日光に遊びに行きました。

流行病のために恋人のご家族と年に一回会うことはなくなってしまったし、待受は人につっこまれることが多くて、中村明日美子さんのイラストに変えました。

生きているのが裏切りなのかわからない、尼にもなれない、死ぬのはとてもこわい。こんな生活をしていも、だれもわたしを咎めない。わたしを糾弾してくれ!と叫びながら、もう許してほしいと懇願している、だれに? なにを?  それでも、わたしはしたたかに生きているのです。


かわいい動物の赤ちゃん

この記事は、サークルクラッシュ同好会・アドベントカレンダー3日目の記事です。

adventar.org

こんにちは、とうふわかめです(去年は社会的信用がない名義で参加しました)
北海道は昨日から雪景色になりました。最近はMacBook Airを購入したのでスタバでドヤリングするのにはまっています。今回のテーマはちょっとありがちで恐縮ですが「人は見た目が9割」なのか考察します。

 

動物の赤ちゃん、かわいいですよね。くちばしの大きいひな鳥は、親鳥からよりたくさんの餌をもらえるのですくすく成長すると言います。かわいくない動物の赤ちゃんは生存競争に負けて、すでに淘汰されてしまったのかもしれません。

高校1年の時、クラスにひそかに気になっていた同性がいました。特別イケメンではないしトークがうまいわけでもない。でもなんだか気になるし、お近づきになりたい。

このよくわからないけど他者を魅了する力を、ここでは仮に「強いオス」と呼ぶことにする。(筋肉などの物理的な強さではない。過度にイケメンではなく、自分なんかでも親密になれるのでは?という気がするような容姿)

彼と同じ雑誌を買ったり、同じCDを買ってみたりしたものの、それほど仲良くはならなかった。

卒業後、彼に連絡を取って会ったときに、彼はこう言ってた。「なんか知らないけど、人が集まってくる」どうやら彼は大学でも人気者だったらしい。僕は休み時間になったらクラスの友だちの机に行くタイプだが、逆に休み時間になると自分の机に友だちが集まってくる側の人間もいるのだと、そのとき知った。「自分に近づいてくる人間が多くて疲れる」という話を聞き、以後「あそぼ」って言わないようにした。

 

大学のとき同じバイト先にも、いま思えば強いオスがいた。背は低く、ヨレヨレのパーカーを着ていたが、女性を捕まえては「結婚しよう」と言うような軽いやつだった。彼はバイト中に僕に「女性って、性器的に男性を包み込むようにできてるんだな」としみじみと語り出して、同じ歳なのに僕と違って当たり前のように性行為を経験してることに格差を感じた。

 

先日ある人の話を聞いてつらくなった。要約すると≪彼女は前から好意を持っていた男性がいて、仲良くなれると期待して関係を持ったのに、捨てられてしまった。こんな形で処女を失いたくなかった。つらい。でも彼が好き≫というものだ。非モテの僕からすると最後の「でも彼が好き」の部分がとてもキツい。例えば僕だったら付き合って3年ぐらいは肉体関係を持たないと思っている。女性を傷つけるようなことは絶対にしないつもりだ。でも残念ながら僕のような「弱いオス」は最初から女性の眼中にはない。

ここで登場する彼くんは「強いオス」で、それを自覚していることは確かだ。強いオスは彼女だけでなく、たくさんの人を魅了してしまう。経験豊富だから簡単に捨てられるのだ。女性は一夫多妻動物として「強いオス」の精子がほしい本能があるけど、ヒトとしては愛されたいわけで、子孫を残すことは目的ではない。

 

僕は自分で言うけど、見た目偏差値50はあると思う。怖くないし、近寄りがたい容姿ではないのだが、全然他者が近寄ってこない。自分から「あそぼ」って声かけしなければ誘われないし、友だちは徐々にフェイドアウトして減る一方だ。特に異性からはめちゃくちゃ避けられる。いわゆる「生理的に無理」なんだと思う。

だから僕は「人は見た目が9割ではない」説を提唱している。僕は見た目とは別の次元で避けられている。悪いフェロモンが身体から発生しているのだと昔から思ってる。(そういう研究室があったら紹介してください。実験台になります)モテ男からは良いフェロモンが発生しているから、女性は出会った瞬間に惹かれてしまうし、弱いオスはどうやっても太刀打ちできない。

 

カードキャプターさくらでは、小狼くんが雪兎さんに惹かれることを「月の力」と呼んでいた。雪兎さんは「強いオス」と呼ぶには弱々しいキャラだが、他者を惹き付ける原因は性欲なのか。

はにゃーん。

 

自由恋愛社会では上述した「強いオス」に需要が集中してしまうのは避けられない。そしてその結果「つらい思いをする女性」と「弱いオス」は自業自得とか、本当に救いがない。人類は愚か。

僕が弱者男性に「いわゆる婚活やマッチングアプリはやめとけ」と言うのはこれ。婚活に来る女性は「強いオス」にしか興味ありません。だから驚きのリターンゼロ。「やらない後悔よりやって後悔したほうがいい」は業者が言ってるだけ。溺れる者に藁を売りつけるような商法です。

馬子にも衣装と言います。男性は黒髪スーツなら「まとも」に見えるので就活には有利です。でも男性の婚活は「まともさ」ではなく「性的魅力」が必要不可欠。服装や清潔さは関係なくて、フェロモンの発生量で決まります。これは先天的な体質なので努力してもダメ。婚活するなとは言わないけど、課金はやめてください。強いオスの思うつぼです。

 

強いオスではなくて「いい人」が報われる、そんな社会になってほしいものです。

 

 

*「女を殴る男はモテる」説があるけど、フェロモンの強い男は「女を殴ってもモテてしまう」の誤りです。よい子は絶対に真似しないでください。

 

**来週は2年ぶりに京都に行くので楽しみです。みなさんも楽しいホリデーシーズンをお過ごしください。

サークラ合宿2021 in 金沢 振り返り

こんにちは。finaです。

このたび、じつに4年ぶりとなるサークラ合宿が実施され、その企画進行を務めさせて頂きました。早速、振り返っていきたいと思います。

 

企画経緯

2020年12月、私がサークラ会長であるホリィ・センに「合宿はもうやらないのか?」と質問したところ、「企画者がいれば…」ということだったので、なら私が主催しようということで全体LINEグループにて参加者を募集した。結果として合計15名ほどから参加希望があり、最終的には9名が参加した。

 

背景

サークラ合宿は過去2回(2014,2017)実施されていたが、いずれも和歌山県白浜での開催だった。京大の宿泊施設が白浜にあるらしいが、今回もそれを踏襲するか迷っていた。

また、2020年度の新歓はコロナによりオンラインにせざるを得なかったため、今年のサークラには関東の大学生が多く参加していた。

そのため関東勢の参加も見込まれるが白浜は関東からだとやや不便であるということと、前回とは趣向を変えてみようということで、私の独断により金沢行を提案。異論はなく、そのまま金沢に決定。

内訳は、東京発2名・京都発6名・現地参加1名で計9名。

 

往復交通機関について

関西勢は、青春18きっぷを利用した鉄路での移動だった。京都からだと東海道・湖西・北陸本線経由で約4時間半。片道2,410円であり、交通費を非常に安価に抑えることができた。

しかし往路では強風の影響で湖西線が運休になってしまうというアクシデントに見舞われた。関西勢が乗っていた列車は堅田駅で完全にストップし暫く湖西線は動く見込みはなかったが、同駅から琵琶湖の対岸に渡るバスがあったため迂回に成功した。しかしながら北陸方面への列車は大幅に遅延しており、結果として4時間遅れての到着となってしまった。

一方関東勢は東京駅から新幹線で向かった。JR東日本のインターネット予約サイト「えきねっと」のキャンペーン(お先にトクだ値)により、通常料金の50%OFFで利用できた。18きっぷに比べると高いが、新幹線で半額なら十分だろう。

なお、筆者である私finaは関東勢の一員だったが、帰りの新幹線に乗り遅れたことにより別途自由席特急券の購入を余儀なくされた。

 

行程

1日目

関西勢は9時半頃京都駅集合。9時45分頃の新快速に乗車したが、先述の遅延により金沢到着は19時頃となる。関東勢は先に到着していたため、車を借りて飲み物や食事のテイクアウトの用意をした。

20時より全員が対面し、ようやく食事にありつくことができた。

2日目

3班に分かれての班行動とした。金沢近郊在住の会員のマイカーで雨晴海岸などに行った班、レンタカーを借りて能登半島に行った班、レンタサイクルで市内観光をした班に分散した。

私は市内観光班の引率を担当した。11時に出発し、21世紀美術館→近江町市場で昼食→兼六園→ひがし茶屋街の順に巡って18時半過ぎに宿に戻った。

3日目

基本的に自由行動とした。一人で市内観光をする者、複数人で加賀温泉に行った者などいたようである。ちなみに私は鉄道オタクであるため一人で七尾線乗り鉄した。

関西組は加賀温泉の廃墟を散策したようである。私はナナォ・センを優先したため参加しそびれたが、あとで参加した人に話を聞く限り非常に楽しかったようだ。

関西組の京都到着時刻は22時頃だった。解散をもって合宿終了。

 

宿

「ケイズハウス金沢」という宿を利用した。主に外国人の方が利用されるゲストハウスで、1Fが共用ラウンジ・共用キッチン、2Fが個室とカプセル型ドミトリー、3Fが個室、そして4Fが貸切の特別室という構造だった。

本来は特別室を利用する予定だったが、9名ではやや手狭ではないかと懸念していたところ、宿のスタッフの方より「コロナのため、本来なら共用である1F,2Fを完全に貸し切りで利用できるプランを作った」との提案を受けたので、そちらに変更した。

キッチンはとても広く、食器や調味料も完備されていた。予め冷蔵庫には自由に使える食材もあり、かち割り氷があったのは嬉しかった。インスタントコーヒーや紅茶なども常備されており、各々が自由にキッチンを使うことができた。

ラウンジは共用を想定されているだけあってとても広々と使え、10人が座れる長テーブルがあり食事・ボードゲーム大会も大いに盛り上がった。ソファ・テーブルもあり、各々くつろいでいた。

寝床もカプセルホテルのようなドミトリーだった。特別室は11畳間・12畳間の2部屋に加えミニダイニングキッチンと水回りといった構造なので、こちらを使っていたら和室で雑魚寝となっていたであろうことを考えると、かなり快眠に貢献したのではないだろうか。

その他、とてもきれいな設備で快適性も高く、参加者からも好評だった。ケイズハウス金沢様、お世話になりました。ありがとうございました。

 

食事

1日目は宿にて全員が顔を合わせることができたため、アイスブレイクも兼ね寿司とおでんをテイクアウトしリビングで食事をした。

寿司は9人前をテイクアウト。特上にぎり5人前(10種類5貫)と上にぎりを4人前(10種類4貫)というチョイスだった。9名全員が同じネタを食べることができないわけだが、それを逆手に取って「寿司争奪戦ドラフト会議」が突如開始され盛況だった。

2日目の夜は自炊に挑戦。参加者のひとりが「なぜカレーにはにんじんタマネギじゃがいもが当たり前のように存在するのか」という問いを発し、「脱構築カレー」を作ることとなった。

具材はタマネギ・しょうが・にんにく・カシューナッツ芽キャベツ・舞茸にもも肉とささみという前衛的な脱構築カレーを目指すも、「やっぱりタマネギにんじんジャガイモで新古典主義カレーを作るべきだった」などの声も聞かれた。紆余曲折を経たが、結果としては無事美味しい仕上がりとなった。

また、ナン作りにも挑戦した。これも初めての試みだったが、とても上手に作れた。

その他の昼食などは、後述する出先で各自が好きなものを食べた。みなゴーゴーカレーや海鮮などご当地グルメに舌鼓を打っていたことだろう。

 

 

よかった点・参考にすべき点

  • 18きっぷは運休遅延時の補填がなされなかったり、割引された新幹線は乗り遅れ時等の補填がなされない。今回は、関西勢引率者が交通機関に長けた者であったため、立ち往生し到達できないという事態は避けられた。

  • 宿は前回もAirbnbで探したようだが、今回もAirbnbで探した(予約は電話だった)。民泊系で、ラウンジが使え自炊ができる設備が整っている宿はシェアハウスっぽさがあって盛り上がる。今回の宿も非常に快適で素晴らしかった。

  • 例によって夜ふかしをする参加者が多く、午前3時くらいまでラウンジは賑わっていた。起こす必要のある参加者などもいたが、それでも若干の寝坊が発生した程度で行程に支障が生じるといった事態は発生しなかった。

  • 3日間ずっと大勢で動くのは厳しいと考え、また連泊であるため2日目は丸一日使えるという点から班分けを実施。2日目は日中の時間全てを観光に割いた。各班充実した観光ができたようである。
  • 意外とベタな観光地を巡るのも楽しめる。サークラ合宿の趣旨として、こじらせた大学生たちが集まって「ザ 普通の旅行」をして楽しもうということが挙げられるので、「合宿」と謳っているものの普通の旅行感覚で臨んだほうが楽しめるのかもしれない。
  • 一方で、廃墟巡りも非常に好評だった。ベタサークルとしての側面とは逆に「廃墟なんてサークラの皆とじゃないとまず行かないだろう」という感想も聞かれた。一理あるというか非常に言い得て妙で、サークラらしさも存分に発揮できた行程と言えるのではないだろうか。
  •  運転要員は貴重だった。1日目の食事のテイクアウトと2日目の加賀・富山班でレンタカーが発生した。車があると利便性が格段に向上する。今回運転を行ったのは3名で、かなり充実した行程を組めた。
  • 市内観光ではレンタサイクルが好評だった。宿のレンタサイクルを1日800円で利用したが、バスの1日乗車券(600円)と比べても遜色なく、好きなように移動できるため便利だった。自転車旅も悪くはない。
  • 今年一年コロナ禍での活動だったため、過半数が初対面同士だった。関東勢と関西勢が初顔合わせをしたのは一日目の夕食時だったが、これをアイスブレイクとした。一通り全員が形式張った自己紹介を行ったが、その後は打ち解けるのも容易で話に花が咲いた。

私見

今年一年間はずっとオンラインでの活動でした。サークラにとってはこれが久々の対面イベントとなり、参加者層も前回とは異なり殆どがサークラ対面イベント初参加でした。実質オフ会のようなものです。

そのため皆さんが「馴染めるかな」と不安に思っていたことでしょうし、私もどんな空気感になるのか非常に心配でした。しかしその心配が嘘であるかのように、話は盛り上がり皆仲良く談笑していて、私も非常に楽しかったです。やはり対面で話す機会は大切だなと実感させられました。

サークラに参加し始めて1年も満たないうちにこのような大規模企画の主催を担当させて頂きましたが、最初は「こんな新参者が旅行をするって言っても誰も参加者は集まらないだろうな…」と思っていました。しかし想像を超える数の方々に参加希望のメッセージを頂き、楽しい合宿とすることができました。

参加して下さった皆さん、本当にありがとうございました。また関西の引率を務めて下さったHさん、食事や会計等を手伝って下さったPさんにも、この場を借りて御礼申し上げます。

 

コロナということもあり、今回参加を希望したものの残念ながら参加できなかった方は、ぜひ次の企画が立ち上がった際には参加して下さい。またこの記事を読んで参加してみたいなと思ったあなた。待ってます。

次回は私が主催できるかはわかりませんが、定期的にこうした合宿イベントが今後も開催されていけばよいなと思います。

 

前回のまとめ

サークラ合宿2017@白浜 総括 - サークルクラッシュ同好会ブログ