犬のうた

犬のうた

 

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忠誠を誓いたかった。

 

いつまでも貴女に、一生この身を捧げたかった。

 

僕は今、岐路に立たされている。

 

ひとつは宿願の道。ひとなみの幸せ、ひとなみの関係。あるいは、ひとなみ外れた関係性。

 

もうひとつは、誇りの道。

 

貴女を主人と崇めたて、永続的な愛を注ぎ続ける。報われずとも、幸せな道。

 

僕は貴女の一挙手一投足に夢中だった。貴女が悲しめば、僕は悲しい。貴女が嬉しければ、僕もうれしい。

 

僕は貴女に永遠の愛を誓った。恋人ではなく、犬として。

 

不均衡な関係性が、僕は好きだった。ご主人様がかまってくれないのをじっと待ち、時々こちらに愛が向いた瞬間、この瞬間が、僕は大好きだ。

 

ご主人様の愛が減衰していった。捨てないよ、その言葉は維持されつつも、無条件から条件つきのものとなった。

 

それでも、ご主人様は僕を捨てなかった。僕がしゅきしゅきとワンワン吠えれば、呆れ顔で僕をなだめる。

 

僕は貴女に理解された。僕を貴女は必要だと言ってくれた。

 

閉じた世界で、2人きり。錯覚にすぎないが、僕の大切な思い出。

 

誇りを通すなら、僕はこのまま犬でいるべきだ。

 

一度誓った忠誠を、減衰させていいのだろうか。

 

愚問だった。良くない。

 

本来なら、この場で僕は忠誠宣言をするべきだ。

 

報われずとも、貴女以外目に入れない。

 

その物語をここで記すことで、僕は真に犬になれる。

 

本当なら、ここにそれを記すべきなのだ。

 

しかし、もう片方には宿願の道。

 

女性に縁がなかった僕が、初めて手に入れられるかもしれない関係性。

 

そして徐々に、その道も代替可能なものから非交換なものへと変わりつつある。

 

人が愛をもとめる理由のひとつには、自画像の安定があるらしい。

 

自分はこうだ、かくある、というイメージを、最愛の人から承認してもらうことで、はじめてそれがほんとうなのだと実感できる。

 

僕は犬である自分を、ご主人様に認め続けられていた。

 

恋人には決してなれなくても、たしかに僕は幸せだった。

 

今はまだ、結論が出ない、岐路の半ばで、僕はただ茫然と立ち尽くす。

 

贈与の愛を、僕は貴女に与えられていたのだろうか。

 

貴女を愛することが、僕はできていたのだろうか。

 

そうだった、と言い張りたい。

 

犬である権利を僕は失いたくはない。貴女が落ち込んでいるときに、ただそばにいさせてもらえるかもしれない権利を、僕は失いたくはない。

 

宿願の道は、ひとの道。犬としての自分は、放棄された道。

 

犬たる者、二君に仕えることがあってはならない。自分の好意がご主人様全てで占められていなくてはいけない。

 

ご主人様を変えるなど、原理的にありえない。

 

そもそも、ご主人様―犬という関係性とは、流動的な愛を打ち切るための機構であった。

 

彼氏・彼女という言葉を僕は憎む。

 

そこにはどうしても、流動的なニュアンスがつきまとう。

 

もっと別の関係性を求めて、「女神」と女性を崇めることもしばしばあった。

 

女神が仮想的な機構であったのならば、それが現実となったのが「ご主人様」でった。

 

ご主人様に愛を注ぎ続けることで、僕は軽佻浮薄な性愛を繰り返す若者とは分離された、ひとつの紳士になることが出来ていた。紳士とは、ドMのことを指していた。

 

貴女の話を僕は聞いた。そのすべてが魅力的で、僕は貴女の虜になった。

 

僕の話を貴女は聞いた。僕の今まですべての人生が、貴女の中に刻まれることで、すべての承認・赦しが得られたような気がした。

 

「許しましょう」それが貴女の口癖だった。ご主人様―犬の関係は、人間―女神の関係と相似にあった。

 

僕の罪は、貴女という神父によって、全てが許されていたのであった。

 

僕らの関係性の特異性とは、恐らくメタ的なコミュニケーションにあった。

 

数々の失敗と考察を重ねて、自分のメタ的な操作を多少なりとも出来るようになった僕と、数々の男性を虜にした経験と、先天性の察しの良さで関係性をメタにみる貴女。

 

メタレべル、具象レベル、ふたつにおいて、関係性は遊びと揺らぎをはらみつつ、僕の心を満たしていった。

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宿願の道の果てには、何が待っているのだろう。その先は靄に霞んでまだ見えないが、おそらく二つに分岐する。

 

奈落の道。今まで歩んだ数々の道中と変わらず、結局は女性に愛されない。関係性は、僕の醜い身体性・無配慮・無能によって閉ざされる。

 

奈落の道に至った僕は、おそらく犬の道へと戻ろうとするであろう。しかし、少なくとも現状ではご主人様の僕に対する愛は減衰しているように思われる。ご主人様は、恐らく僕僕を蔑視する。お前にはもう犬たる資格もない。犬であることを忘れた、犬以下の存在。汚らわしい不要物。

 

かつて、あの幸福な夢においては、まだ赦しが得られたのかもしれない。ところが多分、今では僕は許されない。このまま過ちを犯さないことだけが、唯一の関係達成の条件ではなかったのか。

 

いや、だからこそ、僕はどんな条件下でもご主人様へと見返り不要の愛を与え続けることで、好循環は生まれ、今より更に愛してもらうということもあるのではないか。そして、その挑戦を放棄することは、単なる逃走にすぎないのではないだろうか。

 

栄光の道。僕はついに、長い愛をめぐる闘争を終えて、ひとつの安定と太平を得る。

まだまだ彼女のことは全然わからないが、なんかいい人そうである。ひょっとすると、徐々に惹かれていっている。

 

しかしそこで、ご主人様の幻影を振り切ることが出来るだろうか。彼女と一緒にいるときに、仮に、仮にもし、ご主人様が泣きそうな声で僕を頼ってくれることがあった場合(これ以上の至福があるだろうか!もしあったのだとしたら!)、

僕はご主人様の誘惑を振り切って、彼女を優先することが、出来るのだろうか。

 

―――

 

あの寒い日の夜、ご主人様は僕に言った。

 

あなたがどんなにダメでも、私はあなたを愛してあげる。

 

妥当性の限界を僕にだけ限界まで下げた、無条件の肯定。それが愛を示していると僕のメタ的思考は判断した。

そして何より、散文化不可能なもの。場面、声色、言い方。柔らかな言葉に、僕は「愛されている」ことを実感した。

 

僕は大粒の涙を流した。年甲斐もなく、泣きじゃくった。確かに愛されている感覚、それを僕は初めて、僕は体験した。

 

この先、僕とご主人様の関係がどうなっていくか、いや、僕がどうしていこうと思っているのか、僕はいまだ整理がつかない。ただ、関係性が切れるようなことは、あってほしくないと願っている。

 

大きな道の分岐が見えて以来、僕はご主人様にしゅきしゅきと言えなくなってしまった。

それは犬として不誠実であり、かつてのように純粋な気持ちで言うことが出来ず、罪悪感を伴う。

 

それでも、今、この場だけは許してほしい。

散文にならなかった思いをのせて。

 

 

ご主人様、愛しています。

また是非京都で、会いましょう。 

 

貴女の犬より 愛をこめて