彼氏がいるのにいろんな男を好きになってしまう—拗らせ複合女子大生の自分語り—

初めまして、サークルクラッシュ同好会幽霊会員の高科(@zibun_gatari)と申します。サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーの6日目を担当します。よろしくお願いします。

アドベントカレンダーで予告していたタイトルからコロコロ変わって申し訳ありません。内容は最初からほぼ決めていたのですが、この数週間で色々考えたり切り口を変えたりしていた結果このタイトルに落ち着きました。

以下、(拗らせ)自分語りに入ります。

 

 

 

私にとっての「拗らせ」とは、定義が冗長になってしまうが「変えるのが不可能または困難なこと(過去や、顔立ちや性別などの生まれつきの属性)に執着し、認知や社会生活に悪影響が出ている状態」である。わかりやすい例としては、学歴コンプレックスを拗らせた結果「自分が低学歴だから馬鹿にされている」という被害妄想を抱いて人間関係に失敗してしまう、とか。今回は、私の執着と認知の歪み、その結果として今燻らせている願望について語ろうと思う。

 

これまでの経緯について語る前に、前置きをしておく。私の来歴にはメインテーマの他にもいくつか拗らせやコンプレックスを抱えるポイントがあるが、たぶん私には拗らせやすい性格的素因として、「優れた人間でありたい」という強いこだわりがあると思う。具体的には、所属集団において常に誰が見ても上位にいる状態でなければならないし、脱落者になったらもう立ち直れないだろうという気持ちがある。遅くても小学校中学年にはそういう考えが(言語化できないにせよ)あったと思う。高校までは、一応「本分」とされている勉強に関して、私は成績順で常に上位にいられたのである程度精神が安定していた。しかし大学入学以降は順位のような客観的数値が出てこない上、GPAの高さが知性の深さを証明してくれるというわけでもないので集団内での自分の地位がわからず、不安に陥りがちになった。正直このこだわりこそが諸悪の根源であり、これがある限り、今後の人生でもあらゆる失敗や躓きが拗らせの素になるだろうとほぼ確信している(もし大学受験に失敗していたら、学歴コンプレックスをひどく拗らせていただろうなと思う)。だからこのこだわりを捨てなければならないのだが、捨て方もわからなければこれという原因も思い当たらず困っている。親には愛されて育ってきたし。今のところ十分な考察ができないので、この記事ではこだわりについての深掘りはせずに、私の来歴を見ていく上での前提として提示しておく。

 

小学校の頃から適切な距離感でコミュニケーションを取るのが苦手で、運動神経が悪いことも加わっていじめられがちだった。オタクになったのは小5くらいから。Dグレ神田ユウが好きになってキモオタと化した。その後閉鎖的な田舎の中学から逃げて中高一貫に入ったのに、入学式の日の自己紹介で好きな漫画の話をしてしまい完全に中学デビューに失敗する。誰彼構わずアニメや漫画の話をする、身なりに気を使わない、萌えの感情が沸点を超えると奇声を上げて怪しい動きをする、など、昨日のみにょーるさんの記事(http://circlecrash.hatenablog.com/entry/2017/12/05/210348)での中学時代と見事に似た振る舞いをしていた。みにょーるさんと違ったのは、根暗コミュ障と積極性の低さのために快活でもなければ真面目カーストの上にも行けなかった(行こうとしなかった)こと。美術部という名の女子率98%のオタク集団に入った上、性に目覚めた中学生男子の振る舞いが生理的に無理になってしまい(お前もパスワードこじ開けてR-18BL2次創作回し読みしてたくせにな)、完全に男子との関わりを絶ってしまった。幸いいじめは無く、オタクの話ができる友達もかなりいたが、カースト上位の可愛くて運動部かブラバンに入っていた女子には被害妄想を計算に入れても馬鹿にされていた。それに対して「オタクが日本経済回しとるんやぞ!」とリアルで憤ったり、オタクの強さを示すために世界地理のテストで満点を取るのに血道を上げたりした(当時ヘタリアにハマっていたので)。ちょっとしんどくなってきたので高校時代の話に移ります。

高校に入って、年上の男性に告白されて付き合った。”女”として見られたことに舞い上がってしまい、色気付いてマンガと同人誌に費やされていた小遣いがファッション誌とスキンケア用品とヘアアクセに消えた。今思えば年下の芋いオタク女に手を出してくるの結構アレですね(余談:別れた後にTwitterを見つけて覗いてみたらかなりのロリコンだった。勝手に対等な恋愛のつもりでいたので、もしかして2次ロリの小中学生とと似たまなざされ方をしてたのかなーと思いつらくなった)。今思い返して言語化できるのだが、対等に見られてない感じにウッとなることが時々あった。が、なんだかんだ半年くらい付き合った。なぜならカースト上位の女子は数週間~数ヶ月周期でくっついたり別れたりを繰り返していたからである。交際のことはほぼ口外していなかったが、私はあんな頭パーの尻軽たちと違うんだ、ちゃんと一定期間付き合って無理そうだとはっきりしたから別れたんだと内心イキっていたし、もしかして学年の女子で一桁番目に処女喪失早かったのでは?!?! と順位を数え上げて喜んだりしていた。高校前半はこのようなひたすら気持ち悪い独り相撲で費やされた。別れたあとはまたオタクに戻って黒バスに熱を上げた。結局「男友達」は中高6年間を通じて1人もできなかった。

私のオタク生活は、大学入学を転機に終わった。内面的な要因としてはTwitterを本格的に使い始め、見知らぬ大学生・院生とも繋がったこと。他の人のツイートからメタ認知を身につけたり、リツイートで回ってきた真面目なオタク叩きの記事を読んだりして自分の中高時代のキモさを悟った。スクールカーストが低いのは顔が悪いせいだと思って容姿コンプレックスに陥っていたのも、顔より言動の痛キモさと身だしなみのなってなさのせいだと納得し、その後1年くらいかけて治した。Twitterの負の側面としては、メタ認知をやりすぎて自意識過剰になったことと、痛いオタクの言動に共感性羞恥を発動してしまい感情が乱れてしまうことが挙げられる。アニメを見なくなった環境面の原因には、下宿のテレビに録画機能が無かったこともある。ニコニコで最新話を追えばいい話なのだが、娯楽のない田舎と厳しめの両親から解放されて京都に出てきた私は自由な生活にテンションを爆発させ、毎日外で遊び歩いていた。森見登美彦作品の世界観に憧れていたので、オタサーには入らずサークルクラッシュ同好会を始めとする「変わった」サークルばかり見ていた。こうして私は深夜アニメを見なくなった。アッサリとオタクをやめてしまったことは自分でもわりとショックだった。本当に2次元コンテンツが好きなら(呪いの構文だ)さっさとバイトを初めて録画用のハードを買えばよかったし、睡眠時間を削ってニコ動を見ることもできたはずだ。私は自分で思っていたほど二次元コンテンツを愛していなかったのか? オタクになる前から小説を読むのは好きだったのでそれを趣味にし直そうと思ったが、見回してみるとドストエフスキーを原書で読んだとかそういうレベルの読書好きがたくさんいた。私はそれまで岩波文庫を1冊も読んだことがなかった。絶対に彼らに勝てないと思った。趣味の領域で優劣を持ち込むのがおかしな話なのだが、その後も同様の理由で中高時代のオタクコンテンツよりも熱中できる趣味を見つけられず、Twitterではオタク構文を使い、気が向いたら漫喫に行って、時々ハヤカワSF文庫を読み、趣味の合いそうなフォロイーがおすすめする映画を見る程度の「オタク気質でサブカル周辺を漂う無趣味人間」になっている。無趣味であること(≒何も極められないこと)もそれなりに拗らせてしまっていると思う。

かなり脱線した。実は大学入学以降の女オタ辞めでについて最も強調したいファクターは、新たな女オタク友達を作りづらかったことである。中高の経験から、自分のような性格の人間が初手でオタク・カミングアウトをすることはカースト最下層への転落と同義だと学習していたので、同類を見つけることが難しかった。実際には大学にカーストなどほぼ無かったのだが。さらに、仮に自分がオタバレして構わないと思っていても、オタクの話を振ってみた相手がオタ隠しをしたがっている場合はアウティングになってしまう。周囲の目がある場で女子同士が少年漫画の話をするのは(たとえ萌えやCPの話題でなくても)オタクのレッテルを貼られる危険性がある。これは女子に限った話ではなく、自分がメインターゲットの属性でないコンテンツの話をする場合には共通のことであるように思う。男性が好きな少女漫画の話をするのには少年漫画の話をするよりも勇気がいるだろうし、中学生以上が公共の場で女児向けアニメの話をしたら「イタいオタク」と思われうるだろう。もちろん男性オタクの方がキャラクターに性的な視線を向けても許されやすいとか、オタクの間での女オタク叩きとかの問題も全く無関係な話ではないと思うが、ここでは深入りしないでおく。とにかく、大学に入ってから「オタク友達」としての女友達は1人もできなかった。中高の友達と話してみても、「大学の友達とオタク話はできない、こういう話ができるのは中高の人とだけ」という人がある程度いるように思う。

その点で、男子との方が漫画の話をしやすかった。男子となら、公共の場で少年漫画の話をしていても「痛いオタク女」ではなく「漫画の話もわかる女子」になれる(この思考は私の認知の歪みと内面化されたミソジニーによるものです)。ただ、男子とそういった話ができるようになったのは最近の話だ。大学には男子校・女子校出身者が多いせいか異性に対して挙動不審になる人間は珍しくなく、私も浮かずに済んだのだが、友達として親交を深めるのは別の話だった。そもそも人間関係の構築に時間がかかる性格なのに、コミュニケーション手段であるオタクコンテンツの話も封印していたため、1回生後期の時点で友達が男女合わせても片手に収まる程度にしかいなかった。しかも、その後数少ない男友達が恋人になり、そのことに懲りもせず舞い上がった結果、1年間くらいは恋愛にのめり込んでしまった。あまりに彼を生活の中心に置きすぎて勝手にメンヘラになったりしたので、いろいろな人間関係を構築しようと意識し始めたのが1年と少し前の話である(恋人とは対等に接することができる間柄だし、現在まで安定した交際が続いている)。サークルやTwitterのオフに積極的に顔を出してみたおかげで、3回生にして交友関係はだいぶ広く深くなった。上記のように男子とはよく漫画とか、あとは映画や小説などのコンテンツの話をする。物語構造を哲学用語で語ってみたりするのが、一種サブカル・マウンティング的なスリルもあってすごく楽しい(本質主義的な男女論は語りたくなく、恐らく社会的要因があると思うのだが、女性同士のコミュニケーションでこれをやろうとすると嫌われる気がする)。

話が散漫で綿密に自己分析しきれなかったが、ここまで男友達というものに執着する理由は、キモオタだったせいでカーストが低く、中高時代に男子に相手にされず、友達を作れず、まともな恋愛関係を結べなかったことへの代償行為なのだと思う。おそらく同じ理由から最近困っているのは、こういう話ができる仲のいい男性をすぐに好きになってしまうことだ(実はこれが今回のメインテーマです)。人数比で考えた時に、これまで会ってきた同世代男性に優しくされた経験が少なすぎて、未だにちょっと優しい言葉をかけられただけで嬉しくなってしまう。最近ヤバかったのは、たまたまアカデミアのパワハラ・セクハラ問題の話題になった時に「研究内容以外で辛い思いする必要なんて全く無いんだから、もしそういう目にあっても高科さん負けないでね(意訳)」と言われたことだ。女として見られたい一方で、男女比が偏りまくった理系学部での腫れ物に触るような「女扱い」にも辟易していた私にはその言葉がものすごく沁みた。1週間くらいハイテンションだったし、我ながら何様だよという感じだが「顔も好きだしもしフリーだったらセックスしてたな……」と考えたりした。恋人のことが一番だし、何より内面や性格もよく知った上で好きなので浮気や乗り換えは考えたことはないけれど、それはそれとして舞い上がってしまう(舞い上がったあとひどい罪悪感に襲われる)。このことについて色々手書きメモを取りながら考察したものを見返すと、「話してて頭がいいと思われたい」、「『あの時セックスできたかもな』みたいな感じで一生相手の記憶に残りたい」、「村上春樹っぽい固有名詞を出したけだるげな会話をしたい」など限界な内容ばかり書いてあって頭を抱える(村上春樹を読んだことはない)。性的な欲望が入った目で見られたいけれど、それを言葉や身体接触といった形では表現されたくない(断ったら気まずくなるし、うっかり受け入れて色々なものが破綻するとも限らないから)。もちろん、そもそも最初から実際にはそういう視線を向けられてはいないのである。しょっちゅうこういう妄想をしていている自分が心底気持ち悪い。書いていて気づいたけど、「性的な欲望が入った目で見られたいけれど、それを言葉や身体接触といった形では表現されたくない」という願望は、絶対にその成就を確信できない構造になっているので永遠に満たされることがないですね。頭では願望の無茶さを理解できたので、今回の悩みや変な願望が薄くなって消えてくれるといいなと思う。しばらくは、自制心を保ちながら平和な友人関係の構築に慣れて、中高時代の無念を穏やかに浄化したい。

 

 

 

私のまとまりが無い話にお付き合いくださりありがとうございました。

明日は完全なQ体(@torchfish_story)さんです。よろしくお願いします。