凍結保存

※当記事はサークラアドベントカレンダーのために執筆されています

adventar.org

 

 

自分語りをすることよりも、それを聞くことのほうが好きです。聞いて、自分との共通点や違いを考えるのが僕は好きだし、様々な形の自分語り(例会、会誌、このアドベントカレンダーの記事自体、など)に接することが出来るのが、ここサークルクラッシュ同好会にいるメリットだと思っています。思ったっきりで別にその感想を長々と語ることはほとんど無く、5*140字を超えることはまれなのですが、何を考えているのか分からないと言われるのが最近つらくなってきました。今回は記事の形にしてみようと思います。

こじらせという言葉を、思考を重ねすぎて自分自身ですら理解しがたくなってしまった状態、異常な思考回路にたどり着いてしまった状態、という意味で僕は解釈しています。遠くへたどり着けるのは素敵な能力だと思います。


自分をモテない男、恋愛経験の少ない男と称して悩みを語る人は多くいて、彼らはよく、そもそも好きな相手がいないということに思い当たります。確固たる理想像があってそれに合う人が見当たらないから好きな相手がいない、ということではなく、割と誰でも良い、自分を好きになってくれる人がいたら好きになる、という発言を多く見ます。
僕も恋愛の能力がかなり低いタイプですが、しかしこれは共感できたことがありませんでした。好きな相手がいないという時期はほぼ無いと言ってよいです。常に誰か一人を好きな人間として設定していました。自分は内向的ですぐに閉じてしまう人間なんだ、油断していたらすぐに何もしなくなってしまう、好きな相手という設定に従って、好意があったら何もせずにはいられないはずなのだから行動せよ、と、自分を煽って過ごしていました。恋愛の能力が無いので大した行動はできませんでした。高校のころのAさんとは、登下校や授業の合間などの時間で接点を増やしたり、部活に複数所属しその一部を彼女と重複させたりしました。単に会話をするだけでしたが、Aさん以外と話さなさすぎて異常なコミュニケーションだったと思います。Aさんも異常なコミュニケーションをしてくる人で、よくシャープペンシルで指を刺されたり、名前をわざと忘れられたりしました。会って数週間で告白したのも異常だし、その時は翌日はいかに酷い言葉で振ればよいか友人と考えてきたと喜々として教えてくれました。数年前はBさんに憧れていました。面と向かって話すことを嫌われていて、顔を隠して話したり、目を逸らして話したりしていました。大学や勉強に関する、若干暗くてネガティブな話をし続けて、夜を明かすこともありました。ツイッターでの空中リプライだけで会話するのも楽しくて、鍵アカウントまで作ってしまいました。これは関係の無い話ですが、僕とBさんが親しげに話していると思い込んで、Bさんを慕う別の人が諦めてしまった、という出来事があったようです。人間関係のさなかに自分がある実感をくれる、好きなエピソードです。Cさんはいわゆるメンヘラっぽい人で、苦しい感情やそれに伴う異常な行動について語ってくれるところが好きでした。ただその苦しみとセットで、それをいつも特定の男性に救ってもらっていて申し訳ない、ということも語っていて、それが非常につらくありました。Dさんは憧れてくれていていいよと言うので好き勝手に好んでいました。好んで良いというのが保証されているのは存外楽でした。別に向こうから好かれる必要も感じないため、嫉妬も感じずに済みました。時間の経過とともに、話す回数や会う回数が減少して、興味が薄れました。好んでいるという設定だけがあっても、どこにも進んでいる感覚がありませんでした。Eさんのことは初めから友人として好むということにして、これはかなり良い相手との良い関係性だと思っていますが、進展の可能性が友人から親友まで程度の幅しか無いということを常に意識してしまいます。現在の人は省略します。


進展に対して気持ちが盛り上がるのが速すぎるのです。どの時点での好意や嫉妬、その時々の気持ちについても、もう終わったことであっても、鮮明に思い返すことができ、全く減衰せず凍結保存されている感覚があります。覚えているというだけで、再びそのような感情になることを避けています。何も起こっていなくても、凍結保存された感覚を思い出してしまい、それを感じないようにする、ということを繰り返して、何も起こっていません。
交際していく中で気持ちが変化していく、というような感覚が、まだ分かっていないのだと思います。進展が無いときの楽しい思い出はたくさん挙げられるし、どれも良い経験だったとは思うけど、進展した先にたどり着けていないし、想像もできていない。進展した後の気持ちこそがより本質的なものであり、それに比べたら自分の今までの体験や、保存されている気持ちには何の意味があったのか、と考えてしまいます。年齢に対して積み重ねた経験が薄すぎてつらくなってきた。

 

僕からは以上です。17日目の担当は、まくはりうづきさんです。お楽しみに。

どうしてこんなになるまで放っておいたんですか

クリスマスまであと10日ほどとなった。

日付感覚に疎くなる私のような怠けた学生にとって、こういったイベントが続くのはありがたいとも言えるけど、どちらかというと、「まっとうな人たち」が過ごすスケジュールの忙しさに驚くことの方が多い。

私は本来、サークルクラッシュ同好会にとっては部外者であり、観察者である。ホリィセンをはじめとする関西のメンバーと個人的に仲は良いものの、籍を置くでもなく、少し遠いところから冷笑的に活動を眺める謎の美女……というイメージをもっていただきたい。

 

今回、こうして企画に参加するのは、なぜか今自分が京都大学で学生をやっていることに一種の導き的なサムシングを感じたことがひとつ、もうひとつは、かなり個人的な懺悔のためである。

 

こじらせについて軽く触れておくと、私にとって、「こじらせ」は、自分をもてあますこと、それは肉体であったり、感情であったり、欲求であったり、金銭であったりするかもしれないが、とにかく「足りない」とはまた別の、「行き場のない」過剰な何かが、その人にとっての「こじらせ」であると考えている。

 

では私は何をこじらせているのか……話は逸れるが、京都大学は期待していたより面白くはないが、予想よりたくさんの「森見登美彦になりたい男」がいて驚いてしまった。こんな暑くて寒すぎるところで、モテたいだの誰が好きだの、何になりたいだの何が嫌いだだの、そういった高度な人間活動ができるわけがない。吉田キャンパスのどこにも留年を重ねて猫ラーメンを食べる大学院生なんかいない。みんなちゃんとした服を着て授業に来ているし、喫煙所以外ではタバコも吸わない、構内のネコはきちんとした学内の団体に「管理」されており、無断でかつおぶしなど与えると怒られる始末だ。

 

さて、話は戻るけど、私は何もこじらせてはいない。

色々考え回った末の答えがこれなのだ。女子をこじらせてという雨宮まみさんの著作があるが、やはりその基礎には有り余るほどの女性性があり、それがゆえにこじらせているんだなと解釈した。このアドベントカレンダーに参加している同好会員のこじらせの多くも、まず消化しきれないほどの「何か」があり、それに振り回されているという記号的な構図に変換できるのではないだろうか。

何もない私からしてみると、こじらせだーなどと言ってのたうち回る彼らがうらやましく思える時がある。童貞だとかそうでないとか、どの女が誰を好きだとか、誰に好かれたいとかいいねしてほしいとか、そういった悩みを抱く彼らは、私に言わせると「高度に人間的」である。

これは決して京大生的アイロニカルな視点で言っているのではなく、私は揶揄なしでPepperくんとタメ張れるくらいのアイデンティティしかないので、素直に自分が持たないものを持つ彼らがうらやましいのである。(私はコンピュータほど正確な計算機でもないし、今のところPepperくんに勝っている点は多くない)

 

つまり、こじらせ人間がありあまるエネルギーをもてあます平成の産物だとすると、私は何もかも足りていない世界が生み出した悲しきモンスターなのだ。

もっと言うと、このアドベントカレンダー、ちょうど半分のここまで全員がこじらせ人間、私という名の虚無虚無プリンちゃんをはさんで明日からまた全員こじらせ人間なのである。

 

「宇田川さんはいいよね、悩みなさそうで」と言ってくる人は多いけど、トンカツ食べたことない人間に対してヒレとロースどっちがおいしいかみたいなことを相談するほうがおかしいのだ。私だってトンカツが食べたい。

今はこんなだけど、いつか私もこじらせるようなエネルギーにあふれる日が来たら、大声で叫ぼう。めっちゃツイートしよう。

そのときはみんな全力でいいねを押してほしい。

 

短いけれど、この文章は私と同じ名前を持つ友人に捧げるものとする。

今思うと、その友人はあらゆる点でこじらせを発生させていた。私とは対照的だったぶん、お互いに補いあうことのできる関係だったと思う。

そう、いろいろと書いたけれど、結局私は「こじらせ人間」が大好きなのだ。

これを読む人も、次に書く人も、決してつまらん着地点で妥協せず、行きたいところまで行って、泣きたいだけ泣けばいい。後戻りも先送りもやろうと思えばできるのだ。

メリークリスマス!

 

宇田川 那奈(@uda_nana)

舞鶴にて

この記事は、サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーの14日目として書かれています。

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 「こじらせ」とは何か。
とりあえずここでは、「ひとたび克服すると、それが何であったのかが分からなくなってしまう何か」とだけ言っておこう。

 

いや、本当に分からないのだ。10年前の私は、確かに間違いなくこじらせていた。おそらく5年前の今日の時点でもまだ、こじらせていたはずだ。だが、それを克服――というと、それが悪いものであったかのような物言いで、語弊があるのだけれど――してしまった今となっては、それが何であったのか、どうしても思い出せないのである。

 

だから、これから私は、私がこじらせていたことを思い出すために、明らかにそれと分かるような、ある体験を振り返ってみることにしよう。それを終えた後で、私の「こじらせ」が一体何であったのかを、改めて考えて見ることにしたい。

 

なお、私については、この記事の上では匿名とさせていただきたい。これから語る私の体験が、誰との関係において生じたのかを見抜いてしまう関係者が現れる可能性を、少しでも狭めるためである。もう10年以上も前の話になるので、時効だとは思うし、そもそも私は罪を問われるようなことは何もしていないのだが、やはり嘘がバレるのは、私にとってはとても恥ずかしいことなのだから。

 

これは、もう10年以上も前の話になる。まずは、そこにいたる経緯について、お話しておこう。

 

監獄のような6年間の男子校生活を終えた後に、日本でも有数の難関国立大学に入学した私は、まさにこの世の春を謳歌していた。6年間の男子校生活は相応にストレスフルだったものの、その代価として、最良の成功体験(現役での大学合格)を手にすることが出来た私は、大学に入るまで大きな挫折を経験することもなく、「自分が本気を出せば不可能なことなど何もない」と本気で思っていた。受験勉強以外に、ほとんど何もしてこなかったのに、である。


たった一度の成功体験で全能感を得ることができるのだから、狭い世界で生きているという状態とはなんと幸福で、恐ろしいものであろうか。そんな私が、大学生活で失敗し、挫折を味わったことは、全くもって当然の帰結であったといえよう。

 

入試の合格という目標を達成した私の次なる目的は、生涯の伴侶となるような、アイドルのように可愛く、少年漫画のヒロインのように愛嬌があり、アニメのヒロインのように男の子の趣味に理解があり、自分と同じぐらい賢い、自分の人生のヒロインを見つけることだった。もちろん、当時の私の主観的な世界をそのまま書いている。

 

大学に入学してから、まず私は軽音サークルに入った。しかし、いくつかの小さいな失敗を経験したのと、あまり同サークルの雰囲気になじむことができなかったことから、
夏休みになる頃にはそのサークルを辞めていた。そもそも、前述したような世界観を持っていた私が、チームワークを重視するバンド活動などできるわけもなく、サークルのメンバーたちには本当に多くのヒンシュクを与えたことと思う。もっとも、人は私が思っているほど私のことを気にしてはいないということも、今の私は理解しているつもりである。

 

軽音サークルで自分の思い通りにいかなかったことを、軽音サークルの騒々しい雰囲気に嫌気が差したという事情に脳内変換していた私は、次は落ち着いた集団に所属しようと思い、大学のとある文化系サークルに入った。そのサークルの中心で、一回生にして輝きを放っていたのが「彼女」だった。つまり私は、生涯の伴侶となるような、アイドルのように可愛く、少年漫画のヒロインのように優しく、アニメのヒロインのように男の子の趣味に理解があり、自分と同じぐらい賢い、自分の人生のヒロインと、早くも出会ってしまったのだ。

 

私は彼女に対してはほとんど一目惚れだったのだが、NFでの企画の準備を共にする中で、ますますいっそう彼女のことを好きになっていった。私は、彼女を自分の恋人にしたいという欲求を抑えることができなくなっていた。しかし、それまでネット以外ではほとんどまともに女性と接したことがなかったので、彼女を恋人にするために何をしたら良いのか、どのような手順を踏めば良いのかが、まるで分からなかった。

 

もっとも、依然として、例の全能感を抱えていた私は、とりあえず告白すれば何とかなるだろうとでも思ったのか、まだ二人でいっしょに遊ぶことすら一度もしていないにもかかわらず、ある日突然、何の脈絡もなく、メールで彼女に告白をした(当時はまだ、SNSなどは存在せず、リアル以外でコミュニケ―ションを取るとしたらメールか電話が中心だった)。今から思えば、あまりにも無謀で、しかも最悪の形での告白である。メールには、「これから春休みで、当分会えなくなるだろうから、想いを伝えておかなければ…」といった内容を書いた記憶がある。何を言っているのか、全く意味が分からない。

 

告白の結果については、書くまでもないだろう。それが私の人生における、最初の失恋であった。

 

しかし、ここからが私のおかしなところだと思うのだが、そのとき、なんと私は、まだそれを失恋だと捉えきれていなかった。フラれてから初めて、男の友人の助言を仰いだ私は、二人で何度か遊ぶ前に告白をすることや、告白をメールですることは、告白の形式としては最悪に近いものであることを教わった。だから、フラれたのは告白の形式がまずかっただけで、しっかりとステップを踏んでから、あるべき方法で告白をし直せば、今度は彼女と付き合えると思ったのだ。今から思えば途方もなく見当違いな思い込みだが、おそらくまだ、例の「自分が本気を出せば不可能なことは何もない」という全能感が、かなり揺らぎつつも、まだ残っていたのだろう。

 

だから私は、春休みの間に、彼女と二人で遊ぼうとしたのだが、なかなか思い通りに予定が合わなかったりしたことを覚えている。その理由が分かったのは、春休みが終わる頃、私が大学生として二回目の四月を迎えた頃であった。彼女から、彼女が私とは違う別の男性と付き合うことになったという主旨の報告メールが届いたからである。その瞬間、私の頭が目の前の現実を私に見せることを危険であると判断したのか、視界がやたらとチカチカしたことを覚えている。何か、良くないものが下から上へとこみ上げてきた。


このとき、私の世界は、あの幸福な全能感と共に、音を立てて静かに崩れ去った。


それから数日後、大学二回生としての私の一年が始まった。この一年は、私にとっては辛い期間だった。二回生になった私は、彼女と同様にサークルの中心になったので、彼女とはそれまでと同じように共同作業をしなければならなかった。しかし、私は相も変わらず最初の告白への見当違いな後悔を抱えていて、また、彼女が彼氏のものになってゆくことを想像してしまうのが苦痛で仕方なかった。そして、どうして彼女は私を選ばなかったのか、その理由をただひたすら考え続けていた。要するに、私はまだ、彼女のことがどうしようもなく好きだったのだ。
             
だから、彼女とはできるだけ接したくはなかったのだが、サークル活動の都合上、それを避けることはできなかった。当時の私にできることといえば、せいぜい彼女が彼氏からプレゼントされた指輪を嵌めているかどうかを日々観察し、彼氏との関係が上手くいっているのかを推測することぐらいであった(余談だが、このときの経験から、女性の左手の薬指を常に観察する癖がついてしまった)。私は、彼女に少しでも良いところを見せることだけを考えて、サークル活動に精を出した。

 

この一年間は、当時の私としてはよく頑張っていたのではないかと思う。しかし、人生で二回目のNF企画を終えた私の精神状態は、すでに限界に達していた。そんな私に追い打ちをかけるような季節がやってきた。今さらだが、NFとはNovemberFestival(11月祭)の略なので、その後にくるのは当然のことながら12月であり、クリスマスである。

 

彼女に妄執していた当時の私にとって、その年のクリスマスは、まず第一に、「彼女が彼氏と過ごす初めてのクリスマス」であった。それに対して、彼女のことが依然として好きだった私は、当然のことながら恋人などはおらず、一人でクリスマスを過ごすことが決定していた。しかも、幸か不幸か(少なくともこのときは不幸だったが)、クリスマスは私の誕生日でもあった。実家暮らしだった私は、例年のように、20歳の誕生日を家族に祝ってもらう予定であった。

 

しかし、恋人と二人でクリスマスを過ごす彼女に対して、20歳になってもまだ親に誕生日を祝われている私は、あまりにも惨めであった。少なくとも当時の私には、自分が惨めに思えて仕方なかったのだ。私は、少しでも現実に抗うために、また自分も少しでも大人の階段を登ろうとして、12月の24日から25日にかけて、ちょっとした一人旅に出ることにした。

 

行先は、京都府日本海側に位置する、舞鶴である。12月の終わり頃の舞鶴であれば、もう雪が降っているかもしれないし、そうでなくても、どこか色彩を欠いた日本海の港町で独り海を眺めれば、彼女を想う自分に浸れるとでも思ったのだろうか。いや、単純に、彼女が彼氏と過ごすクリスマスを、自宅で家族と過ごす普通の状態で耐えることができなかったのかもしれない。

 

とにかく、そのようなよく分からないナルシズムに突き動かされた私は、半ば舞鶴日本海に近いビジネスホテルを予約し、JRの普通列車に乗り、数時間かけて北へと向かった。午後には舞鶴に着いた私は、引き揚げの史跡や赤煉瓦倉庫を見た後、ぼろい安宿の一室のベッドに寝転んだ。

 

ここで、暗い日本海でも眺めながら、一人で彼女への想いを募らせておけば、まだ格好も付いたろうにと思う。しかし、あろうことか私は、クリスマスの夜に、彼氏と二人で過ごしているであろう彼女に対して、自分がいま、舞鶴に独りで居るというメールを送ってしまった。


さすがの私も、彼氏との逢瀬を邪魔しようなどと思ったわけでなかったと信じたい。おそらく当時の私は、彼女に対して、私も私なりに大人になっているのだということをアピールしたかったのではないか。現在の私からしたら、なぜそのようなオウンゴールをわざわざ蹴り込みに行くのか、全く持って理解しかねるが。あるいは、いきなり冬の舞鶴に行くという無茶を報告することで、彼女の気を少しでも引きたかったのかもしれない。いや、もっと単純に、僕はいつものように、彼女からのメールが欲しかったのだろう。

 

それにしても、クリスマスに彼氏と過ごしている最中に、突然、以前フッた男友達から、唐突に「舞鶴にいる」というメールを受け取れば、女性はどう思うだろうか。ふつうであれば、気持ち悪さに怖気が走るところだろうし、良くても、開いた瞬間に無かったことにされるのが関の山である。

 

しかし、彼女は本当に優しかった。程なくして、私が舞鶴にいることに驚き、心配する返事をくれたのだ。私は、自分の愚行を恥じると同時に、ほんの少しだけ、幸せを得ることができた。そうして僕は、記念すべき20歳の瞬間を、独りで迎えたのであった――

 

 


さて、前置きが非常に長くなってしまい申し訳ないのだが、ここからが私の「こじらせ」にまつわるエピソードの本題である。

 

実は、このクリスマスのエピソードの中には、一つだけ、実際には無かったことが含まれている。つまり、私の嘘が含まれているのだ。いや、実際に誰かにこの当時の話を語るときは、本当にこの通りに語ってしまうことがあるので、嘘というよりも偽記憶に近いのかもしれないが、たしかに、私は実際にはそんなことはしていなかった。

 

まず、誕生日について。話を盛るために、誕生日がクリスマスと被っているという設定を付けたのかと思われるかもしれないが、これは本当である。クリスマスと誕生日が重なると、幸せも孤独も二倍になるということを、私はこの身を持って学んだ。

 

次に、メールについて。いくらなんでも、そんな自分勝手なメールに、しかもクリスマスに彼女が返信してくれるわけがないし、返信が来るにしてももっと冷たい内容だろうと思われるかもしれない。しかし、メールを返してくれたことも、彼女がくれたメールの内容も、事実である。彼女は本当に本当に良い子であった。そのことを確認して、私が少し幸せな気持ちになったことも含めて、本当である。

 

だから、私がメールを書いたことも、その内容が「舞鶴に居る」という報告であったことも、芋づる式に事実ということになる。もちろん、私がメールに込めていた意図も、想いも。ただし、私は、このメールを、ビジネスホテルの一室ではなく、京都市内の某ネットカフェの一室で書いていた。

 

 




つまり、私は、本当は、舞鶴になど行ってはいなかったのだ。

 

 



以上が、私の「こじらせ」に関するエピソードである。前置きが異様に長かった割に、本題は短くてがっかりさせてしまったかもしれない。だから、その後、私がどうなったのかについて、ごく簡単にではあるが、触れておきたいと思う。

 

まず、その翌年の春に、風の噂で、彼女が例の彼氏と別れたことを知った。だから、私は再びメールで、彼女に告白をした。しかし、上述のような虚飾にまみれた私が、
彼女の「一番」になれるわけもなく、当然のことながら、再び今度は前回よりもはっきりと、私は彼女にフラれた。それによって、ようやく私は、彼女とは今回の人生においては絶対に付き合えないであろうことを悟った。ちなみに私は、今も昔も、輪廻転生を信じてはいない。

 

そして、私はこの二回目の失恋をきっかけに、サークルから失踪した。いま思えば、これも彼女に自分のことを考えて欲しかったからな気もするし、あるいは彼女へのあてつけだったのかもしれない。いずれにせよ、私という人間は本当に度し難い存在なのだ。
本当は、ほとぼりが冷めてから、サークルにはひょっこり戻ろうとしていた気もするし、彼女以外の友人からたまに連絡も来たりしてした。だが、失踪以来、サークルの他の友人たちと会うのも気まずくなってしまい、大学構内で遠目に彼らを見かけたら、あえて別の道を通って避けたりしていた。結局、私は最後までサークルに戻ることはなかった。この気まずさの感覚は、その後何年も、私の心の奥底にずっと残り続けた。

 

それから私は、何年もの間、自分が好きな人の「一番」(=恋人)になれないという悩みに苛まれ続けた。まるで呪われているかのように、いや、呪いでも何でもなくこれは私のせいなのだが、相手を変えては、女性から交際を断られ続けるという経験を何度も何度も何度も繰り返した。

 

今も、その問題は解決しているわけではない。だが、いつからか、もう別に、相手の「一番」でなくとも構わないと思うようになった。

 

ところで、私の「こじらせ」が終わったのも、ちょうどそれぐらいだったように思う。
今の私は、あの20歳の頃の私から、どう変わったのだろうか。

 

念のため言っておくと、今の私の視点から見れば、そんな状況で日本海に一人旅に出ようとすること自体、あまりにも「痛い」と言わざるを得ない。もう本当に意味が分からない。が、そのような加齢にともなう価値観の変化は、ここでは重要ではないだろう。

 

あの日、私は舞鶴にいるはずだった。しかし、現実には、私はネットカフェにいた。いまの私は、あのとき舞鶴にいたはずの自分と、ネットカフェにいた自分の、どちらなのだろうか。私の自己理解によれば、今のわたしは明らかに、あのとき「ネットカフェにいた自分」の延長線上にあると思う。というか、ほとんどそのものだ。そしてそれは、「彼女と付き合えずに終わった自分」でもある。

 

あの舞鶴にいた私は、けっきょくは幻想に終わった。私は、自分が望むような人間にはいつもなれないままだし、相手が望む自分にもなれない。でも、今の私は、そうであることを引き受けている。「受け入れている」のではなく「引き受けている」。もう、あんな酷い嘘を付くことはないだろう。


だから、最後に、私は「こじらせ」について次のように定義し直しておこう。「こじらせ」とは、「自己の『どうしようもなさ』からくる葛藤が長期化すること」である、と。



2017年12月14日 舞鶴にて






※念のために述べておくが、私は↑のような経緯で「こじらせ」を克服したという結果を述べているだけで、他の人も「こじらせ」を克服「すべき」と言っているわけでは決してない。むしろ、受け入れることができない現実/引き受けるべきではない現実は確かに存在するし、ある現実を引き受けることが可能かどうかも、その人の状況や状(病)態によって変わるはずである。
 

 

次回は、宇田川 那奈さんが記事を執筆される予定です。
お楽しみに。

circular,

(執筆:小林通天閣
 
主人公に憧れていた。中学生の頃からだ。ヘッセは本当に主人公だったろうか、1年4組のクラス文集には「1組の模範少年」という文章が載った。最初の定期試験で僕より1点高い点数を取ったサッカー部の彼は、いつも色黒の友人に囲まれ、2月には山ほどのチョコレートを受け取りながらそれをひけらかさないような人間だった。僕らのエーミールは今、お笑い芸人を目指しているらしい。勉強だけが取り柄の根暗な僕はといえば、黒ずんだ雑巾を、あるいは根に土を孕んだ丈夫な草を、色黒のスポーツ少年たちから投げつけられる日々を送っていた。
これはそんな少年の、それとは関係のないお話。
 
少年は母から障害者と呼ばれながら育つ。小学校入学から高校卒業まで一度も学校を休まなかった。学校も家も居場所ではなかった。よく泣く母は、よく叫びよく殴る母でもあった。血に汚れ歪んだ眼鏡を直しにオンデーズへ。店員はまず僕の眉間を消毒した。母の怒声は文化住宅の薄い壁を貫き、隣人の眠りを脅かした。警察はうちを何度も訪れたが、そのたび僕はにこやかに母を庇うのだった。家にはパソコンも漫画本もなく、母の教えによれば外出はやめたほうがよく、僕は母の不在にようやく目覚め、自分自身を愛し続けた。
これはそんな青年の、それとは関係のないお話。
 
気づけば京都大学にいた。親元をついに離れた僕は、手探りで何かを埋めようとする。憧れだったカラオケに行った。憧れだったパソコンを先輩から譲り受けた。XVideosは衝撃だったが、思春期を自己性愛に捧げた僕はもはやそんなものに惹かれなかった。青年は恋愛を試み、アームカットエスエスブロンを覚えた。とっくに学校には行けなくなっていた。18年間持て余し続けた快と不快と不可解は、こんなふうにしてようやく両手に収まり始めた。僕はセックスをする人間になったし、ならなくてもよかった。ただ母を求めていたし、今もきっとそうなのだと思う。
これは可愛いみどり児の、それとは関係のないお話。
 
みどり児は新しい母の手を引く。出掛ける母の足を引く。酒を飲んではその顔を打ち、首を絞め、そして失恋をする。何も分からなくなっていた。言葉を尽くしても分かり合えない。信じれば裏切られるし、信じられれば裏切ってしまう。僕は自分を責め、去った母をその倍責めた。死ぬこともできたのに死ななかった。死ぬことはできなかったが死ぬべきだった。母の残影を多くの女性に求めた僕は、多くの女性を傷つけながら、彷徨い歩いて今に至る。
これはそんな主人公の、それとは関係のないお話。
 
不可逆な時間軸を辿りながら、僕たちは可逆なるものの幻影を見出そうとする。僕たちが安心を求めて夢想する円環状の日常に、無慈悲な楔が突き立てられる。大切にしていたブレスレットもいつかは壊れる。通い慣れた店にはシャッターが下りる。恋人はきっと去り、もはや友人は遠くの誰かと笑い合い、愛憎むかうところの肉親は必ず死ぬ。日常モノの漫画は最終回を迎える、その時、日常のベールが後ろから引き剥がされる。じゃーん、実は全部不可逆でした。取り返しなんてつきませんよ。ストーリーというのは幻視される可逆と直視すべき不可逆との連鎖だ。僕たちは此岸から彼岸へと至るその縞模様の上を無邪気に歩く。
 
今日も今日とて京都タワー。高い建物が好きだ、夜闇に鮮明な白、ひとつまみ赤めいて、京都タワーはどう見てもラブホテルだ、僕はラブホテルが好きだし、将来はお城に住みたい。
 
これはそんなお話。
 
circular, circular, circular,
 
誰も遠くに行かないで。僕を絵本に閉じ込めていて。

不登校を選んだ僕と学校に所属し続けた君たち

こんにちは。サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー11日目担当の藍鼠(@indigo_mou5e)といいます。投稿遅れてすいません。。。
中盤くらいならそれまでの流れを真似ることができる上に、なおかつトリのような重要度もないと思って11日目に登録したのですが、これまでの記事見てみると良い文章ばかりで恐縮してしまいますね。まあやっていきましょう。やっていく他ないので。

 

人に言うと自分の中でそういうキャラが固定化してしまいそうなのであまり積極的に語ることはしないのですが、僕は小学5年生~中学3年生までの結構長い間、不登校生活をしていました。ある意味で拗らせとも言えそうな(ホンマか?)期間とその影響について語ろうと思います。

 

小学4年生までの僕のクラスでの位置づけは面白くて優しく社交的な人間というものでした。当時からマイペースなところはあったのですが、”変”ではなく”面白い”行動としてとられていたようです。

小学5年の春、クラス替えがあり、いじめが少しずつ起こりはじめました。あまり内容は覚えてないのですが、上履きを僕に取らせずにパスしあって最終的にゴミ箱に捨てるみたいなことがあったような気がします。クラス替えから1ヶ月も経たないうちに不登校に突入したのであまりエスカレートはしてなかったと思います。それでも僕は4月のうちに根を上げ、風呂の中で過呼吸になり、心配した親は次の日僕に「そんなに辛いなら今日は休んでもいい」と言いました。

その言葉が衝撃的だった覚えがあります。子供は学校には必ず行かなければならないし、休んでもいいのは病気にかかったときだけだと思っていました。

結局僕はその日学校を休みました。次の日はまた学校に行ったのですが、それから1~2週間行ったり行かなかったりという日が続き、最終的には全く行かなくなりました。

学校を休んで半年~1年くらいの間は自分がいじめられる環境に赴くのが嫌で休んでいたと思うのですが、6年生になった頃にはどちらかというと不登校になった人間として奇異の目で見られるのが怖くて学校に行きたくなくなっていたように思います。

何より、不登校を続けても周りの大人は「学校には行ったほうがよいが無理に行く必要はない」程度のことしか言わず、怒ることすらしなかったので僕の中で「子供は学校に行かなければいけない」という宗教的教義が完全に崩壊したのが大きいです。行かなくても制裁がないなら無理に行く必要はない。(わざわざ生活を大きく変えるのは)ダルいし。僕の小6~中3夏(不登校全体の7割程度)の不登校はそのような考えが基盤にありました。

今考えると(少なくとも僕の場合は)不登校は何も特別なことではなく、授業をサボる大学生と同じようなありふれた思考によって生まれたのだなと思います。小学生は何の問題もないのに学校に行かないということはあってはならないし、もし不登校なんてしてしまえば何らかの制裁があると信じて学校に行くことを選択しているんですね。宗教と同じ構造で面白いと思います。

 

話を元に戻しましょう。不登校時代に学校から離れて自分なりの価値観を育てた、みたいな流れを期待されるかもしれませんがそんなことはなく、不登校時代はただただ自堕落に過ごしてました(独自の価値観の形成は浪人時代まで待たれることになります)。TVゲームは下校時間まで許可されなかったのでインターネット(なぜか許可された)でyoutube2chまとめサイトやゲーム攻略サイトなどを巡り、夕方からはゲーム、ときどき親に病院に連れて行かれるので仕方なくついていくという感じです。病院は仕方なくという感じでしたが、病院で紹介されたスポーツ療法は不登校だったり特別支援学級に通っていたりする子と交流できたのでとても楽しかったです。「自分は不登校だ、だから普通じゃない、だから普通の子とは馴染めない」と思っていた(と推定される)自分にとって、”普通じゃない”彼らは壁を感じず話せる相手でした。

 

スポーツ療法の子達と話すことで自信がつき、こういった人たちの輪になら加われると思い、中学3年の2学期から特別支援学級のある中学に通うようになりました。とても楽しい生活だったと思います。個性的な人間も多かった気がしますし。特別支援学級の中には通常学級の授業に顔を出している子もいましたが、その頃はまだ”普通”の人たちから奇異の目を向けられるのが怖かったので僕には無理でした。

同じ理由で高校も普通制ではなく通信制の高校に入学しました。通信制といってもキャンパスがありそこで授業を受けることも出来るタイプの高校で、やはりそこにも”普通じゃない”人たちが居てやっぱり楽しいキャンパスライフが待っている、はずだったのですが、高校の”普通じゃない”は質が違いました。髪を染めている人間ばかりで、ヤンキーっぽい人が多いというのが当時の印象です。おそらくそれほどヤンキー性が強かったわけではないでしょうが、コミュニケーションの自信がなく線引きまくりだった自分にはなかなか接しづらい人たちでした。

2年に入ってからは何だかんだで友人グループを作り、放課後にカラオケ、ゲーセン、ダーツ、マックなど、青春を謳歌していました。今思い返しても当時の自分は人生で一番楽しそうだと思います。今自分は楽しいし、このまま大学に入り同じような集団に入れば同じような楽しさを享受できる。僕は成績もいい(小学校時代の話)し大学にも入れる。そういった宗教を信じていました。幸せですね。実際浪人することなく適当な大学(熊本県立大学とか)に入っていれば適当なオタクサークルに入って青春謳歌してた世界もあったかもしれないですね(ない(僕は決定論者なので))。

何気に高校時代に「普通の人間もこちらから何かしなければ僕にも何もしないし、最低限のコミュニケーションは取れる」ということを学んで普通の人間へのアレルギーを少し克服してたりしてます。線は未だに引かれていましたが。

 

さて、小学生時代に社会という宗教の「子供は毎日学校に通い授業を受けなければならない」という教義への信心を失った僕ですが、「良い大学に通わないと安定した仕事に就けない」「仕事をしなければ生きていけない」といった教義への信心は依然として存在していたので、高校2年秋には予備校に通い始めました。大手の予備校ではなく、個人経営の小さな予備校でした。これは普通の人間が居ると馴染めないとかではなく、単にその前に通っていた美大予備校と提携割引を行っていたからです。理由はともかく僕はまた普通の学生から縁の薄い場所に所属することになりました(ただ親によると大手予備校では不登校で無学の子とかマジ無理なんて言われていたようなので結局小さな予備校に行くしかなかったのかもしれません)。

結局僕はそこで2年浪人することになります。小さな予備校で、難関大学を目指す浪人生はほとんど居なく、また僕は同年代の友人が身近に居なくなりました。小さな予備校ゆえの距離感により講師たちとはかなり仲良くなれましたが、同年代の友人との交流は過去作った友人とたまに会うだけで、孤独に苛まれるというほどではありませんが孤独感は感じていました。

また、浪人1年目6月にTwitterを始めました。主に普段の考え事を吐き出す場として使用し始めましたが、興味深い人間の呟きを見ることにも使われだしました。これまでのドロップアウトで自分は社会のはみ出し者だという自覚があったからか、興味は社会とそりが合わないインターネット人間へ向かい、そのためこのころの僕は逆張り人間の傾向がありました。今もそうかもしれないです。逆張り人間だろうと何だろうとこの時期に常識への信頼がさらに失われたのは確かです。当時の僕のアカウントを見ると初めのうちは量産型大学生だったのがゆっくりと人間嫌いのインターネット人間になっていって面白いです(面白いので今度自分のブログでまとめます)。

 

なんやかんやで大学に合格。不登校特別支援学級通信制高校、(友人の居ない)浪人生活と”普通”な同級生から10年近くも離れた状態で僕はようやく”普通”の人間のグループに所属することになりました。そこで僕が感じたのは社会及び大量の同級生に画一化された大多数の大学生と僕との間の強い差異でした。教壇で教授がおはようございますと言うと低い声で挨拶を返し、教授が黒板に何かを書くと一斉にそれをノートに書き写す。そんな風にみんな全く同じ行動を取るのが奇妙でならなかったです。

生権力に矯正された人間が気持ち悪いなと思いつつも、矯正の有用さを感じることも多かったです。ノートを取ろうとしても書き方が分からないから取れない、同じクラスに振り分けられた人間と打ち解けるまでの物語が分からないので仲良くなることができない、など。矯正とは違うのですけど、毎日学校に行ってサークルに出てバイトもしている大学生の体力もすごいと思います。僕は学校とサークラ同好会で手一杯なので。
また、大多数の大学生と話して感じたことですが、彼らの話題からは制限された自由を感じました。社会にあらかじめ出していい話題は決められていて、状況に応じて出す話題を変える、みたいな。それぞれの人間は趣味、学部、サークル、出身地は異なりますが、話の本質はみんな同じことばかり。自分や他の人間を変人と称する場合すらも「このような人間は変人としてよい」というルールが背景にあるように見えました。許される(捕まらない)範囲で法を犯してアウトロー気取りになる不良のように。そんな風に本質は違わないのに表面的には違うように見せている人間を見たことも線を引かなくなった一因かもしれません。

結局僕は大学生とは距離を置き、画一化されてないように見える人間と細々と交流しながら過ごしています。今の僕は大多数の大学生のTwitterを見るだけで吐き気がしますし、絶対に彼らの近くには行きたくないと思っているのですが、それはそれとして、僕は今のように宗教を捨て不安定な中で生きるか高校生の頃のように個性なんてハリボテ程度しかないけれど現在・未来の幸福を信じて生きるかどっちのほうが良かったのかと考えることがあります。無論後者でしょうが、高校生の時点でアウトサイダー気取りだった僕はどうあれいずれ懐疑論者になってしまっていたと思います。幸せになりたいですね。

 

 

不登校を含めたドロップアウトの影響をまとめます。社会常識という強力な集団幻覚/宗教は学校やそれを取り巻く環境(親や教師)に蔓延していて、普通に学校に通っている限りは社会常識を疑うことはありません。しかし、不登校などで学校から離れた状態が続いてしまい少しずつ常識の信頼性が揺らぎました。常識に囚われなくなるというのは良いことに聞こえますが、社会常識から得られる基本的な生き方を自力で会得する必要があるため、リスクは大きいです。実際僕は社会で生きる力が不十分なまま社会に放り出されています。単に生来的に社会不適合なだけかもしれませんが。ただ、常識から離れることで自分と他人の間に線を引かなくなったなどの進歩などももちろん存在します。

また、集団に自分を合わせるように調整することも出来ないため、一般的な人間から一挙手一投足がズレます。ある程度社会の一部として生きていくのならばそこの調整も必要そうです。

ついでにいうと教師から聞いたことをただ覚える奴ら(学校に通っている人たちは割とみんなこうだと考えていました)と違って自分なりの方法で考えることができると自負してきたのですが、それにかまけて人の考えをインプットする能力がなくなり、車輪の再発明ばかりしています。効率悪いですね。

こういうと悪いことばかりのようですが、ちゃんと独力でも生きていける人間だったり、僕みたいに高校卒業してからやっと自分の考えを発達させたりしなければ良い価値観を持った人間になれると思います。パトロンが居ればなお良いですね。将来お金を稼いだら才能ありそうな小中学生のパトロンになって学校から引き抜いて天才少女を作りたいです。才気ある小中高生のみんな、学校を辞めろ。

 

最後に。拗らせ自分語りということらしいですが、僕は正直拗らせの意味がよく分かってません。「風邪を拗らせる」のような本来の意味からすると自分の中の悪性のものがさらに強化されたりさらに悪いものを呼び込んだりするという感じでしょうか。

それを踏まえてこの自分語りを見直してみましたが、特にこれといった拗らせがないように見えるんですよね。自分は社会からドロップアウトした駄目人間だ、自分はコミュ障だ、というキャラ付けを昔はしていましたが、それから連鎖して別の分野で何かを失敗することは特になかったですし、今はそもそも自分は○○な人間だという線引きをしなくなりましたし、恋愛感情が頻発するということもなかったですし。僕に全く拗らせがないというと多分嘘になりますけど(精神科に通うことで自分が病気であることを自覚し症状がさらに悪化したエピソードとか)、サー同の各位の中では拗らせは少ないように思います。嘘乙、お前のこういうところ拗らせやで、という声があれば是非僕に教えてください。僕も拗らせを理解したいので。

 

以上で僕の記事は終了です。長らく読んでくれてありがとうございます。

明日は複素 数太郎さんの記事の予定だそうです。お楽しみに。

セックスするけどヤリチンとは言われたくない

この記事はサークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2017の10日目の記事です。

 

初めての人は初めまして、あったことある人はこんにちは。サークラで副会長を務めさせていただいているカプリスです。

 

この記事は二部構成になっており、第一部では私の生まれてからの過ごし方、第二部ではそれを踏まえてヤリチンと言われたくない理由となっております。

 

いきなりズバッと言いますが私のこじらせはコミュニケーションが下手なことと承認欲求が強いことです。

このこじらせを作った原因は二つあると推測しているですが一つ一つ解説していこうと思います。

一つ目は学校による環境ですね。昔から、正確に言うと幼稚園くらいからかなり浮いていて一人で行動することが多く、一人で他人と違うことばかりしていました。そういうことをしていたのでそれはもうヘリウムガスが入れられた風船がごとく浮いていました。ヘリウムガスはガスの中の軽さでいうと2番目なのですが1番軽い水素ガスは引火すると大惨事になるので使われていません。これテストに出ます。

そんなことをしているうちに風船のようにふわふわと小学校に入りますがここでも何も変わらず一人でずっと本を読んでいました。水素ガス並みに浮いてしまっていじめられました。これが第一の原因かなあと思っております。

もう一つの原因は家庭です。家族二人とも酒癖がめっちゃ悪く片方はアル中みたいな感じでした。酒を飲んでないとめちゃくちゃ機嫌が悪く、暴力や暴言に発展することもありました。

この辺の事象が存在し、結局どうしようもなくなっていったわたしは人に気に入られるようなコミュニケーションをとるように努力します。例えば相手の動作を見て何を考えているか考えて最善の答えを用意するなどです。(詳しくはわたしのブログを見てください) 

caprice1026.hatenablog.com

それが功を奏し、小学校高学年のころにはいじめられることはほぼなくなりました、が、それに伴い自分の本音が言えなくなったり、自分はこれだけ頑張っているから認められたい、という気持ちが肥大していき気が付けば承認欲求の塊になったりしていました。

そして小学校を卒業したわたしはいじめてきた人たちと同じ中学に行くのが嫌で中高一貫の自称進学校に通い始めました。中学のころは特に問題を起こすこともなく少し問題と言えば物事を事実より大きく言って「すごーい!!」とかとか言われようとするくらいのものでした。そのころはよかったのですが、高校生になると恋愛に目覚め始めます。

恋愛とはすごいもので相手から行為を向けられたりするだけで相手から承認された気分になります。承認欲求の塊であったわたしはどんどん恋愛をして、承認欲求を満たそうとしていました。恋愛を続けるうちに、一人だけでは飽き足らず、二人、三人と恋愛をするようになっていきました。このころはまだ健全(?)な恋愛をしていましたが、高校の途中でメンヘラと化して、だんだん恋愛が悪化していきました。さらに承認欲求が増していきレディーガガの曲のApplauseみたいなかんじでひたすらapplause(喝采、賞賛)を求めるようになっていきます。とりあえず承認が欲しいのです、これは今もです。さあみんなapplauseをわたしに!!

話がそれました。恋愛関係によって承認されたい、という気持ちがどんどん強くなっていったわたしですが、最初に述べた通り、わたしはコミュニケーションが苦手でした。なので自分の思っていることを相手にうまく伝えたりできませんでした。そこでわたしはセックスなどの肉体的接触により相手が本当に思っていることを伝えるという発想に知らず知らずのうちにたどり着いていました。そのせいか気が付けば肉体関係を持っている人がどんどん増えていくという恐ろしいことになって今に至ります。

 

 

ここからは女の子とすぐそういうことをするのにヤリチンと言われたくない理由について書いていこうと思います。まず一つ目は女の子とそういうことをやっていますがなんだかんだそんなにヤッていないということです。このまえTwitterで何人以上とヤッたらヤリチンかというアンケートを取らせていただきましたが(図参照)

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一番多かったのは、8人以上という答えでした。わたしはこれまでの経験人数は6人(セックスだけなら)なので、なんだかんだそんなにヤッていないということです。たしかにセックスしていない女の子を除けばもっと増えますがなんだかんだそんなにヤッていません。

 

二つ目はヤッた頻度です。アンケートによると、一年で六人以上とヤッたらヤリチンとあります。(図参照)

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女の子とそういうことをしまくっているのは最近がほぼこの一年にかたまっていますがそれでもこの一年にヤッたのは4人くらいです。

三つめは(極力)相手を傷つけないように恋愛していることです。酒を飲まして無理やりホテルに連れ込むなんてことは一度もやったことはありません。そういう風にちゃんと相手のことを思って恋愛しています。ヤリ目とか言う感じで恋愛しているのではありません。

 

余談という感じですが、わたしは別に自分の快楽のためにセックスしているのではなく、自己開示のためにセックスしています。これも理由の一つにあげたいのですが、とある人から「それは快楽のためにやっているのと変わらない」と言われたので理由には挙げませんが一応そんな感じでセックスしています。

 

 

以上の理由からわたしはセックスしますがヤリチンと言われたくないです。

ただ、ヤリチンという言葉が結構あいまいなところがあるようで、アンケートのところに「その他」の項目を作っておいたのですが、そこにも何評かが入っています。よってそのうち「ヤリチンとはどういうこと?」というお題で当事者研究をしたいですので人員を募集中です。そこでヤリチンというものの定義などが揺らいでヤリチンと言われるようになってしまったらまたブログに書くのでその時はよろしくお願いします。

 

長い文章にお付き合いありがとうございました。次回は藍鼠さん(@indigo_mou5e)です。

「読むと絶対モテる記事」と拗らせ概論、さえも

※当記事はサークラアドベントカレンダーのために執筆されています

adventar.org

0.はじめに


はじめましての方ははじめまして。そうでない方はこんにちは、サークルクラッシュ同好会にすら馴染めなくてフェードアウトしてしまった社会不適合者こと小津@oz4point5)です。最近あった悲しいことは、母が年内に死ぬだろうと医者に宣告されたことですね。さて、あらゆる文章は構造的に書かれてしかるべきだと思います。その点、完全なQ体氏の文章は教科書みたいで素敵でしたね、あれを真似てみようと思います。という訳で以下が目次です、ご査収ください。


各章は独立しています。好きな時に好きなだけ読んでください。「読んだよ」って言ってもらえたりリプしてもらえるととても嬉しいです。なお、ブログの記事を書くのなんてだいぶ久しぶりでどんな文章を書いたらいいかカンを忘れています。文章がキモオタくさくなっても許してね。あと出来るだけ各種表現に気をつけて書いてますが、この部分を書いている時点でキマっているため、所々、書き間違いや政治的に正しくない表現が含まれると思います。あらかじめご容赦ください、それでは。


1. 読むと絶対モテる記事

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1-1. 奪われた非リア


  モテる、って何でしょう。有斐閣の出してる書籍みたいな出だしですね。「モテる」というのは少なくとも人々が取りうる何らかの状態を指しているように思います。しかし、それに統一的な意味があるかは微妙なところです。どうみても色々な人と性交渉をしているようなタイプの人が「はぁ、モテない」と言ってみたり、恋愛工学やってる人たちは「モテている」のかそうでないのか、意味が錯綜している言葉です。「非モテ」という言葉をアイデンティティにしている人もそれなりにいます(私もそうです)が、それもどういう意味なのでしょう。

非モテ」に限らず、多くの「自らをネガティブにとらえる言葉」、例えば「非リア」であるとか「うつ」、「ニート」、「KKO(キモくて金のないオッサン)」などは最初の意味に比べて、徐々に人口に膾炙していくにつれ、意味が拡大していくきらいがあります(私はこれを言語争奪 word captureと呼んでいます)。日本人の謙遜文化が影響しているのでしょうか。もちろん、これらの対概念も同時に意味が変化していきます。

リア充」というのは今は亡き2chの大学生活板で生まれた言葉で原義は「一人でも友達がいる奴」でした。しかし、今やそんな使い方をしてる人はいません、私の感覚では「リア充」の平均的な意味は「恋人がいる奴」ぐらいな気がします。「非リア」が指している人間なんて最初は大学生の数パーセント程度だったのでしょうが、今の定義だと半分近くはいるんじゃないかと思います(こういう恋人の有無などのデータはしばしばニュースなどで見かけますね) 非常に限定的な言葉が流行するにつれ普遍的になっていくというのは、理解できることでもあります。そういう言葉はなかなか使う機会がありませんから。でも、意味が拡大するにつれ、その言葉がもっていた文脈というのはだんだんと失われるように思います。

つまり、こういうことです。「非リア / リア充」という言葉ははじめ、「友達のいない我々(内集団)」と「大学生活を楽しんでるあいつら(外集団)」の間に線を引く役割をもっていたはずです。この線を引くことにより、同じスレの中にいる人たちはある種の連帯感デュルケームに言わせれば共通の絆でしょうか)が生まれますし、彼らはアイデンティティを得ることができます(ここでいうアイデンティティとは「自分はこういうものだ」という定義付けとでも思ってください、そしてそういうものの存在は多くの場合、精神の安寧をもたらします)。

しかし、その言葉が彼らの手を離れ、意味を拡大されたらどうなるか。最初に自分たちが行なっていた線引きはもはや機能しなくなり、連帯感も失われてしまいます。彼らはこう思うはずです。「俺たちを表すはずだった言葉が仲間以外のやつらに勝手に使われて、しかもそちらの意味の方が浸透してしまった」と。

集団と集団の間の線引きは常に脅かされるものとはいえ、これはなかなか可哀想なことのように思います。少なくとも私はできるだけそのようなことはあってはならないと考えています。言葉が変化することで悲しむひともいるのです。


1-2. モテなぶる奴ら


さて、話を戻しましょう。「モテる」「非モテ」の話です。話の流れでお気づきかと思いますが、この言葉も「非リア」と同じく、争奪の危機にあります。というか争奪されています。

「モテる」の根本的な意味って何でしたっけ。多分「誰かから好意を向けられる」ことだったはずです。しかしその定義では、人々の内心による所が大きく厳密な議論に持っていくには無理があります。ではこうしましょう、「誰かから好意を持っていると告白される」、それすなわち「モテる」ではないでしょうか。

それが今や嘆かわしいことに、「モテる」という意味を勝手に狭い言葉にして、自分を「非モテ」と名乗る人物の多いこと。あなたは誰かから告白されたことがありますか? じゃあ、あなたはモテたことがあるんです。決して非モテではありません。たまに「自分が恋愛対象と思う人物から好意を向けられたことがない」のを「非モテ」と勝手に解釈してSNSかなんかで自虐している人がいます。恥を知れ。我々から言語を奪っておきながら弱者ぶるとは何事か。挙げ句の果てに一部の人間を「いないもの」扱いしている。他者を欲望を持つ個人として尊重しないと道徳が滅びるってウェーバーも言ってたぞ!

というわけでですね、この記事をお読みの皆さんの中で「誰かに告白されたことがある」人は自分のことを「モテない」というのは出来るだけ控えていただけると嬉しいです。女性の皆様におかれましては、別に非モテ自称しなくても適当にツイッターで性別さらして悲しがっていれば男どもが寄ってくると思いますので。男性もそうですよ。弱者、本当に非モテだった人たちを保護する、差別に反対する理知的な観点からも是非お願いします。それは僕たちのアイデンティティなんです、奪わないでください。


1-3. 読むと絶対モテる部分


というわけで、本題です。1-1と1-2はお読みいただけましたでしょうか。オチがもう読めたという方は素晴らしいというか、ちゃんと考えながら読んでもらってありがたいというか。では、以下の通りです、ご査収ください。

この文章を読んでいる皆さん、好きです。僕と付き合ってください!

  • 【募集対象】この記事をお読みの方
  • 【応募条件】年齢性別外見居住地等一切問いません
  • 【採用職種】パートナーとして
  • 【採用基準】熱意のみ
  • 【募集者】小津 省吾(21歳バイセクシュアル♂)
  • 【連絡先】原則としてtwitter@oz4point5にリプライあるいはDM
  • 【締切り】twitter上で告知。終了したらこの記事に横線ひくかも
  • 【その他】

こっちはまじめに言ってます。もう既にパートナーがいらっしゃる方は、その方と別れてからご応募ください(無用なトラブルを避けるためです)。また、小津についてよく知ってから判断をしたいという方は、お友達からでも可です。詳細な私に関する情報は、私のtwitterをフォローいただくか、またお題箱などでも受け付けております。ご活用ください。 (2017/12/16締切りました、少数のご応募ありがとうございました。またの募集をお待ち下さい)


1-4. 諸注意ほか


同じネタを先に他の人にされてしまわないか不安だったのですが、確認した限りそんな奴はいないっぽいので一安心です。僕の後に同じことをやろうとしている方がいたら申し訳ありませんでした。割と真面目に言っているので、もしこれで彼氏なり彼女なりができたら嬉しいなと思っています。

さて、性別も問わない、と書いたため、これでこの記事を読んだ方は晴れて「誰かに告白されたことのある」人になりまして、もはや「非モテ」とは言えなくなりました。つまり「モテる」状態になりました、ということで(もし締め切られた後にこの記事を読んだ人はすみません、そのうち再募集する羽目になると思います)。本当に「好意を向けている」かですが、実際に向けてると思います、少なくとも、私は私の文章読んでくれてるだけで相当嬉しいですし。

というわけで以上がこの記事のメインとなります。後の章は余談です。皆さん、誰かから告白されたことのある「モテる」人間として自尊心をもってですね、ご自愛いただければ幸いです。余裕があったら「非モテ」な私にも優しくしてやってくださればと思います。


2. 拗らせ概論

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2-1. 「拗らせ」とは


拗らせに関するアドベンドカレンダーとして文章を書く機会を頂いたのに、それを書かないのも如何なものかと思うので、いまから書きます。もし、私が大学の教員で、これが大学の授業なら「拗らせ論入門」とか名前をつけて2単位の一般教養科目としてあげたいところですが、実際はそうではなく、読んでも別にお得なことはないので、適当に読んでやってください。

私の前に記事を書いた人も「拗らせ」という言葉の定義に苦戦していましたので、私が考えた拗らせモデルをここで書いておきたいと思います。皆さん是非このモデルを「ここが違うよ」とかご指摘くださると嬉しいです。ちなみに、こういう言葉の意味に関する文章の最初に出てきがちな三省堂大辞林の定義をひっぱってみると「①物事をもつれさせる。解決を難しくさせる。②(病気などを)なおりにくくさせる。悪くして長引かせる」だそうです、わかったようなわからないような。


2-2. 靴紐を結ぶ


拗らせとは、要するに靴紐を間違って結んでいる状態です。スニーカーを想像してください、靴紐をまだ通していないならば、スニーカーにはたくさんの穴が空いているはずです。その片方を「行為」、もう片方を「感情」とします。それらを結ぶのが靴紐なわけですが、それが正しく順序通り結ばれていない状態、それが「拗らせ」です

社会や日々の生活を定義する方法はたくさんあると思いますが、ここでは感情と行為の再帰的な繰り返しと考えます。私たちは色々なことを考えます、ご飯を食べようとか、ゲームをしよう、とか。そういう「感情」に基づいて私たちはなんらかの「行為」を行います、ラーメン屋にいく、ゲームをプレイする。その結果、何らかの変化が世界に起こります、注文したラーメンがでてきたり、ゲームをクリアしたり。それを今度は私たちが情報として受け取り、それに対して「感情」を持ちます、美味しかった、他のゲームもしよう、とか。

この「行為」と「感情」が靴の穴だとすると、靴紐というのは「行為→感情」か「感情→行為」の回路で、それは感受性とか性格という言葉で普段表されるでしょうか、ぴったりと当てはまる言葉はないような気がしますね。

まあとにかく、この靴紐の結び方にはある程度正しい順序があるわけです。一段目の穴が結ばれた次は二段目の穴に靴紐が通っているはず、普通はそう考えます。普通は「一回一緒にご飯を食べた」穴のそのすぐ次に「告白する」の穴があるとは考えないわけです。でも、そう繋いでしまっている人がいて、それが「拗らせている人」なわけです。

 

2-3. 短絡と混線

そのように拗らせを捉えると、拗らせ方には二種類のタイプがあると考えることが出来ます。すなわち「短絡 short」と「混線 crossed」です。

短絡とは、本来入るべき穴をすっ飛ばしてしまっている状態。いきなり告白してしまったり、異性全体に対してレッテルを貼ってしまう状態がここに入ります。一方、混線とは、本来別の穴に入るべき靴紐が、違う所に入ってしまっている状態をさします。ただ「人間として敵意を持ってない事を示す行動」を受け取って、それを「好かれている」と感じてしまったり、「相手に気に入られよう」と思って意味の分からないLINEを送りまくってみたり。

どちらもいわゆる「拗らせている人」にはあるあるな状態かと思います。先程から恋愛に関する例をあげていますが、これは学歴だとか対人関係とかで「拗らせている人」もこれに当てはめて考える事ができると思っています。

 

2-4. 靴紐をほどく

それでは、この状態はどのようにして解消することができるでしょうか。靴紐のようなものである、という性質から幾つかの条件が必要であるということがわかります。

  1. どこをどう結び間違えているのかを自覚する
  2. その場所より後に結んだ場所を一旦ほどく
  3. 立ち止まる

まず1つ目です、問題を明らかにしなければ、どう結びなおすべきか分かりません。靴紐の結び間違いはなかなか自分では見えにくいので他人にみてもらうなり、あるいは自分で見るにしても、自分ではそれが正しいと思って結んだわけで、他の人のものと見比べる、あるいはそういう本を見て自分が違うなと思う所を発見しなければなりません。

そして、2つ目。これは拗らせが靴紐たる所以です。大抵の人間は何らかの考えを持っていたとしたら、その考えの上に積み上げるようにして他の考えを積んでいきます。それは、最初が間違っているがゆえに、無理矢理世間に合わせるために軌道修正しようとしたものが含まれていたりします。「○○大学に入れなかった→自分はダメだ」という靴紐を結んだがゆえに後から「自分はダメだ→もっと勉強に勤しんで周りに勝たねば」という靴紐の結び方があり、「周りに勝たねばならない→頭脳的な職を目指す」などを積み上げているパターンはちょくちょく見かけます。ただし、拗らせを治そうと思ったとき、一旦それらの考えを捨ててしまう必要があります。そうしなければ、最初の間違った靴紐を結び直すことができません。これには覚悟が必要です。

3つ目、立ち止まる。非常に忘れがちな点です。靴紐は歩いている時、つまり自分が何かを考えて周りの世界に働きかけるというプロセスを忙しなく行っている間は絶対に結び直すことが出来ません。一度、落ち着くことの出来る場所を見つけて座るなりする必要があります。焦って忙しい時に靴紐を結ぼうとしても余計にこじれるだけです。案外、これが見えなくなってしまうことも多いです。

以上が必要条件かと思われます、つまりこれを満たさなければ靴紐を結び直せない、ということ。逆に言えば、これを満たしても靴紐を結び直せるとは限りません。とくに2番目の条件が厄介で、もうはるか昔に結んだところまで解くというのは現実的に不可能な場合が結構あります。拗らせたら早めに。周りの人も「拗らせてるな」と思ったら、その人のために教えてあげるのが、本当の優しさかと思います。

 

2-5. 拗らせの社会学

 

でも、靴紐が多少結び間違っていても、全体的にバランスが保てていれば、まっすぐ歩けます。これも拗らせが靴紐であることの重要な前提です。「拗らせ」も全体としてバランスさえ取れていれば歩行に問題ありません。多少他の人から不格好だと思われることがあっても。

その時に、自分が自分の靴紐の結び方に自信を持っていて、そして説明できることは重要なことです。他人に指摘されて慌てて結び直すようなことをしてしまっては、先程言ったように余計にこんがらがってしまいます。

リオタールの言うグランドナラティブ(大きな物語)の凋落、とゲンロン的用語を出すまでもなく、近代社会では自我の役割が肥大化してきています。途中まであらかじめ結ばれていた靴紐も、今では最初から自分で結ばなければなりません。都市型の生活では、群衆はより孤独 solitudeになっていきます。ゴッフマンのいう儀礼的無関心 civil inattentionは、無論、電車内だけでなく日常生活や大学生活にまで及んでおり、他人の靴紐をどうこういうことは基本的にしません。

私たちは、そのような生活で生き残るために、常に自分の靴紐の状態を把握しておくことが望ましいでしょう。自分が「拗れている」ことに気づいてさえいれば、「拗らせている」こと自体はさしたる問題ではなくなります(無論、バランスが取れていればですが)。そのためにも、自分の周囲の人たちが「拗れている」と気づいた時に、そっと教えてあげること、そういうパーソナルな関係 personal relationが、今の時代では重要なのではないでしょうか。

この記事を読んだ皆さんも、せっかくですから、ちょっと立ち止まって自分の靴紐 shoelaceを確認して見てくださいね。

……衒学的な記事だなあ

 

3. さえも

 

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3-1. 幽鬱(スプリーン)

 

ここから自分ガタリ=ドゥルーズに入ります。さびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしい。

最近は精神科からのお薬とジヒドロコデインリン酸塩のお陰でなんとか大学に行けてまして、まあ1回留年ぐらいで卒業できたらなと思っております。大学で友達を作ったり、自分のことについて考えたりすると、「うっ死にたい」「醜形恐怖だ」「アイデンティティが拡散する」となってしまうので、意図的にさけています。皆が真面目に生きていて羨ましい限りです。

みんなアドベントカレンダーの記事では一生懸命自分語りしてましたが、僕はあんまりそれすると鬱になりそうなので控えます。大学合格を目標にしてたらそれが終わって、今度はキメセク目標にしてたらそれも終わって、最後には人間不信が残って、エリクソンのいうライフステージの青年期に見事に全ての徳がゆらいでアイデンティティが拡散したパターンです、僕の個人的な考えとかはOOKR先生の本に出てくるタイプのダメ大学生とほぼ同じです、ご参考に。

 

拡散diffusion―アイデンティティをめぐり、僕たちは今
 

 ああ、死にたくなってきたな。この前、さびしいってツイッターで呟いてたら女の人からDMきて「添い寝しませんか」ってんで半日つぶして髪も切って天王寺のラブホまでいったんですが、ラブホ入ってベッドに寝そべったところで相手が「やっぱ無理無理無理」つって解散になったのも、全部僕の容姿と挙動が悪いせいですね。

 

3-2. 言い訳、あるいは謝辞

この記事はキメながら一人で適当に書いたものなので、あまり謝辞というあれはないのですが、普段言いづらい事をここで文章にして。

まず、アドベントカレンダーに誘ってくださった桐生あんずさん、ありがとうございました。最近、いろいろ頑張ってるのみて凄いなあと思ってます、というか尊敬してます。いや、ほんとに。あまり人に本を借りっぱしてる僕が言うのもなんですが、たしか「げんしけん」まだ貸したままでしたよね、それを口実にご飯でも行きましょう。

次、サークルクラッシュ同好会全体に対して。幽霊部員と化してしまった(そのくせ外野でたまにうるさい)の、本当に申し訳ありませんでした。ご迷惑かけました。今後は精神が安定したらたまに例会に顔出して一助になれたらと思います。

次、かしぱんくん。色々ご迷惑かけてごめんなさい。かしぱん君的には多分、僕のことはどうとも思ってないか、それとも嫌いな部類に入ると思うんですけど、僕は今一度仲良くなりたいです。よければ御飯食べれたらいいな。サークラ会長ご就任おめでとうございます。

次、ホリィ・センさん。尊敬してます、YSD先生に愛されていていいなあと思います。ご迷惑おかけしました。

他にも多数いますが、これぐらいで。次回のアドベントカレンダーは、線が細いメンヘラ美少年として有名なかぷりす くんです。個人的にすきな人なので、この記事読んだ人はみんなで次も読みましょう。

じゃーね、ばいばい。良き倫理を!

 

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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