犬のうた

犬のうた

 

 ー

忠誠を誓いたかった。

 

いつまでも貴女に、一生この身を捧げたかった。

 

僕は今、岐路に立たされている。

 

ひとつは宿願の道。ひとなみの幸せ、ひとなみの関係。あるいは、ひとなみ外れた関係性。

 

もうひとつは、誇りの道。

 

貴女を主人と崇めたて、永続的な愛を注ぎ続ける。報われずとも、幸せな道。

 

僕は貴女の一挙手一投足に夢中だった。貴女が悲しめば、僕は悲しい。貴女が嬉しければ、僕もうれしい。

 

僕は貴女に永遠の愛を誓った。恋人ではなく、犬として。

 

不均衡な関係性が、僕は好きだった。ご主人様がかまってくれないのをじっと待ち、時々こちらに愛が向いた瞬間、この瞬間が、僕は大好きだ。

 

ご主人様の愛が減衰していった。捨てないよ、その言葉は維持されつつも、無条件から条件つきのものとなった。

 

それでも、ご主人様は僕を捨てなかった。僕がしゅきしゅきとワンワン吠えれば、呆れ顔で僕をなだめる。

 

僕は貴女に理解された。僕を貴女は必要だと言ってくれた。

 

閉じた世界で、2人きり。錯覚にすぎないが、僕の大切な思い出。

 

誇りを通すなら、僕はこのまま犬でいるべきだ。

 

一度誓った忠誠を、減衰させていいのだろうか。

 

愚問だった。良くない。

 

本来なら、この場で僕は忠誠宣言をするべきだ。

 

報われずとも、貴女以外目に入れない。

 

その物語をここで記すことで、僕は真に犬になれる。

 

本当なら、ここにそれを記すべきなのだ。

 

しかし、もう片方には宿願の道。

 

女性に縁がなかった僕が、初めて手に入れられるかもしれない関係性。

 

そして徐々に、その道も代替可能なものから非交換なものへと変わりつつある。

 

人が愛をもとめる理由のひとつには、自画像の安定があるらしい。

 

自分はこうだ、かくある、というイメージを、最愛の人から承認してもらうことで、はじめてそれがほんとうなのだと実感できる。

 

僕は犬である自分を、ご主人様に認め続けられていた。

 

恋人には決してなれなくても、たしかに僕は幸せだった。

 

今はまだ、結論が出ない、岐路の半ばで、僕はただ茫然と立ち尽くす。

 

贈与の愛を、僕は貴女に与えられていたのだろうか。

 

貴女を愛することが、僕はできていたのだろうか。

 

そうだった、と言い張りたい。

 

犬である権利を僕は失いたくはない。貴女が落ち込んでいるときに、ただそばにいさせてもらえるかもしれない権利を、僕は失いたくはない。

 

宿願の道は、ひとの道。犬としての自分は、放棄された道。

 

犬たる者、二君に仕えることがあってはならない。自分の好意がご主人様全てで占められていなくてはいけない。

 

ご主人様を変えるなど、原理的にありえない。

 

そもそも、ご主人様―犬という関係性とは、流動的な愛を打ち切るための機構であった。

 

彼氏・彼女という言葉を僕は憎む。

 

そこにはどうしても、流動的なニュアンスがつきまとう。

 

もっと別の関係性を求めて、「女神」と女性を崇めることもしばしばあった。

 

女神が仮想的な機構であったのならば、それが現実となったのが「ご主人様」でった。

 

ご主人様に愛を注ぎ続けることで、僕は軽佻浮薄な性愛を繰り返す若者とは分離された、ひとつの紳士になることが出来ていた。紳士とは、ドMのことを指していた。

 

貴女の話を僕は聞いた。そのすべてが魅力的で、僕は貴女の虜になった。

 

僕の話を貴女は聞いた。僕の今まですべての人生が、貴女の中に刻まれることで、すべての承認・赦しが得られたような気がした。

 

「許しましょう」それが貴女の口癖だった。ご主人様―犬の関係は、人間―女神の関係と相似にあった。

 

僕の罪は、貴女という神父によって、全てが許されていたのであった。

 

僕らの関係性の特異性とは、恐らくメタ的なコミュニケーションにあった。

 

数々の失敗と考察を重ねて、自分のメタ的な操作を多少なりとも出来るようになった僕と、数々の男性を虜にした経験と、先天性の察しの良さで関係性をメタにみる貴女。

 

メタレべル、具象レベル、ふたつにおいて、関係性は遊びと揺らぎをはらみつつ、僕の心を満たしていった。

 ―

宿願の道の果てには、何が待っているのだろう。その先は靄に霞んでまだ見えないが、おそらく二つに分岐する。

 

奈落の道。今まで歩んだ数々の道中と変わらず、結局は女性に愛されない。関係性は、僕の醜い身体性・無配慮・無能によって閉ざされる。

 

奈落の道に至った僕は、おそらく犬の道へと戻ろうとするであろう。しかし、少なくとも現状ではご主人様の僕に対する愛は減衰しているように思われる。ご主人様は、恐らく僕僕を蔑視する。お前にはもう犬たる資格もない。犬であることを忘れた、犬以下の存在。汚らわしい不要物。

 

かつて、あの幸福な夢においては、まだ赦しが得られたのかもしれない。ところが多分、今では僕は許されない。このまま過ちを犯さないことだけが、唯一の関係達成の条件ではなかったのか。

 

いや、だからこそ、僕はどんな条件下でもご主人様へと見返り不要の愛を与え続けることで、好循環は生まれ、今より更に愛してもらうということもあるのではないか。そして、その挑戦を放棄することは、単なる逃走にすぎないのではないだろうか。

 

栄光の道。僕はついに、長い愛をめぐる闘争を終えて、ひとつの安定と太平を得る。

まだまだ彼女のことは全然わからないが、なんかいい人そうである。ひょっとすると、徐々に惹かれていっている。

 

しかしそこで、ご主人様の幻影を振り切ることが出来るだろうか。彼女と一緒にいるときに、仮に、仮にもし、ご主人様が泣きそうな声で僕を頼ってくれることがあった場合(これ以上の至福があるだろうか!もしあったのだとしたら!)、

僕はご主人様の誘惑を振り切って、彼女を優先することが、出来るのだろうか。

 

―――

 

あの寒い日の夜、ご主人様は僕に言った。

 

あなたがどんなにダメでも、私はあなたを愛してあげる。

 

妥当性の限界を僕にだけ限界まで下げた、無条件の肯定。それが愛を示していると僕のメタ的思考は判断した。

そして何より、散文化不可能なもの。場面、声色、言い方。柔らかな言葉に、僕は「愛されている」ことを実感した。

 

僕は大粒の涙を流した。年甲斐もなく、泣きじゃくった。確かに愛されている感覚、それを僕は初めて、僕は体験した。

 

この先、僕とご主人様の関係がどうなっていくか、いや、僕がどうしていこうと思っているのか、僕はいまだ整理がつかない。ただ、関係性が切れるようなことは、あってほしくないと願っている。

 

大きな道の分岐が見えて以来、僕はご主人様にしゅきしゅきと言えなくなってしまった。

それは犬として不誠実であり、かつてのように純粋な気持ちで言うことが出来ず、罪悪感を伴う。

 

それでも、今、この場だけは許してほしい。

散文にならなかった思いをのせて。

 

 

ご主人様、愛しています。

また是非京都で、会いましょう。 

 

貴女の犬より 愛をこめて

あの素晴らしい恋をもう一度

サークラアドベントカレンダー 12/23日 新井(@willowfield2000)

読了目安時間:15分

Wordで書いてコピペしたら思った以上に膨らんでしまいました。

中高生での恋愛の規定力って高そうだよねというお話です。 

以下の文章は多分に偏見・脚色・誇張・拗らせを含んでいます。

↓本文

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ピンボケしていた僕がAVの扉を叩くまで

 

読了時間の目安:15分

 

 サークラアドべントカレンダー18日目。匿名の投稿になるが、自分の懺悔と発見を巡る性の話について語りたいと思う。



***



 中学時代、僕は特段にモテることもなく、また女子に嫌われているわけでもないポジションにいる少年だった。

 

 周りを見渡せば、モテている人は見事にキャラが立っていた。

 

 陸上部やサッカー部に入っている人らは、分かりやすいだろう。ハードな運動で肉体はゴリゴリに鍛えられ、そして見事に風格も備わっていた。野球部は別格だったと思うが。

 

 吹奏楽部は、他の部活に比べて異常な人数の男女比からか、ぬるま湯に浸かるように女子とちやほやしている男子がいた。バレンタインデーの日にはチョコレート交換と言いながら、数えてみれば運動部より多くもらっているはずだ。

 

 僕はといえば、何もなかった。

 

 「いい噂」があったわけでもなければ、僕自身、気になった人もいなかった。

 

 仲のいい女子は何人もいたし、授業でも休み時間でも冗談を言い合っていた。

 

 あの子のこういう所が可愛いよねと言って、何それーって返されて、みんなで笑った昼休み。同じ部活の後輩の女子と一緒に帰り道を歩いて、趣味や部活のとりとめのない話をした。

 

 ただ、年端のいかない男女で「恋人」という関係になって、何が楽しいのか分からなかった。

 

 捻くれていただけかもしれないけれど、カップルになるのは大変なのだろうと思っていた。お互いに相手のことを気遣わないと行けないし、からかってくる(僕のような)奴らのいじりに耐えないといけない。

 

 友達以上の関係を持つ人は、どこかで特別な関係に憧れているんだろうとぼんやり考えていた。恋に恋をしているという説明に僕は納得した。でも、その横でじっと他人の幸福を見ていた僕は、彼らとは違う現実を自分の手で変えようと思わなかった。

 

 ぼんやりとした女性関係には、いつからか興味さえ失っていた。ほどほどにスポーツに精を出すこともあったが、趣味の読書を差し置いて何かに熱中することはなかった。

 

 新しい春を迎え、教室も学校も毎年のように変わる。電車に揺られながらmixiTwitterの人間関係を眺め、カラオケでオタク仲間と束の間騒いだ。

 

 変わらなかったのは自分の部屋の間取りと、僕のどっちつかずな性格だった。



***



 大学一年の夏、僕は同じサークルの女子に告白をした。通っていた文芸サークルの中でちょっと浮いていた僕と気軽に話が出来る子で、僕は彼女をもっと知りたいと思っていた。

 

 ただ、この感情は恋ではないという割り切りが自分の中にあった。恋人らしいこともしてこなかったし、女性面では冴えない僕だけど、彼女ともっと話すきっかけをこのまま先送りにしたくなかった。

 

 純粋な恋愛ではなくても、僕は彼女に惹かれるものを感じたことは間違いなかった。それは僕の中で溜まっていた泥の河を、一本の橋が掛かっていくような清々しさがあった。

 

 テレビで流れる西野カナを聞いた時、異国の地で愛を叫ぶロミオとジュリエットを思い出した。半径3m以内にいる女子が共感している、好んでいることにリアリティがなかった。恋愛と自分の間でそびえていた、今まで見ようとしなかった河がいかに深かったのかを想像した。

 

 ただ、手探りでも恋愛に身を投じることは悪くないと思った。彼女がいないことへの目に見えない圧力には飽き飽きしていたが、友達とは違う何かがそこにあるんだろうと期待した。二人2人でどこかに行き、見た目のいいご飯を食べて、楽しく喋るのなら、「楽しい毎日」の延長線上として満足出来るだろうと思った。

 

 声を掛けてみることから始めようと思い、サークルや同じ授業の女子と話す習慣をつけるようにした。彼女たちとの会話は盛り上がったが、彼女たちのプロフィール、趣味や容姿ではなく性格や思考は判を押したように似通っていた。

 

 大学に通っていれば、モデルとして活動できそうな人や髪を緑に染めてビジュアル系の服を着る人など色々な人と会う。きっかけを作って話してみるが、いつの間にか彼女たちを性格のカテゴリで分類している自分に気づいた。

 

 人生の夏休みと称するにはどうしようもなく、大学生はロボットに近い生き方をしているのだろうと思った。創造性も、まして説明能力さえも足りていない大量の人間が大学に集まっていた。綺麗なものに綺麗と言い、可愛いものに可愛いと呟くプログラミングを埋め込まれている彼女たちと付き合いながら、自分の未来像がぼやけていくのを感じた。

 

 ただ、僕の希望は潰えることはなかった。感じたことをちゃんと話してくれる、ものや人に対する感性が豊かな子を発見した。女性としても人としても魅力的だと感じ、趣味や性格も自分と不都合がなかった。

 

 彼女を誘って入った渋谷の喫茶店で、僕はじっと告白するタイミングを伺っていた。

 

 今読んでいる本や、次に行きたい旅行について会話しながら、少しずつ夜が更けていくのを感じた。静かに紅茶を飲む彼女の表情から、機があるのかを探るのは難しかったけど、僕に迷いは無かった。

 

 NOの結果を突きつけられたとき、僕は自分の体が冷めていくのを感じた。

 

 僕の言い方、誘ったきっかけが悪かったんじゃないかと自問自答した。そもそも彼女にしたい理由が間違ってるんじゃないかと後悔した。

 

 考えるたびに、恋人になることの意味が手からこぼれ落ちていくようだった。

 

 サークルのメンバーに当たったために、告白の代償は大きかった。周りのメンバーが僕を見る目が変わったのは明白だった。そのサークルからじりじりと距離を置くようになった。

 

 学部の仲間や、他のサークルの中でいくつもののもカップルが生まれては別れた。

 

 少し大所帯のバドミントンのサークルで、唯一僕と同じ学部の先輩は常に自分の彼女への不満を冗談にして僕に聞かせた。LINEの即レス(すぐに反応すること)は当たり前、毎日似たような言葉を並べて、週に何度かはイベントを作る。たまに二人で抱き合う写真が流出するのも、イベントの一種のようだった。

 

 「付き合うのは大変だよ」と嫌味のように言って、同学年の先輩にツッコミを入れられていた。サークルのみんなで笑い飛ばして、僕自身も嫌になることは無かったけど、なんで二人は付き合っているのかまで理解できなかった。

 

 男女比が半々の学部では、グループワークやゼミで男女入り混じって話す機会はそこそこあったし、サークルの女子とも多少の冗談を言い合えるほどの仲になった。

 

 だから、誰かにアタックする機会はそれなりに存在した。ヤリマンや彼女を取っ替え引っ替えしている人とは風格が違うけど、彼女が欲しいならあまり悩む必要が無かった。

 

 それでも、自分の中のスイッチが入らない。

 

 彼女を持って、それからどうするのかがイメージできなくなってしまった。それを楽しんでいる自分なんて、見当もつかなかった。

 

 失敗を繰り返すよりも、自分の内面をもっと知ってからトライしたい。そう思うようになった。



***



 友人に勧められ、人生で初めての風俗を体験した。

 

 歌舞伎町一丁目のメイン通りから少し南に下がったところにあるラブホテルの一室で、僕は風俗嬢が来るのを待っていた。

 

 友人は重度のピンサロ通いで、わざわざネットに日記をつけて面白おかしく書いていた。店員にうがいを催促されても少し焦らすだの、有名人のこの子に似ているだのと、どこから湧いたのか分からない自信に満ちた内容だった。

 

 ただ、女性とそういうことが出来る世界があることに興味を持った。1818歳を超えているし、自己責任で飛び込んでみるのも悪くないと思った。

 

 ドアベルが鳴る。扉を開けると、サイトで見た写真以上に可愛いと思える子がいた。

 

 部屋に招いて、ここは寒くないかと聞く。

 

 ありがとうと言って、僕の頰にキスをする。

 

 評判通りの「可愛っ子ぶり」だった。

 

 僕は自分の好みや趣向について、少しずつでも手がかりを集めようとしていた。自分にとって謎の多い子ではなくて、いっそ誰からも認められるような「可愛い」そぶりをしてくれる子はどうだろう。清楚を求めなくても、素直にイチャイチャ出来る子だと僕に合うだろうか。

 

 お店に電話を入れて、シャワーを浴びる。出会った時には重く緊張していた僕の口調も、シャワーを浴び終える頃にはなめらかだった。明らかに、この状況を楽しもうとしていた。

 

 洗面台の上に置かれた重油のようなうがい薬をコップに垂らし、蛇口をひねると色が希薄になる。淀んだコップ一杯の水で、口内の雑菌を洗い流した。

 

 手筈は整った。僕は彼女を布団に招いて、両腕で包むように抱きしめ、引き寄せられるようにキスをした。

 

 彼女は終始笑顔を絶やさず、僕の目を見ていた。二重のクリクリした目が、収まらない僕の鼓動を見透かしているようだった。

 

 特別なお願いをしたわけではないが、彼女は僕の気分を察してその場その場でプレイをアレンジしてくれた。それは、ラブラブな雰囲気を維持したい彼女なりの配慮なのだろうと思った。

 

 その気持ち良さとは裏腹に、自分の神経系が鈍りつつあることを悟った。自分の口から漏れる声は、喘ぎ声ではなく彼女とのコミュニケーションの一形式になりつつあった。

 

 部屋の暖房が目標の気温に近づくにつれて、反比例するように僕の興奮が冷めていく。

 

 仰向けになっても、仁王立ちしても、四つん這いになっても、心のどこかで自分の格好の滑稽さを笑っている自分がいた。

 

 皺の寄った毛布が、すべからく時間の経過を告げていた。11分11秒が沈黙と静かな熱気の中で溶けていくようだった。

 

 彼女はその手を止めると、僕とまた毛布に入ろうと言った。彼女の疲れたと言う声の重さと右腕で、僕は肩の荷がさらにのしかかるのを感じた。

 

 時間がどれほど経ったのかわからないが、折り変えさないといけない局面に来ていることを察した。黙って僕の横で寝ている彼女も、おそらくその機会を狙っていたのだと思う。

 

 わざわざベッドの上で仁王立ちになって、彼女に目で合図した。彼女は背筋を伸ばして、ラストスパートに望もうとしていた。

 

 二人の息が合い展開が加速する。残り10分を告げる携帯のタイマーが鳴り続けても、僕たちは無視した。目の前の人間とのやりとりに集中しようとすればするほど、22つの部品がただピストン運動をしているように見えた。

 

 彼女が動く人形に見えてしまう自分が情けなかった。雰囲気やプレイで僕を楽しませようとしてくれる彼女は、間違いなく人間だった。木偶の坊は僕の痩せ気味な肉体だった。

 

 いっそ鏡越しに性行為ができたらいいのに、と思った。彼女ではない彼女を見ながら、僕ではない僕が他人を満足させようとせっせと励んでいる姿の方がどれほど良かっただろう。

 

 ホテルから出る別れ際、迎えの車を横目に僕たちはハグをした。彼女のコートと僕のジャンパーの厚みが合わさって、お互いの身体を抱いている感触のない、ただの社交辞令になってしまった。

 

 結局、数万円のお金と夕方の一刻を使って得たものは、現実の時間を忘れてしまうような感覚と、僕を付きまとって離れない現実の発見だった。

 

 女性に対する興味はあっても、生身の肉体に対する執着心がまるでなかった。それはAVやエロ漫画の見すぎなどではなく、自分を興奮させてくれるものに対する信頼の欠如だっただ。

 

 彼女の温度を感じながら抱き合っていたとき、蟻地獄のように布団の中に沈んでいく自分がいた。彼女の質感を確かめながら、僕の中にこみ上げてくるものが何もなかったことに虚無感を拭えなかった。

 

 誰も本当の意味で他人を満足させることは出来ないのだと思う。満足という小箱を送りあって、ふたを開けたら煙を浴びて余計に年をとる。寿命から考えて残りが60年以上もある僕の人生は、箱の開封作業に消費されていくのだろう。

 

 僕は、僕自身の身体を客観的に見る必要があると思った。

 

 何かがおかしいという直感と、もっと知りたいという好奇心がない交ぜになって僕の中のエンジンを回していた。そして、彼女のような経験をする人をもう出したくなかった。

 

 自分が満足することを諦めることができても、誰かを満足させることにわずかな希望を持っていた。性的衝動に駆られながらも、誰かに熱を上げられる経験が僕と生身の女性を繋ぐ最後の生命線だと思った。

 

 他人を満足させながら、自分の身体を客観的に見ることが出来る場所。AV男優の募集を見たのは、風俗に行ってから11ヵ月後のことだった。



***



 月曜から重い話になりました。次回の予定は、tosei0128 さんの「アルコール依存症一歩手前だった私が酒をやめた話」です。お楽しみに。




凍結保存

※当記事はサークラアドベントカレンダーのために執筆されています

adventar.org

 

 

自分語りをすることよりも、それを聞くことのほうが好きです。聞いて、自分との共通点や違いを考えるのが僕は好きだし、様々な形の自分語り(例会、会誌、このアドベントカレンダーの記事自体、など)に接することが出来るのが、ここサークルクラッシュ同好会にいるメリットだと思っています。思ったっきりで別にその感想を長々と語ることはほとんど無く、5*140字を超えることはまれなのですが、何を考えているのか分からないと言われるのが最近つらくなってきました。今回は記事の形にしてみようと思います。

こじらせという言葉を、思考を重ねすぎて自分自身ですら理解しがたくなってしまった状態、異常な思考回路にたどり着いてしまった状態、という意味で僕は解釈しています。遠くへたどり着けるのは素敵な能力だと思います。


自分をモテない男、恋愛経験の少ない男と称して悩みを語る人は多くいて、彼らはよく、そもそも好きな相手がいないということに思い当たります。確固たる理想像があってそれに合う人が見当たらないから好きな相手がいない、ということではなく、割と誰でも良い、自分を好きになってくれる人がいたら好きになる、という発言を多く見ます。
僕も恋愛の能力がかなり低いタイプですが、しかしこれは共感できたことがありませんでした。好きな相手がいないという時期はほぼ無いと言ってよいです。常に誰か一人を好きな人間として設定していました。自分は内向的ですぐに閉じてしまう人間なんだ、油断していたらすぐに何もしなくなってしまう、好きな相手という設定に従って、好意があったら何もせずにはいられないはずなのだから行動せよ、と、自分を煽って過ごしていました。恋愛の能力が無いので大した行動はできませんでした。高校のころのAさんとは、登下校や授業の合間などの時間で接点を増やしたり、部活に複数所属しその一部を彼女と重複させたりしました。単に会話をするだけでしたが、Aさん以外と話さなさすぎて異常なコミュニケーションだったと思います。Aさんも異常なコミュニケーションをしてくる人で、よくシャープペンシルで指を刺されたり、名前をわざと忘れられたりしました。会って数週間で告白したのも異常だし、その時は翌日はいかに酷い言葉で振ればよいか友人と考えてきたと喜々として教えてくれました。数年前はBさんに憧れていました。面と向かって話すことを嫌われていて、顔を隠して話したり、目を逸らして話したりしていました。大学や勉強に関する、若干暗くてネガティブな話をし続けて、夜を明かすこともありました。ツイッターでの空中リプライだけで会話するのも楽しくて、鍵アカウントまで作ってしまいました。これは関係の無い話ですが、僕とBさんが親しげに話していると思い込んで、Bさんを慕う別の人が諦めてしまった、という出来事があったようです。人間関係のさなかに自分がある実感をくれる、好きなエピソードです。Cさんはいわゆるメンヘラっぽい人で、苦しい感情やそれに伴う異常な行動について語ってくれるところが好きでした。ただその苦しみとセットで、それをいつも特定の男性に救ってもらっていて申し訳ない、ということも語っていて、それが非常につらくありました。Dさんは憧れてくれていていいよと言うので好き勝手に好んでいました。好んで良いというのが保証されているのは存外楽でした。別に向こうから好かれる必要も感じないため、嫉妬も感じずに済みました。時間の経過とともに、話す回数や会う回数が減少して、興味が薄れました。好んでいるという設定だけがあっても、どこにも進んでいる感覚がありませんでした。Eさんのことは初めから友人として好むということにして、これはかなり良い相手との良い関係性だと思っていますが、進展の可能性が友人から親友まで程度の幅しか無いということを常に意識してしまいます。現在の人は省略します。


進展に対して気持ちが盛り上がるのが速すぎるのです。どの時点での好意や嫉妬、その時々の気持ちについても、もう終わったことであっても、鮮明に思い返すことができ、全く減衰せず凍結保存されている感覚があります。覚えているというだけで、再びそのような感情になることを避けています。何も起こっていなくても、凍結保存された感覚を思い出してしまい、それを感じないようにする、ということを繰り返して、何も起こっていません。
交際していく中で気持ちが変化していく、というような感覚が、まだ分かっていないのだと思います。進展が無いときの楽しい思い出はたくさん挙げられるし、どれも良い経験だったとは思うけど、進展した先にたどり着けていないし、想像もできていない。進展した後の気持ちこそがより本質的なものであり、それに比べたら自分の今までの体験や、保存されている気持ちには何の意味があったのか、と考えてしまいます。年齢に対して積み重ねた経験が薄すぎてつらくなってきた。

 

僕からは以上です。17日目の担当は、まくはりうづきさんです。お楽しみに。

どうしてこんなになるまで放っておいたんですか

クリスマスまであと10日ほどとなった。

日付感覚に疎くなる私のような怠けた学生にとって、こういったイベントが続くのはありがたいとも言えるけど、どちらかというと、「まっとうな人たち」が過ごすスケジュールの忙しさに驚くことの方が多い。

私は本来、サークルクラッシュ同好会にとっては部外者であり、観察者である。ホリィセンをはじめとする関西のメンバーと個人的に仲は良いものの、籍を置くでもなく、少し遠いところから冷笑的に活動を眺める謎の美女……というイメージをもっていただきたい。

 

今回、こうして企画に参加するのは、なぜか今自分が京都大学で学生をやっていることに一種の導き的なサムシングを感じたことがひとつ、もうひとつは、かなり個人的な懺悔のためである。

 

こじらせについて軽く触れておくと、私にとって、「こじらせ」は、自分をもてあますこと、それは肉体であったり、感情であったり、欲求であったり、金銭であったりするかもしれないが、とにかく「足りない」とはまた別の、「行き場のない」過剰な何かが、その人にとっての「こじらせ」であると考えている。

 

では私は何をこじらせているのか……話は逸れるが、京都大学は期待していたより面白くはないが、予想よりたくさんの「森見登美彦になりたい男」がいて驚いてしまった。こんな暑くて寒すぎるところで、モテたいだの誰が好きだの、何になりたいだの何が嫌いだだの、そういった高度な人間活動ができるわけがない。吉田キャンパスのどこにも留年を重ねて猫ラーメンを食べる大学院生なんかいない。みんなちゃんとした服を着て授業に来ているし、喫煙所以外ではタバコも吸わない、構内のネコはきちんとした学内の団体に「管理」されており、無断でかつおぶしなど与えると怒られる始末だ。

 

さて、話は戻るけど、私は何もこじらせてはいない。

色々考え回った末の答えがこれなのだ。女子をこじらせてという雨宮まみさんの著作があるが、やはりその基礎には有り余るほどの女性性があり、それがゆえにこじらせているんだなと解釈した。このアドベントカレンダーに参加している同好会員のこじらせの多くも、まず消化しきれないほどの「何か」があり、それに振り回されているという記号的な構図に変換できるのではないだろうか。

何もない私からしてみると、こじらせだーなどと言ってのたうち回る彼らがうらやましく思える時がある。童貞だとかそうでないとか、どの女が誰を好きだとか、誰に好かれたいとかいいねしてほしいとか、そういった悩みを抱く彼らは、私に言わせると「高度に人間的」である。

これは決して京大生的アイロニカルな視点で言っているのではなく、私は揶揄なしでPepperくんとタメ張れるくらいのアイデンティティしかないので、素直に自分が持たないものを持つ彼らがうらやましいのである。(私はコンピュータほど正確な計算機でもないし、今のところPepperくんに勝っている点は多くない)

 

つまり、こじらせ人間がありあまるエネルギーをもてあます平成の産物だとすると、私は何もかも足りていない世界が生み出した悲しきモンスターなのだ。

もっと言うと、このアドベントカレンダー、ちょうど半分のここまで全員がこじらせ人間、私という名の虚無虚無プリンちゃんをはさんで明日からまた全員こじらせ人間なのである。

 

「宇田川さんはいいよね、悩みなさそうで」と言ってくる人は多いけど、トンカツ食べたことない人間に対してヒレとロースどっちがおいしいかみたいなことを相談するほうがおかしいのだ。私だってトンカツが食べたい。

今はこんなだけど、いつか私もこじらせるようなエネルギーにあふれる日が来たら、大声で叫ぼう。めっちゃツイートしよう。

そのときはみんな全力でいいねを押してほしい。

 

短いけれど、この文章は私と同じ名前を持つ友人に捧げるものとする。

今思うと、その友人はあらゆる点でこじらせを発生させていた。私とは対照的だったぶん、お互いに補いあうことのできる関係だったと思う。

そう、いろいろと書いたけれど、結局私は「こじらせ人間」が大好きなのだ。

これを読む人も、次に書く人も、決してつまらん着地点で妥協せず、行きたいところまで行って、泣きたいだけ泣けばいい。後戻りも先送りもやろうと思えばできるのだ。

メリークリスマス!

 

宇田川 那奈(@uda_nana)

舞鶴にて

この記事は、サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーの14日目として書かれています。

*************


 「こじらせ」とは何か。
とりあえずここでは、「ひとたび克服すると、それが何であったのかが分からなくなってしまう何か」とだけ言っておこう。

 

いや、本当に分からないのだ。10年前の私は、確かに間違いなくこじらせていた。おそらく5年前の今日の時点でもまだ、こじらせていたはずだ。だが、それを克服――というと、それが悪いものであったかのような物言いで、語弊があるのだけれど――してしまった今となっては、それが何であったのか、どうしても思い出せないのである。

 

だから、これから私は、私がこじらせていたことを思い出すために、明らかにそれと分かるような、ある体験を振り返ってみることにしよう。それを終えた後で、私の「こじらせ」が一体何であったのかを、改めて考えて見ることにしたい。

 

なお、私については、この記事の上では匿名とさせていただきたい。これから語る私の体験が、誰との関係において生じたのかを見抜いてしまう関係者が現れる可能性を、少しでも狭めるためである。もう10年以上も前の話になるので、時効だとは思うし、そもそも私は罪を問われるようなことは何もしていないのだが、やはり嘘がバレるのは、私にとってはとても恥ずかしいことなのだから。

 

これは、もう10年以上も前の話になる。まずは、そこにいたる経緯について、お話しておこう。

 

監獄のような6年間の男子校生活を終えた後に、日本でも有数の難関国立大学に入学した私は、まさにこの世の春を謳歌していた。6年間の男子校生活は相応にストレスフルだったものの、その代価として、最良の成功体験(現役での大学合格)を手にすることが出来た私は、大学に入るまで大きな挫折を経験することもなく、「自分が本気を出せば不可能なことなど何もない」と本気で思っていた。受験勉強以外に、ほとんど何もしてこなかったのに、である。


たった一度の成功体験で全能感を得ることができるのだから、狭い世界で生きているという状態とはなんと幸福で、恐ろしいものであろうか。そんな私が、大学生活で失敗し、挫折を味わったことは、全くもって当然の帰結であったといえよう。

 

入試の合格という目標を達成した私の次なる目的は、生涯の伴侶となるような、アイドルのように可愛く、少年漫画のヒロインのように愛嬌があり、アニメのヒロインのように男の子の趣味に理解があり、自分と同じぐらい賢い、自分の人生のヒロインを見つけることだった。もちろん、当時の私の主観的な世界をそのまま書いている。

 

大学に入学してから、まず私は軽音サークルに入った。しかし、いくつかの小さいな失敗を経験したのと、あまり同サークルの雰囲気になじむことができなかったことから、
夏休みになる頃にはそのサークルを辞めていた。そもそも、前述したような世界観を持っていた私が、チームワークを重視するバンド活動などできるわけもなく、サークルのメンバーたちには本当に多くのヒンシュクを与えたことと思う。もっとも、人は私が思っているほど私のことを気にしてはいないということも、今の私は理解しているつもりである。

 

軽音サークルで自分の思い通りにいかなかったことを、軽音サークルの騒々しい雰囲気に嫌気が差したという事情に脳内変換していた私は、次は落ち着いた集団に所属しようと思い、大学のとある文化系サークルに入った。そのサークルの中心で、一回生にして輝きを放っていたのが「彼女」だった。つまり私は、生涯の伴侶となるような、アイドルのように可愛く、少年漫画のヒロインのように優しく、アニメのヒロインのように男の子の趣味に理解があり、自分と同じぐらい賢い、自分の人生のヒロインと、早くも出会ってしまったのだ。

 

私は彼女に対してはほとんど一目惚れだったのだが、NFでの企画の準備を共にする中で、ますますいっそう彼女のことを好きになっていった。私は、彼女を自分の恋人にしたいという欲求を抑えることができなくなっていた。しかし、それまでネット以外ではほとんどまともに女性と接したことがなかったので、彼女を恋人にするために何をしたら良いのか、どのような手順を踏めば良いのかが、まるで分からなかった。

 

もっとも、依然として、例の全能感を抱えていた私は、とりあえず告白すれば何とかなるだろうとでも思ったのか、まだ二人でいっしょに遊ぶことすら一度もしていないにもかかわらず、ある日突然、何の脈絡もなく、メールで彼女に告白をした(当時はまだ、SNSなどは存在せず、リアル以外でコミュニケ―ションを取るとしたらメールか電話が中心だった)。今から思えば、あまりにも無謀で、しかも最悪の形での告白である。メールには、「これから春休みで、当分会えなくなるだろうから、想いを伝えておかなければ…」といった内容を書いた記憶がある。何を言っているのか、全く意味が分からない。

 

告白の結果については、書くまでもないだろう。それが私の人生における、最初の失恋であった。

 

しかし、ここからが私のおかしなところだと思うのだが、そのとき、なんと私は、まだそれを失恋だと捉えきれていなかった。フラれてから初めて、男の友人の助言を仰いだ私は、二人で何度か遊ぶ前に告白をすることや、告白をメールですることは、告白の形式としては最悪に近いものであることを教わった。だから、フラれたのは告白の形式がまずかっただけで、しっかりとステップを踏んでから、あるべき方法で告白をし直せば、今度は彼女と付き合えると思ったのだ。今から思えば途方もなく見当違いな思い込みだが、おそらくまだ、例の「自分が本気を出せば不可能なことは何もない」という全能感が、かなり揺らぎつつも、まだ残っていたのだろう。

 

だから私は、春休みの間に、彼女と二人で遊ぼうとしたのだが、なかなか思い通りに予定が合わなかったりしたことを覚えている。その理由が分かったのは、春休みが終わる頃、私が大学生として二回目の四月を迎えた頃であった。彼女から、彼女が私とは違う別の男性と付き合うことになったという主旨の報告メールが届いたからである。その瞬間、私の頭が目の前の現実を私に見せることを危険であると判断したのか、視界がやたらとチカチカしたことを覚えている。何か、良くないものが下から上へとこみ上げてきた。


このとき、私の世界は、あの幸福な全能感と共に、音を立てて静かに崩れ去った。


それから数日後、大学二回生としての私の一年が始まった。この一年は、私にとっては辛い期間だった。二回生になった私は、彼女と同様にサークルの中心になったので、彼女とはそれまでと同じように共同作業をしなければならなかった。しかし、私は相も変わらず最初の告白への見当違いな後悔を抱えていて、また、彼女が彼氏のものになってゆくことを想像してしまうのが苦痛で仕方なかった。そして、どうして彼女は私を選ばなかったのか、その理由をただひたすら考え続けていた。要するに、私はまだ、彼女のことがどうしようもなく好きだったのだ。
             
だから、彼女とはできるだけ接したくはなかったのだが、サークル活動の都合上、それを避けることはできなかった。当時の私にできることといえば、せいぜい彼女が彼氏からプレゼントされた指輪を嵌めているかどうかを日々観察し、彼氏との関係が上手くいっているのかを推測することぐらいであった(余談だが、このときの経験から、女性の左手の薬指を常に観察する癖がついてしまった)。私は、彼女に少しでも良いところを見せることだけを考えて、サークル活動に精を出した。

 

この一年間は、当時の私としてはよく頑張っていたのではないかと思う。しかし、人生で二回目のNF企画を終えた私の精神状態は、すでに限界に達していた。そんな私に追い打ちをかけるような季節がやってきた。今さらだが、NFとはNovemberFestival(11月祭)の略なので、その後にくるのは当然のことながら12月であり、クリスマスである。

 

彼女に妄執していた当時の私にとって、その年のクリスマスは、まず第一に、「彼女が彼氏と過ごす初めてのクリスマス」であった。それに対して、彼女のことが依然として好きだった私は、当然のことながら恋人などはおらず、一人でクリスマスを過ごすことが決定していた。しかも、幸か不幸か(少なくともこのときは不幸だったが)、クリスマスは私の誕生日でもあった。実家暮らしだった私は、例年のように、20歳の誕生日を家族に祝ってもらう予定であった。

 

しかし、恋人と二人でクリスマスを過ごす彼女に対して、20歳になってもまだ親に誕生日を祝われている私は、あまりにも惨めであった。少なくとも当時の私には、自分が惨めに思えて仕方なかったのだ。私は、少しでも現実に抗うために、また自分も少しでも大人の階段を登ろうとして、12月の24日から25日にかけて、ちょっとした一人旅に出ることにした。

 

行先は、京都府日本海側に位置する、舞鶴である。12月の終わり頃の舞鶴であれば、もう雪が降っているかもしれないし、そうでなくても、どこか色彩を欠いた日本海の港町で独り海を眺めれば、彼女を想う自分に浸れるとでも思ったのだろうか。いや、単純に、彼女が彼氏と過ごすクリスマスを、自宅で家族と過ごす普通の状態で耐えることができなかったのかもしれない。

 

とにかく、そのようなよく分からないナルシズムに突き動かされた私は、半ば舞鶴日本海に近いビジネスホテルを予約し、JRの普通列車に乗り、数時間かけて北へと向かった。午後には舞鶴に着いた私は、引き揚げの史跡や赤煉瓦倉庫を見た後、ぼろい安宿の一室のベッドに寝転んだ。

 

ここで、暗い日本海でも眺めながら、一人で彼女への想いを募らせておけば、まだ格好も付いたろうにと思う。しかし、あろうことか私は、クリスマスの夜に、彼氏と二人で過ごしているであろう彼女に対して、自分がいま、舞鶴に独りで居るというメールを送ってしまった。


さすがの私も、彼氏との逢瀬を邪魔しようなどと思ったわけでなかったと信じたい。おそらく当時の私は、彼女に対して、私も私なりに大人になっているのだということをアピールしたかったのではないか。現在の私からしたら、なぜそのようなオウンゴールをわざわざ蹴り込みに行くのか、全く持って理解しかねるが。あるいは、いきなり冬の舞鶴に行くという無茶を報告することで、彼女の気を少しでも引きたかったのかもしれない。いや、もっと単純に、僕はいつものように、彼女からのメールが欲しかったのだろう。

 

それにしても、クリスマスに彼氏と過ごしている最中に、突然、以前フッた男友達から、唐突に「舞鶴にいる」というメールを受け取れば、女性はどう思うだろうか。ふつうであれば、気持ち悪さに怖気が走るところだろうし、良くても、開いた瞬間に無かったことにされるのが関の山である。

 

しかし、彼女は本当に優しかった。程なくして、私が舞鶴にいることに驚き、心配する返事をくれたのだ。私は、自分の愚行を恥じると同時に、ほんの少しだけ、幸せを得ることができた。そうして僕は、記念すべき20歳の瞬間を、独りで迎えたのであった――

 

 


さて、前置きが非常に長くなってしまい申し訳ないのだが、ここからが私の「こじらせ」にまつわるエピソードの本題である。

 

実は、このクリスマスのエピソードの中には、一つだけ、実際には無かったことが含まれている。つまり、私の嘘が含まれているのだ。いや、実際に誰かにこの当時の話を語るときは、本当にこの通りに語ってしまうことがあるので、嘘というよりも偽記憶に近いのかもしれないが、たしかに、私は実際にはそんなことはしていなかった。

 

まず、誕生日について。話を盛るために、誕生日がクリスマスと被っているという設定を付けたのかと思われるかもしれないが、これは本当である。クリスマスと誕生日が重なると、幸せも孤独も二倍になるということを、私はこの身を持って学んだ。

 

次に、メールについて。いくらなんでも、そんな自分勝手なメールに、しかもクリスマスに彼女が返信してくれるわけがないし、返信が来るにしてももっと冷たい内容だろうと思われるかもしれない。しかし、メールを返してくれたことも、彼女がくれたメールの内容も、事実である。彼女は本当に本当に良い子であった。そのことを確認して、私が少し幸せな気持ちになったことも含めて、本当である。

 

だから、私がメールを書いたことも、その内容が「舞鶴に居る」という報告であったことも、芋づる式に事実ということになる。もちろん、私がメールに込めていた意図も、想いも。ただし、私は、このメールを、ビジネスホテルの一室ではなく、京都市内の某ネットカフェの一室で書いていた。

 

 




つまり、私は、本当は、舞鶴になど行ってはいなかったのだ。

 

 



以上が、私の「こじらせ」に関するエピソードである。前置きが異様に長かった割に、本題は短くてがっかりさせてしまったかもしれない。だから、その後、私がどうなったのかについて、ごく簡単にではあるが、触れておきたいと思う。

 

まず、その翌年の春に、風の噂で、彼女が例の彼氏と別れたことを知った。だから、私は再びメールで、彼女に告白をした。しかし、上述のような虚飾にまみれた私が、
彼女の「一番」になれるわけもなく、当然のことながら、再び今度は前回よりもはっきりと、私は彼女にフラれた。それによって、ようやく私は、彼女とは今回の人生においては絶対に付き合えないであろうことを悟った。ちなみに私は、今も昔も、輪廻転生を信じてはいない。

 

そして、私はこの二回目の失恋をきっかけに、サークルから失踪した。いま思えば、これも彼女に自分のことを考えて欲しかったからな気もするし、あるいは彼女へのあてつけだったのかもしれない。いずれにせよ、私という人間は本当に度し難い存在なのだ。
本当は、ほとぼりが冷めてから、サークルにはひょっこり戻ろうとしていた気もするし、彼女以外の友人からたまに連絡も来たりしてした。だが、失踪以来、サークルの他の友人たちと会うのも気まずくなってしまい、大学構内で遠目に彼らを見かけたら、あえて別の道を通って避けたりしていた。結局、私は最後までサークルに戻ることはなかった。この気まずさの感覚は、その後何年も、私の心の奥底にずっと残り続けた。

 

それから私は、何年もの間、自分が好きな人の「一番」(=恋人)になれないという悩みに苛まれ続けた。まるで呪われているかのように、いや、呪いでも何でもなくこれは私のせいなのだが、相手を変えては、女性から交際を断られ続けるという経験を何度も何度も何度も繰り返した。

 

今も、その問題は解決しているわけではない。だが、いつからか、もう別に、相手の「一番」でなくとも構わないと思うようになった。

 

ところで、私の「こじらせ」が終わったのも、ちょうどそれぐらいだったように思う。
今の私は、あの20歳の頃の私から、どう変わったのだろうか。

 

念のため言っておくと、今の私の視点から見れば、そんな状況で日本海に一人旅に出ようとすること自体、あまりにも「痛い」と言わざるを得ない。もう本当に意味が分からない。が、そのような加齢にともなう価値観の変化は、ここでは重要ではないだろう。

 

あの日、私は舞鶴にいるはずだった。しかし、現実には、私はネットカフェにいた。いまの私は、あのとき舞鶴にいたはずの自分と、ネットカフェにいた自分の、どちらなのだろうか。私の自己理解によれば、今のわたしは明らかに、あのとき「ネットカフェにいた自分」の延長線上にあると思う。というか、ほとんどそのものだ。そしてそれは、「彼女と付き合えずに終わった自分」でもある。

 

あの舞鶴にいた私は、けっきょくは幻想に終わった。私は、自分が望むような人間にはいつもなれないままだし、相手が望む自分にもなれない。でも、今の私は、そうであることを引き受けている。「受け入れている」のではなく「引き受けている」。もう、あんな酷い嘘を付くことはないだろう。


だから、最後に、私は「こじらせ」について次のように定義し直しておこう。「こじらせ」とは、「自己の『どうしようもなさ』からくる葛藤が長期化すること」である、と。



2017年12月14日 舞鶴にて






※念のために述べておくが、私は↑のような経緯で「こじらせ」を克服したという結果を述べているだけで、他の人も「こじらせ」を克服「すべき」と言っているわけでは決してない。むしろ、受け入れることができない現実/引き受けるべきではない現実は確かに存在するし、ある現実を引き受けることが可能かどうかも、その人の状況や状(病)態によって変わるはずである。
 

 

次回は、宇田川 那奈さんが記事を執筆される予定です。
お楽しみに。

circular,

(執筆:小林通天閣
 
主人公に憧れていた。中学生の頃からだ。ヘッセは本当に主人公だったろうか、1年4組のクラス文集には「1組の模範少年」という文章が載った。最初の定期試験で僕より1点高い点数を取ったサッカー部の彼は、いつも色黒の友人に囲まれ、2月には山ほどのチョコレートを受け取りながらそれをひけらかさないような人間だった。僕らのエーミールは今、お笑い芸人を目指しているらしい。勉強だけが取り柄の根暗な僕はといえば、黒ずんだ雑巾を、あるいは根に土を孕んだ丈夫な草を、色黒のスポーツ少年たちから投げつけられる日々を送っていた。
これはそんな少年の、それとは関係のないお話。
 
少年は母から障害者と呼ばれながら育つ。小学校入学から高校卒業まで一度も学校を休まなかった。学校も家も居場所ではなかった。よく泣く母は、よく叫びよく殴る母でもあった。血に汚れ歪んだ眼鏡を直しにオンデーズへ。店員はまず僕の眉間を消毒した。母の怒声は文化住宅の薄い壁を貫き、隣人の眠りを脅かした。警察はうちを何度も訪れたが、そのたび僕はにこやかに母を庇うのだった。家にはパソコンも漫画本もなく、母の教えによれば外出はやめたほうがよく、僕は母の不在にようやく目覚め、自分自身を愛し続けた。
これはそんな青年の、それとは関係のないお話。
 
気づけば京都大学にいた。親元をついに離れた僕は、手探りで何かを埋めようとする。憧れだったカラオケに行った。憧れだったパソコンを先輩から譲り受けた。XVideosは衝撃だったが、思春期を自己性愛に捧げた僕はもはやそんなものに惹かれなかった。青年は恋愛を試み、アームカットエスエスブロンを覚えた。とっくに学校には行けなくなっていた。18年間持て余し続けた快と不快と不可解は、こんなふうにしてようやく両手に収まり始めた。僕はセックスをする人間になったし、ならなくてもよかった。ただ母を求めていたし、今もきっとそうなのだと思う。
これは可愛いみどり児の、それとは関係のないお話。
 
みどり児は新しい母の手を引く。出掛ける母の足を引く。酒を飲んではその顔を打ち、首を絞め、そして失恋をする。何も分からなくなっていた。言葉を尽くしても分かり合えない。信じれば裏切られるし、信じられれば裏切ってしまう。僕は自分を責め、去った母をその倍責めた。死ぬこともできたのに死ななかった。死ぬことはできなかったが死ぬべきだった。母の残影を多くの女性に求めた僕は、多くの女性を傷つけながら、彷徨い歩いて今に至る。
これはそんな主人公の、それとは関係のないお話。
 
不可逆な時間軸を辿りながら、僕たちは可逆なるものの幻影を見出そうとする。僕たちが安心を求めて夢想する円環状の日常に、無慈悲な楔が突き立てられる。大切にしていたブレスレットもいつかは壊れる。通い慣れた店にはシャッターが下りる。恋人はきっと去り、もはや友人は遠くの誰かと笑い合い、愛憎むかうところの肉親は必ず死ぬ。日常モノの漫画は最終回を迎える、その時、日常のベールが後ろから引き剥がされる。じゃーん、実は全部不可逆でした。取り返しなんてつきませんよ。ストーリーというのは幻視される可逆と直視すべき不可逆との連鎖だ。僕たちは此岸から彼岸へと至るその縞模様の上を無邪気に歩く。
 
今日も今日とて京都タワー。高い建物が好きだ、夜闇に鮮明な白、ひとつまみ赤めいて、京都タワーはどう見てもラブホテルだ、僕はラブホテルが好きだし、将来はお城に住みたい。
 
これはそんなお話。
 
circular, circular, circular,
 
誰も遠くに行かないで。僕を絵本に閉じ込めていて。