西へサークラへそして東へ
こんばんは。永井冬星です。
リレーブログ企画「なぜあなたはサークルクラッシュ同好会に入ったのか」に便乗し、記事を書かせていただきます。
1.大学時代
2.サークラ関西に根付く
3.サークラ関東へ
の3部構成で話を進めていきます。
1.大学時代
私がサークラ同好会を知ったきっかけは、大学時代の「恩人」とも言えるサークルの先輩です。
なぜ「恩人」なのかと言うと、この方がいてこそ私は大学を卒業することができたからです。
私は大学に入学して間もないころは、頑張って友達を作ろうと積極的に周囲の人に絡んだり、リア充っぽいサークルの新歓に行ったりしました。
しかしうまくいかず、入学して間もなく心が折れてしまいました。
さらに学部の専攻内容も興味を持てるものではなく(そもそも好きで行った学部ではなかった)、学習への意欲を失ってしまいました。
そして、所属していたサークルに引きこもるようになりました。
当然ながら、1年次の成績は悲惨なものでした。
もっと真面目に生きればよかったと後悔しました。後悔することしかできませんでした。
先述の先輩のそのことを相談すると、先輩は親切に単位をとるためのコツ、勉強法、おすすめの科目などなど、を教えてくれました。
「単位取れるか不安だ」と私が頻繁に愚痴をこぼしても励ましてくれました。
その後は心を入れ替え、真面目に授業に出席するようになりました。
その結果、単位を順調に取得し無事卒業することができました。
2.サークラ関西に根付く
時は流れ卒業し就職。
就職し配属された先は、客先常駐に加え長時間労働が常態化している厳しいプロジェクトでした。
思い返せば、その厳しさから私は度々心を壊していました。
そして、自分がこういう経験をしたからか「メンタルヘルス系の分野」に興味を抱くようになっていたようです。
ほぼ同時期に先述の先輩のツイートのリプライから、ホリィセンを初めサークラ同好会の関係者と思われる人たち見つけました。
(「サークルクラッシュ同好会・・・」胡散臭い団体だな~)とか、(なんか怪しい活動してるんじゃないかな~)とか、(ホリィセン・・・ハリーセンみてえな名前してんなあ~)とか最初見たときは思ったものでした。
とはいえ、先述の通り私はサークラ同好会の得意分野である「メンタルヘルス系の分野」に興味を持っていました。
それに加え、友達・居場所を強く求めていました。
地元や大学時代はろくに友達ができずこじらせていたし、就職してからは辛い客先常駐で精神的に消耗していて心のよりどころを求めていたからでしょう。
次第にサークラ同好会に心惹かれていき、思い切って遊びに行ってみることにしました。
自分のような一癖ある外見をした人物を見ても驚くことなく接してくる人たちがいる!
話してみると似たような悩みを抱えた人たちがいる!
なんか、楽しい!
友達がたくさんできました。サークラ同好会にもサクラ荘にも頻繁に足を運びました。
サークラ関西に根付こうとしていたころ、私は関東地方への異動を言い渡されました。
業務の都合のためやむを得ないとはいえ、仲のいい人たちができ始めたところで関東地方に飛ばされるのは正直相当辛いものでした。
3.サークラ関東へ
こうして私が関東地方へ移動してからまもなく1年が経ちます。
機会を見つけては京都に帰りサークラ同好会やサクラ荘に足を運んでいるし、さらに幸いにもサークラ関東のおかげで精神的にはなんとか持っています。
※サークラ同好会は関東地方にも支部があります(通称の「サークラ関東」と表記します)。「居場所のない人に居場所を」を主題にリア充っぽい活動や、当事者研究会などを行っています。
しかし、サークラ関東はサークラ関西と比べると規模が小さい!
人が少ないし、活動もそれほど多くはないというのが実態。
もし本記事を読んでいる人の中に「サークラ同好会に興味があるけど、関東住みで関西は遠いから・・・」と思っている方がいたら、ぜひともサークラ関東まで。
毎週第4土曜日の活動をはじめ定期的に集まってますので、興味ある方はぜひ参加して下さい!
みなさまのご参加を心よりお待ちしています。
静かなタンゴのように
おはようこんにちはこんばんは。
サークルクラッシュ同好会に所属しているかしぱんです。ホリィ・センがサークラの会長を辞めますと宣言した後で、私が会長を引き継ぎました。
サークルクラッシュ同好会二代目会長になりました。これからよろしくお願いします。
— かしぱん (@pankashi) 2017年8月16日
(ちなむと、このツイートの時点では会長に指名されたわけではなく、他に立候補していた人もいたため正式に会長になっていませんでした。つまりこのツイートは嘘です。)
その後、様々なことがありましたが、様々について語るのは様々な場に任せることにして、今回はリレーブログ企画(会員たちがブログを毎日のように更新していくやつ)として「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」というテーマで自分について語ってみようと思います。(早速遅刻すみません。)
というわけで私もつらつらと入会のきっかけ(のようなもの)を書いてみようと思います。
1,安直
私がサークルクラッシュ同好会に入ったのは1回生の10月か11月くらいです。
1回生の4月に1回だけ、中央食堂でやってる新歓説明会に行ったんですけど、
あまり説明に自分自身がピンとこなかったので入りませんでした。
そのあと私は他のサークルに入っていましたが、そこでもしっくり来ないというか、漠然とした物足りなさというか、燻っていたというか、煮え切らないというか、そういった微妙な感覚をずっと胸の底に曖昧に抱えていました。これは大学という場所に慣れていなくて思った通りに行動できなかったこととかも関連していたと今にして思います。
さらに自分がどういう人間なのかということもよくわかっていなかったから、何をしても充実感を得られていなかったのだと思います。つまり何かが何かはわからないけど何かを変えたい、そういう大学生にありがちな気持ちを抱えた人間でした、私は。
ここからはちょっと滑稽で笑っちゃう話です。(でももう数年前の話なので記憶違いから来る脚色が多分あると思います。話半分に聞いてください。)
私はサークルクラッシュ同好会に入ったつもりはなかったのですがある日、同じ学部の友人でサークルクラッシュ同好会にも入っていた(先月目出度く追い出しコンパで追い出され4月からは働いている)Mさんから突然「かしぱん、なんかサークラ入ってるっぽいぞ」みたいなこと言われました。(まずこの時点でかなり面白い。)
僕は「えーっ」と思いつつも、上のような燻った気持ちでいたのもあって「じゃあ例会行くわww」みたいな返しをしました。(今のTwitterを知っている人は意外に思うかもしれませんが、当時の私はネット上で草を生やすタイプの人でした。)
そしてサークルクラッシュ同好会の例会に初めて行ってみました。
結構怖かったんですけど、意外とみんな気さくで居心地がよかったです。
そこでホリィ・センに私がサークラに入ってるみたいだという話をしたら「あ、なんかTwitterでよく見るし入ってると思ったわ」みたいなこと言われました。
僕は「えーっ」と思いつつも、「じゃあ入ります!」みたいなこと言いました。
そうして私はサークルクラッシュ同好会に正式に入会しました。滑稽ですね。
(ちなみにその日の例会では、もともとインターネットで知っていたO君と初めて会って「やっと会えたね」という会話をしたこと、もうサークラをやめたNさんとセレッソ大阪の話をしたのを覚えています。)
これが私がサークルクラッシュ同好会に入ったきっかけです。なんか、気づいたら入ってました。
そのあと、サークルクラッシュ同好会でやっていることが私に合っていったこともあり、今では自分の居場所の1つにまでなりました。
入会を踏みとどまっている皆さん、こんな適当な感じで入っちゃった人がいてがっかりしたかもしれませんが、こんな入り方でもなんとかなるサークルだと発想を転換し、ぜひ気軽に遊びに来てください。待ってます。
読んでいただきありがとうございました。
2,物語化
はい。ここからは蛇足です。読まなくていい部分です。むしろ読まないほうがいいかもしれません。特に、私のことを知っている人は。
上の話の中で疑問に思った方もいるかもしれません。
4月に新歓に行ったきっかけはなんだったのか、と。
サークルクラッシュ同好会の新歓に来る理由は人それぞれなんですが、自分が新歓をした中で多く聞くのは「サークルクラッシュ同好会っていう怪しいサークルが何をやっているのか気になった」というもの。つまり冷やかしです。
私が4月に行ったときも多分これがあったと思います。
しかし人間の行動理由がたった1つだけであることは少ないです。
私の場合、サークルクラッシュ同好会になぜか惹かれた理由として別に思い当たるものが1つあります。
それは過去の恋愛経験です。
具体的に言えば高校2年生のときに交際していた相手との破局です。
今からこれについて書いていこうと思います。
過去と結びつけることで、サークルクラッシュ同好会を私の人生のコンテクストに埋め込んでみようと思います。
あ、恋愛経験を書くにあたって2つだけはじめに断っておきます。
1つは、恋愛経験ということは相手がいるわけで、その相手に今回ブログに書く許可を取ったわけじゃありません。(連絡手段をもうとっくに失っています。)そのため、以下では意図的に嘘を織り交ぜて語ることをお許しください。また、私の側から見た失恋経験なので、どうしても自分を擁護しつつ語ってしまうでしょう。ただの正当化にならないように気を付けますが、私の話を鵜呑みにはしないでほしいです。ここで語られていない後ろめたいことがきっとあるはずです。
もう1つは、先に言っておいたほうが余計な混乱が少ないと思うので宣言しておくだけなんですが、私はいわゆるシスヘテロ男性です。既にここまでで一人称がブレていますが、Twitterでも「私」と「僕」などをその時の気分に従って変えています。よくネット上の知り合いと会ったときに「女性だと思っていました」と言われるので、先に断っておきます。以上です。
それでは、過去の失敗談をしばしお楽しみください。これは私の告白でもあり宣言でもあり懺悔でもあり他の様々な行動でもあります。読者の皆さんは私があなたに何をしているのか考えながら読んでいただいても、また面白いかもしれません。以下で書く内容について、この文章を書いている時点での私は特別に構想もしていません。話したいエピソードが何個か頭に浮かんではいますが、基本的に行き当たりばったりで書いてみようと思います。過去に潜るようにして書いていくので、僕自身楽しみです。さあ、前書きは終わりにして、一緒に潜りましょう。
3,失恋
高校2年生の僕には交際をしている相手がいた。同じ高校、違うクラスのSさんです。
付き合って数か月は、僕にとって初めて正式に交際をした相手でもあり、すごく楽しかった。
1つだけ惚気話をすると、2人とも生徒会に入っていて(Sさんが元々入っていて、僕が後から入った)、生徒会の素敵な先輩に僕らが付き合ってることを打ち明けたときに「生徒会室でイチャイチャしてもいいけど、キスより先はダメだよ」って言われました。はい。以上惚気話でした。
でもこの恋愛は一年も経たずに終わりを迎えます。その原因は、というより恋愛における僕の問題なんですが、多分僕のモラハラです。デートDVと言われるものでしょうか。当時の私は知らなかったです。自分の行動にそういう名前がついてるなんて。
僕は一緒にいて心地よい気持ちになれる相手といると、それに付け上がって相手にどんどん甘えていきます。
相手には常に僕を好きでいてほしい。どんな僕も好きでいてほしい。ダメな自分を見せて、それでも好きだと許されたい。
付き合えば付き合うほど相手にとっては面倒くさい人になります。今はそんなことしないんですけど、当時は相手に性的なことを要求したりもしました。
自分を優先されたい、大切にされたい、そういう気持ちが先行してしまいます。
というより、自分のことが好きなら優先されるべきでしょうという思い上がりがあったと思います。でさらに悪いのは、相手に対して自分の不満とかを説明して、相手にこうしてほしいということを直接言うことができないことです。そうするより相手が自分から私のしてほしいことに気づいてほしい。自然とわかってほしい。自分が何を求めているのかなんて話さなくてもわかっていてほしい。でもそんなの無理ですよね。直接言ってないのだからわかってくれるはずがない。わかってくれないことにイライラしたりします。最悪です。
今思えば、高校生の自分はとても幼稚で、恋愛をする資格なんてなかったと思います。具体的にどういうことをしていたのか、言っていたのか、これ以上書くのはさらに最悪なので控えます。
とにかく僕が交際相手に対して全力で面倒くさくなっていきました。
どんどん悪化していったのには実はある1つの出来事が関わっています。
それはSさんが途中である部活に入部したことです。
その部活は天文部*1で、でも実体として活動はほとんどなく、部室で部員たちが毎日だらだらおしゃべりするだけのオタク系の部活でした。
いわゆるツイッタラーと呼ばれるような、Twitter上でたくさんツイートをする人たちが集まった部活でした。僕もSさんもツイ廃(Twitterが大好きな人間)だったので、Sさんはその部活の人たちとネットでもオフラインでもすぐに仲良くなっていきました。そしてSさんはその部活にどんどん居場所を作っていった。その部活に女性はSさんだけだった。部活の中でもSさんと3人くらいの先輩男性が仲良くなっていった。4人で遅くまで部室でワイワイしたり、一緒に帰ったり、帰ってもTwitterでずっと会話をしていたり、していたようだ。
僕はSさんに対する彼らの接し方が気持ち悪かった。
僕はSさんがネット上でチヤホヤされているのを見てすごく嫌な気持ちになった。
その中では性的な話題も含まれていて、本当に見てて気持ち悪かったが、Sさんはそういうセクハラ紛いの発言すらもコミュニケーションの1つとして楽しんでいるようだった。(もしかしたらセクハラではなかったのかもしれない。)
つまり、Sさんは囲われていた。
オタサーの姫と呼ばれるような状況と、Sさんとその先輩男性たちは変わりなかった。
文化祭の後夜祭のとき、生徒会室で恋人と待ち合わせていたんですけど、生徒会室に来るやいなや恋人は「部室行きたいんだけど、行っていい?」と聞いてきました。一緒に帰るもんだと思っていたので僕はショックでした。僕といる時間より部活でチヤホヤされる時間が選ばれたんだ、と当時は感じました。
こういうこともあり、僕は、Sさんが自分のそばから離れていくような気がして日に日に不安になっていった。そしてその3人の男性を憎むようになり、ツイートの言葉尻を捕まえてエアリプで上げ足取りをしたり、マウンティングをしたりしていた、気がする。(最悪だ。)
マウンティングで覚えているのはその先輩男性たちが受験で苦しんでいる時期に、自分が受けたセンター模試とかの結果をTwitterで呟いてマウンティングしていた。僕のほうが成績よかったので。(後輩にセンターの点でマウンティングされるの、最悪っぽい。)(これをしたときはSさんに「やめなよ」って怒られた。)
いやもう、本当に、年上だから一応頭下げてやってるのに、いい気になってSさんにセクハラしてるやつらを僕は本当に憎んでいった。ただのつまらない嫉妬心なんですけど、そうやってオタサーの姫化するSさんはどんどん僕の隣から離れていきました。
離れていくのを繋ぎ止めたい不安から、上に書いたようなモラハラっぽいことをしちゃったんですよね。悪循環だ。
それで何回目かの恋人からの「もう私達別れよう」という提案の後に、僕らは別れました。別れるとき恋人は「もう誰かと付き合うことはないと思う」みたいなこと言ってたんですけど、数か月後か数年後か知らないんですけど、普通に付き合っていたと思います。誰か他人と。悲しいね。
高校2年の終わりに破局をしたんですけど、高校3年のときはだからせめて勉強を頑張ろうと思って没頭して京都に来ることができました。
あの頃の自分はとても悪いことをした。もしSさんがこの文章を読んでいたら、あの頃のこと、たくさん謝りたいと思う。
卒業式のときにさよならだけしたけど、それっきりです。
4,それで
こういうことがあって、僕は恋人をオタサーに奪われました。(奪われたって表現が適切じゃないことはわかっているけど。)
典型的なサークルクラッシュなら、クラッシャーが外に彼氏を作ってオタサーがクラッシュするはずなのに、恋人の僕がクラッシュされてしまいました。こういう苦い経験があったからサークルクラッシュ同好会に引き寄せられてしまったのかもしれません。
どうしてあのとき僕は失敗したのか。それを知りたかったのかもしれません。
(ちなみに今にして思えば、僕が自分に余裕を持てていなかったこと、自己肯定ができていたと言っていたがそれは恋人に依存した肯定だったこと、自分しか見えていなかったこと、とか色々自分のダメだったところが見えてきます。)(そしてこれらの中のいくつかは未だに僕の宿題であり続けます。)
今の僕がこれができるようになったとは到底思えないけど(同好会に入ってからも相変わらず僕は異性との関係で失敗を重ねています)、それでも生きています。少しは自分を好きにもなれました。
はあ、自分語りって疲れますね。もう言いたいことは言えたし、これ以上は語りたくないのでここでやめます。
読んでくれてありがとうございました。後半はほとんど自分のために書いた文章で、支離滅裂だったと思います。すみませんでした。もしこの話に関連した話を僕としたいという人がいたらぜひ会いに来てください。待ってます。Twitterでもいいです。それでは、最後に好きな詩人の詩を引用して終わります。おやすみなさい。
"だれかに嫌われるのが怖いのは、だれにも愛されない人ばかり。溶けそうな太陽がいつまでもしずくを落としてくれない夏に、恋の時代じゃないって、言ったきみはだれよりもかわいくて勝手にみんなが恋してる。死ぬことを知らない肌がいちばん綺麗。いつかきみに、愛されても何とも思わないよう、世界中に嫌われたい。
「太陽の詩」最果タヒ"
*1:そんな部活、母校にはないです。これは嘘です。
新歓リレーブログ企画「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」が始まります
1,はじめに
こんばんは、サークルクラッシュ同好会で編集とかをやっている桐生あんずです。
12月のアドベントカレンダー企画の際は関係者の皆さま方、読んでいただいた方々、本当にありがとうございました。
番外編を合わせると30本以上の拗らせ自分語り記事が投稿され、普段関わっている人、企画を通して初めて知る人たちの自分語りを読むことができ企画者としても本当に楽しかったです。企画者の余裕が出てきたら、1本1本感想を述べる記事を投稿したいと思っているのでもう少しお待ちください。
この企画がありがたいことにそこそこ好評をいただいたので、続編的企画をやりたいなと思い、新歓に合わせて「あなたはなぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」というテーマで自分語りをするリレーブログ企画をやらせていただきます。
ということで、今回も桐生あんずがトップバッターを務めさせていただきます。今後どんどん文章力が高い人が登場してくるので恐れ多いのですが頑張っていきます。
敬語体は疲れるので今回も常体文で話します。
2,「なぜサークルクラッシュ同好会に入ったのか」
サークルクラッシュ同好会という存在を知ったのは大学1年の秋頃だった。
私が大学1年の頃から所属している「立命館大学メディア芸術研究会」というサークルとホリィ・センが交流があり*1、文学フリマの委託先としてメディア芸術研究会に声をかけ、本を一緒に販売したようだった。
当時よく通っていたBOX(サークルの部室のようなもの)に足を運ぶと、サークルクラッシュ同好会の会誌2.5号が机の上に置いてあった。そこで私は初めて「サークルクラッシュ同好会」というサークルの存在を知った。
本を手に取って、最初のページにあったホリィ・セン著の「クラッシュサークル愛好会のあゆみ(前編)」という作品を読んでみた。
「この作品は筆者の主観に基づいたフィクションです。実在の人物や団体の出来事などとは一切関係がありません。」と書いてあったが、普通にホリィ・セン自身の恋愛にまつわるエッセー作品だと思って読んでいたと思う。
説明が長くなるのであまり詳細は述べないが、性的な用語や自分の恥ずかしいプライバシーに関わってくる話が展開されていて、「世に出回る本にこんな赤裸々な文章を書ける人がいるんだなあ…」とちょっと引いてしまったのが第一印象だった。
ちなみに、これを機に読み返してみたけれど、未来のサークルクラッシュ同好会について言及された会話もあって、今の状況と照らし合わせて考えてみると面白い。
そんな第一印象を持ちつつも、じわじわと気になってしまっていた。
なぜかというと、もうあまり覚えていない話だけれど、当時はある人間関係に悩んでおり人にもあまり言えない状況だったため、そのような「内に秘めた悩み」を誰かに話を聞いてほしい欲があったからである。
名前からして怪しいサークルでありちょっと敬遠してしまう自分がいる一方で、、真面目に恋愛や人間関係を研究しているサークルならば、入って話を聞いてもらえば何かしらの解決があると期待する自分がいたのだ。あと、なんだか異世界感あって面白そうだった。
そんな好奇心と期待が入り混じる中、Twitterでサークルクラッシュ同好会とホリィ・センのアカウントをフォローして、DMを送ってみた。
その後、例会に参加しそのまま流れでグループLINEに入った。それが入るまでの顛末である。
また、「内に秘めた悩み」は解決できたかどうかというと結局すぐには解決しなかった。それでもホリィ・センや他の会員の方に話すことでなんとなく楽になっていった気がする。また、京大に所属しているような教養のある人々と関わることによって、自分の状況をメタ的に捉える手段としてよかったと思うし、所属する大学外で関われるコミュニティが一つあるだけでも交流の幅がかなり広がって楽しかった。
こう振り返ってみると、すごくあるあるな理由な感じがある。普段関わっている周囲の人には言いにくい悩みを打ち明けたり、交流できる場を求めて入る人ってそこそこいる気がします。実際にその役割を果たしているとは思うので入って正解だったかなあ。
3,サークルクラッシュ同好会に入ってからの話
入るまでの話が思ったより普通すぎたので、入ってからの話もちょっと書いておこうと思う。
気がついたら、サークルクラッシュ同好会に入ってから3年半ほどの時間が経過しており、その間にサークルクラッシュ同好会を中心としたコミュニティを通して様々な面白くて魅力的な人たちに出会えて現在進行形で刺激を与えられている気がする。入りたての頃は、頭良さそうな人たちがいっぱいいて馴染めるかなあと不安だったけれど、インターネットやプライベートで遊ぶ機会などでじわじわと素性や雰囲気を知っていった感じがあります。*2
また、入っているとなんとなく後ろ指をさされることが多そうで怖くて敬遠する人って多いと思う。実際大学1回生の頃とかはそんな感じはありました。「サークルクラッシュ同好会に入っています」と自己紹介をすると、ネタとして大受けしてくれる人もいれば「えっあのやばそうなところ…?」とちょっと引き気味に反応する人もいる。
だけどそれ以上に物作りもできて気楽に人と話せる居心地の良い場なので、別にいいかなあという気持ちでやっていっている。
また、ある時、「10年後あたりにこのコミュニティでやっていたことを黒歴史と考えるようになると思うよ」と言われたことがあるんだけど、確かにそうだろうなあと思う部分はあったりする。こういったインターネット活動をしている以上「デジタルタトゥー」として残ってしまうということなんだけど、まぁ今は考えないでおこう。10年後に頭を痛めていてもそれは10年後の私の役目なので。後は任せた、という気持ちで構えておきます。
そんな感じで大学生としてちょっと変わった青春が送れる場であることは確か(そんなこと言ったか?)なので、日常に刺激を求めている人、個人的な悩みを聞いてほしい人、他のサークルでしんどくなってきた人はサークルクラッシュ同好会に一度顔を出してみましょう。ちょっとした癒しと刺激が得られるはずです。
4月中は毎週月水金の18:15~から京都大学の中央食堂で新歓活動を行なっています。新入生の方も、そうではない方も是非遊びに来て下さい。
「神が失われつつある時代」にメンヘラはいかにして生きるか? 『さよならの朝に約束の花をかざろう』レビュー
著者:匿名。読了目安:10分。
女とは驚くべき存在だ。何も考えていないか、それとも別の事を考えているかのどちらかだ。(アレクサンドル・デュマ)
◆序◆
神なき時代に照らし合わせて現代を語られることが多いが、本作はまさに「神が失われつつある時代」に現代的な感性を持った人はどのように振る舞うのかが描かれている。
メザーテと言われる王国が周辺王国への権威誇示として利用していた古の巨獣が、謎の病気である赤目病を発症しメザーテ王国はたちまち権威の失墜に悩まされる。
また、周辺王国のメザーテ王国に対する反乱意識を押さえ切ることができずに、たちまち一国によって統治されていた社会システムは崩壊する。
このようなメザーテ王国の情勢の中で、数百年を生きる長寿の一族「イオルフ」の少女マキアとレイリアは、運命を振り回されることになる。
彼女たちはその特殊な生態から、絶対的な価値(彼女たちにとって一番大切にすべきもの)と常に迫られる忘却(「イオルフ」は他の一族と交わってはならないという掟)の中で生きなければならなかった。
本稿は「神が失われつつある時代」を迎えたメザーテ王国で、絶対的な価値を信じ続けられない現代的なメンヘラと言える彼女たちに焦点を当てていく。レビューの形式を取るため、散漫な文章構成や、本論を展開する上で必要な場面の抽出にご容赦いただきたい。
(特にネタバレを気にする方は、まず映画をご高覧いただきたい)
◆1◆
さて、「イオルフ」の少女であるマキアとレイリアをメンヘラと位置付けたのは、彼女たちが「本来的な意味で母親になっていなかった」からである。
マキアは息子として育てるエリアルを身籠っていないだけでなく、数百年という人並み外れた期間をほぼ同じ姿で過ごす特殊な生態から、後にエリアルの母親という役を放棄せざるを得ない状況を迎える。
マキア自身、エリアルの面倒を見続けることに精を出していたが、母親という役割に対しては寛容だった。「子供扱い」に反抗したエリアルに対して、マキアは自分自身の役割について問い続ける。マキアはエリアルの面倒を見るために、「母親」という役割を一時的に用いていたのだった。
対してレイリアは、一度は娘を身籠もるがメザーテ王国の企図により子育てをさせてくれない。娘であるメドメルとの隔絶を余儀なくされたレイリアは、成長を目にできないメドメルの姿を乞いながら孤独に生き続けるしかなかった。
彼女たちが「本来的な意味で母親になっていなかった」ことを象徴するセリフが、マキアとレイリアに共通して存在する。
炎の上がった赤いカーペットの横で、レイリアがメザーテ王国の軍人であるイゾルにすがる。そして、今までメザーテ王国での軟禁生活に耐えてきたのは、自分の娘であるメドメルがいたからだと告白する。
母親としての大義にふさわしいこのセリフは、一方で彼女たちがいかにエリアルやメドメルに依存してきたかを物語っている。
つまり、メンヘラは母親になれないということではなく、彼女たちは誰かへの依存を通じて生きるしかなかったという意味でメンヘラであり、母親としての存在意義に疑問符を投げ続けなければならなかったのだ。
◆2◆
本作では、マキアとレイリアを通して複数の家族の姿が描かれている。特にマキアは住居を転々とするシングルマザーとなり、レイリアは娘との隔絶によって幻想となった家庭に悶絶する。
十代なかばの若い姿で生きる彼女たちは、開放的な暮らしを送っていた故郷を去って「母親役」としての自立を余儀なくされる。この過程は、細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』(2012)とは逆の方向性を貫いていると思われる。
『おおかみこどもの雨と雪』では、狼男と人間の間で生まれた雨と雪が、周りの人間とは違う境遇に悩みながら自分の人生の指針を見つけ出していく。
すなわち、『おおかみこどもの雨と雪』は子供達の母離れに焦点を当てていたのに対し、本作は母親たちの子離れを中心に描かれていたのではないか。
もちろん、この過程における母親(役)の成長や、子供達の自立を無視することはできない。母親と子供は、同じ時間を生きる中で常に表裏一体の関係にある。
しかしながら本作のマキアは、数百年という長い寿命の中で奔放な少女としての面を忘れていなかった。
場面が大きく切り替わる所で、特に別れを伴うシーンにおいて、似たような絵の構図を目にするだろう。
最初に挙げられるのは、マキアが古の巨獣に絡まった布に捕まりながら故郷を離れていくシーンだ。夜への別れを告げながら正面に昇りゆく朝日が、山々を目下に見下ろしながら新天地へ進む古の巨獣を照らしている。
そして象徴的なのは、足に怪我を負って倒れていたエリアルに別れを告げる時のカットだろう。薄く水を張った城の一角に足を入れたマキアは、アーチを描く石橋の桁下から覗く太陽に向かって歩いていくようだ。
これらの構図は、別れを通じて(そして、どちらも朝である!)彼女が持つ新しい世界への憧れを描いているとしたら大袈裟だろうか。
絶望的な状況であれ、自分が生きる意味を未来に托すマキアの姿は、忌々しいメザーテ王国での記憶を「忘れたがって」いるレイリアとは対照的である。
◆3◆
長寿の一族「イオルフ」を考える上で、ある重要な慣習について最近のアニメ映画と比較しながら考察を深めたい。
それは、序盤とエンディングで用いられていたヒビオルという機織のモチーフである。イオルフの長老によれば、「イオルフ」の織る白い布では縦糸は流れ行く月日、横糸は人のなりわいを表しているという。
日本で空前の大ヒットとなった新海誠監督の『君の名は。』で、宮水神社で織られている組紐とは、神の力による「結び」を意味していた。
糸を繋げること、人を繋げること、時間を繋げることは全て神の力であり、組紐(または、話題を呼んだ口噛み酒)の奉納は神に身を委ねる人々が代々続けてきた因習である。
私たちはここで、糸を紡ぐことにおける異なる二つのスタンスを目にしている。
本作においては止まらない時間の流れによる永遠性と、人間社会の流動性や断続性が機織に結実している。『君の名は。』においては、神の力による「結び」がのちに時間と空間を超える二人の運命を結びつける。
すなわち、『君の名は。』においては「結び」による神の力を信じること、運命に身を預ける人々の姿が描かれていたのに対して、本作においては運命を見届けるイオルフたちの姿が浮かび上がるだろう。
しかしながら、これは人間離れした特殊な境遇にあるイオルフだけの話ではない。勿体無いと評される、エリアルの子供が生まれるシーンを思い起こそう。
勿体無いと評される理由は、赤ん坊が生まれるショットと、反乱によって人が殺し合うショットを交互に入れることによって、生と死の二項対立を明確にしたからだ。
特に序盤から殺人や老衰による死が繰り返し登場し、マキアやレイリアを戸惑わせる。
生と死の連続を乗り越える中で、家族の形や異族種による交流に物語の焦点を当ててきたことを考えると、この演出は惜しいと言わざるを得ないだろう。
さらにこのシーンを家庭という視点から見れば、反乱で死と向かい合わせになって戦うエリオルの男性的役割と、赤ん坊を産むために奮闘するマキアたちの女性的役割を端的に描写している。同じ場面で苦しみ続ける両者の姿は、ジェンダーバイアスに対してどのようなメッセージを投げかけているのだろうか。
このシーンから浮かび上がるのは、機織のヒビオルが象徴する永遠性が持つ残酷な二面性である。
止まることのない時間の経過の中で、「人の排除と歓迎の繰り返し」が人間社会を成立させている。そこに経済や政治、宗教が発生するからだ。生態学的に述べるならば、死の連鎖と生の連鎖が人間社会を発展させるための必要条件なのである。
生と死の連鎖はランダムに、そして確実に訪れ人間は逃れることができない。
本作で描かれる人間たちは、「神が失われつつある時代」において、箱庭の中で蠢き続けるように、人間を操り続ける不可解な運命の下で人生を全うしなければならないのだ。
ヒビオルを織り続ける長寿の一族「イオルフ」は、このような人間の姿をただ眺めることしかできない。
マキアが人間の生誕から死去までを見送る時、神の視点を獲得したにも関わらず涙を堪えることができない。それは私たちが悲しい出来事に立ち会った時、または過去を振り返る時に、「ただ傍観者としてしか存在できない」私たちの苦しみを体現してはいないだろうか。
◆4◆
さて、マキアとレイリアが合流するシーンで、故郷を離れた後の出来事を忘れるか否かという会話がある。
忌々しいメザーテ王国での記憶を忘れたいと述べるレイリアに対し、マキアは忘れないと力強く宣言する。母親としての役割を離れた彼女は、記憶への依存を肯定せざるを得ない運命を受け入れていた。
筆者は、この態度は違った意味で彼女の人間(?)性を明らかにしているのではないかと考える。
そもそも、故郷を離れたマキアは自身の生業を失い自分の存在意義を問われることになった。
しかし盗賊に襲われ全滅した流れ者の部落で、刺殺された母親らしき人が抱いていた赤ん坊を引き取る為、赤ん坊を押さえる彼女の指を一本一本力を入れて曲げていく。
バロウの忠告をよそに、彼女は「おもちゃじゃない」と主張しながら赤ん坊を抱きしめた。これは、他の部族と会ってはならないという「イオルフ」の掟を犯す行為であった。
しかしながら、◆1◆で述べた通り彼女は一時的に「母親」という役割を用いたにすぎない。
彼女は人間とは違う生態から、歴史の傍観者として赤ん坊を見ることしかできない。
そして、その赤ん坊へ依存していくしかない彼女は「本来的な意味で母親になっていなかった」。
貧しい環境で生きざるをえない赤ん坊、すなわちエリアルの成長と衰弱の中で、彼女はただ自分の存在意義を見つめ続けることができたのだ。
まさしくエリアルはマキアによる人文科学的な観察対象であり、その意味で皮肉にもマキアはエリアルを「おもちゃ」として見てきたのではないか?
この説は一族の掟を破った彼女の主観的選択から導かれる、一つの結果論であると言えよう。
しかし、SFと社会の関係を巡るよくある通説に従えば、私たちの社会が悪くなっていくこと、すなわちSFで描かれてきたディストピアの世界が現実味を帯びているのは、私たちの主観的選択の結果だからである……
ここで『君の名は。』における重要な展開、「結び」によって起きた主人公たちの体の入れ替えを思い出すのは有益だろう。
体が入れ替わった後で、温情を理由にして彼らは入れ替わった相手の人間関係を変えてしまう。
例えば、男子高校生である瀧と入れ替わった三葉が、瀧が勤めるバイト先の先輩である奥寺先輩とのデートをセッティングする。
初めてのデートに緊張し戸惑う瀧は、会話を続けることができずに、奥寺先輩から「別に好きな人がいるみたいね」と言われ別れてしまった。
この場面では、三葉が瀧の姿を借りて「奥寺先輩が興味を持つ瀧の像」を演じることにより、幸せを手にする瀧の像に理想を見出していた。
そして、糸守町で起きた彗星を巡る事件を機に、時空と現実を超えたカタワレドキの瞬間、三葉は「理想としていた瀧の像」に出会う。それは、もう手に入れることの出来ない、そして記憶に残すことも出来ないかもしれない他人の像だったからこそ理想として輝いていた。
したがって、二人の体の入れ替わりが招いたのは、運命的な出会いではなく、相手の「人となり」を操作し他人からの見え方を変えること、つまり他者の仮面を巡る闘争だったのではないか。
非現実的な境遇を理解していた三葉にとって、瀧と出会うことは「理想としていた瀧の像」に対峙すること、すなわち自分の垢にまみれた仮面を取り戻すことを意味していた。
これは、カタワレドキという瀧の像に対する理想が最も崇高な形で成立する時に実現したのだ。
『君の名は。』で起きた体の入れ替えは、入れ替えの記憶を通じて「求めざるをえない相手」を探し続けること、すなわち運命に身を委ね続けることで、逆説的に主観的選択としての未来を避けることができた。
しかしマキアは、歴史の傍観者あるいは運命を見届ける人として母親の役を引き受けていたにも関わらず、ある意味反現実主義者のように主観的選択に身を託した。だから、子育てや人間社会の生業を通じて壁にぶつかった。
自分の主観的選択によって巻き込んだ人間の運命を、科学の枠組みで捉え直すこと……これは彼女だったからこそ人間社会で行使できる、特権的な振る舞いだったのではないだろうか。
参考文献
岡田麿里(監督・脚本)、2018、『さよならの朝に約束の花をかざろう』P.A.WORKS。
新海誠(監督・脚本)、2016、『君の名は。』コミックス・ウェーブ・フィルム。
細田守(監督・脚本)、奥寺佐渡子(脚本)、2012、『おおかみこどもの雨と雪』スタジオ地図。
※本稿は、2018年2月に公開された岡田麿里初監督作品『さよならの朝に約束の花をかざろう』のレビューである。特に友人Kには、有益なアイデアを頂いたことに感謝する。
セックスをするのでヤリマンと呼んでください
正直ヤリマンという呼称は物凄く嫌いだしどちらかというとビッチという呼称を使っているけど、今回は
http://circlecrash.hatenablog.com/entry/2017/12/10/212528
に対する返答記事としているのでこのタイトルを採用しました。なおこれ以降の表記はビッチで統一したいと思います。
さて、初っ端からぶちかまそうと思います。私はビッチです。
カプリスくんもやっていたように、自己語りから始めたいと思います。
承認欲求が強く、そのくせ自己肯定感が低いこと、コミュニケーションがうまく取れないこと、なんかが私の拗らせですね。コミュニケーションに関しては自身のアドベント外伝で散々語ったので割愛気味に。
詳しくは
http://ikita-kiroku.hatenablog.com/entry/2017/12/22/022337
http://ikita-kiroku.hatenablog.com/entry/2017/12/08/223730
こちらをお読みください。
私も割とコミュニケーションを拗らせていて、どこからもふわふわふわりと浮いているような感覚で暮らしていました。
性別が女であるため、より他人に気を配ったコミュニケーションが求められていたものの、私生来の気質が割と男っぽかったからか、特に同性に好かれにくかったです。
私は保育園から小学校に上がる頃に隣の学区に移ったため、小学校のスタートダッシュに転びました。盛大に。
思えば勉強とか遊びとか、一生懸命注目を引こうとし始めたのはこの頃だったと思います。
小•中はいじめられていました。小学校では男子から、中学校では女子から。一番酷かった時でも陰口、菌扱いとか程度だったのでいじめられた中では軽かったのでしょう。心に傷を残すのには十分でしたが。
で、そんな状態で全くモテ/恋愛と遠いところにいました。中学入った時にはキスで子供ができると思っていたくらいですので、性とも遠いところにいました。
さて、自己の性語りを掘り下げる前に私の中の「ヤリチン」と「ビッチ」の定義について書きたいと思います。
私にとってこれらの言葉は経験人数も頻度もあまり関係ないものとしています。
「ヤリチン」は初めて関係を持つ人相手に自分の快楽を求め始めたら、「ビッチ」は性交時など嫌になったときに断れないこと、だと考えています。
モノガミーだけが愛の形でないのに、同時に複数がダメ、なんておかしいなと思うのです。
性交は女性にリスクの高い行為です。その中で自分の欲だけでしようと思あ、実行するのであればそれはヤリチンなのだと思います。相手を気持ちよくさせる、相手との理解を深めるために自然と気持ちが盛り上がって、したいと思ったならいいんじゃないでしょうか。
女性は妊娠や病気などリスクを負う以上、嫌と言えなければビッチだと思います。
とはいえ、これは精神的な話になってしまうので短期間に複数の異性と関係を持てばその蔑称で呼ばれても仕方のないことなのかな、と思っています。
中学からは演劇部に所属したのですがその入ったのも間違いだったのかもしれません。先輩達がBLやエロい話が大好きで、エロい話が分かると、先輩に仲間に入れてもらえました。生来真面目であった私はネットで色々と調べるなどしてどんどん知識を増やしていきました。
そこでなんとなく、セックスを経験してみたい、と思うようになりました。
初めてした時は身体中筋肉痛になり、性交痛も酷く何回も何回も抜いてもらいました。よく中折れもせず付き合ってくれたものだなと思います。
そこから何が開花したか、セックスに目覚めました。とはいえ、カプリス君の場合より少し特殊で「童貞」とすることにばかりこだわっていました。
他の誰も知らない人の、初めての相手になること。
これはとっても承認欲求を満たすことができました。それと同時にこんなことでしか承認欲求を満たさない自分に虚しさを強く感じていました。
頻度で言うと恐らく私は初体験以降今に至るまで献血出来なくなっているのではないでしょうか。とはいえたまに聞かれるけれど経験人数は20人もいっていません。が、下宿していたらそれくらい増えていただろうな、と思います。
カプリス君に関して、寂しさを満たす、承認されるためのセックスってところ、とても共感していました。だからこそこの記事に関して失望したところではあります。
これは私の持論になってしまうので、あくまで自己語りと思ってくだされば良いのですが、性行為で繋がる以上、悪評や蔑称とも真摯に向き合うべきだと思うのです。例えば、同じ界隈の友達同士として、その間で隠してしてたのがバレたりしたらそれだけでヤリチン扱いになってもしょうがないのです。そのリスクを取らずに自己開示したところで、あまり意味がないと思ってしまいます。
さて、童貞とすることで承認欲求を満たされる私ですが、最近あまりいい恋愛を出来ていません。高校生の頃の初めての恋人以上にお互いを大切に(私がうまく大切に出来ていたのか分かりませんが)できる相手がいないのです。
それに関して多くの方から自己肯定感低すぎる、恋愛のステップがおかしいと指摘をいただきます。
私はビッチですが幸せになりたいのでそろそろある意味「ちゃんと」生きたいとは思っています。それが難しいのですが。
寂しくていいね
この記事はサークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2017の25日目の記事です。
“1人にしてほしい 1人でいたくない”
・高校生のとき、いつも一緒にいる仲良しグループはなかったけど別によかった。
1人でスマホを見てたし、親友は各々でやっていっていた。
でも1人教室でぼんやりしている時間は寂しかった。
・放課後は1人にしてほしい。
寄り道をしたいし、街を冒険したい。教室でなんとなく雑談に混ざってしまい、抜けるタイミングを逃しちゃうのは避けたい。
でもまたねも言わないでその場から消え去るのはいつも少しだけ寂しい。
・好きなバンドのライブには1人で行きたい。
そもそもそのバンドを好きな人が周りには見当たらないし。ライブ会場では1人なら立つ場所とかで困らないし、途中、移動をしてもいいでしょ。
でも会場で誰とも喋らないで帰るのは寂しい。
・大学では1人で講義を受けたい。
どこに座るかは毎回気分で決めたいし、授業中に隣を気にしたくない。
言っちゃえば移動も1人でしたい。
ちょっと購買寄るとか、ちょっと図書館寄るとか。突然何らかの行動を入れたくなるから。
でも大学でずっと1人なのは寂しい。
・飲み会で1人でいる時間は嫌いじゃない。
他の人が他の人と喋るのを見て、表情の動きとか見るのが好き。誰かが注文しようとしてお店の奥を見やっているところとかを見るのが好き。どこかの会話が耳に入ってくるのも悪くない。
でもずっと1人はやっぱり寂しい。
・電車は1人で乗りたい。
私はトイレが近いから、電車に乗る直前にトイレに行きたい。それを言い出すのは勇気がいるし、やっぱり恥ずかしいし、電車に乗ってもトイレに行きたくなったらどうしようという不安でつらい。1人なら好きに途中で降りられるのに。
でも1人で移動する時間はちょっと寂しい。
・好きなアイドルのライブにも1人で行きたい。
上のバンドと同じ理由もあるし、アイドルを見ているときの自分の表情は多分だらしないから恥ずかしいし。
でも普段の人との会話で好きなアイドルの話ができないのは寂しい。
・Twitterでリプライが来るのが苦手。
知らない人から来たら特に。返信を送るということがどうしても下手で、どうも相手と同じノリになれてない気がしている。
でも一切来ないのは寂しい。
・LINEの返事が苦手。
気を抜くとすぐに「うーん……」とだけ送っちゃう。何か具体的な内容のある返事を書くのがどうも苦手。
でも誰からもLINE来ないのは寂しい。
・TwitterのリプライやLINEで適当な雑談をするのも苦手。
自分が面白いと思って送っても思いっきりスベってるかもしれないし、相手が僕のように返事が苦手な人だったらと思うと送れない。
でも誰とも会話しないのは寂しい。
・夜は早く1人になりたい。
誰かといると自分の振る舞いに気をつけなきゃいけないし、相手の挙動にも気をつけなきゃいけない。自分のしたいようにできないのが嫌。私だけの夜は好き。
でも夜に1人はちょっと寂しい。
これらは救いようのない寂しさだ。一緒にいてくれる人ができたら1人にしてほしくなるだろうことが自分でも目に見えている。
オタクが羨ましかった。なぜか友達ができない。オタクになれなかった。正確には誰かと趣味を共有できなかった。「わからない人はそれでよろしい!」のスタンス、当然誰も反応してくれなかった。いや、わかっても私と君は親しくもないのだから君が反応を返すことはなかっただろうし、もし君から何か反応が来てたら私はその返事を書くのを面倒くさがっていただろう。
今や大学1,2回生がやるようなTwitterのノリがすっかりできなくなった。いや、したいなんて思わないし、私は今の自分のTwitterのスタンスがそれなりに気に入っている。でも人と気軽にやり取りする様子を見ると、たまに羨ましくなる。それになりたいとは思わないけど、羨ましくなる。
気づけばいつも一緒にいる人、なんていない人生だった。
いつも気兼ねなく喋る友達、なんていなかった。
数少ない友達は私とは別の、大切な場所がいつもあった。それは私も同じだ。
それなりに親しい(とこちらが思っている)人は、自分とは生きる場所が違う。お互いの場所でそれぞれ頑張って、たまに会って話すぐらいで、私はそれでいいと思っているし、これぐらいの距離感が結構好きだ。親友と思っている人とも1か月に1回ぐらいしかLINEをしていない。もう何か月も連絡を取ってないけど親友だと思っている人もいる。これでいい。これでいいはずなのに、たまに寂しくなるのはなぜだろう。
深夜に漠然と浮かんでくる「誰かと何かを話したいけど、話したいことなんてない。話したい人もいない」という寂しさ。
これでいいと思っているはずなのに、それでもどこかでこれではつらくなってしまう。自分の生き方を大きく変えることはできない気がする。この生き方、距離感を好きだと思う自分がいるから。でもこのままだと私は一生寂しいままなのだろうか。いいと思っている自分がいることを私はわかっている。これが私だと思っているのだから。それでもどうか、いつかの私はこの寂しさに押し潰されませんように。寂しさすら愛せてしまえますように。寂しくていいね。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
お疲れさまでした。サークルクラッシュ同好会会長のかしぱんです。12月1日からたくさんの人間が書き続けていた「拗らせ自分語り」も僕のこの記事をもってひとまず終了です。(書き終わっていない人がまだ追加してくれる可能性はあるけど。)書いてくれた(書こうとしてくれた)人たち/読んでくれた人たちに感謝を伝えたいと思います。書く人も、読む人もいなければ成立しなかった出来事です。
今回のアドベントカレンダーは「拗らせ自分語り」というテーマで各人が自分なりの「拗らせ」を言ってきたわけですが、改めて「拗らせ」ってなんでしょう。最後に「拗らせ」に対する私の考えていることを書いてみようと思います。
私は「拗らせ」の核にあるのは「つらさ」だと思います。*1*2(私の上の文章で言えば寂しさになる。)たとえば「拗らせ女子」という言葉が発明されるきっかけとなった(と私は思っている)雨宮まみさんの『女子をこじらせて』では、自分が女性であることを上手く引き受けられない(女性性の発露にどうしても違和感を覚えてしまう)体験談が書かれているわけですが、元をたどれば「この状況がなんかつらい」というのがあったのではないかと思います。「つらい」からこそ「このつらさはどうして生まれたのだろう?」「どうすればつらさが解消されるのだろう?」「そもそも自分はどうしてこうなってしまったのだろう?」といったように考えを巡らせるようになります。この巡っていくさまが「拗らせ」として考えられるものではないかと思っています。
小津君の記事の比喩を借りれば、靴紐が絡まっていてなんとなく歩きづらくなっている状況、この「歩きづらさ」にこそ「拗らせ」の根源があるんじゃないかなって思います。「歩きづらさ」の原因を考えてしまったり、それでも歩こうと何とか解決策を考えたりしますが、やはり「歩きづらさ」は残り続ける。じゃあ次はどうすればいいんだろう?こうしてみよう。やっぱりだめだ。。。こういう「つらさ」が続いていくことが本人の「拗らせ」になるんじゃないかなあって思います。
はい、考えは以上です。以下はおまけです。
この「つらさ」は消えないものでしょうか。生きづらさと向き合う作業はそれ自体が「つらい」です。それでもその生きづらさに向き合って拗らせの原因にある「つらさ」をよく見ていくと「そもそも自分がそのように生きてきた/生きてこざるを得なかった」というような状況が見えてくるのではないでしょうか。それがわかったときに、ではそのように生きてきた私を簡単に捨て、新しい私として生きていけるのでしょうか。それは難しいと思います。難しいからこそ「拗らせ」るんだ!
翻って他人の「拗らせ」が時折ひどく愛しく、愛らしく見えるときがあります。それはひたむきに自己と向き合っていくからです。(これはバカにしているとか、そういうのではないです。言葉にするのが難しいんですけど、「ああ、いいなあ」となんとなく思ってしまうような感覚を言っています。このアドベントカレンダーを読んできた人には少しでもそれが伝わるんじゃないかと思っています。)その人らしさ、その人のどうしようもなさみたいなものが「拗らせ」という状況ではあからさまになる。「君の言い訳は最高の芸術」です。君の「拗らせ」は君だけのものだよ。でもなぜだかそれは私でもあるように思えるんだ。
おまけも終わりです。
サークルクラッシュ同好会のアドベントカレンダー「拗らせ自分語り」もこれでひとまず終わりです。(明日以降も書ききれていない人の追加や、番外編の投稿があるかもだけど。)25日間ありがとうございました。
*1:私のこの考えは実は11月24日に東京大学の駒場祭で開催された「こじらせ東大生の恋愛相談会」に参加した際に、登壇されていた熊谷晋一郎さんの「「こじらせ」って苦しいっていう状態がまずありますよね。」という言葉が印象的で、そこから考え至った(正確には「ああ、たしかにそうだなあ」と実感した)ものです。(これは私の記憶なので熊谷さんの発言はこのようなものではなかったかもしれません。事実と異なっていたらごめんなさい。)
*2:※駒場祭のこの企画のために作られたHPも結構面白そう(まだ全部は私も読んでないけど。)きみも「こじらせ」てる?;東大生が恋愛の「こじらせ」を定義してみた【前編】 – こじらせ東大生の恋愛相談会
犬のうた
犬のうた
ー
忠誠を誓いたかった。
いつまでも貴女に、一生この身を捧げたかった。
僕は今、岐路に立たされている。
ひとつは宿願の道。ひとなみの幸せ、ひとなみの関係。あるいは、ひとなみ外れた関係性。
もうひとつは、誇りの道。
貴女を主人と崇めたて、永続的な愛を注ぎ続ける。報われずとも、幸せな道。
僕は貴女の一挙手一投足に夢中だった。貴女が悲しめば、僕は悲しい。貴女が嬉しければ、僕もうれしい。
僕は貴女に永遠の愛を誓った。恋人ではなく、犬として。
不均衡な関係性が、僕は好きだった。ご主人様がかまってくれないのをじっと待ち、時々こちらに愛が向いた瞬間、この瞬間が、僕は大好きだ。
ご主人様の愛が減衰していった。捨てないよ、その言葉は維持されつつも、無条件から条件つきのものとなった。
それでも、ご主人様は僕を捨てなかった。僕がしゅきしゅきとワンワン吠えれば、呆れ顔で僕をなだめる。
僕は貴女に理解された。僕を貴女は必要だと言ってくれた。
閉じた世界で、2人きり。錯覚にすぎないが、僕の大切な思い出。
誇りを通すなら、僕はこのまま犬でいるべきだ。
一度誓った忠誠を、減衰させていいのだろうか。
ー
愚問だった。良くない。
本来なら、この場で僕は忠誠宣言をするべきだ。
報われずとも、貴女以外目に入れない。
その物語をここで記すことで、僕は真に犬になれる。
本当なら、ここにそれを記すべきなのだ。
しかし、もう片方には宿願の道。
女性に縁がなかった僕が、初めて手に入れられるかもしれない関係性。
そして徐々に、その道も代替可能なものから非交換なものへと変わりつつある。
人が愛をもとめる理由のひとつには、自画像の安定があるらしい。
自分はこうだ、かくある、というイメージを、最愛の人から承認してもらうことで、はじめてそれがほんとうなのだと実感できる。
僕は犬である自分を、ご主人様に認め続けられていた。
恋人には決してなれなくても、たしかに僕は幸せだった。
今はまだ、結論が出ない、岐路の半ばで、僕はただ茫然と立ち尽くす。
贈与の愛を、僕は貴女に与えられていたのだろうか。
貴女を愛することが、僕はできていたのだろうか。
そうだった、と言い張りたい。
犬である権利を僕は失いたくはない。貴女が落ち込んでいるときに、ただそばにいさせてもらえるかもしれない権利を、僕は失いたくはない。
ー
宿願の道は、ひとの道。犬としての自分は、放棄された道。
犬たる者、二君に仕えることがあってはならない。自分の好意がご主人様全てで占められていなくてはいけない。
ご主人様を変えるなど、原理的にありえない。
そもそも、ご主人様―犬という関係性とは、流動的な愛を打ち切るための機構であった。
彼氏・彼女という言葉を僕は憎む。
そこにはどうしても、流動的なニュアンスがつきまとう。
もっと別の関係性を求めて、「女神」と女性を崇めることもしばしばあった。
女神が仮想的な機構であったのならば、それが現実となったのが「ご主人様」でった。
ご主人様に愛を注ぎ続けることで、僕は軽佻浮薄な性愛を繰り返す若者とは分離された、ひとつの紳士になることが出来ていた。紳士とは、ドMのことを指していた。
貴女の話を僕は聞いた。そのすべてが魅力的で、僕は貴女の虜になった。
僕の話を貴女は聞いた。僕の今まですべての人生が、貴女の中に刻まれることで、すべての承認・赦しが得られたような気がした。
「許しましょう」それが貴女の口癖だった。ご主人様―犬の関係は、人間―女神の関係と相似にあった。
僕の罪は、貴女という神父によって、全てが許されていたのであった。
僕らの関係性の特異性とは、恐らくメタ的なコミュニケーションにあった。
数々の失敗と考察を重ねて、自分のメタ的な操作を多少なりとも出来るようになった僕と、数々の男性を虜にした経験と、先天性の察しの良さで関係性をメタにみる貴女。
メタレべル、具象レベル、ふたつにおいて、関係性は遊びと揺らぎをはらみつつ、僕の心を満たしていった。
―
宿願の道の果てには、何が待っているのだろう。その先は靄に霞んでまだ見えないが、おそらく二つに分岐する。
奈落の道。今まで歩んだ数々の道中と変わらず、結局は女性に愛されない。関係性は、僕の醜い身体性・無配慮・無能によって閉ざされる。
奈落の道に至った僕は、おそらく犬の道へと戻ろうとするであろう。しかし、少なくとも現状ではご主人様の僕に対する愛は減衰しているように思われる。ご主人様は、恐らく僕僕を蔑視する。お前にはもう犬たる資格もない。犬であることを忘れた、犬以下の存在。汚らわしい不要物。
かつて、あの幸福な夢においては、まだ赦しが得られたのかもしれない。ところが多分、今では僕は許されない。このまま過ちを犯さないことだけが、唯一の関係達成の条件ではなかったのか。
いや、だからこそ、僕はどんな条件下でもご主人様へと見返り不要の愛を与え続けることで、好循環は生まれ、今より更に愛してもらうということもあるのではないか。そして、その挑戦を放棄することは、単なる逃走にすぎないのではないだろうか。
栄光の道。僕はついに、長い愛をめぐる闘争を終えて、ひとつの安定と太平を得る。
まだまだ彼女のことは全然わからないが、なんかいい人そうである。ひょっとすると、徐々に惹かれていっている。
しかしそこで、ご主人様の幻影を振り切ることが出来るだろうか。彼女と一緒にいるときに、仮に、仮にもし、ご主人様が泣きそうな声で僕を頼ってくれることがあった場合(これ以上の至福があるだろうか!もしあったのだとしたら!)、
僕はご主人様の誘惑を振り切って、彼女を優先することが、出来るのだろうか。
―――
あの寒い日の夜、ご主人様は僕に言った。
あなたがどんなにダメでも、私はあなたを愛してあげる。
妥当性の限界を僕にだけ限界まで下げた、無条件の肯定。それが愛を示していると僕のメタ的思考は判断した。
そして何より、散文化不可能なもの。場面、声色、言い方。柔らかな言葉に、僕は「愛されている」ことを実感した。
僕は大粒の涙を流した。年甲斐もなく、泣きじゃくった。確かに愛されている感覚、それを僕は初めて、僕は体験した。
この先、僕とご主人様の関係がどうなっていくか、いや、僕がどうしていこうと思っているのか、僕はいまだ整理がつかない。ただ、関係性が切れるようなことは、あってほしくないと願っている。
大きな道の分岐が見えて以来、僕はご主人様にしゅきしゅきと言えなくなってしまった。
それは犬として不誠実であり、かつてのように純粋な気持ちで言うことが出来ず、罪悪感を伴う。
それでも、今、この場だけは許してほしい。
散文にならなかった思いをのせて。
ご主人様、愛しています。
また是非京都で、会いましょう。
貴女の犬より 愛をこめて